御簾(みす)の降りた円状の部屋に男が二人。
玉座にゆたりと腰掛け、静かに目を閉じている男が一人。
男と向かい合うように床に胡坐をかき、右の手の平を上に向けて眼前にかざす男が一人。
掲げた手の平の上には、青白い炎がゆらゆらと浮いていた。
―捌.伍―
セイメイは右手に蒼い炎をかざし、その中をじっと覗きこんでいた。
傍から見れば神秘的とも、面妖ともとれる光景だ。
セイメイの前には、椅子に座って眠りについている天主がいた。
音のない部屋に、セイメイのどこか楽しげな嘆息が響く。
「なるほど。これはこれは。確かに、天主様が御気にかけるのもわかりますな」
くっくっ、と喉の奥で笑い、セイメイは炎の向こうに座る天主に視線だけを向ける。
だが天主は微少も動くことなく目を閉じている。
セイメイは再び、炎の中に目を戻した。
セイメイの手の上にかざされた青白い炎。
何を火種に燃えているのかわからぬ、謎の炎の中に、一人の少女の姿が見えた。
長い秘色の髪を揺らして少女は一礼している。
少女の向かいでは、がくりと肩を落とす男がいた。
「おやおや。また勝たれたのか」
炎の中で微笑む少女を見て、セイメイは人懐こい笑みを浮かべる。
人道に外れた力で覗かれているとも知らず、少女は無防備に微笑み、そして向かい合った男から菓子詰めの瓶を受け取っている。
何とも可愛らしい、とセイメイは一層笑みを深くする。
まるで愛しい我が子の成長を見やるように。
ふと、炎の中の少女の顔から笑みが消えた。
少女は一人になった部屋で、窓際の欄干(らんかん)に寄りかかり、遠くを眺め始めた。
少女の視線の先に何があるのかはわからないが、その顔は、まるで何かを待ち焦がれている乙女の顔だ。
セイメイにまで聞こえてきそうな溜め息を漏らし、少女は欄干に寄りかかって目を閉じた。
「何をしていらしゃる。セイメイ殿」
炎の中に全神経を集中させていたセイメイは、突然聞こえてきた現実の声に。
だが別段慌てることもなく、静かに声のした方へ顔を向けた。
「これはこれは。お早う御座います、天主様」
「また下界の覗き見かえ」
いつの間に目を覚まし、いつからセイメイを見ていたのか。
相変わらずセイメイですらわからぬ、人間臭のしない行動をする、とセイメイは思った。
「今度は何を見ていらしゃった」
寝起きの人間の声とは思えぬ、しゃんとした声で天主は問いかける。
セイメイはその問いに、「大変面白きものに御座います」と答え、人懐こい笑みを向けた。
天主はセイメイの笑い顔を正面からじっと見据える。
そのまましばらく静寂が続いた。
セイメイが笑みの中に隠そうとしているものを、天主は読む。
「セイメイ殿」
「はい」
「詮索は無用と、余は申したはず」
確実に心意を読まれ、セイメイは流石と唇を吊り上げる。
「御心配なさらず。これは詮索にあらず。某(それがし)の私的趣味に御座います」
「性質(たち)の悪い御趣向にあらしゃる」
笑顔で告げるセイメイに、天主は特に皮肉でもなく淡々と感想を述べる。
セイメイもまた、天主の言葉を本気ではないとわかっていた。
天主という男から、感情を見出すのはなかなかに難しいことだった。
その顔にも、言葉にも、声色にも、さしたる起伏がない。
今もまた。
セイメイが何を見ていたか九割九分の検討がついているであろうに、天主がそれをどう思っているかセイメイにはわからない。
わからぬのであれば。
わからぬままでいるまでよ。
「御四十六番」
セイメイは突然、何の脈絡もなくその番を口にした。
セイメイの手の上ではいまだに蒼い炎が燃えている。
その炎の向こうに見える天主の顔は、やはり何の変化もない。
「天主様がおっしゃられたとおり、実に素晴らしき才をお持ちだ」
「セイメイ殿」
天主はセイメイを呼ぶ。
十中八九流されるものと思っていたセイメイは、僅かに片眉を上げる。
それきり天主は何も言ってこないが、その声は「余は斯様なこと聞いてなどおらぬ」という意を含んでいた。
セイメイは人懐こい笑みを向ける。
「これは私の独り言に御座います。どうぞ、御聞き流し下さいませ」
その言葉に今度は、天主は何も告げてこなかった。
セイメイはにんまりと笑い、視線を炎の中へと移す。
炎の中には、先程の少女が映っている。
少女の前には、先程とは別の男が座っており、二人は向かい合って駒を打っていた。
「御四十六番。十代半ばにして、既に生まれ得た才を遺憾なく使いこなしておられる。彼の方の持たれる素晴らしき・・・」
セイメイは言葉を切り、炎の中の少女を見やる。
炎の中で、細められた京紫の瞳が盤上を統(す)べるように見ていた。
「恐ろしき才は、機動力。今は小さな籠の中に収められてはいますが、最たる場であの力使われれば」
それ以上は言葉を続けず、セイメイは愛しげに少女を見やる。
不意に、炎の中の少女が顔を上げた。
盤上を見るでも男を見るでもなく、少女は斜め上―――少女から見れば天井にあたる場所を見上げた。
蒼い炎越しに、セイメイと少女の目が合う。
そこでセイメイは右手を握りつぶし、蒼い炎を揉み消した。
余韻の如き蒼い火花が二、三散って消える。
まさかあの少女がセイメイに気付いたわけではあるまい。
恐らくは単なる蟲の知らせ。
恐ろしく勘の良い娘よ、とセイメイは思うのだった。
「セイメイ殿」
不意に呼ばれ、セイメイは天主へと顔を向けた。
今度は天主とセイメイの目が合う。
天主の、京紫の瞳が、じっとセイメイを見ていた。
セイメイの背を、ぞくりと何かが駆け抜ける。
「余は」
大気を揺らさぬが如き、微弱な喋り方。
天主の唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「余は、御二人が幸いであらしゃれば、それでよい」
セイメイを見つめる天主の目が、ゆっくりと細められていく。
それはどこか、愛しい者を想い、笑っているようにも見えた。
天主が滅多に見せぬ変化に、セイメイは思わず指で唇を撫でていた。
「天主様。御二人は」
「セイメイ殿。これは余の独り言。御返答は無用にあらしゃる」
セイメイの言葉を切り、それ以上の言を推し留めさせた。
いつの間にか天主の目は、初めと同じようにしゃんと開かれている。
先程見せた変化など嘘だと思わせられそうになる。
だが、セイメイは確かに見た。
吸い込まれそうな程美しい、京紫の瞳が見せた心の揺れを。
絶対的支配者の心を動かしうる、唯一人の人間の存在をセイメイは知ったのだ。
無意識に撫でていた唇から指を放し、セイメイは笑う。
「御意。御天主様」
静かに告げる陰陽師の笑みを、天照らす御主は静かに見つめ返す。
紫は、世を統べる者の色。
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