ドリーム小説
サマルカンドはかくも遠く 【中編】
■2017 シーズンオフA
シーズンオフも後半に入り、迎えた8月も終わりの頃。
俺はヴィクトルとカツ丼に誘われて、あいつらがいる日本へ再び足を延ばすことになった。
目的は長谷津で行われる夏祭りだ。
長谷津キャッスルを背景に打ち上がる数千発の花火が見物らしく、『今年はユリオも観においでよ』と誘う電話口のヴィクトルの声はもうすでにだいぶ浮かれていた。
祭りに花火か、悪くねぇな。
スマホに送られてきた去年の祭りの写真を見て俄然日本に行きたくなった。
久々にカツ丼ちの飯も食いてぇし。
「なぁ、姉ちゃんも誘っていいか」
『も?あぁ、もちろん!大歓迎さ』
突然彼女の名を出したけど、実は姉ちゃんずっと日本に行きたがってたんだよな。
一度カツ丼の家族に会って去年俺が世話になったお礼を伝えたいんだって。
ヴィクトルも二つ返事でOKしてくれたし、電話切ったらすぐに姉ちゃんに伝えるとすっかな。
そう思っていたらヴィクトルが意外な奴の名前を出してきた。
『オタベックは誘わないのかい?』
は?なんでヴィクトルの口からあいつの名前が?
いや、誘いたいとは思ってたけど、なんで俺より先に出してくんだよ。
あいつが俺の数少ないダチだから誘うよう提案したのか。
それとも、まさかヴィクトルの野郎あいつの姉ちゃんへの気持ちを知ってる?
思わず言葉に詰まっていると、スマホの向こうでヴィクトルがフッと息を吐いて笑う気配がした。
『を誘うなら、彼も呼んであげた方がいいんじゃないかと思ったんだけど。余計なお世話だったかな?』
あ、こいつ知ってやがる……。
リビングレジェンドは人様の色恋沙汰にも敏感ってことかよ。
「いつから知ってたんだよ。つーか、なんでわかった」
『いつからも何も、バルセロナで一緒に観光したじゃないか。あのときの彼の態度を見ていれば誰にだってわかることだろう』
「あー……、はは。まぁ、だよな」
『一緒にいて気付いていないのは恋愛経験の乏しい勇利ぐらいじゃないのかな』
あはははって呑気に笑って遠回しに自分の教え子ディスってやがる。鬼か。
「じゃ、オタベックも呼ぶぞ。俺のダチってことで誘うから、周りに余計なこと言うんじゃねーぞ」
『了解。……ふふ』
「……?なに笑ってんだよ」
『やぁ、あのユリオが恋のキューピッドを演じているのかと思うと、なんだかおかしくてね』
「だ、れ、がっ、キューピッドだっ!気色悪ぃこと言ってんじゃねぇ。てめぇ、張ったおすぞ」
『あははは、ごめんごめん。そう怒らないで。今回は俺も何かしら手助けできることがあればするから』
「いらねー!余計なことすんな、黙って見てろ」
ヴィクトルが出てきたらなんかとんでもねー展開になりそうでこえぇよ。
俺は再度2人のことに関しては何もせず傍観するようヴィクトルに釘を刺し電話を切った。
一息ついてスマホをタップし、すぐさま姉ちゃんに連絡を入れる。
ヴィクトルたちに日本の夏祭りに誘われたことを伝え、ヴィクトルが姉ちゃんもぜひって言ってるから一緒に行かないかと誘うと間を置かずに「行きたい!」と即答された。
姉ちゃんの声がすっげぇ嬉しそうで誘ってよかったと俺も嬉しくなる。
「あのさ、オタベックも誘ってやろうと思ってんだけど」
『オタベックも?えぇ、いいじゃない。久しぶりに彼に会えるのね。何か月ぶりかしら』
「バルセロナで別れて以来じゃねぇの?」
『そうよね。楽しみだわ。あ……でも』
「……?」
『ねぇ、ユーラチカ……彼、もう膝の具合は大丈夫なの?』
お。まさか姉ちゃんの方からその話題が出されるとは予想外だった。
しっかりあいつのインスタ見てるってことじゃん。
よかったなオタベック、と心の中でダチを祝福しつつ、心配そうな声の姉ちゃんに「もう全然問題ねぇってさ」と安心させる言葉をかけた。
もう問題ねぇっていうのはオタベック本人が言ってたことだから嘘じゃねぇはず。
この後祭りの誘いの電話をあいつにかける予定だけど、そのときもう一回訊いてみようとは思ってる。
ついでに姉ちゃんがインスタ見てすっげぇ心配してたぞって言ってやったら、あいつどんな反応するかな。
伝える前から十分予想はつくけど。
それが楽しみで俺は姉ちゃんとの通話を切ると間髪入れずにオタベックの番号を押しワクワクしながらあいつが出るのを待った。
絶対来いよ。何が何でも休みとってこい。
夏が来る前に一回は会おうぜって約束したじゃねぇか、約束破んのか。
姉ちゃんも来るぜ。
オタベックの膝のことすっげぇ気にしてたぞ。
姉ちゃんを心配させたままにすんのか。
元気なとこ見せて安心させろ。
つーか、会いてぇんだろ。
会いたくねぇのか。
もう何か月会ってねぇんだよ。
会えるときに会っとかねぇと、他の野郎に掻っ攫われても知らねぇぞ。
ありとあらゆる理由と脅しを捲し立て、俺はオタベックを半ば強制的に日本に来させることに成功。
なんで俺こんなに必死になってんだよって自分にツッコみたくなったけど、会いたくねぇのかって俺の言葉にオタベックが焦った感じで『会いたいに決まっているだろう……っ』って返事したから、もうそれが聞けたから良しとしてやる。
つーことで、来たる長谷津は夏祭りの日。
正確にはその前日の夜。
俺と姉ちゃん、オタベックの3人は無事日本に到着し久々の再会となったわけだ。
乗ってきた飛行機は違うけど偶然にも福岡空港に着いた時間はほぼ同じで、到着ロビーで顔を合わせてしばらく再会を喜んだ。
「オタベック、久しぶり。元気?……じゃ、ないわよね。疲れたでしょう。膝の怪我に響いてない?」
「あ、いや、その、久しぶり……で、疲れは多少あるが元気だ。膝も問題ない」
再会の余韻を引き摺りながらもオタベックは律儀に訊かれたこと全部に答える。
姉ちゃんはオタベックを真っ直ぐに見つめて「よかった」と笑った。
一方のオタベックはっつーと、なんかすげぇ目が泳いでいて落ち着かない感じなんだけどどうした。
けどその訳はオタベックが時折ちらちらと向ける姉ちゃんへの視線の行き先で理解した。
「勇利のご家族が車で迎えに来てくれているんですって。行きましょ」
足取り軽くキャリーを転がして歩き出す姉ちゃんを俺とオタベックで追いかける。
姉ちゃんからは少し距離を置いて、話し声が聞こえないぐらいのところで俺は隣を歩く彼に声をかけてやった。
「久しぶり」とか、「無理に誘って悪かったな」とか、「練習どーよ。順調か?」とか。
久々に会ったダチに最初にかけるべき言葉を全部すっ飛ばして俺があいつに送ってやった挨拶は、これだ。
「ムッツリ野郎。なに姉ちゃんの体じろじろ見てんだよ」
もちろんニヤニヤ笑いも忘れずにな。
図星だったんだろう、オタベックの奴一瞬で顔真っ赤にしやがった。
「ち、違う……っ。ただ、その……薄着だなと思っただけで」
「はぁ?あったりまえだろ、夏なんだから」
「それはわかっているんだが……」
「姉ちゃんの生足見て鼻血出すなよ、ドスケベ野郎」
「やめてくれ、ユーリ……っ」
もう勘弁してくれって感じで自分の目元を手で覆って隠すあいつの姿に俺は笑いがとまらず足取りが軽くなった。
やっぱおもしれーわ、俺のダチ。
カツ丼の姉ちゃんの運転でヴィクトルとカツ丼が空港に迎えに来てくれて、俺たち3人は車で長谷津へ送られた。
カツ丼ちに着くと迎えてくれたあいつの家族に姉ちゃんは笑顔で挨拶とお礼を言って早々と打ち解けた。
カツ丼のバレェの先生だっていうミナコと、あと優子と三つ子のガキたちもいて、オタベックを見るや全員黄色い声をあげてサインをねだってきた。
もちろん律儀なあいつは疲れていてもファンサービスにちゃんと応える。
カツ丼の案内で俺たちが泊まる部屋に案内され(もちろん姉ちゃんだけは別だ)、荷物を置くと早速風呂へと向かった。
オタベックは温泉初めてらしくて、泳げるほど広い風呂に感動していた。
姉ちゃんはミナコと優子たちが案内してくれて一緒に入ったみてぇだ。
風呂から出ると飯を食う大広間に通されて、人数分の大盛りのカツ丼が出てきて俺のテンションを上げた。
「うめぇ!やっぱカツ丼ちのカツ丼最高だな。どうだ、オタベック。旨いだろ?」
「あぁ……、旨いっ」
「だよな!」
俺が作ったわけじゃねぇけど嬉しくなる。
だいぶ前に機内食食ったっきりだったから腹も減っていていくらでも食えた。
けど結構な量があって姉ちゃん全部食えるかなって箸動かしながら顔を向けた俺は思わず手がとまった。
「姉ちゃん、どうした?」
カツ丼に手は付けているけどあんまり減ってなかった。
もしかして姉ちゃんの口には合わなかったのかと声をかけると慌てて首を横に振られた。
「うぅん、とってもおいしい。ただ、ごめんなさい……なんだか食欲がなくて。お腹は減っているはずなんだけど」
「大丈夫かよ。風呂でのぼせたか?」
「そうかな……。そうかもしれない。ごめんなさい、せっかく作っていただいたのに」
「よかよか。無理して食べなくてよかよ」
カツ丼の母ちゃんが優しく言ってくれても姉ちゃんは残すのはもったいないし申し訳ないってシュンとしていた。
「どうしよう……、ユーラチカまだ食べられる?」
「あー……まぁ少しは食えるけど全部は難しいかな。あんま食うと体重にも出るし」
「そうよね……」
「おい、オタベック。お前食えねぇ?」
「えっ?あ、まぁ、食べられないことはないが」
なら食え。姉ちゃんが困ってるぞ。助けろ。
「オタベック、無理はしないでね。あなたも体重管理あるでしょ?」
「いや、これぐらいなら……大丈夫、食べても問題はない」
「ごめんなさい。でも助かるわ。ありがとう」
カツ丼の行き場が見つかり姉ちゃんは心底ホッとしたって感じ。
つーわけで姉ちゃんの残りのカツ丼は俺とオタベックで半分ずつに分けることになり、2人のどんぶりに均等に盛り付けられた。
少し増えたそれをガツガツ食い始めたオタベックに、俺はスススッと体を寄せてこっそり言ってやった。
「これ間接キスじゃね?」
「ぶっ!」
「だ、大丈夫オタベックっ?はい、お水」
「す、すまない……。(ユーリ……!)」
飛び散った米粒をおしぼりで拭きながらオタベックは俺を睨んできたけど、そんな耳赤くしたみっともねー顔で睨まれても全然怖くねぇっつーの。
俺は軽く肩を揺らして笑いを噛み殺しながら残りのカツ丼をかきこんだ。
翌日、祭り当日の夕方。
陽が落ち始めても全然気温は下がらず、湿度も高くて終始蒸し風呂に入ってるみてぇな感じがして日本の夏ホントおかしーんじゃねぇのって思った。
俺やオタベックは普段から練習していて体力あるから耐えられっけど、何もしてない姉ちゃんはちょっとつらそうだ。
昨日食欲なかったって言ってたけど、それって夏バテなんじゃねぇかって疑う。
けど本人は平気そうにしてるし、祭りに行くのをすっげぇ楽しみにしてるし、残って休んでろよなんて言えねぇ。
カツ丼の母ちゃんが女の姉ちゃんの分だけ浴衣を用意してくれて姉ちゃん感動して抱きついて喜んでるし、そんな姿見たらますますとめられなかった。
カツ丼の姉ちゃんが着付けてくれて、髪も結い上げてジャパニーズスタイルに変身した姉ちゃんが部屋から出てくると男どもからどよめきが起こった。
モデルかってぐらい完璧に仕上がっていて、常でも十分高い姉ちゃんの美人度がめちゃくちゃ跳ね上がってた。
こんなの街歩いてたらぜってーナンパされんだろ。
「あらぁ。やっぱり美人は何着ても似合うとねぇ」
カツ丼の母ちゃんに褒められ姉ちゃんは嬉しそうに笑ってる。
つーか、オタベック大丈夫か。鼻血出すんじゃね―の?
振り返ってみたら案の定顔赤くして鼻押さえてやんの。
血は出てないみてぇだけど、みっともなくて顔晒せないって隠した手をどけられずにいる。
「おい。なんか気の利いた一言でもかけてやったらどうだ」
「気の利いた、って……なにを」
「あー?ほら、あれだ。綺麗だぜ、とか。素敵だな、とか。なんかあんだろ」
「そんなキザな台詞俺には、」
「プリクラースナ!(綺麗だ!) 、その浴衣よく似合ってるね。女神かと思ったよ」
「……」
「ほらみろ。先越されてんじゃねぇか」
オタベックが臆している間に姉ちゃんを褒めるチャンスをヴィクトルにサラッと奪われちまった。
ったく、しっかりしろよな。
気合い入れの意味を込めて俺はあいつの背中を拳で軽く殴ってやった。
俺たちが祭りの会場に着いたときにはもう陽も落ちて橙色の空は青紫色へと変わっていた。
ずらりと並ぶ屋台と聞こえてくる祭囃子に自然と胸が躍る。
それにしてもすげぇ人だ。
人、人、人、どこを見ても人だらけ。
昼間どこに隠れてたんだよってくらいの数の人で溢れていた。
くっついて歩いてねぇとすぐにはぐれちまいそうで、俺たちはヴィクトルとカツ丼を先頭に固まって歩いた。
お目当ての花火が上がるまではもう少し時間がある。
屋台をはしごして何か食って待つことになったんだけど、おいカツ丼ちょっと食いすぎじゃね?
「オタベックもなんか食うか?俺はー……あれだ、たこ焼き?あれ食いてぇ」
「ああ。じゃあ俺も同じものを」
「おっけ。姉ちゃんは?何食う?」
「あ……うん。私は大丈夫よ。ありがとう」
「いいのか?今日昼もあんま食ってなかっただろ」
「んー……あんまりお腹空かないの。2人は好きなもの食べて」
気にしないでって言うけど、ホントに大丈夫かよ。
薄暗くてわかりにくいけど姉ちゃんなんか顔色悪くねぇ?
オタベックもそれは気付いていて、さっきからチラチラと姉ちゃんの顔を窺っている。
その心配は、果たして当たっていた。
たこ焼きの次にかき氷買って食って、オタベックが射的やってみたいって言うから銃握らせてみたら意外にも上手くて景品なんかゲットして。
そんな感じで時間を潰していたらあっという間に時間は過ぎていった。
「花火早く上がんねぇかな。今何時だ?」
「7時20分ね。あと10分だわ」
姉ちゃんがいつも身に着けてる腕時計で時間を確認してくれた。
あと10分か、待ちきれねぇ。
まだ何も上がってない夜空を見上げてワクワクしていたときだ。
「?」
オタベックが姉ちゃんを呼ぶ声が聞こえて振り返った。
姉ちゃんは俯き加減になり右手で口元を覆っていて、屋台の灯りに照らし出された顔には大量の汗をかいていた。
足元がふらついている。明らかに様子がおかしい。
「姉ちゃん大丈夫、」
声をかけた瞬間、彼女の意識は途絶えた。
がくりと膝が折れ、倒れる!……と手を伸ばしたところでオタベックが寸前で姉ちゃんを抱き留めて支えた。
「姉ちゃん!」
駆け寄って顔に両手を添える。
大量の汗で前髪が額に張り付いていて真っ青な顔からは生気が感じられない。
ぐったりと弛緩してオタベックに寄りかかった体。
熱中症なのか熱射病なのか、よくわかんねぇけど危ない状態だってことは誰の目にも明らかだった。
すぐになんとかしねぇと。
「おい!カツ丼!助けろ、姉ちゃんが倒れた!」
「えっ!」
先を行っていたカツ丼たちを呼び戻し、応急処置してもらえるところがねぇか聞いた。
会場に詳しいカツ丼が救護所を教えてくれて、急いでそこへ運ぶことにした。
「オタベック、姉ちゃんを運べ!」
支えてるからちょうどいいだろ。
こんな切羽詰まった状況ではさすがに照れてる場合でもなくオタベックはすぐに、けれど慎重に姉ちゃんを抱きかかえると頭を揺すらないように自分の胸に寄りかからせカツ丼の後を追いかけた。
救護所のテントに着くとすぐに姉ちゃんの処置が行われた。
呼吸を楽にさせるのに帯を緩めて服をくつろがせるって言うから身内の俺以外の男はテントの外に出された。
白衣来たおっさんと看護師のおばさんが診てくれて、一通り処置すると下された診断は「軽度の熱中症ですね。少し休めば大丈夫でしょう」だって。
救急車で運んで病院で治療するほどじゃねぇって。
よかった……。
ホッとした瞬間、外から花火が上がる音が聞こえてきた。
観客の歓声も聞こえてくる。
すっげぇ見たかった花火だけど、今は姉ちゃんが無事で何よりで花火への関心はほとんどなくなっていた。
テントの外に追い出した奴らに姉ちゃんの状態を告げると全員ホッと胸を撫で下ろしていた。
「そう。よかった、重症じゃなくて。我慢していたのかな」
「かもな。なんとなく気付いてはいたけど……もっと早く声かけてやればよかった。俺が悪い……」
「ユリオだけのせいじゃないさ。それはここにいる全員に言えることじゃないかな」
「……」
ヴィクトルの言葉にカツ丼もオタベックもそのとおりだって反省の顔をしていた。
「僕、家に電話してくるよ。帰りは電車で帰るって言ったけど、車出してもらえるようお願いしてくる」
「悪ぃ……頼む」
「いいよ。ここちょっと電波悪いから人のいないところまで行ってくるね」
「勇利、俺も行くよ」
「ヴィクトルも?うん、いいけど」
ついて行くって言うヴィクトルにカツ丼は「なんで?」って顔してたけど、それがヴィクトルなりの気遣いだって俺にはわかった。
オタベックだけここに残して何をさせたいのかまではわかんねぇけど、邪魔者の自分たちは離れるよってことだろ。
俺にだけわかるようにウインク残して、ヴィクトルはカツ丼についてそこを離れていった。
ひとり残されたオタベックはどうしたらいいかわかんねぇって顔を俺に向けてきて、それでも「何かできることはあるか」って姉ちゃんのために何かしたいって必死な気持ちが伝わってきた。
「特にはねぇかな。花火でも見てろって」
「馬鹿言うな。そんな場合じゃないだろう。観る気分にもなれない」
「はは。だよな」
思わず笑っちまった。
オタベックの声と表情から本気で姉ちゃんを心配してるんだなっていうのが伝わってきて、大変な状況なのも忘れて俺は安心した。
何か月経っても、何か月も会えなくても、こいつの姉ちゃんに対する気持ちは変わってねぇんだなっていうのがわかったから。
「じゃ、なんか飲み物買ってきてくれ。たこ焼き屋の隣で売ってたろ。スポーツドリンク系のやつ。起きたら姉ちゃんに飲ませっから」
「わかった。急いで行ってくる」
すぐさまきびすを返してあいつは走っていった。
俺はテントの中に戻って姉ちゃんの隣に座って起きるのを待った。
そのうちに姉ちゃんと同じような症状の奴が一人、二人と運ばれてきて、医者のおっさんたちはそっちにかかりきりになった。
テントの布越しに聞こえてくる花火の音に耳を澄ましていると、しばらくして姉ちゃんが身じろいでうっすらと目を開けた。
「姉ちゃん。目覚めたか?」
「ユーラ、チカ……?……私……」
「倒れたんだよ。熱中症だってよ」
「うそ……」
「マジで。いきなりばったりな。本気で心配したぜ」
「そっ、か……。ごめんなさい……みんなに迷惑かけちゃったわね」
倒れて目を覚ましたばっかだってーのに、姉ちゃんは他の奴らに気を配って申し訳なさそうに眉を顰める。
気ぃ使いすぎだっつーの。
「誰もんなこと思ってねーよ。いいから今はゆっくり休めって」
「でも……ユーラチカだってあんなに花火楽しみにしていたのに。ごめんなさい」
「だーかーら。いーって。二度と見られねぇわけじゃねぇんだし。気にすんなって」
落ち込んだ俺に姉ちゃんがいつもしてくれるように、姉ちゃんの額の前髪をかきあげて頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
いつも撫でる側でやられ慣れていない彼女はこそばゆそうだ。
でも「うん……ありがとう」とはにかんでくれたから少しは気持ちが落ち着いたってことだろう。
ヴィクトルとカツ丼が迎えの車を呼びに電話しに行っていることと、オタベックが飲み物を買いに行っていることを伝えた。
姉ちゃんは後でいっぱいお礼言わないとって苦笑いしていた。
「ユーラチカが私のことここまで運んでくれたの?」
重かったでしょう、って恥ずかしそうにする姉ちゃんに俺は事実を伝えてやった。
「俺じゃねぇよ。オタベックが」
「えっ」
「え?」
「あ……、えっと……」
なんでだ。姉ちゃんの顔が赤くなったぞ。
それは熱中症が原因で出る赤さじゃねぇよな。
まさかな……というひとつの予測が立つ。
気になって俺は思わず鎌をかけたくなった。
「もうすぐ戻ってくると思うけど、礼言うんだろ。俺、その間外に出てた方がいいか?」
「え、ダメっ」
「あ?なんで」
「なんでって……」
姉ちゃんの態度は明らかに焦っていた。
これはもうちょい突っつけばなんか出るかもな。
思わずニョキリと悪魔の尻尾が生えた。
「なんでオタベックのこと避けんだよ」
「べ、つに、避けているわけじゃ……」
「姉ちゃん、あいつのこと嫌いなのか?」
「や、違うよ、逆っ」
「へ?」
「え?……あ……その……待ってっ、あの、そうじゃなくって」
「逆って、嫌いの逆ってことか?」
「ちが……、……っ、……わ、ない、けど……」
「それって好きってことだろ?」
「……っ!ユーラチカっ」
せっかく熱が引いていた姉ちゃんの顔、もう完全に真っ赤っかに逆戻りしていた。
それを見て俺はデジャヴュを感じずにはいられなかった。
見たことあるぜ、この顔。
姉ちゃんのことでからかってやったときのオタベックの顔そっくりじゃん。
おい、マジかよ。
こいつら両片想い?ってやつじゃん。
思いがけず知ってしまった姉ちゃんの気持ちに、俺はもう自分でも気持ち悪ぃぐらい顔がにやつくのを抑えられなかった。
「へーぇ……いつの間に」
「……笑わないでよ」
「くく……悪ぃ」
「言わないでね、誰にも」
「誰に言うんだよ。言わねぇよ」
「うん……ありがと」
「まぁ、俺は言わねぇけどさ。でも姉ちゃんは言わねぇの?」
「……」
その問いかけに姉ちゃんは黙り込み、俺から顔を背けると眉を顰め目を細めて悲しげな顔をした。
「言ったところで、どうにもならないじゃない……?」
ため息をつくように吐きだした言葉には見るからに諦めの気持ちが入り混じっていた。
なんでだよ。
伝えてもいないのに最初っから諦めてんのか。
まさかってことがあるかもしれねーじゃん。
あいつがOKしてくれて、良い仲になれるかもしれねーじゃん。
つーか姉ちゃんから告ったりしたら100%そうなるだろうけど、というのはさすがに言わなかったけどさ。
なんでそんな消極的なんだって、ちょっと責める感じで言ったら。
「だって」
姉ちゃんは眉を下げて困ったような顔で笑った。
「私なんかがカザフの英雄の恋人になんてなれないよ……」
なんで。なんでそんなこと言うんだよ。
姉ちゃんはすっげぇ美人だし、しっかり者で優しくて何にでも気が付くし、どこにも落ち度なんてねーじゃん。
褒められるところを全部挙げて励ましてやっても、姉ちゃんは諦めの笑みを崩さず首を横に振るだけだった。
「仮にそうなれたとしても、私が彼を支えてあげられるかわからないもの……。彼は世界を飛び交うスケーターなのよ。私がいたら、彼の負担になってしまうかもしれない。そう思ったら怖くて……とても自分の気持ちなんて伝えられないよ」
「負担って、なにが」
「……っ、だって」
崩れなかった諦めの笑みが少しだけ壊れた。
綺麗な眉をハの字に下げて、俯きがちの瞳には確かに涙が溜まっているのが見えた。
「数か月ぶりに会えて、今こんなに胸が苦しいのに……。恋人になんてなったら毎日会いたくなっちゃう。何か月も離れているのなんて耐えられないって、わがままを言いたくなっちゃう」
「姉ちゃん……」
「私の方が年上なのに……みっともなくて恥ずかしいよ」
「んなことねーよ」
なにがみっともないもんか。
初めて聞いた姉ちゃんの本音。
年上でいつも俺を支えていてくれた大人な彼女の、剥き出しの、無垢な乙女心ってやつ。
オタベックのことが好きで、でもわがままを言うのが怖いって怯える姉ちゃんが可愛くて、可愛くて。
もう一回頭をぐしゃぐしゃって撫でてやって、「大丈夫だっつーの」って俺にできる精一杯の安心させられる声で励ましてやった。
「オタベックは、あいつはそんな器の小せぇ男じゃねーって」
姉ちゃんのわがままぐらい全力で聞いてくれるぜ。
今すぐ会いたいって言えば、きっとどこにいようとそれが何時だろうとすぐ駆けつけてくれるって。
冗談抜きにそう思うから、「嘘じゃねーって」ってマジの顔で言ってやったら姉ちゃんは一度鼻をすすって、それから笑った。
「ユーラチカに恋愛のことで励まされる日が来るなんて思いもしなかったわ」だってよ。
馬鹿にすんなよな。
俺だってもう16だぜ。
「ユーラチカ」
「あ?」
「ありがとう」
姉ちゃんに腕を引かれて顔を近づけるとコツンと額と額を合わせられた。
懐かしい。ガキの頃、スケートがうまくいかなくて暴れたとき、姉ちゃんがこうやって俺を落ち着けてくれたのを思い出す。
大丈夫、大丈夫。何も心配しなくていいのよ、って。
たぶん今は、俺への感謝の気持ちとともに姉ちゃんが自分を落ち着かせるためにやってるんだろう。
額を離して息も触れあう距離で見せた彼女の顔は、もうだいぶ穏やかな笑顔になっていた。
「もう大丈夫よ。みんなのところに戻りましょう」
「まだダメだって。もうちょっと休んでろよ」
「でも」
「ヴィクトルたちももうすぐ戻ってくるし、オタベックも……つーか、あいつどこまで買いに行ったんだよ」
飲み物買うだけにしては遅くねぇか?
ちょっと見に行ってくるから姉ちゃんはここにいろって指さして指示して俺はテントを出た。
すると、ひゅ〜〜〜〜って空気を切る音がしてもう何発目になるかわかんねぇ花火が上がった。
パァンと轟音を立てて花火が夜空を飾る。
テントを出たところで、すぐ隣にテントを背にして立ち尽くすオタベックの姿を見つけて俺の足は固まった。
「いたのかよ」
「…………」
花火の音でテントの中までは聞こえないだろうから声量を落とさず声をかけた。
返事はない。
いや、できねぇんだろうな。
「聞いてたな」
「……、……」
すでに赤かった顔が更に赤みを増して俺の言葉を肯定する。
片手に冷えたボトルをぶら下げ、もう片方の手で鼻から下を覆い隠している。
その手の下の口はにやけているのか、それとも硬く引き結ばれているのか。
わかんねぇけど、でも隠されていない顔の上半分だけでも十分奴が高揚しているのは伝わってきた。
あぁ、ダメだ。
こいつのこういう顔を見ると、どうしてもからかいたくなっちまうわ。
「脈、大ありだな」
「………」
「どうよ。日本に来てよかったろ?」
「……っ、……。……、……あぁ」
手のひらの下から聞こえてきた小さな本音。
正直で何よりだぜ。
俺はおかしくて肩を揺らして笑った。
再び風切り音が聞こえて空を見上げると今夜一番だという大輪の花が咲いた。
まるで今隣にいる奴の心の内を表しているようで、俺はもうおかしくてたまらなくなって思わずカツ丼に教わったその言葉を叫んじまった。
「たーまやー!」
どっかで見知らぬ誰かが「かーぎやー!」って合いの手を返すのが聞こえた。
こんな夜になっても相変わらず気温は下がらず、湿度も高いまんまで終始蒸し風呂に入ってるみてぇな感じは続いている。
ホントおかしーんじゃねぇのって思った日本の夏も、けど今はそれほど悪くねぇなって思えた。
それから2日間俺たちは日本に留まってカツ丼ちに世話になり、ヴィクトルたちにいろんなところに連れていかれた。
姉ちゃんの態度は夏祭りの夜の前後で変わることなく、オタベックにも気軽に話しかけて以前と同じ距離を保っていた。
変わったなって感じたのは、むしろオタベックの方だった。
今までは姉ちゃんに話しかけられると「あのっ」とか「そのっ」とか歯切れの悪ぃ切り返ししてたのが、あの夜以降はそれがなくなって姉ちゃんと接するときも俺の前と同じようになんか堂々とした感じになった。
それだけじゃない。
出先で昼飯食うのにレストランに入ったとき、オタベックの奴自分から姉ちゃんの隣に座りにいったんだ。
今までだったら俺がしつこいぐらい肘鉄してようやく動いてやがったのに。
姉ちゃんの気持ちを知って、なんか吹っ切れたのかもしれねぇな。
俺としては赤面して慌てる姿を見られる回数が減って少し残念ではあるんだけどな。
そうして日本での滞在期間はあっという間に終わり、俺たち3人はカツ丼ちに礼を言って帰国することに。
「次お前と会うのは12月、グランプリファイナルの会場でだ。ぜってぇこけんじゃねーぞ」
「もちろん。僕は絶対残るよ。ユリオこそ途中で消えるなんてこと」
「ぶわぁーか!誰がんなことになるかよ。シリーズ1位通過でてめぇのこと待っててやるよ」
「言ったな。僕だって負けないよ。今年こそユリオより高いところに昇って見せるからね」
「はっ。ほざいてろ」
強気の笑みを浮かべるカツ丼に俺は立てた中指を勢いよく振りおろしてやる。
笑顔で手を振って見送ってくれるカツ丼の家族に俺も手を挙げて応え、数日世話になったそこを後にした。
福岡空港に着くとチェックインして荷物を預けて、カフェに入って搭乗時間ギリギリまで3人で話をして時間を潰した。
けどいよいよ別れの時間がやってきて、俺と姉ちゃん、オタベックはそれぞれのゲートへ向かうことに。
「じゃあな。次に会うのは11月、中国大会でだな」
「あぁ。楽しみにしている」
「10月のアメリカ大会、こけんじゃねーぞ」
「問題ない。勇利より高い点を出してトップバッターで一番上に立つつもりだ」
「はっ。言うじゃん。やってみせろよ」
オタベックなら不可能じゃねぇよな。
けどカツ丼もなかなか侮れねぇぜ。
オタベックが差し出す手をガッツリ握って気合いを注入してやった。
「それじゃ。ユーリ。。また会おう」
「おう、またな」
「気をつけて。練習頑張ってね」
「あぁ」
それぞれのゲートをめざし、俺たちは背を向けあって別れた。
足を進めるたびにあいつとの距離は離れていく。
俺は隣を歩く姉ちゃんのことが少し気になっていた。
いいのか、こんなあっさりした別れ方で。
次会えるの2か月先だぜ。
「なぁ、姉ちゃん、」
お節介かもしれねぇけど、今ならまだ間に合うから。
そう思って声をかけた瞬間。
全速力で走って駆けてくる足音が聞こえて俺たちは振り返った。
息を切らせて走ってきたのはオタベックで、今さっき別れたときとは打って変わった切羽詰まった顔であいつは姉ちゃんの手首を掴んだ。
「……、っ」
「えっ……オタベック……なに、」
戸惑いながらも姉ちゃんは掴まれた手を振り払うことはない。
オタベックは肩で息を整えると、一度唇を固く引き結んで決意を固めてから姉ちゃんを真っ直ぐに見つめた。
「君が、迷惑でなければ……電話をしてもいいか」
「え?」
「本当は今までもずっと連絡をしたいと思っていた。アルマトイとサンクトなら時差はそれほどない。メールじゃなくて、電話がいいんだ。君と話がしたい」
「あの、」
「。君のことがもっと知りたいんだ」
「……、……オタベック」
言った。
言いやがった。
ついに奴がでかい一歩を踏み出しやがった。
ハッキリとした言葉で気持ちを伝えたわけじゃねぇけど、でもあいつにしては十分及第点だろ。
姉ちゃんはまさかオタベックにこんなこと言われるとは思ってなかったんだろう。
顔を赤くして戸惑ってるけど、でも全然嫌じゃなさそうだ。
嬉しすぎるのをうまく表現できてないって感じだよな、あれは。
「、これを」
オタベックは一度姉ちゃんから手を放すと、いつも自分の首にかけているペンダントを外してそれを彼女の手のひらに落とした。
バルセロナで俺を助けてくれたときもしてた。
つーか、あいつを見かけるときはいつも必ず身に着けてるものだ。
「幼い頃、家族で行ったサマルカンドで買ったものだ。高価なものではないがもうずっと離さず持ち続けている。これを……君に持っていてほしい」
姉ちゃんの手に握らせたそれを、オタベックはその上から自分の両手で包み込んだ。
俺が知る限りであいつが自分から姉ちゃんに触れたのってこれが初めてなんじゃねぇか。
姉ちゃんの顔の赤みが増すのがよくわかった。
けどそれも、次に発せられたオタベックの言葉に彼女の瞳は迷うことなくあいつを見つめ返すことになる。
「俺は今年もグランプリファイナルに残ってみせる。そして今年こそ必ず表彰台にあがる。そのとき、俺にこれを返してほしい」
自分の分身ともいえるそれを彼女が持っていてくれれば、遠く離れていても力が湧いてくる。
姉ちゃんの手を包むあいつの両手に力がこもる。
オタベックを真っ直ぐ見つめ返す姉ちゃんの顔にはにかんだ笑顔が浮かんだ。
掴まれていない自由な手をオタベックの手の上に重ね、彼を驚かせる。
「責任をもって預かるわ。肌身離さず、ずっと持ってる。そして必ずあなたのところへ返しに行くわ」
「……、……あぁ。頼んだ」
「ダバイ、オタベック。遠くからずっと応援している。電話も待ってるから」
姉ちゃんの笑顔につられるようにオタベックの口元にも微かな笑みが浮かんだ。
名残惜しげに両手を離し、別れの言葉を告げて今度こそあいつは背を向けて歩いて行った。
迷いなく、もう振り返ることはないその背を姉ちゃんはずっと見つめていた。
その横顔からは幸せと寂しさのどっちの感情も感じ取れて、俺は2人の物語がまだまだ続くことを察して肩で息をついて小さく笑った。
サマルカンドはかくも遠く、けれど今ここに、あいつがたどり着きたいその場所へ向かう一筋の光が見えた気がした。
悪ぃな、ちょっと話が長くなっちまった。
後編って言ったけど、次まで続く。
俺たちの氷上の戦いと2人の物語、あと少しだけ付き合ってくれよな。
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