ドリーム小説
五日前。
目が覚めたとき、視界いっぱいに映ったのは見たこともない豪華絢爛な照明だった。
知らないうちに自分は、キュウゾウの部屋から移動させられていた。
それをやったのがウキョウで、ウキョウが自分の風邪を治してくれるということを聞いても一度はほっとしたが。
「・・だめだよ」
「どうしてだい?」
「だって、キュウゾウがかえってくる」
あの部屋で留守番していなければならない。
キュウゾウには、あの部屋を出るなと言われている。
そう言えば、ウキョウはなんでもないという顔で笑った。
「でも、それはキュウゾウのためにならないよねぇ」
「なんで?」
「だってさぁ、君の病気がキュウゾウにまでうつったらどうするんだい?」
「あ・・・うん」
「キュウゾウには仕事があるんだよ?僕の父上を守るという仕事がねぇ」
「しごと・・・」
そうか、とは納得する。
自分があの部屋にいたら、キュウゾウを心配させるだけでなく、キュウゾウに風邪をうつしてしまうかもしれない。
そこまで迷惑はかけたくない。
従順で素直なは、大人しくウキョウのもとで風邪が治るのを待つことにした。
それがキュウゾウのためだと思い。
ただ、頭ではそう思いながらも、心にはぽっかりと空洞ができていた。
「・・・・」
「どうしたんだい、君?」
「・・うぅん。なんでもない」
この部屋は、落ち着かないのだ。
この煌びやかな部屋は、ひどく落ち着かない。
果物と、化粧と、装飾品の匂いが立ち込めている。
どこにもキュウゾウの匂いがしない。
「キュウゾウ・・・」
自分にだけ言い聞かせるようにぽつりとつぶやいた独り言。
それを耳ざとく聞き拾ったウキョウの唇が、妖しく弧を描く。
猫 の 棲 む 部 屋 2
あれから十日が経った。
いくらなんでも、もうは治っているはずだ。
だが、アヤマロの警護をしていてウキョウとすれ違ったとき、通り過ぎざまウキョウは。
「まだ治らないよ〜。これじゃぁ、当分君のことは帰せないねぇ」
キュウゾウにだけ聞こえるように、囁き去っていったのだ。
キュウゾウの中で十日間煮えたぎっていた怒りが一気に上昇し。
そして、わずかに引いていくのがわかった。
代わりに沸き起こるのは、の身を想う心配。
十日も治らぬ病とは異常ではないか。
ウキョウは本当にちゃんとのことを看ていてくれるのだろうか。
「キュウゾウ殿」
不意に呼ばれてキュウゾウは振り返った。
目の端に、煙管をくわえたテッサイの姿が入る。
キュウゾウが目で「なんだ」とせっつくように問えば、テッサイは神妙な顔で告げた。
「殿の病が治らぬのは、事実にございます」
「・・・そうか」
「加えて」
心労が重なっているのです、とテッサイは言う。
心労と聞いて、キュウゾウは眉間に皺寄せた。
あののほほんとしたが心を病むとは、どれほどのことなのか。
何に原因があって。
それを聞こうとすれば、テッサイは「これ以上は若に口止めされておりますゆえ」と申し訳なさそうに目を伏せた。
本当ならに関することを微細でも流さぬようウキョウに言われているであろうに。
「・・・かたじけない」
「いえ。では、失礼」
テッサイの心遣いに、キュウゾウはわずかに頭を下げた。
キュウゾウはきびすを返し、先に行ってしまった御前とヒョーゴを追う。
だがその頭の中は、の身を案じる想いでいっぱいだった。
に早く帰ってきてほしい。
何ゆえの病が治らぬのか。
何ゆえが自分のもとへ戻ってきたくないなどというのか。
心で一つ、愛しい猫の名を呼び、キュウゾウは赤い衣を翻して廊下を駆けぬけた。
*
「え?」
名を呼ばれた気がして目を開ければ、そこにはたくさんの女たちがいた。
は目を丸くして、ソファーの上に寝ていた身を起こした。
額に当てていた濡れ手ぬぐいがぱさりと落ちる。
を見下ろすのは、数多の女たち。
彼女らは、ウキョウのお抱えの侍女たちだ。
腕を組んだり、腰に手を当てたりして仁王立ちする彼女らを、は治りきっていない熱っぽい目で見上げた。
「なに?」
「なに、じゃないわよ」
「あんた、一体いつまでここにいるつもりなの?」
を見下ろす女たちの目には、明らかにを邪険にする色が濃く映っていた。
よりずっと前からここにいて、ウキョウに可愛がられてきた彼女らにとっては、いきなり現れてウキョウの寵愛を受けるが憎らしくてたまらないのだ。
「かぜがなおるまで、ってウキョウがいってた」
「その風邪を、一体いつまでひいてんのよ。うざったいのよ、咳とかさ」
「馬鹿は風邪引かないって言うけど、あれ嘘なのかしらね」
誰かが言った一言に、周りの女たちが肩を揺らして含み笑いをし始める。
女たちの言っていることなど、にはほとんどわからない。
それでも、女たちが醸し出す邪のこもった空気だけは敏感に感じ取れた。
がウキョウに連れられてきた日から、彼女たちのに対する態度はずっとこんな感じだ。
この空気が、は嫌いだった。
何かにつけて、女たちはを揶揄するのだ。
「変な言葉遣い」だとか、「赤子みたい」などと言って。
酷いときは、が理解していないのをいいことに、陰で「うつけ」と囁いた者もいる。
言葉の意味は理解できずとも、その伝えたいことはわかる。
の心が病んでいくのを承知で、彼女たちは毎日のようにを嘲るのだ。
「大した器量もないくせに。その程度でウキョウ様に取り入ろうなんて、身の程をわきまえなさいよ」
「ほんと。捨て猫のくせに」
「・・・・・」
「なぁに、何にも言えないの?知能が低いと、反論もできないのね」
情けない、と女たちは嘲笑する。
確かにには言い返すだけの力がない。
女たちに見くだされてソファーに腰掛け、膝の上で濡れ手ぬぐいを緩く握る。
は黙って、彼女たちの言い分を聞いていた。
大人しくしていれば、彼女たちはそのうち引っ込んでいく。
それもまた、この数日でが理解したこと。
自分が静かにしていれば、いずれ彼女たちはいなくなる。
言い返すだけの能力もないのに反撃すれば余計に馬鹿にされるし、キュウゾウにまで災禍が及ぶかもしれない。
だからずっと耐えてきた。
それなのに。
「しょうがないわよ。だって主人が主人ですもの」
「あぁ、キュウゾウ?確かに、刀を振り回すだけが能の侍じゃぁねぇ」
「飼い猫が飼い猫なら、主人も主人。愚かね」
その言葉を聞いた瞬間。
の中で風邪の熱とは違う種の火種が燃えるのがわかった。
奥歯を噛みしめて顔を上げるや、それまで大人しくしていたが強攻に出た。
手に持っていた手ぬぐいを、目の前で決定的なことを言った侍女に向かって投げつけた。
「きゃぁ!ちょっと・・何するのよ!?」
「キュウゾウを・・・」
「何なのよ、一体!」
「キュウゾウをばかにするな!」
風邪でかすれてしまった声で、は必死に叫ぶ。
そしてソファーから立ち上がり、目の前に立つ侍女に飛び掛った。
爪を立てて女たちの腕を、まるで怒りをあらわにする猫のように引っ掻いた。
穏やかなとは思えぬ行動に、女たちも必死の顔で自分の体を守ろうとする。
許せなかった。
主人であるキュウゾウを馬鹿にされることだけは、どうしても許せなかった。
頭に血が上ったは、いつの間にかウキョウが部屋にやってきたことにも気づいていない。
始めはやや驚きの顔をしていたウキョウだが、「ウキョウ様!」と女たちに懇願され、不意に企みのこもった細い眼でを見つめた。
「君、もうやめなよ。危ないよ〜?」
「若、近づいてはなりませぬ!」
理性を失っているに気づき、テッサイが慌ててとめるのも聞かずにウキョウはに近づいていく。
ウキョウがの背後に立った瞬間。
我を忘れたが勢いよく後ろを振り返って、手を振り上げた。
ぱんっと乾いた音がして。
ウキョウの頬に、一筋の赤い線が走る。
の爪がかすめてできた傷から、赤い血がたらりと流れ落ちる。
侍女たちは小さな悲鳴を上げ、ウキョウの名を呼ぶ。
加害を生じたは、ウキョウの頬から流れる血を見て我に返った。
「・あ・・・ウキョウ・・」
「あ〜ぁ・・・・・。やってくれたね、君」
蛇のような眼差しをに向け、ウキョウは自分の頬の血を指ですくって舐めた。
が自らの罪に瞳を曇らせて顔を強張らせていくのを、ウキョウは楽しげに見つめていた。
「テッサイ」
「・・は」
「人払いしといて」
「・・・御意」
ウキョウの一言に、テッサイはその場に居た女たちを全員部屋の外に出させた。
ウキョウが、はなからを罠にはめる気で暴れるに近づいたことにテッサイは気づいていた。
気づいていてとめられなかった。
がどんな仕打ちを受けるか、考えたくもない。
キュウゾウになんと言ったらいいか。
キュウゾウの想いを考えるだけで、心が痛くなる。
*
部屋に二人だけ残されて、は俯いて床を見つめたまま顔を上げられないでいた。
ウキョウを傷つけた。
侍女たちを傷つけた。
自分のせいで、人を傷つけた。
自分のせいで、キュウゾウの立場を悪くした。
キュウゾウ。
キュウゾウ。
心の中で主人の身を案じ、何度もその名を唱える。
「ウキョウ・・・・・ごめんね」
「君さぁ」
「ごめんね・・・」
「いいよ〜。それより僕が前に言ったこと、覚えてる?」
ウキョウに問われ、はゆっくりと顔を上げた。
頬に赤い線を走らせて、ウキョウは楽しそうにを見下ろす。
以前にウキョウに言われたこと、は覚えていた。
傷をつけたとき、どうすればいいか、ウキョウがに教えたのだ。
がこっくりと力なく頷くのを見て、ウキョウは楽しげに笑ってソファーにどさりと腰を下ろした。
優雅に足を組み、手招きしてを呼び寄せる。
「やってくれるよねぇ?君が」
「・・・・・」
ウキョウの目が、拒絶は許さないと言っていた。
断れば、ではなく彼女の主人に災が及ぶと。
「君」
の猫としての本能が言っている。
ウキョウは笑っている、けれども恐ろしい。
ウキョウの頬を傷付けたの右手が、小さく震えていた。
それでもゆっくりとウキョウに近づき、彼が座るソファーに膝をつく。
恐怖と拒絶ですくみそうな体を近づけ、ウキョウの頬に顔を寄せた。
ためらいがちに、彼の頬の傷を舐める。
覚えのある、不味い血の味がした。
傷を舐める。
同じ行為のはずなのに、キュウゾウの首筋を舐めたときとは全然違う。
今すぐ逃げたい、ここから逃げ出したい。
の真意を、だがウキョウがさえぎる。
「もぅ・・いい?」
「うん。よくできました〜、君」
「な・・・ウキョウ・・・っ?!」
不意に腰を引き寄せられ、ウキョウに無理矢理口付けられた。
それはすぐに離してもらえたけれど、生々しいウキョウの唇の感触が強くの唇に残る。
唇をこすりたい衝動に駆られていると、腰から腿にかけて撫でられる感触には身をこわばらせた。
本能が悟る、ウキョウが何を要求しているのかを。
目の前で笑うウキョウが、とてつもなく怖い。
「君。これでも僕は、結構慈悲深いんだよ」
だから、君に選ばせてあげるね。
伸ばされたウキョウの指が、の唇を押す。
「今ここで僕に手篭めにされてキュウゾウのところに帰るのと」
その身の純潔を失い、穢れた身体で主人のもとへ帰るのと。
「もといた路地裏に放り出されて一生キュウゾウに会えないの」
貞操は守れど、もう二度と愛しい主人のもとへは戻れない、また独りの猫になるのと。
「どっちがよい?」
僕は慈悲深いんだよ、と蛇が笑う。
ウキョウに押された唇をゆっくりと動かし、猫はか細い声で鳴いた。
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