ドリーム小説
Summer Waltzes You 【後編】
■2018 シーズンオフA:アイスキャッスルはせつにて
三つ子の姉妹のリクエストに応えてトリプルアクセルを披露した。
スマホのシャッター音は鳴り止まず、動画を録るカメラの視線も俺から反れることがない。
「ねぇ、ママ!これアップしていい!?」と興奮する長女を、母親に代わり勇利が両手を交差させて「場所がばれるからダメ!非公開です!」と阻止してくれた。
長谷津2日目の午後。
俺たちは勇利のホームリンクであるスケート場に来ていた。
かつて勇利とユーリがヴィクトルコーチの指導権を賭けて勝負した場所だ。
ユーリはそのとき世話になった優子と今でもたまに連絡を取り合い懇意にしている。
今日は休業日らしい。
客のいない静かなリンクで滑れるのは正直ありがたい。
聞き慣れた氷の削れる音が天井近くまで鳴り響き耳に残る。
音の根源を探せばちょうど勇利が4回転フリッツを成功させたところだった。
「それそれ、今の!踏み切りも回転も着氷もすべてパーフェクトだったよ、勇利!」
コーチが拍手で教え子を褒め称える。
その近くではユーリが優子のリクエストで得意のビールマンスピンを披露していた。
興奮する母親の隣でまたしても三つ子の撮影の手がとまらない。
軽く滑ったところで俺は飲み物を取りにリンクサイドへ戻った。
がフェンスから身を乗り出すようにしてボトルを渡してくれて礼を言ってそれを受け取る。
「お疲れ様。調子はどう?」
「特に問題はないな。むしろ数日休んだせいか新鮮な気持ちで滑れている」
「それは何よりね。ねぇ、私オタベックが滑っているところをこんなに近くで見たの初めてかもしれないわ」
「そうだったか?」
「えぇ。だって大会のときは観客席からだし、サマーキャンプのときも私が行くと大体休憩中だったじゃない?」
だから今夢みたい。
彼女もまた三つ子同様に興奮気味に頬を赤くさせている。
どうせならもっと高難度のジャンプを披露できたらよかった。
生憎4回転のバリエーションはいまだ修行中の身。
早く自信を持って跳べるようになって彼女を驚かせたい。
「上にあがる?カバー取ってきましょうか」
「いや、少し休んだらまた滑りに行くからこのままでいい。ところで。は滑らないのか?」
そういえば最初からずっと見学しているだけだと今頃気付く。
彼女のことだから俺たちの邪魔にならないようにと遠慮しているのかもしれない。
「せっかくの機会だ。一緒に滑らないか?」
誘ってみるも彼女から返ってきたのは曖昧な笑みと気乗りしない返事だった。
「うーん……そうね。それは、その、とても魅力的なお誘いではあるのだけれど……」
「……?どうした。もしかして滑ったことがないのか」
ユーリの従姉弟という理由だけで勝手に経験者だと思い込んでいたが違うのだろうか。
彼女は「いいえ。経験はあるわ」と首を横に振る。
「ある、のはあるのだけれど……」
歯切れが悪い。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
「無駄だぜ、オタベック」
軽やかに滑り込みながらユーリがやってきた。
フェンス越しにの隣に立つように止まり、「誘っても姉ちゃんは滑んねぇよ」と訳知り顔で笑う。
彼女が言いにくそうにしていたことを彼はあっさりと俺に教えてくれた。
「ガキの頃滑ってたときに派手に転んで、んで思いっ切り頭打って脳震盪起こして。それから滑るのが怖くなったんだよな?」
「そうなのか」
「……ユーラチカ。もう、どうして言っちゃうの」
「いーだろ別に。隠すようなことじゃねぇじゃん」
「そうだけど……。でも恥ずかしいじゃない」
「思い出したくないのに……」と彼女は恥ずかしそうにほんのりと赤くさせた頬に片手を添える。
きっと相当な倒れ方でもしたのだろう。
ユーリの話では、彼女はその事故がトラウマになり、それ以降氷の上に足を置くことすらできないのだという。
本能がかつての恐怖を呼び起こし彼女の足を勝手に震えさせてしまうからだ。
「ごめんなさい、オタベック。せっかく誘ってくれたのに」
「いや。そういうことならしかたがない」
彼女の心の傷を抉ってまで一緒に滑りたいとは思わない。
ただ、少しだけ残念な気持ちはあるが。
「私は見ているだけでも十分楽しめているから。2人ともたくさん滑ってきて」
彼女は笑顔でそう言うけれど、それが俺たちに対する気遣いであることは明白だった。
コーチの言葉が思い出される。
その態度は果たして彼女の本心なのだろうか。
リンクを滑る者を見つめる彼女の目は確かに楽しそうではあるけれど、その奥にスケートへの憧憬の念が見えなくもない。
「」
「なぁに?」
「もう一度滑ってみたいと思うか」
「スケートを?……うーん、そうね」
彼女の目がリンクを滑る勇利やコーチ、ユーリへと向けられる。
口元には微かな笑み。
けれど3人を見つめる瞳はやはりどこか寂しげだった。
たぶん俺の読みは間違ってはいない。
彼女は口では滑ることを拒むけれど、その胸の内には自分も滑れたらという願望がある、そんな気がする。
そんな俺の憶測は彼女が零した言葉で確かなものへと変わる。
「少し……あるかな」
「そうか」
「えぇ」
「なら話は早い」
「え?」
少しでもいい、滑りたいというその気持ちがあるのならそれで十分だ。
俺は手招きで彼女をフェンスの切れ目まで呼び寄せると、「……?」という顔でやってきた彼女を有無を言わさず抱き上げた。
腕力にはそれなりに自信があるので左腕の上に彼女を座らせるようにして彼女の視線を高くさせる。
初めて彼女を抱き上げた感想は、軽い……驚くほど軽い。
「ちょっ、待ってオタベック、なにをっ?」
「掴まっていろ」
「……っ!」
彼女の制止を聞かずに足を踏み切り滑りだす。
落ちないようにと防衛本能が働いた彼女は俺の頭にしがみついてきた。
所作は必死だが俺の視界を遮らないようにしてくれているあたり落ち着いてはいるようだ。
ただひとつ、自分から抱き上げておいてなんだが言ってもいいだろうか。
その、位置的にだ、ちょうど俺のこめかみのあたりに、彼女の胸が……。
緩みそうな表情筋を引き締めて平静を装って滑り続ける。
「オタベック、ねぇ、ちょっとっ!もう、信じられない……っ」
「どうだ?久しぶりに氷の上に出た感想は」
「……っ、感想なんて今は無理よっ。もうおろして、お願いっ」
「今おろしていいのか?」
フェンスに手が届かない距離まで来てしまったが。
少し意地悪な問いかけに彼女は俺の首に巻きつけた腕の力を強める。
密着度が高まり更に理性を揺るがせられたがなんとか耐えた。
「今はダメっ、おろさないで、このままでいてっ」
「了解」
慌てる彼女なんて珍しくて、必死な様子が可愛らしくて思わず口元が緩んだ。
彼女をしっかりと抱きかかえ、リンクの中央へ。
中心地点が近付いてきて速度を緩めてそこで止まった。
「着いたぞ、。顔を上げてみろ」
「……」
「大丈夫だ、絶対に離しはしない。安心しろ」
顔を上げて、今自分がどこにいるのかその目で確認してみてほしい。
俺の頭を抱きしめていた腕を緩め、彼女が顔を上げる。
そこは演技のスタート地点になる場所。
俺も、ユーリも、勇利も、コーチも、すべての選手がまずこの景色を目にしてから自分の世界を滑り始める。
俺がいつも見ている世界。
彼女が滑れないことを知って、それならば自分が連れてきてやりたいと思った。
「どうだ?」
もう一度感想を求める。
彼女は真っ白な息を吐きながらぽつりと一言、「綺麗……」と小さな声で呟いた。
「広い……自分の周りがすべて氷だなんて……当たり前だけど、でもすごく新鮮な気持ち」
「ああ」
「試合のときは大勢の人々の視線がここに注がれるのよね。すごい……想像しただけで緊張して足がすくみそう」
何百、何千、ときには万を超える数の人から注目を浴びる。
見上げればそこには天井を覆い尽くす数のスポットライト。
会場中に鳴り響く曲を合図にここから滑りだす。
今は静かで薄暗いリンクに、彼女は本番の光景を思い浮かべながら白いため息をつく。
「あなたもユーラチカも、こんな景色を見ていたのね」
知らなかった。
知ることができてよかった。
「連れてきてくれてありがとう」と彼女は俺を見下ろして笑う。
よかった、余計なことをしたと反省せずに済みそうだ。
彼女を抱えたままジャンプやスピンはできないが、少しスピードを上げて滑ったり軽くターンしたりするぐらいなら造作もない。
「風が冷たい……気持ちいい」
外の暑さを忘れさせてくれる涼しさに彼女は目を細める。
ターンするごとに彼女の長い髪がふわりと舞い、楽しそうに微笑む瞳と相まって素直に綺麗だなと思った。
5分にも満たない短い時間ではあったけれど彼女は十分に満足してくれた。
どんな形であれ彼女と一緒に滑ることができて俺も胸が満たされた。
そんな幸せな気持ちでリンクサイドに戻れば、俺たちを待っていたのは全員からの好奇の目。
「よー、お2人さん。お熱いこって」
いつの間にか上がっていたユーリには当然のごとくにやにやされながらからかわれた。
後ろからは俺たちの後を追ってきた勇利とコーチに、「本当に仲良いよねぇ、2人とも」「ラブラブ〜。リンクの氷が溶けたら君たちのせいだからね」などと言われてしまう。
彼女は「2人ともからかわないで……」と恥ずかしそうに顔を赤くしている。
そんな彼女の姿をカメラに収めるべくスマホのシャッターが切られる。
完全に忘れていたのがずっとリンクサイドで撮影を続けていた三つ子の存在だった。
「いやー、実に良いもの撮らせていただきました!」
「写真もたくさん撮れたし、もちろん動画もバッチリですぜ!」
「ママ!これ曲つけてアップしちゃダメ?ヴィクトルの『離れずにそばにいて』とか絶対に合うよ!」
とても10歳に満たない子どもとは思えないネット欲と溢れ出るバイタリティに、驚くどころか思わず感心させられてしまう。
優子と勇利が「絶対にダメ!」と阻止してくれているが、姉妹の目がぎらついていて制止を振り切って何かやらかしそうなのが少々怖いところだ。
盗撮されていたことを知りますます恥ずかしそうにするのところに長女がスマホを持ってやってきた。
「ほら!どうです、綺麗に撮れてるでしょ?」
に向けられた画面を俺も横から覗きこむ。
ユーリたちもどれどれと後ろに続く。
そこには俺がを抱えて滑る様子が写しだされていた。
俺を見下ろし楽しそうに笑っているとそんな彼女を見上げてわずかながら口元が緩んでいる自分の姿に、さながらアイスダンスの練習風景のようだなどと夢を見てしまう。
優子の口から「うわぁ、綺麗……」と自然と零れ落ちたというように感想が溢れ出る。
感動している母親の様子に調子にのった三つ子が「でしょ!ねぇ、ママアップしても」と再び言い出すがもちろん許可は下りず。
却下されると次女と三女は落ち込むも、長女はへこむ間もなく俺のところへこっそりと近付いてきて「よろしければスマホに送信しまっせ」と密談を持ちかけてきた。
デジャヴュのようなものを感じる。
今朝にも同じようなことがあったような。
盗撮横流し容疑で恋人に叱られたばかりだというのに俺は懲りずに礼を言ってありがたく画像を受け取った。
今回のは2人で写った写真だし、も許してはくれないだろうかという甘い期待があった。
あとで落ち着いた頃に俺が譲り受けた画像を彼女にも見せよう。
たぶん今度は照れくさそうにしながらも消さなくていいと言ってくれるはず。
なぜなら写真の中の彼女も俺も、これ以上ないほど幸せそうに笑っているのだから。
ダメもとで「待ち受けにしていいか」と訊いてもみよう。
おそらく恥ずかしいからやめてと赤い顔で断られるだろうが。
拒否されるのをわかっていて、けれど彼女のその顔が見たいがために声をかけてしまいそうな自分がいることに気付く。
彼女の困り顔が見たいだなんて、いよいよもってダメかもしれない。
反省はしつつ、それでも俺はもらった写真にしっかりとプロテクトをかけてフォルダの奥に大切にしまいこむ。
■2018 シーズンオフB:2度目の夏祭り
長谷津、3日目。
いよいよみんなが心待ちにしていた夏祭りの日。
早朝から祭り決行を知らせる花火があがってそれだけでもうユーリはテンションを上げていた。
お昼過ぎまでは各々自由に過ごし、夕方から祭りへ行く準備が行われた。
今年は勇利の母親の厚意で全員が浴衣に着替えさせてもらえることになったため支度に少々時間がかかることに。
俺とユーリの着付けは勇利がやってくれた。
黒地の浴衣に袖を通した俺の姿に「オタベック、思った以上に似合うね」と世辞ではない自然な賛辞をくれる。
カザフ人と日本人は顔の造りが似ているからきっとそれもあるのだろう。
暑かったら袖でも捲ってと言われたのでそうさせてもらった。
ユーリも柄違いの黒地の浴衣を着せられていたが、彼は動きが派手なため着付けてもすぐに着崩れてしまい勇利を困らせていた。
結局勇利の提案で中にTシャツを着て浴衣の上半身部分は脱ぎ捨てることに。
本人はお気に入りの虎柄シャツを全面に押し出せてひどくご満悦でいる。
の着付けは勇利の母親が、髪を結うのは真利が担当した。
「やっぱり美人は何着ても似合うとねぇ」
「お母さん、それ去年もまったく同じこと言っとーよ」
「あら。いやだぁ、年取るとおんなじこと繰り返すけんね」
息子に指摘されて恥ずかしそうに頬に手を当てる彼女には何度も褒めてもらえて光栄だと感謝の言葉を告げる。
去年とは違う浴衣と髪型の彼女の姿に男性陣から感嘆のため息が漏れ出た。
俺も思わず見惚れていると隣に立つユーリに肘で脇腹を突っつかれる。
「今年は先越されんじゃねーぞ」と彼の目が言っていた。
わかっている。
去年はためらっているうちにコーチに先を行かれたが今年こそは。
と思っていたのだが、予想外のダークホースは目の前にいた。
彼女は俺の姿を見るや顔の前で両手を合わせ、ほぅと感動のため息をついた。
「オタベック、あなたすごく素敵ねっ。浴衣よく似合っているわ」
まさか俺が彼女に言おうと思っていたことを先にそのまま言われてしまうとは。
けれど彼女に褒められたことは素直に嬉しく、同時に少し照れくさくもあった。
「ありがとう。、君も、その、よく似合っている」
「ふふ。ありがとう。浴衣もかんざしも真利のお下がりなの。いいでしょ?」
「ああ。大和撫子だな」
「……?やまと……、なに?」
俺が言った言葉の意味がわからず彼女は首をかしげる。
実は俺も使ってはみたものの、その言葉を知ったのはついさっきのこと。
を待っている間に勇利が教えてくれた知識だ。
「ああ、いや、その……日本では美しい女性のことをそう形容するらしい」
教わったことをそのまま伝えたら一拍置いて彼女の頬がほんのりと色づいた。
照れくさそうな笑顔でもう一度「ありがとう」と呟く彼女は初々しい少女のように可愛らしい。
ユーリに背中をグーで殴られ後ろに首を向けると親指を立てた彼に「やるじゃん」と目で褒められた。
全員の支度が済んだところで今年は歩いて祭りの会場へ行くことに。
去年倒れた彼女の体力が心配ではあったが声をかけると「今年は大丈夫よ」と元気そうな笑顔が返ってきた。
長谷津大橋の両側にはずらりと屋台が並び、車の通行が止められた道路を大勢の客が歩いている。
橋が落ちてしまわないかと心配になるほど今年も見物人の数は多い。
ユーリが早速屋台のかき氷に飛びついていった。
イチゴ味のものを買い、インスタ用の写真を自撮りする。
勇利はメロン、コーチはブドウ、はレモンを選んだ。
俺は迷った末に初めて食べるブルーハワイにした。
半分以上食べたところでに「オタベック、舌が真っ青よ」と指摘され、スマホで撮った写真を見せられあまりの青さに自分でも驚いた。
肩を揺らして笑う彼女の姿に今年は元気そうでよかったとホッとする。
「お、たこ焼きじゃん!オタベック、今年も食おうぜ」
かき氷も食べきらないうちからユーリの興味は次へと移ってしまったようだ。
「へぇ。おもしろそうな店見つけた。ここにしようぜ!」
彼が選んだそこは確かに一風変わった店だった。
売っているのは普通のたこ焼きだが、他と違うのは買う前にくじを引けること。
そこに書かれたお題をクリアすれば値段が割り引かれたり1つおまけがついてきたりとサービスが施される仕組みらしい。
ユーリがこういう博打的なものに飛びつかないわけがない。
早速彼はくじ箱に手を突っ込んでいった。
引いた紙に書かれた日本語を勇利が読み上げる。
「えっと、『じゃんけんで店主に勝てば1パック半額』だって」
「じゃんけんかよ。なんだ、楽勝じゃん」
「ユリオが勝たなきゃいけないんだからね」
「わかってるっつーの。俺が負けるかよ」
勝つ気満々で店主に勝負を挑んだユーリは見事に勝利。
ガッツポーズを掲げ、1パック600円のそれを半額で手に入れてみせた。
次に挑戦したのは勇利で、くじに書かれた内容は早口言葉を5回言い切るというもの。
周囲の期待通り彼は3回目で噛んでチャレンジ失敗。
ユーリに「だっせぇ、カツ丼!」と思い切りからかわれ、彼は唇を尖らせながら定額支払って商品を買った。
「ほらよ、次はお前の番だぜ」
ユーリにくじ引きの箱を勧められ、できるだけ簡単な条件が出てくれと祈りながら紙を1枚引いた。
内容を読んでもらうため勇利に渡す。
紙を広げた彼は目を丸くし、「うーん、これは……」となぜか苦笑いした。
内容を読みあげられ、そのわけを知る。
「『カップル限定。彼女が彼氏に情熱的に愛を囁けば1パック無料』だって」
「マジかよ」
「ワーオ!2人にぴったりなお題じゃないか!」
盛り上がる周りの人々に反して引き当てた俺は固まるしかなかった。
ちらりと視線を向ければ案の定彼女は顔を赤くし戸惑っている。
申し訳ないことこの上ない。
祭りでテンションの上がったコーチに「、どうする?言っちゃうかい?」と絡まれ、彼女はますます顔を赤くする。
後ろに並んだ客たちも「うわ、あんなお題もあんのかよ」と興味をこちらに向け始める。
このまま放っておいて彼女が好奇の目に晒され続けるのはあまりにも可哀想だった。
「店主、こっちの負けでいい。全額払う」
彼女を背中に隠し、定額分の小銭を渡して商品を受け取る。
俺の勝手な行動に「えー、なんだよ。もったいねぇな」とつまらなそうにする彼を「ユーリ」と諌めるように呼んで黙らせた。
彼女が困っている。少しは気遣え。
買った商品をぶらさげ、見物場所を目指して再び歩き始めた。
前を行くユーリたちは歩きながらたこ焼きをつっつき始める。
彼らから少し離れた後ろを2人並んで歩いて着いていく。
もう少しで橋を渡り切る、屋台の切れ目に差し掛かったあたりでのこと。
「……ごめんなさい」と、隣を歩く彼女に謝られた。
何に対する謝罪なのかは彼女の性格を考えれば容易に検討がつくことだった。
彼女は何も悪くない。
そんな悲しい顔しないでほしい。
「君が謝る必要なんてない」
「でも」
「気にしなくていい。責任はくじを引いた俺にある」
「それは、」
違う、と彼女は顔を伏せがちにし首を横に振る。
俺が引き当てたくじのせいで彼女の気を煩わせてしまった。
「」
顔を上げてほしくて名前を呼んだら彼女は再び「ごめんなさい」と呟いた。
放っておいたらしばらくの間謝られそうだ。
しかたない。
ひとつため息をつき、買ったままぶらさげていたたこ焼きのパックを開けるとその中のひとつに串を刺した。
悪いとは思ったが空気を変えるために強引な手を使わせてもらう。
彼女が3度目の謝罪を口にしようとした瞬間を狙って唇にたこ焼きを押しつけて黙らせた。
もうそれほど熱くもないから火傷することはないだろう。
ソースのついたそれを押しつけられ彼女は驚いて目を丸くする。
状況的に口を開けざるをえなくなり、「話の途中なのに……」と抗議の目を俺に向けながらしかたなさそうにそれを口に入れた。
「うまいだろ」
去年は食べられなかったから口にするのは初めてだろう。
感想を求めると彼女は咀嚼する口元を手で隠して小さく頷いた。
2つ目を串に刺して彼女の前に待機させる。
「また謝罪の言葉を言うつもりなら無限に食べさせ続けるが。それでもいいか?」
脅しにしては自分の口元には笑みが浮かんでいて、きっと威力は半減している。
それでもそれ以降彼女の口から後ろ向きな言葉が出ることはなくなった。
ただ俺を見上げる目はいまだ申し訳ないと言っていたが。
せっかくの夏祭り、彼女にそんな顔のまま過ごさせたくはない。
「付いてる」
「え?」
「ここ」
手を伸ばし、彼女の口の端に付いたままのソースを指で拭ってやった。
拭きとるものがないので指に付いたそれを舐めとったら彼女は頬を赤くしてしまった。
手段はどうあれ、もうそこには申し訳なさそうな顔の彼女はいない。
俺に対して何か言いたそうにしてはいるが、それはもう謝罪ではないだろうから彼女のタイミングで言ってくるのを待つとする。
花火が上がる時間が迫っていた。
長谷津城の城下に用意された見物会場はすでに人で満杯になっていた。
おしくら饅頭のような状態の中を進み、なんとか場所を確保する。
「全員いる?大丈夫?」と勇利が心配して声をかけてくれる。
「みんな、はぐれないようにね〜」
「そういうお前が一番迷子になりやすそうだよな、じじぃ」
「ノープロブレム。仮に迷っても俺は自力で帰れるよ。ユリオはどうかな〜」
「あぁ!?ガキ扱いしてんじゃねぇぞ!」
「ほらほら、2人とも。そろそろ時間だから。あ、ほら始まった!」
勇利の声にみんなが夜空を見上げる。
風を切る独特の音を立てながら小さな光が空へと打ち上がっていくのが見える。
ドンと大きな音が1発鳴り響き、数秒置いて夜空に大輪の花が咲いた。
歓声があがる。
それを皮切りに何発も絶え間なく花火が上がり始めた。
鳴り止まない風切り音と腹に響く轟音。
夜空を埋め尽くす様々な形の花。
そこにいるすべての人の目が空に向いていた。
ユーリは写真におさめようとスマホを向けるが夜景を撮るのは難しく何度もシャッターを切り直す。
呆れた勇利に「ユリオ、いいから目に焼き付けて帰りなよ」と諭される始末。
はどうしているのだろう。
ちゃんと楽しめているだろうか。
隣に立つ彼女のことが気になり花火からそっちへと視線を移した。
彼女は顔の前で両手を合わせ、きらきらと瞳を輝かせて感動していた。
よかった。いい顔をしている。
思わず頬と目元が緩む。
空に打ち上がる花火が止み、これで終わりかと思っていたら何発もの発火音が鳴り響き長谷津城を取り囲むようにして滝のような花火が流れ落ち始めた。
大歓声があがる。
ユーリが興奮気味に再びスマホを構えるのを見て懲りないなと思わず苦笑してしまう。
しばらくしてそれにも終わりが見え始め、明るく照らし出されていた城を再び暗闇が包み込んだ。
まだ終わりではない、何か起こりそうな気配を感じる。
予感は当たり、すぐに何発分もの風切り音が一斉に鳴り響いた。
ドンと音がしてから数拍おいて夜空を埋め尽くしたのは幾輪もの大輪の花。
残りの花火をすべて打ち尽くすかのような絶え間ない打ち上げに目が離せなくなる。
ずっと夜空を見上げたままでいたら、ふと浴衣の袖を引っ張られる感覚があった。
位置的にだと思うが、どうかしたのだろうか。
「?」
彼女の方へ半身を向けた瞬間、頬にあたたかくて柔らかなものが触れた。
具合でも悪いのかと訊ねようとして開いた口はそのままに。
驚きで何も言葉が出ない。
彼女は間抜け面の俺の頬から唇を離すと耳元に口を寄せて囁いた。
それは思いがけない愛の告白。
「大好きよ、オタベック。あなたのことが」
世界で一番、好き。
他の人なんて目に入らない。
あなたじゃなきゃダメなの。
彼女の言葉に俺の時は止まる。
照れ屋で恥ずかしがりの彼女が紡ぐ、愛にあふれた情熱的な告白は俺の鼓膜を穏やかに揺らし体中に沁み渡っていく。
一際大きく咲いた花火の灯りに彼女の顔が照らし出される。
頬を染めた彼女は「謝罪の言葉はダメでも、これなら受け取ってくれるでしょ」と照れくさそうに眉を下げて笑っていた。
打ち上がる花火を俺はもう見られない。
隣で笑う彼女が愛しくて、愛しくて。
溢れ出る彼女への想いをとめられない。
場もわきまえず彼女が困るのも承知の上で、唇にキスをした。
ユーリたちにばれないようにそっと触れるだけですぐに離してしまったけれど彼女を驚かせるにはそれで十分だった。
自分から離した唇を彼女の耳元に寄せて返事を返す。
「俺も。君だけだ、」
君以外の女なんて俺の目には映らない。
俺の方こそ君じゃなきゃダメなんだ。
恥ずかしそうにはにかむ彼女の手を取り指を絡めて繋ぎ合わせる。
離れないように。
彼女がどこへも行かないように。
誰にも、何ものにも、つれていかれないように。
自分のもとに繋ぎとめておきたい。
夜空を彩る花々たちが咲き終えるまであと少し。
最後の一輪が散り再び空に静寂と暗闇が訪れようとも、俺の心に灯された火はおそらくはきっと消えることはない。
おまけで後日談が続きます。
ちょっと大人っぽい……感じの?
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