ドリーム小説
―泗―
鋼牙渓の一角には、癒しの里と呼ばれる集落がある。
その名の通り、鉄鋼の職人たちが仕事で疲れた体を休めに来る場所である。
料亭、茶屋、大衆浴場、万屋(よろずや)、遊戯場、賭場。
遊郭、出合茶屋、陰間茶屋。
癒せるものならば、何でも御座れ。
その中でも、鋼牙渓を花の都と言わしめるは、そろいにそろった格調高い遊郭の集落だった。
癒しと色事に満ちた夢の世界。
指折りの楼閣がその世界の頂点を目指して競い合い、花の都はいつも活気に満ちていた。
その中でも特に栄えるは。
「百花楼。やっぱりここでげすよ」
目当ての遊郭を前に、シチロージはまるで決戦前のような目付きをする。
そんなシチロージを他所に、カンベエはといえば。
「ふむ。道なりに・・・向こうは袋小路か」
「・・・カンベエ様」
周囲を見回し、人の賑わいや店の立ち方、道なりを観察していた。
この男、本当にシチロージが言っていたように地形を覚えているようだ。
華やかさとは、とんと無縁の様子。
カンベエの興味は完全に街の構造に向いていた。
一度興味を持ってしまえば、なかなかその場を動こうとしないカンベエをシチロージは知っている。
案の定、カンベエはシチロージに。
「シチロージ。やはりお主だけで楽しんでくるとよい」
と言ってのけた。
予想通りの展開に、シチロージはがくりと肩を落とす。
地形探索に夢中で、カンベエはまるで子供のようだ。
だがシチロージは諦めない。
「今更何をおっしゃいますか!斬艦刀に彫った言葉をお忘れで?」
“イツモフタリデ”
いや、あれはそういう意味では、というカンベエの言葉は、シチロージの迫力に喉奥へと流し込まれる。
それでもまだ渋るカンベエの背を、シチロージはぐいぐいと強引に押した。
「カンベエ様ぐらい高給取りでいらっしゃれば、一人二人ぐらいお抱えの遊女がいてもおかしくないですのに」
「わしに斯様な嗜好はない」
きっぱりとカンベエは言い切りながらも、シチロージに押されてずるずると遊郭の暖簾(のれん)をくぐるのだった。
清潔感のある玄関造り。
入ってすぐ目の前には、朱に塗られた階段がそびえ立っている。
昼間だというのに客の入りはなかなかで、小奇麗な遊女や禿(かむろ)、客の男たちが廊下を歩いている。
そこは鋼牙渓屈指の遊郭、【百花楼】。
入ってきた二人の男を見つけるなり、初老の楼主は人懐こいえびす顔を向けてきた。
「はいはい、ようこそおいで下さいました」
楼主が客に愛想良く笑うのは、どこの遊郭でも当たり前。
一皮剥ければ、その笑みの向こうには金を掴む人間の顔がある。
だがどういうわけか。
その楼主の笑みには普通ならば感じる陰湿感はなく、どこか癒しが感じられた。
遊郭の主人とは思えない、好々爺である。
それはカンベエだけでなくシチロージも感じたようで、シチロージは楼主に警戒心のない笑みを向けていた。
しかもいつの間にやら、シチロージは好みの女を楼主に伝え、靴まで脱いで上がっている。
その素早さにカンベエも目を見張る。
「お主、いつの間に」
「カンベエ様が地形観察をなさっていた間ですよ」
なるほど、とカンベエは納得してしまう。
楼主に呼ばれた可愛らしい遊女が、シチロージに寄り添う。
一人取り残されてしまったカンベエ。
さてどうしたものか、と今更ながらに悩んでいた。
女を買って抱くような気分でもない。
かといってこのまま帰るのも、暖簾をくぐってしまった今、何だか野暮である。
悩むカンベエにたまりかねて、楼主は落ち着く声で提言した。
「お侍様。いかがなさいますか?何か女子の御嗜好など言っていただければ、こちらでそれ相応の者を」
「いや、わしは」
楼主の言葉を手で制しながらも、解決案は見つからず、カンベエは口篭る。
不意にシチロージが横から声をかけた。
「あぁ、こちらの方には、是非この廓の太夫をお願いいたしますよ」
「なっ・・シチロージ!」
太夫。
それは遊郭の最上位の遊女・御職(おしょく)の花魁を示す。
いきなり高い遊女を薦められ、カンベエは俄かに慌てる。
一方で楼主はカンベエの慌てようを謙遜と取ったらしく、「お侍様はお目が高い!」と嬉々としていた。
だが楼主のえびす顔は、俄かに困ったような笑みに変わる。
「ただ申し訳御座いませんが、少々お待ちいただくことになるかと」
「あぁ、先客ですか。全然構いませんよ」
「待て、シチロージ。何故お主が答える」
カンベエの問いもさらりと交わし、シチロージは楼主と話を進める。
シチロージの言葉に、楼主は申し訳ないと繰り返す。
「ほんに申し訳御座いません。間もなく対局も終わると思いますので」
「はぁ・・・対局?」
楼主の奇怪な言葉に、シチロージは鸚鵡(おうむ)返しする。
カンベエもまた、不思議そうな顔をした。
二人の反応に、楼主は更に不思議そうな顔をする。
「おや?お侍様方は、うちの花魁の噂を聞いていらしたのでは?」
楼主の言葉の意味がわからず、カンベエとシチロージは顔を見合わせる。
「どういうことだ?」
「さぁ・・知りやせんねぇ」
「おやおや。本当にご存じないので?」
楼主は再びえびす顔を向けた。
どうやらこの近辺では有名なことらしいが、如何せん鋼牙渓に来たばかりのカンベエたちは知らぬも道理。
そんな二人に、楼主は嬉々として語る。
楼主の話は、実際二人の興味をひいた。
百花楼の最高位の花魁といったら、癒しの里で知らぬ者はいない有名な遊女らしい。
その容姿は言葉では言えぬほど美しく、気転も利く器量良し。
何より、側に居るだけでその纏う雰囲気に癒される、まさに癒しの里の天女とさえ言われた。
だが、この天女と褥をともにするのはなかなかに難儀だという。
この花魁と事に及ぶには、彼女と勝負をし、勝たねばならない。
だが、勝てばそれまでに払われた金は全額返金の上、それ以降太夫を無償で自由にできるというのだから、男にとっては最高の博打、花魁にとっては背水の陣もいいところである。
そして男が負けたとき、花魁が要求してくるものは“一瓶の金平糖”だというのだから可愛らしいものである。
そしてその勝負とは
「ほぉ。将棋か」
楼主の話を聞いたカンベエは、顎をさすった。
全くといってなかった遊女への興味が俄かに湧きだす。
将棋は戦の攻守に通じるものもあり、カンベエのたしなみの一つでもあった。
しかもなかなかに強く、シチロージはじめ、軍内でカンベエに勝てた者はいない。
カンベエが興味を示したことに、楼主は嬉々として話す。
「それもなかなかどうして、女子にしては強う御座いまして。いまだ負け知らずに御座います」
「それはよい。一度くらいは手合わせ願いたいものだ」
そう言ってから、カンベエははっとしてシチロージを見た。
カンベエが乗り気なことに、シチロージは嬉しそうに笑っている。
カンベエはわざとらしく咳をした。
「なんだ、シチロージ。言いたいことがあるのなら申せ」
「いえいえ。あたしは何も?」
そっぽを向いて口笛を吹き始める態度がますます気味が悪い。
カンベエもいい気がしない。
冗談半分に、カンベエはにやりと意地悪げに笑った。
「申してみよ。言わぬのなら、減俸を言い渡す」
「うわっ。それは職権乱用でげすよ、カンベエ様!」
「ちょいと、お侍様方、落ち着いて下さいよ」
楼主は二人のやり取りを本気と思ったらしい。
玄関先で喧嘩されては困る、と二人を止めようとした。
そのときだった。
「終わりましたよ、旦那様。お客様のお帰りです」
鈴を転がすような声が聞こえた。
それから、とんとんと軽い足音を立てて、一人の遊女が朱塗りの階段を降りてきた。
百花繚乱の絵柄をまぶした華やかな衣装に身を包み、普通ならば豪華に結い上げる遊女の髪を結ばず、背中に綺麗に流している。
「おや、早かったね。またお前の勝ちかい?」
楼主の問いに、遊女は勿論と笑顔で答える。
長く真っ直ぐな髪を、すっと指で耳にかけた。
そんな何気ない動作までもが美しい。
彼女が少しでも動く度に、花びらが舞うような気さえした。
「お客様ですか?」
少女の声に、カンベエもシチロージも顔を上げた。
りんっと鈴を振ったような甘い声。
綺麗な立ち振る舞い。
さらりと流れる長い髪は、白い絵の具に青と灰を一滴ずつ落としたような灰青の秘色(ひそく)。
見覚えのある色に、聞き覚えのある声。
階段の中途で立ち止まったのは、綺麗で可愛い、人形のような少女。
「・・殿・・・か?」
カンベエの声に、滅多に含まれない驚きが混じる。
不意に名を呼ばれ、少女は流れるように顔を上げた。
カンベエと目が合った瞬間。
少女はふわりと羽根が舞うように微笑んだ。
いつか鋼牙渓の街で見せた笑みと同じもの。
京紫の瞳が、嬉しそうに細められる。
「誠に・・・殿なのか?」
見間違えであるはずはなかった。
それでもカンベエは真偽を問う。
少女は、一層目を細めて笑った。
「はい。覚えていて、下さったのですね」
あの時と同じ感覚。
カンベエの目が、から離れなくなる。
これが軍師島田カンベエと百花楼太夫の、二度目の出会いだった。
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<補足>
■楼主(ろうしゅ)■
遊郭の主人のこと。亡八(ぼうはち)とも言う
■太夫(たゆう)■
その遊郭で一番人気の最高位の遊女のこと。「御職の花魁」とも言う
■花魁(おいらん)■
上位の遊女のこと。上位の中でも、1位を「太夫」、2位を「天神」と呼ぶ
■禿(かむろ)■
花魁についてまわる小間使いの少女のこと。
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