ドリーム小説
ぱちん、と小気味良い音が部屋に鳴り響き。
しばらくして、向かいから同じ音がそれに返事を返す。
その繰り返し。
―漆―
カンベエとの対局が始まって、長い時間が経っていた。
戦局は終盤に差し掛かり、流石に駒を打つ速さも落ちてきていた。
だがそれはカンベエのみのこと。
の打った駒に、カンベエは時間をかけて思考し、最良の場に駒を打つ。
だがはカンベエの熟考を蹴散らすように、恐ろしく速く切り返してくるのだ。
ぱちり
何だか可愛らしい音でこれ以上ない場所に駒を打たれ、カンベエは唸る。
始まってからずっとカンベエの手は顎を撫でていた。
真剣勝負ではあったが、カンベエとは向かい合って沈黙を保っていたわけではなかった。
将棋をさしながら、二人は端々で談笑もした。
他愛無い話ばかりを、つらつらと並べた。
カンベエが、自分は軍属で鋼牙渓に来て間もないことを話せば、は鋼牙渓での役立つ情報などを教えた。
が、ほとんど外のことを知らないと言えば、カンベエは自分が以前いた街や戦で赴いた村の様子などを語って聞かせた。
カンベエの話の中には、時折戦のことが入り混じった。
戦の話に差し掛かると、が僅かに顔を曇らせるのにカンベエは気付いた。
聞けば、の住んでいた村は戦で敗れた侍―――野伏せりに滅ぼされたという。
「誠か。以前は左様なこと少なかったのだがな。嘆かわしい限りだ」
「あのとき、機械のお侍様というものを初めて見ました。すごく大きくて、強くて、怖かったです」
戦で名を上げるために自らの体を機械化する侍が急増したのは近年のこと。
侍であるカンベエには機械侍など日常的な存在であったが、農民出のには脅威でしかなかった。
「矢や鉄砲が飛び交って、たくさんの人が殺されて。村がなくなるのはあっという間でした」
「それは・・・つらかったであろうな」
「はい。あ、いえ・・・ごめんなさい。私、なにを島田様にこんなことを」
客に話すようなことではない、とは自分の失態を苦笑する。
だがカンベエは、別段煩わしくも思っていなかった。
むしろ、のような少女が如何にして今の状況になったか。
の過去に、カンベエは興味すら持っていた。
「構わんよ。よければ、聞かせてくれまいか」
「おもしろくなどありませんよ?遊女の身の上話など」
「わしが刀の振り方を語るよりは、格段によい」
カンベエは興味を持った目でに笑いかけ、ぱちんと駒を打った。
自分に興味を持たれたことに、は嬉しさを覚える。
の表情が、ふっと緩んだ。
「私の話などでよろしければ。そうですね。何からお話いたしましょうか」
「うむ。では・・・殿の村が襲撃を受けて、その後をよければ」
目が合い、は瞳で「承知いたしました」と答えた。
ぱちり、と軽い音が話の合図となる。
「襲撃を受けて。母は幼い私と弟を連れて、宛てもなく逃げました。逃げる途中で旅の方から鋼牙渓という都の話を聞き、栄えた街なら何とかなるかもしれないと。私たちはこの街を目指しました。でも・・」
は僅かに目を伏せる。
陽の光に、京紫の瞳が揺らいでいるように見えた。
「逃げる途中で弟がはぐれてしまって」
「では、弟君とはそれ以来」
カンベエの問いに、は儚い笑みで首を縦に振る。
瞳の奥には弟を憂える想いが滲んでいた。
「母と私はようやくこの街に辿り着きましたが、当然頼りにするものなどなく。母も体が弱く、仕事に就けるような人ではなかったので・・・仕方なく母は、私をここに預けたのです」
「・・・そうであったか」
カンベエは静かに相槌を打ち、の伏せがちな顔を見やった。
幸せでもない身の上話をするときも、の顔には薄い笑みが浮いていた。
親が子供を遊郭に預ける―――売るのは、別段珍しいことでもない。
娘が美しければ美しいほど、その買い取り値も高い。
自分を遊郭に置いていった母親を、はどう思っているのだろうか。
たとえ貧しくとも、母と二人で生きていたかったと思っているのだろうか。
「殿は、母君を恨んでおいでか」
「え?」
静かに問いかけ、カンベエはぱちんと駒を打つ。
少しずれた駒を指で直し、カンベエはに顔を向けた。
はすでに予想済みの駒を指で挟み、カンベエに微笑みかけた。
「いいえ」
ぱちりと打つ音が、どこか嬉しげに聞こえたのは何故だろう。
その答えを、は笑顔で告げた。
「母は、私を売ったのではありません」
は、「母は旦那様から一銭も受け取りませんでした」とそのときのことを語る。
その顔には、母を恨む気持ちなどは微塵も感じられなかった。
「私を生かす、それだけのために母は私をここに置いていったのです。恨んでなどおりません」
むしろ誇りに思うのだ、とは告げる。
自分を最後まで生かそうと苦汁を飲んだ母親を想い、は笑う。
「母はいつも申しておりました」
『生きてさえいれば、幸せなことは幾らでもある。生きてさえいれば、大切なものを守ることができる』
「どんな苦しい場所でも・・・生きてさえいれば。私が母から受け継いだ唯一つの教えです」
そう言っては気高く笑う。
その応えは、十分にカンベエの心を揺さぶった。
成人もせぬ少女の、なんと潔いこと。
それは男であれば、侍に値する強き心。
カンベエは、目の前に座り微笑む少女を、最早子供とは思えなかった。
仕草や笑い方はまだ年相応であるのに。
その心のなんと強く、美しく、気高いこと。
「強い、な」
「え?」
思わず思考が口をついて出てしまった。
カンベエの呟きに、は首をかしげる。
カンベエは、の目を真正面から見返した。
「殿。お主は、強い」
再度、カンベエは告げた。
カンベエの焦琥珀の目が、じっとを見つめる。
はしばらくその目を見返していたが、不意に瞳を細めた。
「島田様・・・駒を、お進めくださいませ」
「ん?あぁ、すまんな」
に指摘され、カンベエは慌てながらも的確に駒をさした。
ぱちんという音を聞いて、も次の駒を手にする。
だがは手にした駒を打たず、指の中でくるくるともてあそんだ。
「島田様は、私を過大評価されていらっしゃいます」
「さて、な。それはどうかな」
「私は・・・弱い、です」
ぽつりと。
は独り言のように言葉を零す。
指でもてあそんでいた駒を、ぱちりと盤上にさした。
鳴り響く音も、言葉と同じくどこか弱々しい。
の答がカンベエには納得がいかなかった。
何故は己をそう思うのか。
「果たしてそうかな。聞けば、お主はいまだ負け知らずだと聞く。一度勝利した者が勝負に勝ち続けるには、尋常ならざる強さを要する。勝ちを重ねて自信や誇りも得たであろう」
「そんな。私が勝って得たものなど・・・あれぐらいです」
の目が、すぃと部屋奥の文机に向いた。
カンベエもそちらに目を向ける。
そこには、色とりどりの金平糖の瓶が幾つも並んでいた。
が勝ち得た数多の戦利品。
可愛らしい光景に、思わずカンベエは失笑する。
再度盤上に向き直り、カンベエは止まっていた手を動かす。
ぱちんと駒を打ち、カンベエはを見やる。
その顔には、やはり勝利者の持つ驕りや高ぶりはない。
カンベエは笑んで溜め息を吐いた。
「だが、やはり勝利することは素晴らしきこと。負け戦ばかりのわしには、羨ましい限りだ」
不意に漏らされた軍師の溜め息。
幾度もの戦を経てきた侍の心が、その吐息に僅かに含まれていた。
は思わず目を瞬かせる。
顎をさすりながら盤上を睨むカンベエを真っ直ぐ見つめた。
の視線に気付いたカンベエも顔を上げる。
「いかがした?」
「島田様は、お変わりでいらっしゃいますね」
「ん?」
「いえ・・・お侍様は皆様、武勇伝を好んで語られるものかと」
を訪れる侍は、皆そうだったから。
自ら己の負けを語る侍に、は初めて会った。
目を丸くして自分を見つめるを可愛らしいなどと思いつつ、カンベエは苦笑する。
「語って聞かせられるような武勇伝など持ち合わせていないのでな。それに、わしにとっては勝ち負けよりも遵守せねばならぬことがある」
侍として、生きること。
それが島田カンベエのすべて。
盤上の中に戦場を見つけようとするカンベエの鋭い双眸。
細められた焦琥珀の瞳は、どこか崇高な鷹を思わせる。
その気高い眼に見つめられたら。
そう思ったとき、の心がとくんと揺れた。
それ以上カンベエを見つめていたら、目が合ってしまうかもしれない。
はすぃとカンベエから視線をそらす。
は止めていた駒を静かに盤上に置いた。
「私には、島田様の方がずっとずっと強い御方に見えます」
「いや、それは買いかぶりというもの」
「いえ。島田様は負け戦ばかりとおっしゃいましたが、人は、負けて己の弱さを知ることで強うなっていく・・と思うのです」
の言葉には、確かな説得力があった。
カンベエは顎を撫で、「それは確かに道理」と同意する。
ぱちんと駒を打てば、カンベエが今までに経てきた戦の姿が思い浮かんだ。
カンベエ自身、負け戦を重ねて得たものは数多い。
それらを礎に、今の軍師としてのカンベエがあると言っていい。
そんな戦の理を、遊郭育ちのが語りえたことにカンベエは感心を覚える。
軍内の使えぬ兵士などより、の方が余程頼りになる。
だが、は目を曇らせ、自嘲気味に笑う。
「ゆえに、私は強くなることができないのです。私は、負けることができない。許されない。負けて、弱い己を見つめることができない」
「殿・・・」
名を呼べば、はカンベエと目を合わせ、一層笑みを強くする。
その笑みは、どこか痛々しかった。
「私は負けることを許されない。負けて、弱い自分を見つめるのが怖い、ただの臆病者なのです」
そう言って、はぱちんと一際高い音を響かせて駒を打った。
開けられた窓から暖かな春風が吹き込む。
の秘色の髪が、さらりとなびいた。
その神々しいまでの姿に、カンベエは心まで惹き付けられた。
カンベエは改めての心情を察した。
負けることを許されぬ身。
一度でも負ければ、はその身を男に開くことになる。
その瞬間感じることは、ただの敗北感ではないのだろう。
女として生まれた自分を―――男に支配される弱い自分を見つめることになる。
が勝ち続けるのは、弱い自分を守るため。
負けて強さを得ることのできる者を、は羨んでいる。
孤独な戦いの中に身を置くに、どうしようもなく惹かれていく己をカンベエは感じた。
吹き込むそよ風に身をゆだねていれば、不意にがカンベエの名を呼んだ。
カンベエは思考の渦から抜け出し、に向き直る。
は可愛らしい笑顔で、カンベエに宣告した。
「王手に御座います」
「そうか・・・・・。なにっ?」
カンベエはしばらく告げられた言葉が、理解できずにいた。
だが慌てて盤上を見やれば。
「・・・・・」
それは完膚なきまでにカンベエの敗北を示す状態になっていた。
どうやってもカンベエが逃げられる隙はない。
最早顎に手を置いて唸っても無駄。
カンベエは盤上を睨んで最後に一唸りし、観念したようにぽんっと膝を叩いた。
「・・・参った。わしの完敗だ」
苦笑いするカンベエに、は勝負前と同じように小さく頭を下げる。
カンベエは今一度、決着のついた盤上を見やった。
カンベエの駒の配置跡は、完璧といっていい。
だが、の駒はその完璧さに加え、微塵も隙を見せていない。
カンベエがどんな手で来ようとも、多様な方法で防げるように二重三重の策が張ってある。
これがもし本物の戦であれば、どれほど完璧で美しい戦いになることか。
そう思うと、カンベエは言い知れぬ歓喜に身震いするのだった。
強い者と剣を交えたときに感じる高揚感と同種のもの。
「また、負け戦になってしまったか」
「でもこれで、島田様はまたお一つ強くなられたのでは?」
「ふむ、まぁな。・・・そういうことにしておくとするか」
「はい」
二人は顔を見合わせ、ふっと同時に笑うのだった。
勝負はついた。
の流儀では、負けた者は、勝者に戦利品を与えなければならない。
だが、勝負に関して何の事情も知らずに来たカンベエは、当然の如く戦利品など用意していない。
その旨をカンベエはに伝えた。
は軽く手を振って、「いいんです」と丁重に断った。
もとは、これはからカンベエへの礼であるのだから、カンベエから物を貰うなど滅相もないとは考えていた。
だがカンベエもここはひかなかった。
勝負の上での決まりは守らなければならない。
そう告げれば、は渋い顔をしていたが、観念して苦笑を零した。
がカンベエに求めたものは、普段の戦利品と同じ。
「金平糖一瓶とは・・・誠にそれだけでよいのか?」
「はい。十分で御座います」
満足という顔では微笑む。
本当に欲がない、とカンベエはの無垢さを思い知る。
「承知した。では・・いつがよいか」
「次にいらしたときで結構です」
「そうか。すまんな」
何気なく答えてから、カンベエははたと気付いた。
ふと見下ろせば、はとても嬉しそうに笑っていた。
カンベエの思考を完全に分かっている顔で。
「これでまた、島田様とお会いできますね」
知らぬうちにの言葉に導かれていたことにカンベエはやっと気付く。
なんという策士、とカンベエは苦笑し、頭を掻いた。
やられた、と思う反面。
また会うことができると期待する心があることに、カンベエは己で気付いていた。
「うむ。近いうちにまた会おうぞ」
「はい。お待ちしております」
百花の笑顔をその顔に浮かべ、は秘色の髪を揺らした。
その光景に、カンベエは見入る。
カンベエに見つめられ、の白く柔らかそうな頬が薄っすらと朱に染まっていく。
穢れのない、清廉潔白な遊女の笑み。
もしもいつか、に勝つことができたら
その流れる秘色の髪に指を通し
僅かに朱に染まる目元に触れ
白くきめ細かな頬に手を添えることを
に触れることを許されるのか
そんな世迷言を一瞬でも考えた自分に気付き、カンベエは慌ててから顔をそらすのだった。
春の陽気は、人の理性を狂わせる。
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