ドリーム小説
私の傲慢な心が言う。
『島田様にだけは、知られたくなかった』
シグレが言っていた通りだ。
男に怯える遊女なんて、何の価値もない。
男は皆、将棋でを負かせれば、その美しい体を組み伏せられると期待して勝負に挑んでくる。
だから、客に知られてはいけなかったのに。
高い金払って将棋なんかして、勝ったとしても手に入るのは男性恐怖症の遊女なんて。
こんなつまらぬことはない。
カンベエはもう、自分に会いに来てはくれないだろう。
夢のように心地よい、されど短い想いだった。
―拾―
二階の廊下の欄干に手をつき階下を見下ろせば、今日も百花楼を訪れる数多の客たちが見えた。
その中の何人かが二階に居るを見つけて手を振ってくる。
だからもいつもように柔らかな笑みで手を振り返した。
彼らはまだ知らない人たち。
の秘密を知らない人たち。
だからあんなにも勝利と戦利品への希望に満ち溢れた顔でに会いに来る。
秘密を知れば、きっと来なくなる。
カンベエはもう、きっと来ない。
はぁ、と沈んだ溜め息をついて欄干に寄りかかれば、近くを通る妹女郎のイブキが声をかけてきた。
「花魁。元気ないでいぃすか」
「イブキちゃん・・・」
「またシグレ花魁に何か言われんしたか」
よりも年も背丈もずっと小さいイブキ。
座布団を抱えて下からを見上げてくる。
まだ一人前には程遠いが、それでもよりもずっと男の扱いを知っていた。
そして他の遊女たちがシグレに逆らえずを敬遠する中、イブキだけは頭の良いのことを姉のように慕っていた。
「うぅん・・・違うよ」
「嘘でいぃすね。花魁、嘘つくの下手でありんす」
「あは・・・もう、イブキちゃんには敵わないなぁ」
花魁が優しすぎるんでいぃす、とイブキは落ちそうな座布団を抱えなおす。
そして、が寄りかかる欄干に視線を向けて告げた。
「花魁。ちょうどその辺り、支え木が腐り始めてるから危ないって楼主が言っていぃしたよ」
「え、本当?・・・そっか、ありがとう」
注意を受けて、は礼を言って一歩欄干から遠のいた。
その間にイブキは己の仕事をするべく、に背を向けて去っていく。
小さい背中。
なのに、堂々として見えるのは、あの子の内側に強くて芯の通った心があるから。
あの人と、同じだ。
鋼牙渓の街で助けられたときも、此処で再会したときも、向かい合って将棋を指したときも。
カンベエが纏う力強い空気に触れていると、不思議と安心した。
迷いのない焦琥珀色の眼に見つめられて笑われるのが。
たまらなく好きで、好きで、恋しくて。
「・・・好き・・だったんだなぁ」
口に出して言ってしまえば、はっきりする。
カンベエに会いたい。
他愛もない話をして、笑い合って、そしてできることなら。
カンベエに、触れられたい。
生まれて初めて、自分から誰かを求めた。
心が強くカンベエを求めた。
だがは知っている。
どんなに心がカンベエを求めても、きっと己の体は彼を拒む。
「まぁ・・・どちらにしろ島田様はもういらっしゃらないしね」
自嘲気味に笑んで、は故意に注意を受けた欄干へと近付いた。
自暴自棄になりかけると、危険なことがしたくなる。
欄干に沿って一歩一歩横に進めば、ぎしりぎしりと危ない音がした。
落ちろ、落ちろ、と言っているかのように。
楼主ものことを心配していた。
の客がちょうど帰った頃をみて、楼主はの部屋に赴いた。
部屋に向かう途中、肩を落として落胆する客とすれ違った。
気分の善し悪しで勝敗が揺らぐことはない、の強さに楼主はある種感心する。
「。気分はどうだい?」
「悪くないです」
部屋に入ってきた楼主ににっこりと微笑んでは座布団を差し出した。
その笑みがすでに無理をしていることは楼主にもわかっていたが。
「。この間の、大旦那様のことだけれどね」
「・・はい」
「随分と酔っていらしたから、やはりあのときの記憶は曖昧なようでね。お前のことはばれていないようだよ」
これで気兼ねなく仕事が続けられるね、と楼主はを思い、優しい声で諭す。
は苦笑して、そしてふっと哀しい表情を浮かべた。
「わかっているはずなのに・・・やっぱり人を騙すのって、つらいですね」
が将棋に強いおかげで、客たちは勝負に納得して帰っていく。
だが裏を知れば、が負けたとき彼らが得る特権―――を好きにできるという権利はひどく不平だ。
男に触れられず、快楽を与えられない遊女を欲しがる男などいない。
「騙しているんじゃないよ。彼らが聞いてこないだけだ。勝負に勝ったら、を得られる。嘘なんかついていないだろう?」
「でも・・・虚偽でなくとも、多くを語らずにいるのも、罪です」
「お前は・・・」
沈むを見て、楼主は呆れたように溜め息をつく。
いつまで経っても変わらないの綺麗さに、感動すら覚える。
他の遊郭なら、即捨てられるだろうの気質を、だが楼主は殊更に気に入っていた。
「お前がそこまで背負い込むことはないんだよ。第一、稼いだ金だってほとんど袖に入れていないのだし」
「私はいいんです。他の子たちに回してあげて下さいな」
は慈愛に満ちた笑みで楼主を見上げる。
その笑顔に、楼主は弱かった。
最早何も言えず、苦笑して頬をかく。
「でもね。一つくらい、我侭を言ってもいいんじゃないかい」
なぁ、、と諭すように言われ、不意には表情に影を指す。
今の今まで我侭など言ったことがない。
渇望するものなど、何もなかった。
だが、今は違う。
胸のうちで、一つだけ求めるものがあった。
カンベエに会いたい。
そう思うと同時に、の頭はそれが敵わぬ我侭だと言い伏せる。
わかってるよ、とは自分に言い聞かせ、顔を上げて楼主に笑いかけた。
ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ・・・私は欲しいものなど」
「花魁!!」
ばたばたと廊下を駆けてくる音がして。
が全てを言い切る前に、部屋の障子が勢いよくがらりと開かれた。
と楼主が同時に目を向ければ、息を切らせたイブキが立っている。
「イブキちゃん・・?」
「イブキ。何事だい、騒々しい」
楼主が行儀のなっていない小さな遊女見習いを咎めれば、イブキは上下する胸に手を当てて早く何かを告げようと足踏みをする。
「あい、すいませんっ。でも!・・・花魁お早く、下に!」
「な、なに?どうしたの、イブキちゃん」
イブキは今にも走り出さん勢いで足踏みをする。
何を焦っているのかわからない、とが困ったように首を傾げれば、イブキの口から思いも寄らぬ名が飛び出した。
「あのお侍様でいぃす!」
「え?」
「島田様が下にいらして・・・花魁を御指名されたんでありんす!」
そしてイブキは告げる。
今は休んでいるから後日では駄目かとカンベエに問えば、倍の金額を出すから今会わせて欲しいと言ったのだと。
「うそ・・」
信じられない、とはイブキに手を掴まれてぶんぶんと上下に振られながら呆然としていた。
あんな失態を見られて、もうカンベエは絶対に来ないと思っていたのに。
こんなにも早く、の想いに呼応するように会いに来てくれるなんて。
じわじわと胸の奥が熱くなっていく。
でも同時に押し寄せるのは、同じくらいの不安だ。
会いに来てくれたとはいえ、カンベエは律儀な人だからもしかしたらそれは金輪際来ないという別れの挨拶かもしれない。
どうしても否定的な方へ考えが行ってしまうだ。
逡巡するの肩に、楼主はぽんっと手を置いた。
「あの・・」
「お客様をお待たせしてはいけない。早くお行き」
「花魁お早く!」
二人の笑顔に押し出され、は覚束ない足取りで部屋を出て廊下を進んだ。
両側の壁が消え、むき出しの欄干のみの廊下を足早に進めば、一階に続く朱塗りの階段が見えた。
欄干に手をつき、は階下の、ちょうど階段の降り口に視線を下ろす。
確かに、そこにあの人が居た。
階上にいるに気付き、上を見上げて、そして口元に笑みを浮かべた。
「・・島田、様・・・」
「すまぬな、折角休んでおられるところを」
驚いているを見て、カンベエは照れたように視線を斜め上にそらした。
に対するカンベエの態度は、何も変わっていない。
あんなひどい顔を見られて、遊女の地位を揺るがすの秘密を知っても、変わらない笑みでに会いに来てくれた。
「どうして・・」と、嬉しさに震えそうな声で問えば、カンベエは言いにくそうに一度口を引き結ぶ。
「先日は・・目の前にいながら何も気遣ってやれず、すまぬことをした。あれから気分の方はいかがか」
を見上げるカンベエの目には、あのときに手を差し伸べられなかった自責の念が浮かんでいた。
自分のことを心配してくれていたと思えば、ぎゅっと胸を締め付けられる。
早く、カンベエの近くに行きたかった。
「ご心配いただき、ありがとうございます。あの・・今、今そちらに参りますのでっ」
「あぁ。そう慌てずに」
カンベエの注意も気にせず、ははやる気持ちで欄干沿いを駆けた。
の後を追ってきていたイブキは、走るを見て声を上げた。
「花魁!そこは走っては駄目でありんすっ!」
「え?」
イブキの高い声に反応し、は走っていた反動を止めようと欄干に手をついて後ろを振り返った。
みしり、と嫌な音が耳をつく。
が体を預けていた欄干の支え木がばきんっと悲鳴を上げて崩れた。
廊下に何枚も敷かれた細長い床板が、の足元で真っ二つに裂け、体が欄干の外へと傾く。
何が起こったのか全くわからなかった。
急に足元がなくなり、体が欄干の外に投げ出されたとわかった頃には、真っ逆さまに落ちる恐怖で悲鳴すら出なかった。
宙に飛び散る木片が視界に入って、階下の遊女たちの悲鳴が聞こえて、は目を瞑った。
重力のなすがまま、体が下へと落ちていく。
そして訪れるのは床に叩きつけられる衝撃と激痛。
だがそれらはいつまで経っても来なかった。
床に落ちる寸前で、誰かが受け止めてくれた。
膝裏と背中に手を回して支えてくれているのを感じる。
落ちてくる木屑が頬に当たって、はゆっくりと目を開けた。
「大事無いか・・殿っ」
息が掛かるくらい間近に、カンベエの顔があって、心の臓が破裂しそうなくらい大きく脈打った。
眉間に刻まれた皺や揺れる瞳が、ひどくを心配しているのがわかる。
カンベエは床に片膝付き、を両手で抱きとめていたが、何かを察して後ろに大きく跳躍した。
数秒置いて、二人が居た場所に欄干を支えていた太い柱が落ちてきた。
轟音を立てて落下し、木屑の埃を立てている。
それを見ては体を震えさせた。
もしも仮に床に落下してある程度の怪我で済んでいたとしても、二次災害では大怪我を負っていただろう。
軍師としての、研ぎ澄まされたカンベエの直感がそれを防いだ。
「・・あ・・・っ」
「危なかったな・・・。しかし・・こんなにも頑丈な造りの回廊が崩れ落ちようとは」
を抱き抱えたまま片膝をつき、ふぅとカンベエは安堵の息を漏らす。
その息遣いすら、この距離ではよくわかった。
カンベエの腕の中で体を丸め、は頬が熱くなって行くのを感じる。
突然の事故に客たちがざわつき始める。
楼主とイブキが生き残った朱塗りの階段を恐る恐る降りてきた。
楼主がイブキに何かを告げれば、イブキは周りに居る遊女たちにそれを伝達して回る。
遊女たちはざわつく客に笑顔を振りまき、各々座敷へと腕組んで連れて行き始めた。
後で各座敷に詫びに行かねば、と考えあぐねながら、楼主はカンベエとのもとへ足早に駆けてきた。
「、大丈夫だったかいっ?」
「は、はい・・私は。島田様が」
「あぁ・・・島田様っ。一度ならず二度までもこの子を救って下さり、もう何と御礼を言っていいか」
「いや。礼になど及ばぬ」
気にするな、と笑むカンベエに楼主は何度も頭を下げる。
そして慌てながらに手を差し伸べようと試みた。
「・・、大丈夫なのかい?さぁ、早くこちら・・へ・・」
慌てふためいていた楼主の顔が、驚きに変わる。
カンベエに抱えられたままのを見て、何も常と変わっていないことに目を丸くした。
「・・・」
「はい」
「お前・・・何ともないのかい?」
「え?」
楼主に問われ、は数回瞬きしてから「あ・・・っ」と驚愕の声を漏らした。
思わず首を上に向ければ、カンベエも「ん?」と顔をに向けてきた。
あまりの近さにはすぐに顔を背けてしまった。
それでも、自分の身に起きた異変に気付いた。
自分の体を抱きとめてくれているカンベエの腕の太さや、頭を預けている胸の逞しさに、顔を熱くしながら冷静に感じ取れている自分がいる。
男に触れられたときの、あの恐怖と発作がこない。
むしろ怖いくらい冷静に、カンベエを感じている自分がわかる。
楼主との危惧を悟り、カンベエは申し訳なさげに笑んだ。
「突然のことだったのでな。その・・・触れてよいかも考えたのだが、殿の命を第一にさせてもらった」
カンベエは、を抱きとめたとき彼女が自分を拒絶することを覚悟でを助けた。
あの日見てしまったの恐怖に怯える顔が脳裏をよぎったが、それでも大怪我を負わせるよりは拒絶された方がずっといい。
その想いでを助けたのだが。
先程も、今も、カンベエと密着状態を強いられての情動に変化はない。
大人しくカンベエの腕の中に収まっているに、カンベエもまた不思議な想いでいた。
「私・・何ともない。・・え・・?」
自分の体の異変のなさに、は呆然となる。
の常と同じ様子に、楼主は何とも形容しがたい不思議な顔をしている。
そして再び上を見上げれば、カンベエが穏やかな顔でを見下ろしていた。
見つめられているだけで、胸が熱くなる。
鼓動が激しく脈打ち、息が詰まりそうになる。
なのに、不思議と何の恐れもなくカンベエを見つめ返せる。
目元に刻まれた皺が思っていたよりも深いことに気付く。
耳元で揺れる銀細工の耳飾りが、間近で見れば自分の顔が映るくらい綺麗なことに気付く。
「何はともあれ、お主が無事でよかった」
低く耳に心地よい声で告げられ、言葉を紡ぐたびに動く唇を見つめ。
初めて、男の人に触れたいと、触れられたいと思った。
初めてそう思える相手に出会えた。
そしてその相手がカンベエであることに、秘色の遊女は心疼かせる。
←
戻
→
<補足>
■イブキ■
妹女郎。男のあしらいはヒロインより上手
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送