人は、己と違うもの、己より劣るもの、己より優れたものを忌み嫌う。
傲慢で自分が可愛い、愛しい生き物だ。
―参―
カンベエとシチロージが鋼牙渓に配属されてから一週間が経過した。
突然やって来た二人の軍士―――特に軍師として名の馳せたカンベエの異動に、鋼牙渓支部内は俄かに色めきたった。
軍内を堂々と歩くカンベエの姿を、下士官たちは憧れの眼差しで見つめた。
だがやはり、高官の者たちからは陰でカンベエを揶揄する声が上がっていた。
“負け戦の軍師”
“島田につけば、死ぬことはないが、勝つこともない”
そう陰で囁かれる度に、腹を立てるのはカンベエではなく、シチロージだった。
「またあんなこと言ってやがる。あたしがちょいと行って、しめてきましょうかね」
「やめろ、シチロージ。好きなように言わせておけばよい」
血気盛んな副官を、カンベエは苦笑しながらなだめた。
カンベエは割り当てられた執務室へとさっさと足を進める。
シチロージも渋々その後を追った。
二人で歩きながらも、カンベエの後ろから納得のいかない声が聞こえてくる。
「カンベエ様も少しくらい言い返していいと思うんですがね」
シチロージの腰に下がった槍の飾りも、不機嫌そうにしゃらしゃらと音を立てる。
カンベエは僅かに首を後ろに向けた。
「下手に口答えなどして余計な争いをうむ必要などない。内部で敵を作ってどうする」
「それはまぁ・・そうですがね」
カンベエの言うことはいつも正しい。
冷静さを忘れないカンベエだからこそ、負け戦ばかりとはいえ軍師として名が立った。
「わしらが仕えるべきは主君。挑むべきは敵軍。それだけだ」
独り言のようにカンベエは呟く。
シチロージが見るその背は、勇ましい侍の背中だ。
広く、気高く、迷いのない背。
カンベエが常日頃言っていることが思い出される。
“戦場に生き、戦場に死す。主君に仕え、主君より先に死ぬは恥と知れ。それが、侍というもの”
守るべきものを守れずして死ぬは、それすなわち敗北とカンベエは言う。
たとえ負け戦になろうとも、命あれば守れるものもある。
それが、島田カンベエという侍だった。
着いた執務室で、シチロージは窓を大きく開けて風を呼んだ。
部屋に入り込む春の風に、シチロージは大きく伸びをする。
ふと、高層から鋼牙渓の街を見下ろした。
かんかんと鉄を打つ音がここまで届いている。
軍から見下ろす鋼牙渓のほとんどは、炭鉱機材や製鉄場で埋まっていた。
シチロージは活気に満ちた街の一角に、ふぃと目を向けた。
鉄色とは違う、鮮やかな彩色の尾根が群がる集落が目に入る。
あの場所こそが、シチロージが早く行きたいと待ち望む、鋼牙渓の花の都だった。
窓辺に手をつき、ぼぉっとその方向を眺める。
「あぁー・・・癒されてぇ」
言ってから、シチロージは「おっと」と口を結ぶ。
思わず心の声が出てしまった。
ちらりと後ろを向けば、予想通りカンベエが呆れた顔をしていた。
「お主は・・・。僅か一週間で、相当鬱憤が溜まったようだな」
「あいや、すみません・・・・・でもですね!そりゃ溜まりますよ!」
沈んだかと思えば、突然シチロージは机に積み重なった書類の山をどんっと叩いた。
勢いで数枚がはらはらと山から落ちていく。
「こんな、あたしらがやらなくてもいい雑務処理までやらされればね!」
「まぁ、落ち着け、シチロージ」
落ちた書類を拾いながらも、カンベエも紙の山に溜め息を漏らした。
鋼牙渓支部では新人の二人には、様々な方法で嫌がらせが舞い込んでくる。
その一つ一つに腹を立てていてはきりがない、とカンベエは来る仕事を文句も言わず片付けていた。
逆にカンベエの仕事の速さと正確さに、仕掛けた方がはらわた煮えくり返っているわけだが。
若いシチロージには、その一つ一つに腹を立てる活力もあった。
だが流石に一週間も経てば、シチロージとはいえ精神的にも疲労が溜まってくる。
「カンベエ様。明日は息抜きに街に出ませんか?」
その言葉に、カンベエは遂に言ってきたか、と顎をさする。
シチロージの言うのは、街は街でも色街のこと。
あまりそういうものを好まないカンベエは返答に渋る。
「うむ・・・。わしはあまりあぁいう場は好かんのだがな」
刀一本で生きてきたカンベエには、色事は不得手であった。
シチロージに無理矢理引っ張られて何度か行ったぐらいだ。
勿論カンベエも男であるゆえ、完全な嫌悪の感情はなかったが、積極的に行くことはなかった。
「鋼牙渓の探索にもなりますよ。もしここが戦場になったとき、地形がわからぬでは通りませんよ」
シチロージはどうやっても街に出たいらしく、さも当然とばかりに熱弁を振るう。
その情熱に、流石のカンベエも折れた。
「まったく。お主の口には勝てんな」
カンベエの了承を得て、途端シチロージの足取りが軽くなる。
嬉々として机に向かうその姿に、カンベエは苦笑を漏らすのだった。
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<補足>
■島田カンベエという侍■
情熱と冷静の二面性を併せ持った理想の軍師
大戦期は、キュウゾウと並ぶほど武士道に対してストイックだったのではないかと
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