ドリーム小説
『いい子でおやすみ。大丈夫。怖くなんてないさ』
小さかった頃、夜が怖くて眠れない夜によくつるお婆ちゃんの布団に忍び込んで一緒に寝てもらったものだ。ぐずる私の頭をお婆ちゃんが優しく撫でてくれて、眠れない理由を鼻をすすりながら話せば頷きながら聞いてくれた。そうするうちに私はいつの間にうとうとしだし、夢の世界に落ちる間際にお婆ちゃんはいつも魔法の言葉で私を優しく包み込んでくれた
ねぇ、お婆ちゃん。こんなに大きくなった娘が今もまだ悪夢にうなされて眠れないのだと言ったら。お婆ちゃんに話を聞いて欲しいのだと言ったら。呆れてため息をつきますか?それとも・・・
「大きくなっても甘えたなのは変わらないんだねぇ」
真夜中の真っ暗なつるの部屋。カーテンの隙間から三日月の光がこぼれる。和を好むつるは部屋も和室作りで畳の上に布団をひいて眠る。そこに潜り込むのは本当にいつぶりだろう。遠い幼き日を思い出す。もぞもぞと布団に忍び込んできたなんとも愛らしい侵入者はもう成人した立派な娘で、けれどつるは呆れ顔で笑って迎え入れてくれた。横向きで眠るつるの背中には額を押しつけて照れくさそうに笑う
「ごめんないさい。根っからのお婆ちゃん子なもので」
「まったく。いつまでおそんなこと言ってないで、とっととお巣立ちよ」
「へへ」
厳しい言葉の中に優しさを感じられるから、だからはつるが大好きだった。何でも相談したいと思えた。・・・たとえ今自分が抱えている悩みがつるや海軍を驚かせ失望させるものだったとしても
「ねぇ、お婆ちゃん」
「なんだい」
「あのですね。聞いて欲しいことがあるんです。・・・びっくりしないでくださいね」
「それは話の内容次第だね。それで、どうしたんだい」
「あのですね。私・・・、」
はつるの寝間着の背中をキュッと掴んだ。一度眼を閉じて深呼吸し、ゆっくりと押しあげて、そして告げた
「海賊に、誘われました」
闇夜に静かに響く彼女の告白。部屋の静寂さは「聞こえなかったよ」と誤魔化すことを許してはくれない。つるは目を丸くして驚き、けれどまたゆっくりと細めてひとつため息をついた
「お前にしては随分とキレのない冗談を言うじゃないか」
「あ・・・、うん」
「それで?こんな夜更けに言いに来るぐらいだからね。その冗談、まさかそれで終わりじゃないんだろう」
「・・・」
はつるの背にしがみつき、眼を細めて頷いた。そして、こんなありえない相談を持ちかけられても怒ることも呆れることも打ち切ることもせず話を続けさせてくれるつるの優しさに感謝した。そう、これは冗談話なの。だから適当に聞いていてくださいね
「海賊になれって?誘われたのかい」
「はい・・・。もちろんお断わりしました。私は海軍の軍人ですから」
「そうかい。ならそれでいいじゃないかい。何を悩むんだい」
「・・・」
「」
「自信が、ないんです」
「自信?」
「お断りしたとき、私は胸を張って『海軍である自分』を主張することができなかった」
海軍将校という肩書きを盾にして断っただけ。それは逃げたのも同然だった
「海賊になれって言われて、あぁそれもいいなとは思いませんでした。なりたいと思ったこともないし。海で悪事を働いて市民を苦しめて、海軍に捕まえられては投獄されて処刑されていく。そんな人たちを嫌というほど見続けてきましたから。海賊への憧れなんてないです。けど・・・」
海賊の道を進もうという意志はない。けれど、自分の前に提示されたもう一方の道を見つめたときの足はふと止まるのだ
「私には、誇りもない。・・・海軍本部の将校であることに誇りを感じたこともないんです」
「・・・」
「おかしいですよね。他の軍人さんに失礼ですよね。絶対的正義を背負うのに迷いがあるなんて・・・」
心の奥にあった迷いをは初めて言葉にした。少し寂しそうに眉をひそめて笑う、そんなの葛藤をつるは愚かだと思うこともなく黙って聞いていた。の苦しみはもうだいぶ前からつるにも感じ取れていたから。他の将校たちが意気揚々と背負うあの白いコートも、はその背に羽織ることに躊躇いを見せる。気付いていたけれど言わなかったのは、が必死にそれを隠して頑張ろうとしていたから。けれどそれもとうとう限界に近づいてきたのかもしれない。つるの心に一種の覚悟がよぎる
「何もおかしいことなんてないさ」
「・・・うん」
「人間、生きてる命の数だけ想いがあるんだ。迷いのある軍人がいたっていいだろうよ。そんなに悩むことはないさ」
「うん・・・。でも・・・、でもねお婆ちゃん」
「なんだい」
「センゴクさんも青雉さんもガープお爺ちゃんも。ヒナさんもレイダーさんもお婆ちゃんも。・・・・・・赤犬さんも。みんなみんな、海軍の軍人であることに胸を張って戦っている」
「まぁそうだね・・・」
「みんな誇りをもって命をかけて生きている。そしてそうやって生きているのは海軍だけじゃない・・・。海賊もまたみんなそう。今までに私が戦ってきた海賊たちもみんな強い信念があった。軍人が軍人であることに誇りをもっているように、海賊は自分が海賊であることに誇りをもって生きている」
「・・・、」
「私は自分にそれが感じられないんです。何を持って生きているのか、わからない・・・」
海軍としての誇りもない。だからといって海軍で生きる道を捨てて海賊になる道を行く理由もない。一市民として生きるにはこの手は血で汚れすぎている。つるの背を掴んでいた指を放し、は真っ暗な布団の中で自分の両手を見つめた。すんと鼻をつく、香るはずのない錆びた鉄の匂い。この両手でたくさんの命の灯火を摘みとってきた
「私は自分がどの道を進めばいいのかわからない・・・、どこにいるのが一番いいのかわからないんです」
「・・・」
「お婆ちゃん・・・私は一体どうしたらいいんでしょうか」
「そうだね」
「・・・」
「お前の好きにしたらいいんじゃないのかい」
「え・・・?」
つるの背に額を押しつけていたはその言葉に眼を開けて額をあげた。自分より一回りも小さい老婆の背中を見つめる。そして、まるで見捨てるような言葉を言うつるに、顔が見えていないのを承知では眉を下げて泣きそうな顔を浮かべた
「ここにいろって言ってくれないんですか・・・?」
「・・・」
夜は人の心を弱くする。は可哀相なぐらい眉をひそめて再びつるの背中にしがみついた。自分の考えは甘いと思う。けれど、期待していた言葉をもらえずは珍しいくらい不安に怯えた。心が不意に叫び出す。お願いです、お願いです。不安で仕方がないんです。ずっと堅く閉じておいた心に手を差し伸べてくるものがあるんです。その手をどうしたらいいのか、私にはわからないんです・・・
―――歓迎する。俺と一緒に来いよい
どうしたらいいかわからないんです。だから海賊の誘いを断れるだけの強い勇気を私にください。私が必要だと言ってください。そうすれば私はここにいられる。海軍本部にいたいと思える理由をください。海軍を好きでいさせてください。海軍が好きだ、ここにいたいと思いたいんです
お願いです
お願いです・・・どうか
どうか・・・私に勇気を・・・
祈るように眼を閉じた、瞼の裏。真っ暗な視界の端にちりりと燃える炎が見えた。いや違う。それは炎なんて可愛らしいものじゃない。それは地獄の業火、煉獄のマグマ
―――覚悟もなく正義も背負えん奴など軍にはいらん。生半可な信念しか持っちょらんで海で生きられると思うな
甘ったれた私の心を容赦なく殴りつけるのは、苛立ちに満ちた赤い覇気だった。海軍の恥が、と怒鳴る声がの鼓膜を震わせる
「・・・、・・・っ」
「・・・?」
あぁ、そうだ。忘れたくても忘れられない。この海軍には、自分の甘さを許してくれない人がいる。赤犬の顔がよぎり、「お前は海軍には必要ない」と言われているようでは息を詰まらせる。あぁそうだ・・・どうして忘れていたのだろう。回廊ですれ違う将校が、を横目で睨んで鼻で笑うのだ。鍛錬場の横を通り過ぎる人々が、福があるんだからそんなに鍛えなくてもどうせ負けないのにと嘲笑うのだ。・・・やめて・・・やめてください。海軍を嫌いになりたくないのです。何よりも怖いのは、自分の心がいつか海軍を捨ててしまうこと。何よりも怖れているのは、海軍よりも好きになってしまうものが現れてしまうことだった
「・・・」
「・・・はい」
「明日は朝一番に軍議があるんだよ」
「・・・はい」
「今日はもう、ゆっくりおやすみ」
「・・・」
布団の中でつるはの体をトントンとあやすように叩いてくれた。決して顔を向けてはくれない。けれどそれがつるの厳しさであり優しさなのだとは知っている。半分は甘えてもいいから、もう半分は自分の力で乗り越えろと言われているようではゆっくりとつるの背から手を放した
「お婆ちゃん」
「・・・」
「私は、・・・ここにいます」
「・・・」
「お婆ちゃんのそばにいさせてください」
海軍として強く厳しく育ててくれたことに感謝しているから、その恩に報いたいのです。お願いです。力が足りないというのならもっと頑張りますから。だからいつか私が必要だと言ってください。ここにいたいと思える理由をください。はゆっくりと眼を閉じる
act 23 : ハッシャバイ
もう寝てしまったと思っていたつるからおやすみの声が聞こえてきては眼を細く開けた。そして再びゆっくりと眼を閉じる。一瞬だけ瞼の裏に蒼い炎が浮かんで消えていったけれど、今だけは知らない振りをして眠りの淵に意識を堕とした
※グッドナイト → 安らかに眠れる夜に「おやすみ」
ハッシャバイ → 眠れそうない夜に祈りを込めて「おやすみ」
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