ドリーム小説
※ヴィクトルは現役復帰せず日本で勇利のコーチに専念しています。
※佐賀弁は適当です。
■2018 シーズンオフ@:長谷津、2度目の夏
8月下旬。
今年の夏もまた俺は日本の長谷津を訪れていた。
福岡空港で2人と待ち合わせ、そこからタクシーに乗って勇利の家へ。
目的地に着いた頃には陽も沈み、夏特有の薄ぼんやりとした明るさの残る夜へと変わっていた。
玄関先で待っていてくれた勇利とヴィクトルコーチに出迎えられる。
「みんな〜。長谷津よかとこ、何度もおいで〜」
「てめぇは本気で長谷津の観光大使になったのかよ、じじぃ」
「ヴィクトル、勇利、久しぶり。今年もお世話になってしまってごめんなさい」
「いいよ、気にしないで。ゆっくりしていって」
あがってと促されて靴を脱いでいると奥から勇利の母親も顔を出してきた。
「勇利、みんな着いたと?」
「勇利マーマ、お久しぶりです」
約1年ぶりの再会には自ら両手を広げて彼女のところへ再会のハグをしにいく。
去年世話になって以来、彼女は勇利の家族と懇意にしていた。
クリスマスにはカードとプレゼントも送ったらしい。
そういう細やかな気配りができるところは彼女の美点だと思う。
「さん、お久しぶりやねぇ。相変わらず美人さんやわぁ」
「マーマもお元気そうで。またお会いできて嬉しいです」
再会の挨拶が済むと勇利の案内で部屋に荷物を置きに行くことになった。
だがここで一悶着が起きる。
「ところで部屋割りなんだけどさ」
「あー?部屋割り?」
去年と同じではないのか。
ユーリは怪訝な顔を彼に向ける。
「ユリオはヴィクトルの部屋でいいかな?」
「は?なんでだよ。前に俺が使ってた部屋があんだろうが」
そっちがいいとユーリは一人部屋を希望する。
だが勇利は「あー、そこは……」と言葉を濁す。
「空いてねぇのか?誰か使ってるとか」
「いや……空いてるのは空いてるんだけど」
勇利の歯切れが悪い。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
なぜか彼は俺との方にちらりと視線を向けてきた。
「その、空いている部屋はオタベックとにどうかなって」
「は?」
「いや、その、ヴィクトルがさ、2人は恋人同士だから同じ部屋でいいんじゃないかって言うんだけど……」
「はぁ!?」
予想もしていなかった提案だった。
声と表情を荒げたのは言い渡された俺たちではなくユーリだ。
「なんっだそれ」と勇利を睨みあげる様は完全にゴロツキのそれだ。
ロシアンヤンキーと陰で称される彼の悪態はとまらない。
「カップルは同じ部屋って、いつからてめぇんちはラブホになったんだよカツ丼」
ユーリ、それは余計な一言だ。
口にはしなかったが俺は額に手を置いてため息をついた。
ただの部屋割りの話題だったというのに彼のその一言によって場の雰囲気は一気に色めいたものになってしまった。
俺とは顔を合わせづらくなる。
ちらりと視線を向けると案の定彼女の耳は赤くなっていた。
こんな状況にされて、それでも俺たちは同じ部屋に泊まるのだろうか。
「ユリオってば下世話〜。2人になに期待した?」
「うっせぇ、じじぃ!ドスケベ野郎が!」
「えー。俺は2人のためを思って提案したんだけどなぁ」
「いらねぇ気の回し方してんじゃねぇ!」
「はいはい。もう、そんなにユリオが怒ることはないだろう。それに俺の案は別に悪いことじゃないだろ。2人はきちんと交際している男女なんだから同じ部屋でも構わないはずだ」
コーチの視線が俺たちの方に向く。
勇利はこんなことになってごめんという顔で両手を合わせているし、ユーリは相変わらず険しい顔を向けてくる。
さぁどうすると審判を託されているような圧を感じずにはいられない。
彼女は何も言わず、いやおそらくは何も言えず、髪の隙間から見える耳はどんどん赤くなっていく。
埒が明かない。
部屋が決まらないことには全員休むこともできない。
俺は自分の判断で「すまないが俺たちの部屋は別々にしてもらえると助かる」と案を取り下げさせてもらった。
勝生家の母屋の部屋数は多くはない。
自分は廊下で雑魚寝でも構わない。
そのユーリが使っていたという空き部屋はに回してほしい。
一人の方が彼女も落ち着いて泊まれるだろう。
俺は別に一緒でも構わなかったが、ユーリの失言でおかしな雰囲気にされた今、俺と同室になることはきっと彼女を緊張させてしまう。
「本当にいいのかい?」とコーチに再度念を押されたが俺は意見を変えず首を縦に振った。
それで結局部屋割りはどうなったかというと、最初の案とはだいぶ違うものへと変わった。
空き部屋に泊まることになったのは俺とユーリの2人。
は遅れて挨拶に来た勇利の姉に「あれ?、今年は私んとこ来ないの?」と声をかけられ気持ちがそちらに揺らいだようだ。
彼女は去年も真利の部屋に泊まっている。
やはり女同士の方が安心するのだろう、彼女は今年もそこにお邪魔することになった。
なんとか部屋割り問題が解決し、あてがわれた部屋に荷物を置くと俺たちは疲れをとるべく風呂へと向かった。
「風呂風呂!早く行こうぜ、オタベック!」
「ユーラチカ、走らないで。他のお客様もいるんだから」
ユーリを注意するときの彼女はまるで小さな子どもに言い聞かせる母親のようだ。
そこにはもう先程までの部屋割り問題で戸惑い顔を赤くしていた彼女の姿はない。
「もう、あの子ったら着替えのシャツも持たないで……。オタベック、届けてもらえる?」
「ああ、構わない」
「ありがとう。お願いね」
話す態度にもおかしなところは見受けられない。
いつも通りの彼女だ。
俺は安心してユーリの後を追って風呂に向かった。
そして俺は後になって気付かされることになる。
俺は彼女の態度の表面部分しか見ていない。
そのことを俺に気付かせ諭してくれたのは、今も一歩下がったところから全体に視線を巡らせ何かを画策するように目を細めて笑うロシアの皇帝その人だった。
Summer Waltzes You 【中編】
風呂からあがると居間に人数分の夕飯が用意されていた。
メニューはもちろんカツ丼だ。
食べるのは実に1年ぶりになるがやはり旨い。
今年はの体調も悪くはないようで箸の進みも悪くない。
たださすがに男3人と同じ量は難しく、彼女のどんぶりの中身は最初から少なめにしてもらっていた。
それでも少食の彼女には多いようで食べきれない分は俺が請け負うことに。
「ごめんなさい、オタベック。いつも食べてもらって」
「いや、大丈夫だ。無理はするな。君は食べられる分だけ食べればいい」
彼女に感謝されながら少し多くなったカツを頬張る。
夕食が済むとテーブルの上には日本酒の瓶とグラスが並び、酒を舐めながら明日以降の予定について話し合いが開かれた。
ちなみにユーリは未成年のため彼だけはジュースだ。
「俺は明後日の夏祭りと東京の遊園地に行けりゃそれでいい」
順々に意見を出してみると、明確な希望があるのはユーリだけだった。
は長谷津に来られたことですでに満足らしい。
俺も特にこれがしたいということはない。
普段離れていてなかなか会えない彼女とも一緒にいられるのだし、のんびり過ごせればそれでいい。
蓋を開けて見れば夏祭りと遊園地以外はほぼノープランという状態で勇利に呆れ笑いされた。
「それじゃ、明日の朝はのんびり過ごすとしてさ。午後はアイスキャッスルはせつに行ってみる?」
「優子のとこか」
「うん。ユリオが会いに行ったら優ちゃんも喜ぶだろうし」
勇利の提案にユーリは賛成のようだ。
彼がいいのなら俺とが反対する理由はない。
「ちなみにユリオとオタベックは、まさかだけど自分のスケートシューズは」
「あ?持ってこねぇわけがねぇだろ」
「俺も持参している」
「まさかのまさかだった……。はー、さすがやねぇ2人とも」
感心する勇利は酒が入ったためかお国言葉が出やすくなっている。
スケートシューズは荷物としてはだいぶ嵩張ったが、滑れる場所があるならやはり慣れた自分の靴で滑りたい。
それにさすがに1週間近くも練習を離れては帰国したとき体が鈍ってしまう。
オフで来ているとはいえ少しは体を動かしてコンディションを保っておきたい。
明日の予定が決まり、3日目以降のことも軽く打ち合わせがされた。
3日目はユーリ念願の夏祭りがある。
午前中は自由に過ごし、夕方から準備して出かけようかということになった。
勇利の母親の厚意で今年はだけではなくユーリと俺も浴衣を着せてもらえることになった。
着るのは初めてなので俺もユーリも今から楽しみだ。
4日目は案が出ず未定のまま据え置きとなった。
5日目、長谷津で過ごす最終日。
この日の昼にはここを発ち、勇利とコーチも含めみんなで東京へと向かう。
夜は向こうのホテルに泊まり、最終日の6日目に行く遊園地に備える。
「……と、こんな感じかな。うーん、まだまだ空白だらけのプランやねぇ」
まぁ予定は後から詰め込めばいい。
あまり気負わずのんびり過ごそうということで話し合いは終わった。
だいぶ緩いスケジュールになったが、正直俺はそれでよかったと思っている。
の体力を考えたとき、去年のようなことになったらという心配があるからだ。
福岡空港で再会してからここまで、今年は彼女なりに対策をして体調も整えてきたようだが、それでも慣れたロシアの涼しい夏とは違い息苦しそうにしているのは明白だ。
今年は倒れることなく良い思い出が作れるよう俺もそばで彼女を支えてやりたい。
掛け時計が夜の11時を知らせたところでささやかな宴会の場はお開きとなった。
「おやすみなさい」と笑顔で手を振り真利の部屋へ向かうを見送る。
俺ももう休もう。
ユーリはすでに半分ほどうとうとして舟を漕いでいる。
歩けるのだろうか。
運んでやれないこともないができれば自力で歩いていってほしい。
「ユーリ、起きろ。部屋で寝るぞ」
「おー……」
「おー、じゃない。寝るな。立って歩いてくれ」
肩を揺すって眠っていた脳を3割ほど起こして立たせるもふらふらとしていて危なっかしい。
やれやれとため息をついていると「オタベック」とヴィクトルコーチに声をかけられた。
振り向くと彼の手にはグラスが2つとまだ半分ほど残っている日本酒の瓶が。
「もう寝るかい?君だけでももう少し付き合ってもらえたら嬉しいんだけど」
皇帝はまだまだ飲み足りないらしい。
ユーリは飲めないし、勇利はこちらもまた空き瓶を抱きかかえてうとうとしていた。
「勇利は俺が運ぶから、君はユリオを部屋まで連れていってやって。布団に投げ捨てたら俺の部屋においで」
断る理由が特に思いつかないので彼に付き合うことにした。
ユーリの背を押して部屋まで誘導し布団の上に倒れ込ませるとコーチの部屋に直結している襖を開けてお邪魔した。
俺が立てた物音に広いベッドの上で寝そべっていたマッカチンが頭を持ち上げて視線を向けてきた。
起こしてしまったか、悪いことをした。
「すまない。寝ていていいぞ」
近付いて頭を撫でてやるとまたすぐに顔を伏せて寝始めた。
部屋の主はローテーブルにグラスを並べ、ラグの上に胡坐をかいて酒を注ぎ始めている。
「まぁ座って」と促され、彼の向かいに胡坐をかいて座った。
「長谷津へようこそ〜。はい、乾杯」
グラスを軽くぶつけられ、カンと耳に心地いい音が鳴り響く。
「おつまみもあるよ」
どこから取り出したのかスルメとチータラがテーブルの上に並んだ。
俺もグラスを舐めながらスルメに手を伸ばす。
彼の部屋にはテレビも音楽を聞くオーディオ機器もない。
聞こえてくるのはグラスの氷が擦れる音と窓の外で鳴く虫の声ぐらいだ。
網戸越しに夏の風が入り込んでくる。
けして涼しいとは言えない、少し熱を孕んだ風だが、まぁないよりはましか。
なぜ自分は誘われたのだろうか。
本当にただ酒の相手を探していただけなのか。
何の会話もなくただ酒を飲み進めている。
空になった俺のグラスにコーチが酒を注ぎ足してくれた。
「どうも」
「本当に良かったのかい。部屋を別にして」
会話の始まりは唐突だった。
それもだいぶ前に解決したはずの話題が蒸し返された。
コーチの顔を窺うと酔って色気が増した美丈夫の微笑みを向けられた。
「オフの時期でもなければこうしてゆっくり会えないだろう。せっかく一緒にいられる貴重な時間だと思ってお膳立てしたつもりだったんだけど」
「はぁ、まあそれは……お気遣いはありがたく、」
「ここの壁うっすいから全部聞こえちゃうけど、俺は全然気にしないよ〜」
「ぶっ!」
口に含んだばかりの酒を吐きだしてしまった。
噎せる俺に「オゥ、大丈夫?」と呑気に声をかけてくる。
あなたのせいです、と思ってはいても言えはしなかった。
いきなり何を言い出すのかわからない人だ。
「ま、というのは半分冗談だけどね」
彼は楽しそうに鼻歌混じりでチータラから皮を剥がしてバラバラにし始める。
半分冗談ということは残りの半分は本気で言っていたのだろうか。
「どうして部屋を別にしたのかな。それも君はの意見は聞かずに自分一人で決めてしまったよね」
「そうですが。それが何か」
「彼女は君と同じ部屋に泊まることを望んでいなかった。そう君は判断した?」
「はい、まぁ。そうじゃないかと」
「ふぅん」
直接彼女がそう言ったわけじゃない。
だがあのときの彼女は恥ずかしそうに顔を赤くして困惑していた。
彼女を困らせたくはないし、彼女が望まないことを強要したくもない。
そう言うとコーチは目を細めて笑った。
「紳士だね、君は」
褒められたのだろうか。
どうだろう、わからない。
彼はバラバラにしたタラの皮を口にする。
味わうように噛みしめ飲み込むと「でもどうかな」と酒を一口すすった。
「目に見える彼女の態度のすべてが真実とは限らないよね」
「……?どういう意味で、」
「確かに。彼女は慎ましやかで節度ある女性だけれど、本当は君からのちょっと強引なラブを期待していたりはしないかな」
「俺からの……?」
「そう。彼女の性格からして、自分から素直に欲しいと言ってくることはないだろう?」
「それは……まぁ確かに」
彼女はあまり我が儘を言わない。
それはたぶん俺に気を使ってのこと。
そのことを目の前の彼はよくわかっているようだった。
「内に溜めこむのは良くないことだよ。だからほら。ね」
彼は女を口説くように華麗にウインクを決め、「女性に恥をかかせてはいけないよ、オタベック」と忠告混じりのアドバイスをくれた。
恋愛に関してずっと先輩である彼の言葉は俺の中に静かにストンと落ちてきた。
目に見える彼女の態度のすべてが真実とは限らない。
あのとき彼女は顔を赤くし戸惑った表情を浮かべて、本当は何を思っていたのだろう。
憶測だけで彼女の気持ちを決めてしまうのはよくない。
そう諭してくれた皇帝は今はばらけさせたチーズを飲み込み「フクースナ〜」と満足そうな顔で次のつまみに手を伸ばしている。
ユーリのように直球ではないが、彼なりに自分とのことを心配して声をかけてくれたのだろう。
「コーチは。その、なぜ俺たちのことを気にかけてくださるんですか」
「んー?そうだねぇ。しいて言うなら、が可愛いからかなぁ」
「はぁ……」
「彼女のことはユリオより長く知っているからね。年齢的にも俺にとっては妹みたいなものなんだ」
それは初耳だ。
てっきりリンクメイトのユーリ伝手にその親族である彼女とも知り合いになったと思っていた。
ヴィクトルコーチと、知り合ったのはいつで一体どんな関係だったのだろうか。
気にならないと言えば嘘になる。
思わずじっと横顔を見つめていたら俺の視線に気付いた彼は目を合わせてきた。
慈愛、その表現がよく似合う優しい笑みを向けられる。
「兄として、俺は彼女を攫ってくれたのが君でよかったと思っているよ」
彼女は大切な妹だから、軽率な男には任せられないし任せたくもない。
君でよかった。
皇帝が認めてくれたともとれるその発言は俺の中に大きな自信を持たせた。
けれど彼は俺が調子に乗らないよう釘を刺すことも忘れはしない。
「わかっているとは思うけど、彼女を泣かせたら俺とユリオが黙ってないからね」
覚悟して彼女を幸せにするように。
皇帝の忠告に俺は「肝に銘じておきます」と観念した笑みを浮かべるしかなかった。
「ヴィクトルコーチ」
「うん?」
「感謝します」
あなたに誘ってもらえて、こうして話ができてよかった。
今はもう半分寝惚けたような顔でスルメを頬張る彼は自分のグラスを持ち上げると「どういたしまして」と俺のグラスに軽くぶつけて氷の音を奏でた。
夏のなまぬるい風と虫の声が部屋に入り込んでくる。
想いの種類は違えども彼女を大切に想う男が2人、彼女の幸せを願い約束を交わした、そんな夏の夜の一幕だった。
翌朝。
5時半にセットしたアラームが鳴る前に目が覚めた。
少し頭がぼうっとするが酒が残っているような感じはない。
ユーリを起こさないようにしてトレーニングウェアに着替えると軽く顔を洗って玄関におりた。
毎朝の日課にしているロードワーク。
オフで来ているとはいえ欠かすとなんだか気持ちが悪い。
それにここの飯は美味すぎるからつい食べ過ぎてしまう。
玄関に腰をおろして靴紐を結んでいると「おはよう。早いね」と背中に声をかけられた。
振り向くとそこには仕事着に身を包んだ真利の姿が。
あくびを手で隠して眠そうにしている。
「おはようございます」
「走りに行くの?偉いね」
感心感心と褒めながら彼女は煙草を1本取り出して口に咥える。
俺も早いが温泉宿を経営する者の朝もまた早い。
館内や風呂の掃除に料理の仕込み、酒屋や鮮魚店との商品のやりとり、やることはたくさんある。
煙草に火をつけて一口吸ってから彼女はハッとした顔で「あ、ごめん」と言ってポケットから携帯灰皿を取り出した。
「勇利の前じゃ気にせず吸ってるからうっかりしてたよ。あんたも現役のスポーツ選手だったね」
「ああ、いや、大丈夫です」
気を使って消そうとしてくれているのを手で制す。
自分では吸わないが、別に人に目の前で吸われても俺は気にしない。
真利は「そう?じゃ、遠慮なく」と2口目をうまそうに吸いゆっくりと紫煙を吐きだした。
「道わかる?迷ったときのためにスマホ持っていきなね」
何かあれば連絡して。勇利に迎えに行かせるよ。
土地に不慣れな俺を気遣ってくれる彼女に感謝しスマホを持ったことを告げる。
すると彼女は「あ。ならついでに」と仕事着のポケットから自分のスマホを取り出した。
「元気が出る画像。いる?」
「……?」
なんのことだろう。
ニッと笑いながら真利が画面を俺の方に向ける。
見せられた画像に、俺の中にわずかに残っていた眠気がすべて吹き飛んだ。
の写真だった。
「昨夜撮ったのよ」と真利は言う。
が被写体となった写真を何枚も見せてくれた。
場所は真利の部屋、仕事上がりの彼女と一緒に酒を飲むの姿。
真利とツーショットで写る彼女は居間を出たときよりも酔っていて緩んだ顔が可愛らしかった。
そこから更に酔って目がトロンとして眠そうにしているものもある。
テーブルに自分の両腕を枕にして頭を横たえ何かに視線を注いでいるものも。
衝撃を受けたのは最後の写真だった。
布団の上で横向きになって眠る彼女の姿が写しだされていた。
寝間着にしている浴衣が肌蹴てしまっていて白い肌がだいぶ露わになっている。
「これはさっき撮ったやつ。どうしようかなぁって迷ったんだけどさ。可愛くて、ついね。どう?元気出たでしょ?」
「は、ぁ……」
否定はできなかった。
顔がみっともないことになっていそうで手で鼻から下を隠したが、たぶん赤くなっているのでそれも意味はない。
朝から少々刺激の強いものを見せられた。
早く走りに行って湧き出てくるよくない感情を振り払わないと。
そんな俺の気持ちをわかっていて真利は更に悪魔のような誘いをかけてくる。
「これ、いる?」
「……!」
「スマホに送るよ。彼女には内緒にしとくからさ」
断るのが正しい判断だとはわかっていた。
けれど見せられた写真の彼女はどれもこれも俺が見たことのない姿ばかりで、本能がわずかばかりに理性の上を行ってしまった。
通信機能を使い真利のスマホから俺の方へと写真が送られてくる。
の写真が取り込まれたスマホを無造作にポケットに突っ込み、いつもよりだいぶ速いペースで長谷津の街を走り抜けた。
こんなペースで走ったら後半ばてるとわかっていても速度を落とすことはできなかった。
湧き出てくる欲を振り払うために走って走って、朝の海岸の眩しさに心が浄化されないかと期待しながら走って走って。
汗だくになって帰宅すると、俺に待ち受けていたのは起床した恋人からのお咎めだった。
やはり悪事というのは隠し通せるものではないらしい。
着替えて支度も終えたとばつの悪い顔で笑う真利が並んで立っていて、におかえりより先に「写真を消して、オタベック」と怒った赤ら顔で抗議された。
真利には両手を合わせられ「ごめん、ばれちゃった」と謝られた。
「真利が送った写真……お願い、消して」
2人とも私に内緒で勝手なことをして。
怒りと恥ずかしさで顔を赤くした彼女に叱られ、俺も真利も素直に謝罪の言葉を口にした。
もともとは彼女の許可なく撮られたもの。
彼女が望むとおり削除しよう。
ただいざ消すとなるとどうしてももったいないなという気持ちが湧き出た。
わずかな期待を込めて消す前にひとつだけ頼み事をしてみる。
「これだけ残してもいいか」
スマホの画像の中から俺が指さしたのは彼女がテーブルに寝そべり何かを見つめている写真。
そのとき彼女が何を見つめていたのか、画像を送られたときに真利から話を聞いていた。
彼女の視線の先にあるのは彼女自身の腕時計で、それは俺が持っているものと揃いの品なのだと彼女は真利に話したのだという。
俺の誕生日にプレゼントしたことや、そのときインスタに写真がアップされてとても驚いたこと。
時折くまのぬいぐるみに腕時計が巻かれている写真がインスタにあがり、大切に使ってくれているのが伝わってきて嬉しかったこと。
それからグランプリシリーズのキスクラで。
自分が贈った時計にキスされたときは嬉しさと恥ずかしさで顔から火が出そうだったこと。
「オタベックが、オタベックが、ってそればっかでさ。あんたのことが好きで好きでしょうがないって感じだったよね」
写真を譲り受けたときに真利が教えてくれた。
昨夜の彼女はそんな様子だったらしい。
そんな話をされていたから、その写真だけは消すのが惜しかった。
「どうしてそんな写真を……」と恥ずかしそうに戸惑う彼女にもう一度頼み込んだら、しばらく考えた末にそれだけは残してもいいと許してくれた。
その代わり他の写真は真利のスマホの中のも含めて全部削除を命じられ、もちろん2人ともそれに従った。
1枚だけ残すことを許された写真にプロテクトをかける。
写真の中で微笑む彼女の愛おしそうな瞳、それが自分の方に向いてくれることを切に願う。
しかしそれよりも先に今は怒らせてしまった彼女のいつもの笑顔を取り戻す必要がある。
「!」
彼女の後を追いかけ、細い手首をとって振り向かせる。
そして自分がしでかした軽率な行為を悔やみ、もう一度心からの謝罪をして彼女の赦しを請う。
真剣な顔で見つめるその先で彼女が困ったような呆れたような顔で笑ってくれるのにそう長い時間はかからなかった。
危うく彼女を怒らせてすれ違いそうになりもしたが、思いがけず彼女の本音を少しだけ知ることもできた、そんな長谷津2日目の朝の出来事だった。
→ To be continued
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