■10月2日 晴れ
モビーの航路が秋島の影響を強く受ける海域に入ったと航海士さんからの報告がなされたのはクルー全員が集まる朝食の席でのこと。
これからしばらくは天候も安定し、からっとした晴れの日が続くだろうとの予想だった。
昼間はそれなりに暖かいが、朝と夕は気温がグッと下がるので体調管理に気を付けるようにとのこと。
確かに、甲板で受ける風は少し乾いているけれど肌にまとわりつくような熱気も皮膚を刺すような冷気もなく、とても心地よい。
ただ、オプションとしてどこかもの寂しげで心に哀愁を感じずにはいられなくなるのは、これが人のぬくもりを恋しくさせる秋の風だからなのだろうか。
いや、きっと違う。
私の心がしょんぼりと下向きになってしまうのは、おそらくは秋風のせいではない。
結局のところ、どこまでも弱気な自分の性格が原因なのだ。
「ちゃん。どした? んなところで海なんか眺めて」
「サッチさん。いえ……、別に」
「そっか? 別にって感じの顔じゃねぇけどな」
船縁に頬杖をついてぼうっと海を眺めていたら通りかかったサッチさんに声をかけられた。
常と同じように笑顔で返したつもりだったが、マルコさんに負けず劣らず人の、特に女の子の心の機微に聡い彼には誤魔化しは通用しなかった。
「マルコの誕生日プレゼント、無事見つけられたんだろ? 他にもまだ何か問題でもあるのかい?」
びっくりした。
心を読まれたのかと両眼を見開いて彼を見つめてしまった。
「ん? そのことで悩んでるんじゃねぇのか?」と首を傾げられ、私は「正解です」と観念した笑みで彼の言葉を肯定する。
そして話を聞いてくれるというサッチさんに、マルコさんへのプレゼントは一応見繕ってはみたけれど喜んでもらえるか全然自信がないことを話した。
「渡さないでおこうかな……なんて。正直考えていたりもします」
「せっかく用意したのに? そりゃもったいねぇよ」
「そうですよね……。そう、なんですけど……でも」
なかなかどうして、「よし、これでいこう!」と心が割り切れない。
本当にこれでよかったのか、喜んでもらえないのではないか、いらないと思われるかもしれない、とうだうだとマイナスに考え込んでしまう。
自分と違って他のクルーはマルコさんと長いこと生活を共にしているので、きっと彼に見合った品を用意しているはずだ。
だから尚更、自分が選んだプレゼントは彼の嗜好外のものかもという負の可能性を感じてしまい不安が大きくなるのだ。
「もう……ぐだぐだ悩みすぎですよね」
「はは。否定はできねぇなぁ」
「自分でも呆れ果てます。嗤ってください」
「嗤わねぇよ。そんだけちゃんがマルコに対して真剣だってことだろ」
「何よりの愛の証明じゃねぇか」とサッチさんは白い歯を見せて笑顔で励ましてくれる。
サッチさんの笑顔を見ているだけで心の中の靄が少し薄くなる。
他人と壁を作らず、落ち込み悩む者には誰よりも先に声をかけ手を差し伸べる彼に、私もここに来てから何度救われたことだろう。
ありがとうございます、と私も笑顔で返し彼に感謝の意を伝えた。
その日の夕方のことだ、甲板の中心に各隊の隊長さんたちが集まる事案が発生したのは。
15人の隊長さんたちの中央に立つマルコさんはひどく深刻な面持ちで状況をみんなに伝えていた。
黒電伝虫によりキャッチした情報はこうだ。
先月傘下に加わったばかりの新入りの海賊団が、もう既に白ひげの縄張り内で悪さをして島民を困らせているとのこと。
彼らはマルコさんが単独で説得に向かい、話をつけてきた海賊団だ。
責任を感じたマルコさんは「引き入れたのは俺だ。もう一度行って話をつけてくるよい」と再びの説得に向かう決意を固めていた。
イゾウさんが「今度は隊を率いて行った方がいいんじゃないか?」と提案したが、彼は「親父の許可は貰ってる。俺一人で十分だ」と余裕の笑みを浮かべて譲らない。
「仏の顔も3度までって言うだろい。あと1度ぐれぇはチャンス与えてやろうじゃねぇか」
「ははっ、誰が仏だよ。俺たちゃ泣く子も黙る白ひげ海賊団。悪名高い海賊だぜ」
サッチさんが「気を付けろよ」とグッと握りしめた拳をマルコさんの方に突き出し、彼もまたそこに拳をぶつけ「親父とモビーを頼むよい」と自分が帰る場所を仲間に託し、場を解散させた。
出発の準備のために一度部屋に戻り腕にログポースを着けて再び甲板に現れた彼のもとへ私は駆け寄った。
「もう行かれるんですね」
「おぅ。行くんなら急いで行って、んでとっとと帰ってこいってサッチたちに言われちまったからねぃ」
マルコさんはやれやれと首の後ろをさすりながらため息を漏らす。
「主役なしでも誕生日パーティーはやるってよ」
「え?」
「てめぇのために買った高い酒全部飲み干してやるって。あいつら冗談抜きに本気でやるからねぃ」
「何が何でも明後日までに帰ってこねぇとな」とマルコさんは複雑ながらもどこか嬉しそうな顔で笑って言う。
いくつになっても、たとえ荒くれ者たちの集まりであろうとも、自分の生まれた日を仲間が祝ってくれるということは幸せ以外の何ものでもないのだろう。
私にとっては初めてお祝いするマルコさんの誕生日だ。
これから大変な状況を収めに行くとわかってはいるけれど、できることなら私も彼に早く帰ってきてほしいと願った。
「ご武運を。お早いお帰りをお待ちしています」
「おぅ。パパッと済ませてすぐに帰ってくるよい」
笑顔の彼が近付いてきて、私の額に軽く触れるだけのキスを落とす。
「じゃあな」と背を向けた彼の服の端を私は思わず掴んでいた。
どうしてかはわからないけれど、離れるのがひどく惜しいと感じた。
急いで出発しようとする彼に申し訳ないとは思ったけれど、どうしても、あと少しだけ彼がくれる熱が欲しかった。
そらすことなく真っ直ぐ見つめれば、彼は私が何を欲しているのかすぐに理解してくれた。
片方の眉だけ下げた困った笑顔を浮かべて再び私の方へ顔を近づけてくれる。
今度はちゃんと唇にキスが落とされ、ゆっくりと離れた彼は私の耳元で幼い子どもをなだめるように優しく囁いた。
「すぐに帰ってくる。いい子で待ってな」
「……、はい」
いってらっしゃい。
お気をつけて。
青い炎を纏った鳥の姿に変わり、音もなく甲板から足を離し空へと飛び立っていく彼の背を見送る。
橙色の夕焼け空の中、どんどん遠ざかっていく青を私はその姿が見えなくなるまでずっと眺めていた。
ふと視線を感じてくるりと振り返るとサッチさんとイゾウさんがいて、2人ともよくマルコさんをからかうときにするようなニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「あの……?」
「いやぁ、お熱いこってお二人さん。はは、まるで新婚夫婦だねぇ」
「……っ、サッチさん、なに言って」
「俺も同意見だな。長旅に出かける亭主を見送る新妻って感じだったぞ、」
「イゾウさんまで……、もう」
まさかずっと見られていただなんて。
恥ずかしさが込み上げてきて耳や頬に急速に熱が集まりだす。
「お前のために、マルコはきっと早く帰ってくるさ」とイゾウさんに追撃され、私はみっともなく緩んだ顔を隠すために上着のフードを目深にかぶりくるりと彼らに背を向けた。
頬を撫でる夕暮れ時の秋風はひやりとしていて熱を持った今の私にはちょうどよいぐらいだった。
■10月4日 晴れ
マルコさんがモビーを発ってから1日半以上が経過していた。
モビーのメイン電伝虫に彼から「無事新入りの海賊団を制圧した」との連絡が入り、クルーたちからのもう何度目かもわからない彼を賞賛する声があがったのは昼頃のこと。
『あいつらには後日親父のところに直接詫びをいれに来るよう話をつけた。帰ってから俺も報告するが、先に親父にも話しておいてくれよい』
彼の代わりに指揮を執るジョズさんにそう伝えると、マルコさんは『今からかっ飛ばして帰る。陽が落ちる前には着くだろうよい』と言って通話を切った。
その宣言通り、連絡から5時間弱後、彼はここを発ったときと同じく夕暮れ時にモビーに帰還した。
ほぼ丸2日間、ほとんど休憩なしに動き回っていたせいで甲板に降り立った彼は誰の目にも明らかなほど全身に疲労の色が濃く出ていた。
それでもすぐに父様に報告しに向かい、それが終わるとフラフラとした足取りで湯を浴びに行き、部屋に着くと限界だというようにベッドにうつ伏せに倒れこんでしまった。
心配で様子を見に行った私は今にも糸が切れそうな彼に抱き枕役を要求された。
けれど、今晩はこれから見張り当番があるので申し訳ないけれど「ごめんなさい」と伝えるほかなかった。
ベッドに沈んだままあからさまにがっかりしたオーラを滲ませた彼は、だがそのあとすぐに代替案を私に提示した。
「あー……んじゃあ、あれ。いつかナースらと買ってきたあの香水。あれ貸してくれよい」
一滴で構わないから枕かシーツに垂らしてほしいとの要望だった。
あの香りを私の代わりとして今夜はゆっくりと眠りたいと、そういうことらしい。
お疲れの彼のご要望にお応えして、すぐに自室から香水の瓶をとってくると彼の枕に控えめにひとふき噴きかけた。
バニラに似た甘い香りがすぐに枕元に広がる。
するとまるでそれに催眠効果でもあるかのように、マルコさんは枕を抱きしめて10秒も経たないうちに寝息を立て始めた。
眠る横顔を覗きこむと目の下にはうっすらと隈が浮かんでいて、少し開いた唇は乾燥してひび割れそうになっているのが見て取れた。
そばにいてほしいと望まれたのに、そうしてあげられないことに申し訳なさが募る。
ごめんなさい、そばにいてあげられなくて。
「無事に帰ってきてくれて、ありがとうございます」
おやすみなさい、マルコさん。
明日はいっぱいお祝いさせてください。
起こさないように小さな声で呟きかけ、ベッドの足元で折りたたまれたブランケットを彼の体にそっと掛ける。
床板を軋ませないようにゆっくりと離れ、静かに扉を閉めて私は部屋を後にした。
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長らくお付き合いいただきありがとうございました。
次で終わりです。
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