衰え知らずの海賊たちの宴。
それは真夜中を過ぎても続き、男たちは肩を抱き合って大笑いしながら酒をあおり続けていた。
まるで自分がこの船に来た日の歓迎会と同じだなと思いながら、本日の主役であるはグラスを傾ける。
マルコには飲みすぎるなと言われたが自分の入団を祝い注いでくれる酒を断ることはできない。
隣に座るマルコが渋い顔をしているのを知りながら、は注がれる酒をすべて飲み干していた。
だがそれもそろそろ限界が近い。
(う……、もう無理。これ以上は……)
お腹はいっぱいだし、酔いすぎて頭がクラクラする。
さすがにこれ以上飲んだらまずいと感じ、は一度離席しようと決意する。
横に座るマルコに「すみません、ちょっと」と告げ、グラスを置いて立ち上がった。
「ごめんなさい。少しだけ抜けさせてください」
「おぅ。大丈夫かよい」
「はい。あっちで風にあたってきますね。すぐ戻ってきますから、マルコさんは飲んでいてください」
そう言ってはその場を離れ船尾側に回った。
ひとりで休める静かな場所を求めてふらふらと彷徨い歩く。
船の裏側は照明のほとんどが落とされ、暗く、そして静かでをホッとさせた。
倉庫にしまい忘れたらしい積み荷の木箱を見つけ、そこに腰掛けて後ろの壁板に背を預けた。
酒宴の騒がしい声が遠くに聞こえる。
喧噪から離れられたことで彼女の気も少し休められた。
短い髪が夜の風にふわりと揺れる。
はゆっくりと目を閉じて心地よいそれを肌に感じていた。
(気持ちいい……、寝ちゃいそう)
他所の海賊団の手前、粗相がないようにと張り詰めていた気を緩めれば途端に睡魔が襲ってきた。
いけないとは思いながらもついうとうとしてしまう。
意識の半分ほどが夢の中に入り始めたときだった。
「宴の主役がこんなところで一人酒か?」
聞こえてきたのは耳の奥まで通る、低くて心地よい男の声。
自分に向けられた言葉であることは理解できたが、眠りの世界に片足を突っ込んだままのはすぐに返事を返すことができなかった。
閉じないように必死に押しとどめた目でやってきた男を見上げる。
船壁に取り付けられた薄暗いランプが男の顔を浮かび上がらせる。
暗闇でもわかる燃えるように赤い髪、それから人懐こい笑顔。
は赤髪の船長になんとも眠そうな笑顔を向けて答えた。
「小休止中です。ちょっと飲み過ぎてしまいまして、酔いを醒ましていました」
「そうか。なら、これは余計だったかな」
「……?」
眠い瞼を押し上げて見れば、シャンクスの右手には酒が入っていると思われるひょうたんと平たい杯が2枚。
赤髪海賊団の大頭が直々に、わざわざ自分のところへ挨拶に来てくれた。
察するやは笑みを浮かべて「頂戴します」と杯のひとつを受け取った。
木箱の前に胡坐をかいたシャンクスを見て自分も同じようにしようと腰を上げれば、彼に「そのままでいい」と手で制されは再び積み荷に腰をつけることに。
シャンクスは酒を注いだ杯のひとつを彼女に渡しながら「今日はお嬢さんが上座だ」と笑う。
「白ひげ海賊団に加わった新たな娘に。乾杯」
「乾杯」
カチンと陶器の杯同士がぶつかる音が2人きりのささやかな宴の開始を告げる。
は注がれた透明な液体を喉に流す。
酔い醒ましに来たのにまた飲んでしまった。
明日は二日酔い確実だなと覚悟していた彼女は、だが喉を滑り落ちる酒の美味さに思わず目を丸くする。
「なにこれ……、おいしい」
「はは! そいつは良かった」
自然と零れたという感じのの感想にシャンクスは嬉しそうに笑い、自分の杯に手酌で酒を注ぎ足した。
「俺の故郷の酒なんだ。今まで飲んだ中で一番の味だ」
「赤髪さんの故郷って確か、西の海(ウェストブルー)でしたっけ?」
記憶の中に微かに残る手配書のデータを手繰り寄せ、は彼に問う。
彼女がそれを知っていてくれたことにシャンクスは心底嬉しそうに笑みを深くした。
赤髪と二つ名で呼ぶ彼女に「シャンクスで構わない」と気さくに告げる。
「いいところだ。もう何年も帰ってないがな」
そう言ってシャンクスは目を閉じて笑み、杯を傾ける。
故郷の酒、その一滴一滴を愛おしそうに舐める姿には思わず自分の方が郷愁にかられた。
「恋しい、と思うときはありませんか」
「恋しい? 故郷がか」
「はい」
「恋しい、か……。そうだな、ふと思い出すときはあるさ。自分が生まれ育った土地だからな」
「そう、ですよね」
「あぁ。だが、帰りたいとは思わない」
「そ、れはどうして……。故郷に何か嫌な思い出でも?」
「いや、そういうわけではないさ。ただ今ある、海の上での気ままな海賊暮らしが気に入っているから、なんだろうな。気の良い仲間ばかりで毎日が面白い。現状に十分満足している。だから特別故郷に帰りたいとも思わない」
「なるほど……」
「そういうことを訊いてくるってことは、自分はそうなのか。」
「え? 私、ですか……」
「あぁ。故郷が恋しいと、海軍本部に帰りたいと思うときがあるのか?」
シャンクスに問い返され、はしばし無言で考えこむ。
そしてモビーに乗ってから今日までの自分の気持ちを振り返って言葉にした。
「帰りたいと思ったことはありませんが。……でも」
「でも?」
「少し前までは無意識に懐古していたことはあったみたいです」
「あったみたい、とはまたハッキリしない物言いだな」
「その、自分ではわからなかったんですが、どうやら寝言で親しかった海兵さんの名前を呼んでいたみたいで。自分がそんなことをしていただなんて、マルコさんに指摘されるまでまったく気付きませんでした」
「ほう……、マルコにねぇ」
「こんな年になってホームシックなんてお恥ずかしい限りです。でも……、うん、今はもう大丈夫です」
「大丈夫……だと思います」と答える言葉はやや自信なさげだが、がシャンクスに向ける笑みにはどこか力強さが感じられた。
「私はここを、この船を、自分の帰る場所にしたいと思っています」
夢にまで見てしまう懐かしい場所は、確かにある。
けれど今はここが自分の真の生き場所、そう思いたいとは願っていた。
穏やかに、けれど決意ある表情で気持ちを吐露するをシャンクスはじっと見つめる。
白ひげから彼女の話は聞いていたが、こうして間近で接すると確かに興味深い娘だと改めて思った。
「白ひげから聞いた。お前、白ひげとこの船を守るために自分も戦うと宣言したらしいな」
「え? あ、はい。そうですね、言いました」
「本気なのか? 本来守られるべき存在のお前が、わざわざ自分から戦いの場に足を踏み入れるなんて」
唐突に話題は切り替わり、シャンクスはそれまでの笑顔を真剣な表情に変えてを見つめた。
一気に雰囲気を変えた彼の態度に合わせ、も緩んでいた口元を引き締める。
「、お前はカリプソだ。この世に2人と存在しない、唯一無二の海の女神なんだぞ」
「……」
カリプソ、その名で呼ばれるのは一体いつぶりだろうか。
は真剣な雰囲気も一瞬忘れて懐かしさを覚えてしまった。
だがそれはすぐに彼の責めるような声に引き戻される。
「わかっているのか」
「……はい。よくわかっています」
シャンクスが何を心配して苦言を呈しているのか、理解できない彼女ではない。
の体には海の女神の血が流れている。
それはこの広い海に平穏をもたらす絶対的な存在だ。
「戦いの場に出て、お前に万が一のことがあったらこの海は……。考えたことがないわけじゃないだろう」
「……はい」
わかっている。
女神の死は、海の平穏の終わりを意味する。
女神が消えたこの海がどんなふうに荒れ狂うのか、それは誰にも想像できないが、おそらくはもう人は海の上では生きてはいけなくなる。
だから女神に選ばれた船のクルーは彼女が呼び寄せてくれる幸運の引き換えに全力で彼女を守ろうとする。
事実、オーロジャクソン号を拠り所に選んだの母親もロジャーをはじめレイリーやシャンクスたちに守られて生きていた。
女神は守護されるべき存在、女神に戦うための武器など不要。
何もせず、船に乗っていてくれさえすればそれでいい。
それは自身も海軍にいたときから何度も言われ続けてきたことだった。
「わかっています」
ただ船に乗って守られていろ。
そう言われるたびにはいつも心を殺して困ったような顔で笑って誤魔化してきた。
だが、今はもう違うのだ。
運命に縛られた自由のない生き方を変えたくてマルコの手を取り海軍を飛び出してきた。
の顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
それは柔らかく、けれどどこか力強い、夜の凪いだ海のような微笑みだった。
「自分が何者であるか、よくわかっています。でも私は自分の意志を曲げるつもりはありません」
「……危険を承知で、それでも戦うというのか。お前が思っているほどこの海は甘くはないぞ」
「理解しています。それでも、私を娘に迎えてくれた父様やみんなのためにも……、私は戦いたい」
守られるだけの存在になんてなりたくない、自分も皆を守りたい、と。
は決意に満ちた笑みでシャンクスに宣言する。
「ご心配いただきありがとうございます。でも、大丈夫です。私はそう簡単には死にません」
「ほう。それはまた随分と自信満々だな」
「はい。だって私、この船で父様の次に強いですから」
「は?」
さすがのシャンクスもその言葉には絶句してしまった。
冗談なのか、ただの強がりなのか、それとも本気なのか。
不死鳥マルコに花剣のビスタ、火拳のエースと猛者揃いの白ひげ海賊団で堂々とNo.2を名乗ってみせるとは、なんとも豪気、そして怖いもの知らず。
思いがけない彼女の強気な面を見たシャンクスはふと思う、誰かに似ているな、と。
脳裏をよぎったのはもう10年以上前のこと、かつて彼が立ち寄った村で「海賊王になってみせる!」と豪語した幼い少年の姿だった。
と少年。
外見も性格もまるで違うというのに、2人はどうにもシャンクスの興味を強く掻きたてる。
小さく揺れ出したシャンクスの肩は次第に大きくなり、終いには彼は声をあげて笑い始めた。
「くく……っ、だっはっは! いや、こりゃまいった」
「シャンクスさん?」
突然大笑いされ、何かおかしいことを言っただろうかとは首をかしげる。
シャンクスは胡座をかいた膝をパンッと鋭く叩くと、笑いの余韻で肩を揺らしながらを見上げた。
「あの……?」
「気に入った。お嬢さん、あんた想像以上におもしろい娘だな」
「はぁ……、そうですかね?」
「あぁ。それに」
シャンクスは口角を上げてニッと笑うと顎に手を置き、下から覗きこむように彼女と視線を合わせてきた。
まるで肉食獣が遠くにいる獲物に狙いを定めたかのような鋭い眼差し。
その視線には完全に捕まってしまう。
目をそらせない、覇気を使われているわけでもないのに身動きがとれない。
ただ不思議と彼の視線には恐怖も不快感も感じない。
その眼差しはただただ力強く、そして熱い。
誰かの眼差しに似ていると思いながら、はそらすことなく彼の目を見返し続けた。
「いい女だ」
「あの……、シャンクスさん?」
「俺好みで、思わず欲しくなる」
「何を……、……ぁっ」
油断した。
それは本当に一瞬のことだった。
気付いたときにはもうは彼に左手を掴まれ、上向かせられた手のひらに笑って弧を描いた彼の唇を押しつけられていた。
sequel 12 : てのひらは懇願
男の人の唇とは思えないほど柔らかく、そして燃えるように熱いその感触にの胸がどくりと跳ねる。
彼女の耳がうっすらと赤く染まるのを見て、シャンクスは笑みを深くしながらゆっくりと手のひらから唇を離した。
「失礼、戯れが過ぎた。少々飲み過ぎたかな」
「そう、みたいですね……」
「そういえば酔い醒ましに来たんだったな。付き合わせてしまって悪かった」
「いえ……」
口では謝罪しながらも彼の態度に悪びれた様子はない。
その証拠に彼の視線はの瞳を、その武骨な手は彼女の手首を捉えたまま解放してやろうという素振りを見せない。
そらすことを許してくれない熱い眼差しに捕らえられ、自分の中の欲を読まれているような気がしては落ち着けずにいた。
(どうしよう……、……まずい)
彼女の中に黄色のランプが点滅する。
酒は彼女の意志に関係なく彼女の理性を緩めてしまう。
シャンクスに口付けられた左の手のひら、そこで生まれた熱が体中に回っていくのをは嫌でも感じていた。
「どうした?」
「あ……、いえ……」
意味のある熱い視線と薄い笑みに見上げられ、の体が反応する。
無意識に眉尻は下がり、熱っぽい目は彼から視線をそらし、何か言いたげな唇は緩く引き結ばれてしまう。
それは彼女の意図するところではなく、理性が本能に蝕まれた末の生理的事象。
酔った彼女は自然と男を誘惑してしまう。
それが四皇の一端を担う大頭であろうと例外なく、予想だにせず見せられた彼女の艶めいた姿にシャンクスの唇は弧を描く。
「そういう顔を、男と2人きりのときにするのはどうかと思うぞ」
「……」
「なぁ、」
「……っ、……」
色を含んだ声で名を呼ばれ、彼女の目元が酒の熱とは違う朱に染まる。
男は掴んでいた彼女の手首を少し強めに引き寄せた。
それは彼女の力をもってすれば容易に食い止められる、その程度の力加減。
けれど彼女の中に巣食う悪い虫が顔を出す。
抵抗する意思をあっさりと手放した彼女の体は彼が引き寄せるその力に身を委ねてしまう。
(ダメ……また、マルコさんに……叱られる)
ここからは見えるはずもない甲板、そこにいるであろう彼の方へ。
は一瞬意識を向けるも、だがすぐにそれは自分の左手を掴む男の方へと向いてしまう。
引き寄せられるがまま、積み荷に腰掛けた彼女の上半身は床に座す彼の方へとくらりと傾いていった。
←
□
→
前話で白ひげに「手ぇ出すなよ」と釘を刺されたのにあっさり釘引っこ抜いて手出してるお頭の回でした。
手のひらへのキスは「懇願」という意味があるそうです。
彼が欲しくなってしまったのは女神の力か、はたまた彼女自身か。
海賊はみな等しく、シャンクスさんにも強欲であってほしいです。
2018/07/25 加筆修正
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