ドリーム小説
嵐は、あの日から二週間経ったある日、突然吹き荒れた。
廊下で鉢合わせになったウキョウに、キュウゾウは一瞥をくれただけで後はふいと顔をそらした。
どうせ何を聞いても、ウキョウが色よい返事をくれるわけがない。
そう思っていたのに。
「あ、キュウゾウ。あのさぁ、君のことなんだけどねぇ」
すれ違いしばらくして後ろから呼ばれ、キュウゾウは立ち止まった。
ウキョウを振り返る気は毛頭ない。
キュウゾウの意地を知ってか知らずか、ウキョウの声が楽しげに弾んでいた。
「君、もうここにはいないよ〜」
「・・・・」
自分でさらっておいて、何を言っている。
意図を測りかねぬウキョウの言動に、キュウゾウは立ち尽くすだけだ。
ウキョウの言葉はその全てが信じられない。
どうせまたキュウゾウの気を惑わせるための虚構であろう。
「ここにはもういないと?」
「うん、そういうこと〜」
「・・・では、いずこに」
どうせ答える気などないのだろう、と半ば諦めながら問いかければ。
キュウゾウは、背中にぞくりと冷たい視線を感じて、思わず振り返った。
ウキョウの横顔が、冷笑を浮かべていた。
「知〜らない。もう捨てちゃったからねぇ」
「・・・・!?」
「探しに行ってくればぁ?」
この広い広い虹雅渓をね〜、と呑気に笑いながらウキョウは去っていく。
そんなことは不可能だと承知の上で。
ウキョウの高笑いだけが、いつまでも残響として廊下を満たしていた。
猫 の 棲 む 部 屋 3
その日の夜から、キュウゾウは真夜中に虹雅渓の町に降り立ってはを探しに出かけた。
昼間は警護で城を離れられない。
夜の月の明かりだけを頼りに、路地裏や色街を探し、屋根の上を飛び回った。
事情を知ったヒョーゴもまた暇を見つけて手助けしてくれた。
キュウゾウがはじめてに出会った場所には、の姿はなかった。
虹雅渓の街は広い。
もともと打ち落とされた戦艦によってできた土地の割れ目に築かれた街である。
幾層にもわかれており、裏街・路地裏など東西南北に数え切れぬほど存在する。
そのどこを探せばが見つかるのか、見当もつかない。
「早く見つけてやらねばなるまい。のあの容姿に言葉遣いでは、人買いの恰好の餌食になるぞ」
裏の街には、表沙汰にできない闇の商人たちが五万とひしめいている。
がそんな輩に捕まれば、もう二度と見つけられない。
「夜が明ける。今夜はもう終いだ」
「・・・・・」
「キュウゾウ。行くぞ」
「・・・あぁ」
ヒョーゴに呼ばれ、キュウゾウは屋根の上から名残惜しげに虹雅渓の街を見下ろしていた。
遥か彼方の尾根から、太陽が顔を出す。
この夜明けを、はどこで見ているのだろう。
それとも、夜明けすら見えぬようなところにいるのだろうか。
に会いたい。
早く見つけ出してやらなければ。
今もどこかで、猫は一人で鳴いている気がする。
「・・・」
今、お前はどこにいるのだ。
聞こえているのなら、あの声で鳴いてくれ。
*
夜が明けていく。
まぶたの裏をちくちくと刺す明るい日差しに、ゆっくりと目を開けた。
膝を抱えて寝ていたためか、体中が硬くて石のように感じる。
身体が熱くて仕方がない。
そっと額に手を置けば、焼けるような熱さが手のひらに伝わった。
それなのに、心の中は氷のように冷たくて仕方がない。
少し前までは、自分の心はもっとあたたかだった気がする。
赤い人に拾われて、その人の部屋で一緒に暮らして、その人は自分の中で一番大切な人で。
うとうととしながらおぼろげな思い出に浸っていれば、突然頭に冷水をかけられ、は思考を停止させた。
薄汚れた茶色の髪の先から、ぽたぽたと雫が垂れていく。
膝を抱えて上を見上げれば、そこには苦虫を噛み潰したような顔の中年の女が立っていた。
「まだいたのかい、あんた」
「・・・・」
「ここにいられたらね、商売あがったりなんだよ。いい加減他所に行っておくれよ」
が寄りかかる壁のすぐ先に、小奇麗な女郎屋の玄関が見える。
しばらく前からここに座り込むを、そこの女将は煙たがっていた。
何を言われても、水をかけられても、は始終ここをどかない。
女はちっと舌打ちする。
「そんなに暇ならうちで働いてほしいもんだね。ついこの間遊女が一人死んだばっかりで大変なんだから」
女は愚痴を言うだけ言って店に入っていってしまった。
人を捨て駒か何かのように言う女の言葉に、は膝を抱える腕に力をこめた。
「・・・・わたしもかな?」
治りきっていない病でかすれた声が、路地裏に散る。
「わたしも・・・かわりの人がいるのかな」
今頃、愛しい主人はどうしているだろうか。
もう自分の代わりの猫を見つけて、可愛がっているのだろうか。
だとしたら、もう自分はいらないなぁと猫は唇を上げて寂しそうに笑う。
「もうちょっとだけ・・まってみよう」
あと少しだけ。
あと少しだけ。
そういい続けながら、もう三日が経っていた。
それでも猫は、捨てられたこの場所で待ち続ける。
もしかしたら、彼が見つけに来てくれるかもしれないから。
彼のそば以外に、自分が行くべき場所は思いつかなかった。
*
毎夜のように虹雅渓の街を飛び跳ねても見つからない。
探せど探せど、見つからない。
あまりにも情報が少なすぎる。
「もうこの街を離れてしまったのではないか?」
諦め半分に言ったヒョーゴの言葉に、キュウゾウはじろりと鬼の横目を投げつける。
あまりに真剣なキュウゾウに、ヒョーゴは半ば呆れながら「冗談だ・・」と弁解した。
はこの街のどこかに居る。
それはキュウゾウの直感、はたまた本能でしかないが、そう思えて仕方がないのだ。
どこにいる、。
そう考えあぐねながら城の中を歩いていれば、今一番会いたくない人間と鉢合わせてしまった。
どうしてこうも良く会うのか。
真っ直ぐキュウゾウの方に歩いてくるウキョウとテッサイに、キュウゾウは壁際のよけることもせず、真っ直ぐに前を向いたまま歩みを続けた。
「やぁ、キュウゾウ。元気〜?」
「・・・・・・」
馬鹿みたいに明るい笑顔で声をかけてくるウキョウを無視し、キュウゾウは歩みを速める。
「君は見つかったの〜?」
「・・・・」
「その様子じゃ、まだみたいだねぇ」
にぃっと妖しげな笑みを浮かべて、ウキョウはキュウゾウとすれ違う。
青い髪をなびかせて、「まぁ、精々がんばってよね〜」と癪に障る一言を投げ言って遠ざかっていく。
キュウゾウは、ぎりりと拳を硬く握り締めた。
今すぐにでも追いかけていって殺してやりたい。
だがそうしたからといってが帰ってくるわけではない。
何でもいいから、早く俺の前から姿を消せ。
そしてウキョウの気配が完全に消え去って、キュウゾウはゆっくりと後ろを振り返った。
ただ一人の者の気配を感じて。
「キュウゾウ殿」
そこには、いつかと同じようにテッサイ一人が立ち止まってキュウゾウを見ていた。
テッサイはキュウゾウがこちらを向いたのを確認して、くるりとキュウゾウに背を向けた。
「キュウゾウ殿。探すのならば西の街に行かれた方がよろしいかと」
「・・・なぜに」
「若からの命を受けたかむろを捕まえて吐かせました。真偽の程はわかりませぬが」
ウキョウに命じられてを捨てに行った者たちの言ならば、確かな情報筋。
それでは、と去ろうとするテッサイを、キュウゾウは呼び止めた。
「何か?」
「何ゆえ、主に背くような真似をする」
「理由などありませぬが」
テッサイは何かを考えるように一度煙管をはずし、紫煙を吐き出した。
もう一度口にくわえなおし、にっと口を緩める。
「しいて言うならば。自分も、キュウゾウ殿の愛猫が大変に可愛らしく思いますゆえ」
「・・・・」
「と言えば、信じていただけますかな」
肩をすくめて笑ってみせるテッサイに、キュウゾウも口端を上げて目を閉じて笑った。
ヒョーゴといい。
テッサイといい。
どうして侍というのは、こうも馬鹿でお人好しなのか。
「テッサイ」
「まだなにか」
「感謝する」
「いえ。礼には及びません」
可愛い猫のためですゆえ、と冗談交じりに告げて、テッサイは背を向けて去っていった。
その背を見送り、キュウゾウはきびすを返してその場を後にした。
*
真っ暗闇に、一つの明かり。
何かと思えば、それはお月様で。
あれ、さっきまで自分はお日様を見つめていたはずなのに、と時間の感覚の狂っている自分の頭をふるふると横に振った。
振動とともに、ずきんと鈍くて重い痛みが頭に走る。
身体が、頭が熱い。
熱が高すぎて、どうしてもぼぉっとしてしまう。
もう指の先を動かすのも億劫で、は朝から膝を抱えた姿勢のままずっとそこに座っていた。
邪魔なんだよ、と朝に一度、昼に一度、女郎屋の女将に水をかけられた。
それでもはそこを動かないでいた。
捨てられた日からずっと、はそこに座り続けた。
この場所は、どことなく似ているのだ。
あの日、が拾われたあの路地裏に。
だから、もしかしたらここにいれば、また拾ってくれるかもしれない。
あの時と同じように、拾ってくれるかもしれない。
「・・・だれが・・?」
抱えた膝の中で、は自分の願望に問いかける。
誰が自分を拾ってくれるというのか。
こんな薄汚れた猫を、誰が拾ってくれるというのか。
あのときは、誰が拾ってくれたんだっけ。
膝を抱えてその中に顔をうずめ、ゆっくりと目を閉じれば。
まぶたの裏に深紅が広がる。
あの日目に焼きついたお日様の色。
自分の目と同じ赤い色。
あの色が、なつかしい。
あの懐かしい色は、誰だっただろうか。
赤い色の服を纏い、自分と同じ赤い目で見つめ、名前を呼んで、そばにいてくれる。
「・・・・・」
呼ばれた名前が自分の名前だと気づくのに、数秒を要した。
重くてどうにも動かせない頭をゆっくりと起こして、疲労でなかなか開かないまぶたをゆっくりと持ち上げた。
光の調節がうまくできない。
ぼやける視界が、だがだんだんと鮮明になっていく。
最初に目に飛び込んだのは、二つの赤い目。
それから、月の光を受けて光る、黄色い髪。
もう一度、と呼ばれて、その人の声を思い出そうと頭が回転し始める。
だが、うまく思い出せない。
とても大切なことのはずなのに、どうしてか心はうまく動いてくれない。
身体は熱いのに、心は氷のように凍ったままだ。
*
テッサイに言われたとおり、夜の西の街を走り回っていて、記憶の中にある路地裏ととてもよく似た場所を見つけた。
まさかと思いながらその道を進めば。
膝を抱えて路地の壁に寄りかかる、茶色の頭を見つけた。
見覚えのある服はひどく薄汚れていて、今までどんな状態に居たかをまざまざと見せ付けられた。
「・・・・・」
細い路地裏を小走りに駆け、捜し求めた者の前に膝をついて名を呼んだ。
それは、ひどく気だるそうに頭を持ち上げ、重いまぶたを押し開けて自分と目を合わせた。
やっと見つけた。
やっと会えた。
本当に、本当に久しぶりに見たの顔を見て、キュウゾウは愕然とする。
長引く病と心労で、ただでさえ細かったはそれ以上に痩せてやつれてしまっていた。
己の猫をここまでにした者を憎み、キュウゾウは奥歯を噛みしめる。
そしてもう一つ。
の自分を見上げる目の力のなさに、キュウゾウは眉間に皺寄せる。
「・・?」
「・・・・」
「、俺がわかるか」
「・・・・」
何度名前を呼んでも、は首を縦にも横にも振らない。
何の反応も返さない。
心が抜け落ちてしまったかのよう。
「・・わかんない・・・」
老婆のようなかすれた声を振り絞って、猫が鳴いた。
キュウゾウ、キュウゾウ、としつこいくらい鳴いていたあの甘い声はどこにもなかった。
「・・・」
の心が抜け落ちている。
それはおそらく、数日間の悪夢が見せたものだろう。
の心に植えつけられた恐怖が、彼女の心を喰っている。
「・・・」
「・・・・」
「、帰るぞ」
「・・・・・・どこへ?」
「・・・・・」
「どこにかえるの?わたし・・・かえるばしょなんて、ない」
私は野良猫。
帰る場所なんて、もともとない。
私は野良猫。
楽しい思い出なんて何もない。
思い出そうとするものも何もない。
記憶の片隅にあるあたたかい記憶は、あれはきっと夢の中のことだ。
全部、夢だ。
私には帰る場所なんてない。
帰る場所なんて
「お前が帰る場所は、ここだ」
視界いっぱいに、赤が広がって。
痛みで埋め尽くされた頭を胸の中に引き寄せられた。
なんだろう、あたたかい。
このあたたかさを、私は知っている気がする。
とてもとても、懐かしい。
「」
「・・・・」
「お前が帰る場所はここだ」
「・・・ここ?」
「あぁ。お前が帰ってくる場所は・・俺のそばだ」
「・・・・・」
抱きしめられていた体を離されて、額に優しい感触が広がった。
それは覚えがある。
別れる最後にあなたがしてくれた口付け。
「・・」
優しい口付けが、唇に降ってきて。
両頬に手を添えられて。
あぁ、私は知っている。
あなたの、その冷たい体温を知っている。
私の口を塞ぐ、その唇も。
私の顔を包む、その手も。
「・・・・キュウゾウ・・」
思い出す、あなたの名前。
一つ名前を呼べば、音もなく涙が頬を滑り落ちていった。
あなたを待っていた。
あなたが迎えに来てくれると信じて、ここで待っていた。
キュウゾウ、ともう一度猫が鳴けば、主もまた猫のように頬を摺り寄せて。
もう一度口付けてくれた。
さぁ、帰ろうか。
あなたのいる部屋へ。
←
戻
→
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送