ドリーム小説
赤い炎が見える。
真っ赤に燃える炎が。
村が焼ける。
男たちが幼い私を追い回す。
納屋に隠れた私を後ろから羽交い絞めにして。
手首を頭上にまとめられて藁の上に押し倒されて。
男が気味悪く、黄色い歯を見せながら笑っている。
絶望、恐怖、混沌の中で、私は空気を切り裂く程の金切り声を上げた。
だが寸でのところで村人に助けられる。
私は、母の腕の中で荒く息を吐く。
陸に打ち上げられた魚のように息を乱して、痛みの走る手首を見やった。
両の手首に赤紫色にくっきりと残る、人の指型の痣。
私は母の腕の中から逃げ出し、跪いて嘔吐した。
―玖―
「―――――っ!!」
電流を流された人間のように体を跳ねさせ、は勢いよく身を起こした。
薄暗闇の寝所に、の荒い息遣いだけが響いている。
つぅと汗が一筋、頬を流れて顎に留まるのがわかった。
寝間着の胸元をぎゅっと掴み、息を整える。
「・・ぁ・・ゆ、め・・・っ」
漏れ出た声は、震えていた。
今さっき見た光景は夢の中のことだと認識し、は重い息を吐いた。
周りを見れば、他の遊女たちはいまだ夢の中。
は静かに起き上がり、寝所を後にした。
部屋の外はわずかに肌寒く、は両腕で体を抱く。
まだ太陽は出ていなかった。
夜を抜け出そうとしている空は、美しい薄紫色に染まっている。
は最近の一番のお気に入りの場所に立ち、欄干に手をついて遠くを眺めた。
機械音のない朝の鋼牙渓は、怖いくらい静かだ。
そんな中で、は遠くにそびえる巨大な鉄の船を見やった。
いつからかは、忙しい中に少しでも暇があればここに来て、こうして船を見ていた。
船を見つめては、ほぉと小さな溜め息を漏らす。
そんなの姿に、最近では通りかかる禿たちに「花魁、恋煩いだ」とからかわれる程だ。
「何を馬鹿なことを」
禿たちの言葉を思い出し、は船を見つめながら薄く笑う。
だが、そういえば楼主にも同じようなからかいを受けたことを思い出す。
楼主は楼主でこれまた性質が悪く、船を見つめていたに。
『、や。島田様がいらっしゃったよ』
と笑顔で告げ、慌てて階下に降りていってはそこには誰もおらず。
騙されたことに気付いて戻ってきたを、楼主は思い切り笑ったのだ。
「ひどいです・・」と怒るにも、楼主は。
『お前がいつまでも素直にならないから。からかってやりたくなるんだよ』
そんなことを笑って言っていた。
そのときは恥ずかしいのと怒りとでは何も言い返せなかったけれど。
今思えば、なんと自分の愚かなこととは苦笑する。
眼前の戦艦の天守閣から太陽が昇り始めていた。
きらりと眩しい光に、はいつぞや自分を救ってくれた刀を思い出す。
鋼牙渓の街でを救ってくれた、黒塗りの刀とそれを振るう者は。
「島田・・カンベエ様・・」
その名を口にし、は目を閉じた。
瞼の奥に残る記憶の映像を手繰り寄せる。
自分と差し向かいで将棋を打つカンベエの姿。
揺れる焦琥珀色の髪と、同じ色の瞳。
を見つめ、唇を綺麗に上げて穏やかに笑うカンベエの姿。
ゆっくりと目を開ければ、戦艦の屋根から完全に太陽が顔を出していた。
眩しくも美しい日の光に、は目を細める。
「・・・カンベエ、様・・」
の口が、意思に関係なく動く。
無意識に彼の名を呼んだことに、一番驚いたのは自身だった。
思わず手で口を覆い、視線をあちらこちらにめぐらす。
今度は、かぁっと耳が熱くなってきた。
「・・・あれ・・?」
は熱い耳に指を添え、自分の変化に戸惑う。
ただ、カンベエのことを思い出しただけ。
ただ、カンベエの名を呼んだだけ。
ただ、
早く会いたいと、思っただけ。
はただひたすら戸惑った。
そんなふうに、誰かとの再会を待ち遠しいと思ったことはない。
誰かを思い出してこんな気持ちになったことはない。
はただひたすら戸惑うのだった。
百花楼に夕日が落ちる。
ここからは夜の客たちの時間が始まる。
春の陽気に誘われて、酒に酔う客も多かった。
「〜。どうじゃ、わしと一杯ひっかけんか?」
既に酔いのまわった年老いた男に声をかけられ、は無邪気な笑顔でそれの相手をした。
「だんな様。足元がふらついておられますよ。お気をつけ下さいませ」
「ん〜、は優しいねぇ。優しいついでに、わしとあっちの相手もしてくれんかねぇ」
「えぇ、勿論。だんな様が私を負かして下さいましたら幾らでもお付き合いいたします」
柔らかに微笑まれ、男も不快になるどころかかえって上機嫌で「は強くて敵わんからな〜」と笑っている。
男はそのまま千鳥足で楼の奥へと引っ込んでいった。
ほっとするの耳に、不意に控えめな笑い声が聞こえてきた。
「不動の人気であられるな。殿」
「カ・・・・島田様っ」
びっくりした。
あんなにも会いたいと思っていたその人が、いつの間にか玄関先に立っていたのだから。
最後に見たときと同じように、カンベエはに優しい笑みをむける。
嬉しさのあまり思わずその名を口にしそうになり、は慌てて頭を切り替える。
「お久しゅう御座います、島田様」
「元気そうだな」
丁寧にお辞儀をしてカンベエに顔を向ければ、暖かな焦琥珀色の目がを見ていた。
かぁ、との胸の中に火がともる。
「おそうなってしまったが、約束の品だ」
「え?・・あ」
そう言ってカンベエが懐から取り出したのは、色とりどりの金平糖が詰まった硝子のびんだった。
それを渡され、の顔に笑みが溢れる。
「これで良いのだな」
「はい。ありがたく頂戴いたしますね」
は顔の横にびんを持ち上げ、しゃらしゃらと中身を揺する。
嬉しそうなに、カンベエの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
これで用は済んだ。
ここに留まる理由もない。
だが、どうしてか。
離れがたい、と叫ぶカンベエの心があった。
カンベエは何を言うでもなく、を見下ろしていた。
もその目を見つめ返す。
二人の間だけに、他には視えない時間が流れていた。
そのときだった。
「〜・・そのようなところで何をしておるのだ〜?」
酔った人間のもつれた舌がを呼んだ。
名を呼ばれ、は思わず後ろを振り向く。
間近に迫る先程の男の顔。
避ける暇などなかった。
酔った男が、後ろからを羽交い絞めにした。
背中にかかる男の重み、酒で上がった体温、噎せ返るような酒気の香りと。
男の体のにおい。
体中の血が逆流する。
「ひ・・っ」
この世で最も恐ろしいものを見たような、恐怖に竦んだ顔で。
の口から小さな悲鳴が漏れた。
絞め殺される寸前の小鳥が発するような、恐怖に満ちた声。
男に抱きすくめられ、の体が強張る。
かたかたと震えだす小さな体。
の手からびんが滑り落ち、床に当たってことりと小さな音を立てた。
その音でカンベエは我に返る。
目の前で顔を歪めるを見れば、鼻頭や額に脂汗が浮いているのがはっきりと見て取れた。
俄かにカンベエの中に、男への憎悪が湧き起こる。
だがカンベエが何かしようとする前に、状況を察した楼主が男をなだめに飛んできた。
「これはこれは、大だんな様。うちの看板娘においたをされては困りますなぁ」
男の肩に手を置いて、自然を装ってから体を引き離させる。
楼主がちらりと横目で目配せすれば、数人の女たちが駆けつけてきて男を座敷に連れて行った。
後に残されたのはいまだ体を強張らせて自分の体を抱きしめると楼主、そして成り行きを見ていただけのカンベエの三人。
「。、大丈夫かい?」
「あ・・・わ、たし・・・・ごめ、なさい・・っ」
「いいよ、いいよ。気を落ち着けなさい。・・・島田様、お見苦しいところを。誠に失礼致しました」
「いや・・・」
それ以上何と言葉を続けていいかわからず、頭を下げる楼主を見下ろしながらカンベエは口篭った。
は焦点の合わない目で虚空を見据えている。
先程までカンベエに見せていた笑みや穏やかな空気は完全に消え去っている。
京紫の目には、いまだ恐怖が映っているように思えた。
男を相手にすることを職とする女が、男に抱きつかれただけでこの反応。
は・・・・どこかがおかしい。
それは決して蔑みの情ではなかったが、カンベエはに自然な好奇心を持った。
「禿が騒がしいと思いいや。また、がやりんしたか」
不意に声が聞こえれば、朱塗りの階段をしゃなりしゃなりと降りてくる遊女がいた。
カンベエもその顔に見覚えがあった。
以前、に嫌味を言っていた彼女の姉女郎―――確か名は、シグレだ。
シグレは咥えていた煙管(きせる)を外し、優雅に紫煙を吐き出しながら黒目を動かしてを見下ろした。
「いい加減にしぃ。いつまで甘えている気でいりんすか」
「よさないか、シグレ」
「わっちだけやありんせん。遊女らは皆そう思っていんす」
シグレが声を荒げてそう言えば、通りかかった遊女らが伏せ目がちに、震えるをちらりと見て去っていった。
シグレの言葉はあながち嘘ではないらしい。
客であるカンベエがいる前でも、いや、の客であるカンベエの前ゆえに余計に、シグレは故意に告げるのだ。
という花魁の、稀有な性癖を。
「男に触れられて怯える遊女なんぞ居ても、何の価値もありんせん」
「・・・・っ」
シグレの言葉に、己を抱いていたの指先に力がこもったのがカンベエはわかった。
そしてのその反応は、シグレの言葉が誠だと証明するとこになる。
初めてカンベエがここを訪れたとき、廊下ですれ違いざまにシグレが投げ捨てた言葉が思い出される。
『房事もできんせんのに』
『この子と居ても、体の癒しは受けられやしませんよ』
あれは、年端も行かぬに対する単なる嫌味や皮肉ではなかったのか。
はからずも知ってしまったの一片から、カンベエはあの将棋の勝負の意味を悟る。
『私は、負けることができない』
あのときはそう言っていた。
笑って、そう言っていた。
という少女は、どれほどの強い心でその言葉を言っていたのか。
結局は複数の遊女に支えられながら奥へと戻っていった。
その間、彼女の顔に正気が戻ることはなく、の目にはカンベエどころか何も映っていないようだった。
カンベエは楼主に何度も頭を下げられ、百花楼を後にした。
「・・・・・」
百花楼から帰る中途、何度も後ろを振り返っては紅い暖簾を目に入れた。
そこにが居るはずもないのに。
勝負に勝てばに触れられると、全く考えていないわけではなかった。
あの髪に、手に、頬に、体に。
指を滑らせてみたいと思わないわけではなかった。
男に抱きすくめられて絶命寸前のような顔をしたを見て。
カンベエは己の心に、虚穴が開いた気がした。
それは針でぷすりと刺した程度の小さな穴なのに。
激流の如く、想いが零れ落ちてゆくのがわかった。
この流れを塞き止めるすべを、カンベエは知らない。
そして何よりも恐ろしいと思いしは。
触れられないと思えば思うほど、に触れたいと思う己の心。
いつから自分はそんな獣になったのか。
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