───目の届かないところで見知らぬ男に簡単に身を預けちまわないようにな。
(……くそ)
酒場でジークに浴びせられた一言がいつまで経ってもマルコの頭から離れない。
くだらない戯言だと思って忘れようとしても彼の言葉は何かの拍子に蘇ってきてマルコを悩ませていた。
「あはは! エースさん、落ちますって。危ない危ない」
「はん! 俺を甘く見んじゃねぇって。こんぐれぇなんてことは……っと、うおぉっ!?」
賑やかな声があがる夜の甲板。
エース率いる2番隊のクルーたちがを囲んで酒盛りをしていた。
酔ったエースが余興だとばかりに船縁の手すりの上をまるで綱渡りか何かのように両手を広げて歩いている。
海に落ちたら泳げもしないのに、周りの仲間たちも皆酔っていてとめるどころか手を叩いて盛り上げる始末。
「うぉっ、……お、おっ!? あ、やべ……――っ!!」
「あ、落ちるっ!」
「え? あっ! エース隊長っ!!」
言わんこっちゃない、酩酊状態でそんなことをしている方が悪い。
ぐらりとバランスを崩したエースの体はあろうことか海側の方へと傾いてしまった。
手すりから真下の海までかなりの高さがある。
ドボーンッ!!!と盛大な水飛沫があがると誰もが予想する中、だが寸でのところで彼を救う手が伸びそれは防がれた。
が驚きの反射速度で動き、海を背に倒れそうになっていたエースの両腕を掴んで甲板側に引き寄せたのだ。
「よいしょ、っとぉ!」
「おっ、わ!!」
引っ張られたエースはの上に覆い被さる形でどさりと甲板の上に倒れ込む。
周りの隊員たちは「ちゃん、よくやった!」と彼女の好プレーを笑顔で称えた。
「いってて……。いやぁ、悪ぃ悪ぃ。サンキューな、」
「っふぅ……、どういたしまして。間一髪でしたね」
エースはむくりと体を起こすと下敷きにしてしまった命の恩人に手を差し伸べた。
だがアクシデントは続くもので、運悪く足下に転がっていた空き瓶を踏んづけてしまったエースは再び足を滑らせ彼女の上に覆いかぶさる形に。
「ぶっ!」というエースの潰れた声と「わっ!」というの驚きの声があがったのはほぼ同時。
エースはの胸に顔を埋める形で倒れ込み、顔面を床にぶつけるという危機は回避。
だがその代償に彼は隊員全員からブーブーと一斉に非難されることになった。
「あー!! ずりぃ、エース隊長!!」
「は俺らの妹っすよ、抜け駆けはダメですぜ!」
「抜け駆け以前にこんなとこマルコ隊長に見られたらエース隊長大変ですって」
「そっすね。早く起きたらどうです? いつまでうら若き乙女のおっぱい堪能する気すか」
「うっせぇな、わかってるって! わざとじゃねぇ! ……くそっ、悪ぃな。怪我してねぇか?」
エースの顔は酒の酔いとはまた違う種の赤みを帯びている。
みっともない真似をして彼女にも恥をかかせてしまったことを悔いているのだろう。
白ひげの2番隊隊長は鈍感なようで意外と純情だった。
赤い顔をぺこぺこと下げて謝罪するエースには笑顔を向け、「不可抗力ですから」と彼の失態を簡単に許す。
そして彼女は自らエースに杯を渡すと酒をつぎ、とまってしまった宴を再開させて気まずい雰囲気を取り去る気遣いを見せた。
*
2番隊が宴会を繰り広げる甲板より少し離れたデッキの上。
手すりに寄りかかり、彼らの様子を見守る2人の男がいた。
いつものことながらマルコとサッチが、今日は揃って煙草をふかしながらエースののどたばたを眺めていた。
サッチは口に咥えた煙草をぷらぷらと揺らしながら、恐る恐るというように隣の男の顔を横目で窺う。
(エースのアホめ……。知らねぇぞ、後でどうなっても)
の胸に顔面ダイブなんて決めてただで済むわけがない。
被害者である彼女は笑って許してくれたようだが、さて隣の男はどうだろうか。
不死鳥の怒りは頂点に達してはいないか、とサッチは気が気ではなかった。
「あー……その、マルコさん?」
「あ?」
「……? あれ……、お前」
「なんだよい」
(……おんやぁ?)
これは一体どうしたことか、声をかけてみれば返ってきたマルコの声はあまりにも普通で平静そのもの。
エースを八つ裂きにする気満々でいるのだろうと思っていたから、あまりの静かさにサッチは拍子抜けしてしまった。
「怒ってねぇの? エースのこと」
事故とはいえ愛しい彼女の胸に顔を埋めた男に怒りはないのだろうか。
サッチが問うとマルコは「イラっとはした」と答えて、フゥと紫煙を吐きだした。
けれど、それだけ。
いつものように眉間にこれでもかと皺を寄せた渋い顔で「あんの野郎……っ!」とあからさまに嫉妬心を見せることもしない。
「ったく、エースめ。後でげんこつの一発でも食らわせてやろうかねぃ」
(マルコ……?)
口では報復するようなことを言いながら、しかし彼はやはりいつもとは違いだいぶ穏やかだった。
常と違う悪友の態度にサッチは違和感を感じずにはいられない。
何かあったのだろうかと勘繰っていれば、まるで心配する彼の心を読んだかのようにマルコの方が話を切り出してきた。
「なぁ、サッチ」
「んぁ? おう、どうしたよ」
「お前から見て俺は、を大切に想ってるように見えるかい」
「へ?」
突然何を言うのかと思えば。
問われた内容はあまりにも真面目な恋愛相談で、本当に一体どうしてしまったのかとサッチはまじまじとマルコの横顔を見つめてしまう。
薄暗闇の中、離れた場所にいる彼女を見つめる彼の顔はどこか寂しげだった。
2人の間に何があったのかは知らないが、サッチはマルコの問いに「何を今更」と肩を揺らして答える。
「大切どころか、ちゃんを独占したいって欲望剥き出しで接してんじゃねぇか」
「そう見えるだろうよねぃ」
「なんだよ、いきなり」
「……」
「マルコ?」
「……、もうひとつ訊いていいか」
「……? おう、構わねぇよ」
「……。は……」
彼女の名前を出したところでマルコは一度口を噤む。
そして、まるで胸の中に溜めた不安を吐露するように紫煙をゆっくりと吐き出した。
「あいつは……の方は、俺を好いてるように見えるかい」
「お前……、何を」
「俺に気を遣わなくていい。サッチ、お前ぇの見たままの見解を聞かせてくれよい」
マルコは目を細め、愛おしむように遠くのを見つめている。
その横顔が幸せそうなものならサッチもからかってやろうと思ったが、そんな悪戯心はすぐに萎んだ。
彼女を見つめるマルコの瞳は愁いを帯びていて、そこには彼が抱く不安と寂しさがハッキリと現れていたからだ。
マルコと。
よく一緒にいる姿を見かけるし、寄り添って笑い合う2人は傍から見れば仲睦まじい恋人同士そのものだ。
だがそれは2人の関係の表面しか見えていない者の見解に過ぎない。
(そりゃそうだよな……、本人が気付かないわけがねぇか)
がこの船に来た日から2人の様子を何気なく観察していたサッチだから気付けたこと。
仲睦まじく見える2人の深層部分は果たして円満かと問われれば。
「そうだな……、ちゃんは」
夜の海風が白い煙を空高く舞い上げていく。
サッチは視線を彼女へ、それから燃ゆる煙草の先へ、そして夜空へと移すと隠すことなく正直に思うところをマルコに告げた。
彼の中の寂寞の想いを大きくするとわかってはいたが、今ここで嘘をつかないことこそが長年の付き合いである友への信頼であり礼儀であると疑わず。
(恋に試練はつきものだ。頑張れよ、マルコ)
サッチは、おそらくはマルコ自身が予想していた通りの回答を、今の彼には少々酷な現実を彼につきつけた。
sequel 10 : 珍客万来
数日後、それはよく晴れた日のことだった。
高いマストの上で見張りをしていたベンノが突然大声をあげ、モビー全体に警鐘を鳴らした。
「親父! 赤髪の船です……っ!!」
春島が近い陽気な風が吹く中、その日モビーディックにやってきたのは誰もが予想だにしていなかった豪華な珍客。
近付いてくる海賊船の一番上で風に揺れているのは左目に3本傷がある髑髏が描かれた海賊旗。
船首に龍を携えたその船の名はレッド・フォース号。
かの大海賊、四皇の一角を担う赤髪が率いる陽気で豪快な海賊団が遠い海から遥々モビーのもとへとやってきたのだった。
「赤髪だぁ? 何しに来やがった、ハナタレ小僧が」
甲板の大椅子に腰掛けた白ひげは片眉を盛大にあげてグララと唸る。
周りではヴィヴィアンを筆頭にナースたちが彼の血圧を測ったり点滴を打ったりと健康管理に従事中。
白ひげの左右には1番隊と2番隊の長、マルコとエースが並んで仁王立ちし守護を固める。
程なくして相手船から電伝虫を通じて連絡が入り、乗船許可を求めている旨をジョズが伝えに来た。
「ふざけてんのか、こんな見えるところまで来てから連絡入れてくるたぁ。馬鹿野郎にも程がある」
白ひげは「小僧が、どんどんロジャーに似てきやがる」と懐かしい者の名を出し、苦々しげに口元をへの字に曲げる。
隣に立つエースが聞きたくもない名だという不機嫌な顔になったことに気付かない彼ではない。
白ひげは大きな手で息子の頭をぐしゃぐしゃと撫でるとニッと笑って一言、「どうした、エース」と彼の心情に気付いた上で気付かぬふりをわざとする。
慰められたことを察したエースは父親の手の下で「どうもしねぇよ……」と照れ隠しに唇を尖らせた。
「来ちまったもんはしょうがねぇ。追い返すのも面倒だ。いいぜ、許可してやる」
白ひげの回答は再び電伝虫でレッド・フォースへと届けられた。
そして許可を与えられてモビーの隣に横付けされた船から降り立ったのは右肩に大きな酒樽を担いだ隻腕の男。
海賊旗と同じく三本傷を左目に走らせたその男は炎のような色の髪を二つ名に、人々からこう呼ばれている───四皇『赤髪のシャンクス』と。
「頼んでもいねぇ酒を、それも連絡もなしに持ってくるたぁ。一体どういう風の吹き回しだ、小僧」
覇王色の覇気をほとばしらせながらモビーに上がってきた客人に、白ひげはグラララと喉を鳴らして笑いながら威嚇する。
かつて海賊王と互角に戦った男を前にシャンクスはまったく臆することなくニッと唇を押し上げて笑い返した。
「思いがけずいい酒が手に入ってね。酒豪のあんたにも飲んでもらいたいと思ったんだ」
「それでわざわざ海をまたいで持ってきたって? グララララ。おもしれぇことを言いやがる」
笑いながら、まさかそれだけの理由で来たわけではあるまい、と白ひげは若き大頭の腹の内を見抜き髭の下の口を吊り上げる。
するとシャンクスはあっさりと覇気をしまい、今度は白い歯を見せてまるで少年のような笑みを浮かべて本来の目的を告げた。
「風の便りに白ひげ海賊団に可愛い娘が加わったって聞いてな。これはその祝い酒だ」
「暇人だな。他所の新入りを見にわざわざグランドラインを逆走してくるような馬鹿はてめぇぐらいだ」
「クルーもよくこんな頭についてくるな」と呆れる白ひげに彼は「もう全員とうに諦めてる」と大口開けて笑う。
そして肩に担いでいた酒樽をどすんと床に降ろすと彼は両手を広げて酒宴の開催を申し出た。
「酒は腐るほどある。顔なじみのよしみだ。赤髪海賊団、新入りのお嬢さんの祝賀会などをさせてもらいたいんだが、どうだろう」
「何がどうだろうだ。まったく、相変わらず勝手な野郎だ」
白ひげは彼を見下ろし、フンッと鼻息荒く口をへの字に曲げる。
シャンクスの自由奔放な言動は嫌でも今は亡き旧い友人を思い起こさせる。
それは苦く、懐かしく、彼が胸の中にだけしまったいろいろな想いを呼び起こす。
古い思い出に浸るのは嫌いではないが、そのきっかけをくれるのが目の前の若造であること、ただそれだけが大海賊である彼の眉間に皺を寄せる要因なのだった。
「うちの息子どもは酒豪揃いだぜ。お前ぇの船に積める程度の量なんざ、あっという間に飲み尽くしちまうだろうよ」
皮肉を込めて敵船を揶揄し、「それでもいいんなら好きにしやがれ」と最後には相手を受け入れる。
それが大海賊白ひげの歓迎の仕方だった。
シャンクスは再び少年のように笑って「そう言うと思ってな、積めるだけ積んできたさ」と酒樽の蓋をドンと叩く。
そして赤髪海賊団の乗船と酒宴の許可が白ひげの口から放たれると双方のクルーたちが一斉に歓喜の声をあげた。
シャンクスは仲間を呼びに上着を翻して一旦その場を後にする。
その背を見送りながら白ひげは隣に立つマルコに指示を出した。
「ご指名だ。を呼んできてやれ」
「……おぅ」
頭領の指示だ、従わざるを得ない。
言われた通り、マルコは船尾で見張り番中のを呼びに白ひげに背を向ける。
大宴会を前に大はしゃぎする船員たちを背に、彼女を迎えに行くマルコの足取りはどこか重たげだった。
どうしてかはわからない、だがとシャンクスを引き合わせることに何故か嫌な予感を感じていた。
(考え過ぎかねぃ……)
のことになるとどうにも過敏で嫉妬深くなってしまう。
それが自分以外の他の男と絡むことになると尚更だ。
だがしかたがない、これも惚れた弱みかとマルコはうなじをさすりながら肩でひとつ息をつき、あえてゆっくりとした足取りで彼女を迎えに行った。
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今作のキーパーソン、赤髪のお頭ようやく登場です。
口調が合っているか自信がありません。
四皇同士がこんな軽率に交流していたら海軍は毎回肝を冷やしますね。
2018/07/21 加筆修正
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