ドリーム小説
サマルカンドはかくも遠く 【前編】
■2016 バルセロナ、グエル公園にて
一目惚れは、別に悪いことじゃねぇと思う。
俺は経験ないからよくわかんねーけど。
一目見た瞬間胸が熱くなって、そいつのことが欲しくてたまらなくなる気持ち。
俺の場合人に対してはないけど物に対してなら何度か感じたことはある。
例えば、長谷津に行ったときたまたま見つけたライオンのシャツ、あれは本気で欲しくてグッと血が湧いたな。
ああいうのを一目惚れって言っていいのかはやっぱりわかんねーけど。
まぁ、俺の話はいいや。
何が言いたいかっていうと、そんな刹那に燃える熱い気持ちを俺の友人であるオタベック・アルティンは彼女に抱いたってことだ。
彼女ってぇのは俺より年が4つ上の姉ちゃん、・プリセツキーのこと。
姉ちゃんっつっても本当の姉弟じゃなくて、従姉弟だけど。
ただ同じ一族の血が流れているせいか、俺と姉ちゃんは外見がよく似ていて昔も今も一緒に歩いていると必ず姉弟かって訊かれる。
加えて、ガキの頃からずっと一緒で、俺は両親より爺ちゃんと姉ちゃんに面倒見てもらってきたから、俺にとって彼女は従姉弟や幼馴染っていうより本当に姉弟っていう感じだ。
しっかり者で優しくて、いつも笑顔で俺を励ましてくれる。
爺ちゃんに次ぐ俺の理解者で、大事な家族で、俺は姉ちゃんのことが大好きだ。
そんな姉ちゃんにオタベックが一目惚れしたのは2016年のグランプリファイナル、その前日のこと。
ユーリエンジェルズから逃げていた俺をオタベックがバイクで拾って助けてくれたんだ。
グエル公園でガキの頃サマーキャンプで一緒に練習していたなんていう思い出話をして、オタベックが差し出した手を握って俺たちは友人になり、そのあと全然話し足りないからどっかカフェでも入ろうぜなんて話し始めたとき俺のスマホに姉ちゃんから連絡が入った。
SNSを見た彼女は俺を心配して公園まで迎えに来てくれて、そこで2人は初めて顔を合わせたわけだ。
「・プリセツキーといいます。オタベックさん、ユーラチカを助けてくれてありがとう」
笑顔で挨拶し礼を言う姉ちゃんはいつも通りの彼女だった。
普通じゃなかったのは明らかにオタベックの方だ。
無口でシャイ、スケート以外に興味を示さない無感情の男なんて紹介される彼は、姉ちゃんを前にしてどこか緊張した面持ちでいた。
オタベックがあまりにもじっと見つめるものだから姉ちゃんはくすりと笑って「なにか?」と問いかける。
彼女に笑顔を向けられたオタベックの顔がボッと赤くなるのを確かに見た。
それは誰がどう見てもまさに「恋に落ちた」瞬間って感じだった。
その後3人でカフェに行ってお茶を飲んでいたらなんでかヴィクトルとカツ丼に声をかけられて、どういう流れかわかんねーけど明日の出場者ほぼ全員で飯を食うことになった。
ちなみに夕飯のときには姉ちゃんは先に帰っていて参加していない。
「それじゃまた。2人とも明日は頑張ってね。応援してるわ」
そう言って去っていく姉ちゃんの後姿をオタベックはいつまでも見つめていた。
飯を食いながらヴィクトルとカツ丼がペアリングなんか嵌めてるのが話題になって盛り上がり始めて、喧騒の中で俺はオタベックの脇腹を肘でつついてこっそり奴の心境を聞いてみた。
まぁ十中八九予想通りだった。
「オタベック。お前、姉ちゃんに惚れたろ?」
「ぶっ!」
ド直球に訊いてやったらあいつ飲んでた水噴き出して顔真っ赤にしてやんの。
「へーえ……なるほどね」
「ユーリ……っ、お前……何を」
「は。わっかりやすい奴」
噎せた息を整える彼を、俺は行儀悪く椅子を後ろに倒してギシギシと揺らしながら値踏みするように眺めてやった。
オタベックが姉ちゃんを、ねぇ。
まぁ、わからなくもねぇけどさ。
身内の俺が言うのもなんだけど姉ちゃん美人だし、笑った顔とかすっげぇ可愛いし。
優しくて面倒見もいいし、料理もうまいし、恋人ができたら絶対尽くすタイプだし。
俺だって赤の他人として知り合っていたら姉ちゃんに惚れてたかもしれないし。
同じ男だからオタベックが姉ちゃんに一目惚れした気持ちはよくわかる。
わかるけどさ。
知り合ってまだ一日目だけどオタベックが良い奴だってことも感じ取れるし姉ちゃんの相手として相応しくないとは思わねぇ。
けど、なんか嫌なんだよ。
なんつーの、オタベックが嫌なんじゃなくて、大事な姉ちゃんを他の男にとられるって感じがして悔しいっていうか。
すっかり顔色を元に戻して平静を装う彼は、じぃっと見つめたままの俺に「なんだ?」と怪訝な表情を向けてくる。
そこにどこで匂いを嗅ぎつけたのかJJの野郎が婚約者連れで現れやがって、俺はそっちに一瞥くれてから「なんでもねーよ」とオタベックに向けて手のひらを振った。
空気を読まないJJの参入にどっ白けになった場が解散の流れになる。
席を立ち簡易テントを出て少し歩いたところで俺は首を捻って後ろのオタベックに顔を向けた。
「ひとついいこと教えてやるよ」
「……?」
「姉ちゃん今フリーだぜ」
「……!……そ、うか」
「おう」
敵に塩を送るつもりはねぇけど、オタベックのことは嫌いじゃねぇからこれぐらいのサポートはしてやってもいいかなって思ってる。
姉ちゃんに恋人がいないってわかってホッとしたのか、オタベックの眉間の皺が緩むのを見逃さない。
こいつの性格からして姉ちゃんを好きになったとはいえすぐに手を出すような軽率なことはしないだろう。
本気で好きだっつーなら何かしら行動を起こしはするんだろうけど。
この恋愛になんて興味ありませんみたいな仏頂面の男が一体どんなふうに姉ちゃんを口説いていくのか。
それはそれで見てみたいな、なんて興味もまた湧いてきて、でもやっぱり姉ちゃんをとられちまうのはちょっと癪で。
どっちつかずの複雑な気持ちで夜空を仰いで吐きだした白い息を見つめる。
俺にとって初のグランプリファイナルの前日はそんな感じで過ぎていった。
■2017 シーズンオフ@
グランプリファイナルを終え、3月の世界選手権も消化し、フィギュアスケーターにとってシーズンオフの時期が来た。
ちなみにGF後の戦績はどうだったかっつーと、世界選手権で優勝したのは俺な。
ま、当然といやぁ当然だよな。
んで2位はJJの野郎で、3位にカツ丼。
オタベックは僅差で4位に終わり、GFとあわせて祖国にメダルを持ち帰れなかったことで本人はすげぇ悔しがってた。
あとどうでもいいけど12月末にあった全日本選手権でカツ丼は優勝してる。
そんな感じで俺たちの今シーズンは終わり、ようやく痛めつけた心身を癒せるシーズンオフが来たわけだ。
ヴィクトルはカツ丼のコーチを続けることになり、あいつと一緒に日本に行くっていうんで俺も観光目的についていくことにした。
カツ丼の家族とかスケート場の優子とか、世話になった奴らに金メダル見せたかったってのもある。
オタベックも誘ったんだけど、あいつは一度故郷に帰って応援してくれた家族に挨拶したいって言うんでバルセロナの空港で別れた。
またスケーター活動を再開する夏が来る前に一度は会おうぜって約束して。
「あと、インスタ!オタベックもっと更新しろよな。どこで何してっかぜんっぜんわかんねーんだもん」
「すまん。あまり得意ではなくてな」
「なんでもいいんだって。ほら、あのアルマトイ駅の長いエスカレーターの写真載せてたろ。あんなんでいいんだって」
「そうか。ああいうのでいいのか。それならもう少し頻度を上げてみる」
「おう、そうしろ。これからは姉ちゃんだって見てんだから、もっとアピールしとけ」
「そ、れは……、さすがにあざとくはないか」
「なに消極的になってんだ!あざとくねーよ、ガンガン行け!てめぇ、本気で落とす気ねぇのか?」
「いやっ……そんなことは……」
本気じゃないのかと言ってやるとオタベックの奴途端に顔を険しくさせやがった。
なにいきなりソルジャーの顔になってんだよ。
まぁ姉ちゃんのことに関して本気なんだなっていうのがわかったからいいけど。
でもインスタはマジでもっと更新しろ。
せっかく俺が姉ちゃんにオタベックもインスタやってること教えてやったんだからな。
そのきっかけとなったのはグランプリファイナルが終わった翌日のこと。
俺は「バルセロナ観光し足りない!」ってうるせーヴィクトルとカツ丼に誘われて、半ば無理やり連れていかれることになった。
まぁユーリエンジェルズのブスどもにつけ回されて逃げるよりはいいかと思ったとき、ふとバイクに乗ったオタベックの姿が頭をよぎり、すぐに連絡してホテルのロビーに来させ奴のことも観光に巻き込んでやった。
んで、こっからは俺に大いに感謝してほしいところなんだけど、そこに姉ちゃんも誘ったんだ。
集合場所に姉ちゃんがやってきたときのオタベックの顔、今でも忘れられねーぜ。
耳真っ赤にしてさ、憧れの大女優に会えて嬉しくて口もきけねぇみたいな顔してたんだぜ。
してやったりと俺は得意げだったのも束の間、オタベックの顔はすぐに元の険しい表情に戻ることに。
ヴィクトルのせいでな。
「、久しぶり。また綺麗になったんじゃないの?」
「ありがとう。ヴィクトルは相変わらずね。女性以上にコケティッシュで嫉妬しちゃう」
顔見知りの2人が軽いハグを交わし挨拶する様に複雑な顔でフイッと顔を背けるオタベック。
ほんと、わっかりやすすぎる奴。
グループからも一歩下がったところに立ってるし。
けどそんなあいつに声をかけてこっちに引き戻したのはなんと姉ちゃんだった。
「オタベック、この間はありがとう。また会えて嬉しいわ」
にっこりと笑う姉ちゃんの笑顔は、今のオタベックにはきっと朝陽より眩しいものに見えたんじゃねーの?
眩しさに直視できないのか、「いや……っ、俺の方こそ」って返事しながらも赤い顔をわずかに反らしてるし。
オタベックの気持ちを知らない姉ちゃんはさらに一歩踏み込んでいく。
「バルセロナは初めて?私は2度目なの。詳しいわけじゃないけど、少しは案内できるからわからないことがあったら言ってね」
「あ……、ありがとうございます。……、さん」
「あら、『さん』なんていらないわ。気軽にって呼んで。敬語も不要」
「いや、でも……」
「いいの。ユーラチカのお友達ですもの。私も仲良くしたいの。だから、ね」
「……、そういうことならば。その、よろしく……」
「嬉しい。こちらこそよろしくね、オタベック。さ、行きましょ」
「え、あのっ」
オタベックの腕を引いてグループの中に戻す姉ちゃんはなんかすっげぇ楽しそうだった。
一方でオタベックの方は惚れた相手に話しかけられたばかりかいきなり手を引かれ出発前からオーバーヒート気味だぜ。
普段寡黙でしかめっ面の奴の慌てた顔って、見ててホントおもしろいよな。
姉ちゃんを他の奴にとられるのは嫌だけど、オタベックのそういう姿を見られるのはおもしろくて、やっぱ少しぐらいなら手助けしてやってもいいかなって思った。
それから5人でバルセロナ観光しまくったんだけど、楽しみ方は三者三様って感じ。
インスタ好きのヴィクトルは写真撮りまくって、食いもん好きのカツ丼は旨そうな露店見つけるとすぐ買うし(だから太んだよブタ)。
ヴィクトルほどじゃねーけど俺もライオンモチーフのもの見つけては写真撮ってすぐにアップ。
姉ちゃんは雑貨が好きだからそういう店の前を通ると必ず立ち止まって入りたそうな顔をしてた。
んで、オタベックはというと古い建物を見ては満足そうにしてたな。
俺は全然興味ねーけど、建物の造りとかレリーフとか見ては「すごい……」とかため息ついて、そんで終わり。
「撮ってインスタに載せねーの?」
思わずそう声をかけたら、それをたまたま聞いていた姉ちゃんの方が反応したんだ。
「オタベック、インスタグラムやっているの?」って興味津々って顔してた。
オタベックは戸惑ってるっつーか焦ってる感じだった。
「いや、その、やってはいるんだが滅多に更新はしていなくて……大したものも載せていないし」
見てもらうほどのものじゃないってすっげぇ謙遜する、そんなオタベックに姉ちゃんは「もったいない」って呆れ笑いしていた。
「大したものじゃなくてもいいじゃない。あなたが今何を見て何を感じているか、知りたい子はたくさんいると思う」
たくさんのあなたのファンがそれを楽しみにしているのよ、って。
笑って伝える姉ちゃんを、オタベックはなんつーかちょっと寂しげな顔で見下ろしていた。
たぶん、「貴女は楽しみにしてくれますか」って訊きたいんじゃねーの?
うだうだ思ってねーで訊きゃいいのによ。
しかたねーからまた俺が背中を押してやる(正確には蹴る)かって足を出そうとしたところで、彼の顔をあげさせたのはやっぱり姉ちゃんだった。
「私も知りたいわ。あなたがカザフで普段何を見ているのか」
なんてことのない写真でいい。
自分では見慣れすぎた街の風景でもいい。
その日食べたものでも、会った人でも、何もないのならその日の空でもいい。
あなたがそこにいるという事実が何よりも嬉しい便りなの。
姉ちゃんの言葉をオタベックは黙って聞いていた。
顔を赤らめるでもなく、照れて焦るでもなく。
そして静かに聞き入れ、彼女の言葉を自分の体に沁みこませた彼は、見たことないくらい穏やかな顔を見せた。
うっすらと笑ってるようにも見えた。
お前笑えんのかよって思わずツッコみたくなったけど、そこは空気を呼んでやめといた。
それから残りの観光の間、オタベックはただ見て満足するだけじゃなくて時折スマホをかざして写真を撮るようになった。
バルセロナの街の風景とか建築物とかが主だったけど、オタベックがスマホを構えたところでヴィクトルとカツ丼がおどけてピースなんかしてくるとちゃんとそれも撮ってやっていた。
ひとしきり街を見て回って、夕暮れ前にカタルーニャ広場に戻ってきて、夕飯をどこかで食べようってことになった。
ヴィクトルとカツ丼がいい店がないか探しに行って、オタベックは便所に行って、残った俺と姉ちゃんは広場の噴水がよく見えるベンチに座って一息ついていた。
「ユーラチカ、大丈夫?疲れてない?」
「あ?いーや、全然。俺より姉ちゃん疲れてねぇ?」
「大丈夫。ありがとね」
「悪かったな、突然誘って。明日ロシアに発つんだろ?今日はゆっくりしたかったんじゃねーの」
「そんなことない。誘ってもらえて嬉しかった。こんな有名なスケーターたちと一緒に観光できるなんて、最高の日になったけどファンの子たちに知られたらって思うとちょっと怖いかな」
「はは。だいじょーぶだろ。ちゃんと守ってくれる奴がいるしよ」
「それってユーラチカのこと?」
「え?あ、」
やべ。
ついつい口が緩くなっちまった。
まさかオタベックが全力で守ってくれるぜなんて言えねぇし。
どうやって誤魔化すかなと考えてたところで誰かがパンッと手を慣らした拍子に広場に群がっていた無数の鳩が飛び立ち、姉ちゃんの目はそっちにうつって事なきを得た。
スパシーバ、鳩。あと手ぇ鳴らしてくれたどっかの奴。
ホッとしていると、鳩がいなくなって静かになった広場を見下ろした姉ちゃんが「見て、ユーラチカ」と明るい声をあげた。
「羽根だらけ。なんだか天使が飛び立った後みたいじゃない?」
「そーか?」
「私ね、ユーラチカが演技し終えたばかりのリンクもたまにこう見えるときがあるの」
「姉ちゃん夢見すぎ」
「あら、いいじゃない。ユーラチカは私とお爺ちゃんの天使だもの」
「それ他で言うのやめろよな、恥ずかしいから……」
天使だとか妖精だとか、俺には似合わないっつーの。
どうせ言われるなら虎とか獅子に形容されたい。
落ちた羽根を写真に撮り始めた姉ちゃんを横目に、俺もスマホを出して他の奴らのインスタをチェックした。
ヴィクトルのはさっき飲んでたサングリアの写真でとまってる。
カツ丼のは露店で買って食ってたピンチョス。つーかこいつのインスタ食いもんばっかだな。
ピチットはコーチとサン・ジョセップ市場に行ったみたいで吊るされた豚肉とツーショット撮ってやがる。
クリスはまたホテルのプールか。裸撮るの好きだな、こいつ。
JJのはどうせフィアンセとのツーショットだから見る気になんねぇ。飛ばす。
んで最後に開いたのがオタベックのインスタなんだけど。
「え?んな、………はぁっ!?」
見た瞬間思わず叫んじまった。
だってあいつのインスタの最新記事に載せられた写真、俺と姉ちゃんがベンチに座ってだべってる光景なんだぜ。
更新時刻を見ると3分前。
どういうことだよ、まさか、って辺りを見回したら、案の定いやがった……。
俺たちから数メートルしか離れていないところにあいつは突っ立ていて、手にはお行儀よくスマホを構えているじゃねーか。
「おい!なに撮ってんだ、てめぇ」
「悪い。その、なんだか撮りたくなってな」
「やめろ、バカ。金取んぞ」
「ああ。払ってもいいが」
「お前、ホントにバカか……。冗談だっつーの」
冗談通じない堅物はこれだから困る。
俺は自分で撮ってあげるのはいいけど被写体にされんのはあんまり好きじゃねーんだよ。
それもこういう隠し撮りは特にな。
けどそんなの知らないオタベックは自分が撮ってあげた写真を見て嬉々としている。
あんまり表情には出てないけどな。
「見ろ、ユーリ。反響がすごいぞ」
そう言われて自分のスマホで確認すると、3分前にあげたばかりの記事にすでにいいねが1000近く押されてる。
考えなくてもわかる……ぜってーブスどもだよ。
俺はベンチにどっかりと腰をおろしオタベックに聞こえるように思い切り舌打ちしてやった。
「お前な……こんなんアップしたら俺が今どこにいるのかバレんだろーが」
「……!そうか……すまない」
オタベックは言われて気付いたとハッとし、事の重大さに反省し神妙な顔になった。
今頃気付いても遅いっつーの。
たぶん近場にいて場所が特定できた奴はもうこっちに向かってんじゃねーの。
のんびりしてたら見つかって写真撮影が始まっちまう。
早くここを離れねぇと。
俺は姉ちゃんに事情を話し、ヴィクトルとカツ丼を呼びに行ってもらった。
やってしまった……と落ち込み気味のオタベックの背中をバシンと叩き、俺は奴の前を歩きだす。
後ろから「本当にすまない……」と申し訳なさそうな声が聞こえ、首だけ向けて「いいから、とっととずらかるぞ」と足を促した。
ったく、インスタに写真載せろとは言ったけどよ、まさかこう来るとは予想外だったぜ。
俺は眉間に皺寄せてもう一度オタベックの記事を確認した。
俺と姉ちゃんの写真の下に『My friends with doves.(友人とハト)』とか書かれてる。
ハッシュタグは『#Barcelona』と『#myfriends』だってよ。
ふーん……マイフレンズ、ね。
なんか仕返ししてやりたくなって、俺はもう一度後ろを振り返るとあいつにスマホが見えるようにかざしハッシュタグの部分を指さしてニヤニヤ笑ってやった。
「これ、ホントは『#mysweetheart』って付けたかったんじゃねーの?」
「……っ、ユーリ!!」
「あっはっは!顔が赤いぜ、オタベック。ざまーみろ!」
期待通りの赤面が見られて無事復讐を完了させた俺は多少溜飲がおさまった。
もう後ろは向かなくて大丈夫だろ。
俺は前を向き軽い足取りで石畳を進んだ。
あいつに見えないようにスマホを隠してオタベックのインスタにこっそりいいねを送って上着のポケットに突っ込む。
一体いつになるのかはわかんねーけど、いつか本当にオタベックが姉ちゃんの写真をインスタにあげてさっきおちょくったハッシュタグを付けられる日が来たら。
そのときはソッコーで電話して「ぶわぁーか!!惚気てんじゃねーよ!!」って思いっ切り馬鹿にしてやろうと思った。
シーズンオフの4月を長谷津で過ごした俺は、5月を迎える前にロシアへ帰国しヤコフとリリアの元でシニア2年目のプランニングを始めた。
新しいプログラムの振り付けや曲決め、衣装、演技の構成、決めることはたくさんある。
普通は7月から始める体力作りも少し早めの6月中旬から始めることにした。
リリアが考える練習はかなりハードだけど、これぐらいの苦行を乗りこえねぇと表彰台の上にはあがれねぇ。
去年金メダルを獲れたのは奇跡だったなんて誰にも言わせねぇ。
6月末に今期のグランプリシリーズのアサインが発表されて気合いはますます高まった。
俺が出場するのは11月に行われる第3戦中国大会と第6戦ロシア大会。
カツ丼は第1戦のアメリカ大会と第4戦の日本大会に出場する。
オタベックの名前をアメリカ大会と中国大会に見つけた俺は思わず不敵な笑みがこぼれた。
あいつと中国で戦うことになるわけだ。
ダチとはいえぜってぇ負けねぇかんな。
サンクトペテルブルクの海を眺めながら走って走って、ときどき長谷津の海を思い出しては今頃すべてのスケーターたちも練習に打ち込んでるんだろうなって想像して自分を奮い立たせた。
俺を鼓舞したのは何もライバルたちへの競争心だけじゃねぇ。
去年はそれだけだったけど、今年は違う。
カザフにいる友達とは競争心の他にもいろんなものを送り合っている。
一緒にバルセロナ観光したあの日以降、オタベックのインスタ更新頻度はかなり上がった。
今どこで何をしているのかがわかって遠くにいるのに近くにいるような感じがしてちょっと安心する。
あいつの練習風景の写真とかが載っているのを見ると俺ももっと頑張らねぇとって気合いが入るし、膝に痛みを感じて今日は練習を中止にしたなんて書かれているのを見て時間を見つけて電話してやったりもした。
「インスタ見たぜ。大丈夫かよ」
『ああ、問題はない。医者に診せたら少し重めの筋肉痛だと言われた』
「そっか。ならまぁ大丈夫だな。ゆっくり休んどけよ」
『ありがとう。ユーリは優しいな』
「はぁ?全然優しくなんかねーだろ」
こうやってたまに電話とかメールでやりとりして、互いの近況を話したりした。
こういう相手がいるのって俺にとっては初めてのことですげー新鮮だったけど、なんか悪くはねぇな。
けど、ただひとつだけ、オタベックと連絡を取り合う中でイラっとすることがあるとすれば、これだな。
『……ユーリ……その、なんだ』
「あ?」
『彼女は……は元気か?』
「あ゛!?」
電話していて話題が尽きてくると、あいつは決まって姉ちゃんの近況を訊いてきた。
なんで俺に訊くんだよ!本人に訊けよ!
姉ちゃんのアドレス知ってんだろ!
そう言っても『いや、特に用もないのにメールするわけには……』とか言って一歩を踏み出さねぇんだ。
一度オタベックと電話しているときにたまたま近くに姉ちゃんがいて、あいつに黙って姉ちゃんと替わってやったことがあるんだけど。
隣で聞いていて、顔を見なくてもあいつが顔面真っ赤にしてるのが容易に想像できておかしくてしかたなかった。
けどそれ以来、あいつは俺と電話するとき最初に必ず『は近くにいないか?』って確認するようになっちまって、もうあの手は使えなくなった。
お前、そんなんでホントに姉ちゃんを落とす気あんのかよってため息つきたくなる。
まぁでも出会ってから半年以上経つけど、バルセロナで別れたあのときから、全然会えてもいねぇのにいまだに姉ちゃんへの気持ちが薄れてねぇっていうその想いの強さは買ってやりたい。
次に2人が顔を合わせるとしたら俺とオタベックが一緒に出場する中国大会か。
11月、だいぶ先だよな。
それまでに、せめて夏の間に1回ぐらい顔合わせられればいいんだけどな。
って、いつの間にか完全に2人を応援する側になっている自分に気付くのはしばらく経ってからのこと。
最初の頃に俺の中にあった、他の奴に姉ちゃんをとられるのは嫌だっていう気持ちは知らぬ間にすっかり薄れていたわけだ。
オタベック・アルティンなら。
いつしか俺の中にあったのは、あいつへの揺るぎない信頼と安心感。
姉ちゃんと、それからあいつのためになら、まぁ手を貸してやってもいいかなってそんなふうに素直に思えるようになっていた。
まぁ思うだけで俺のプライドがそれを口にすることはなかったけどな。
迎える8月。
ロシアに、カザフに、日本に、それぞれの夏がやってくる。
そして予期せず、少し前に俺が考えていたことが実現することになる。
夏の間に一度ぐらいは顔を合わせられたら、と思っていた2人が実に半年ぶりに再会する日が来た。
舞台はヴィクトルたちがいる日本。
灼熱の日本の夏、その熱気にあてられた2人に果たしてめざましい進展があったのかどうか。
それについては後編で語ることにするよ。
まぁそこそこ期待して待ってろよな。
じゃ、俺これから走りに行くから一旦切るぜ。
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