ドリーム小説
―弐―
光と闇は、表裏一体。
栄え、光を得た都は、必ず闇を持つのが世の道理。
鋼牙渓も、これまた然り。
鉄鋼業で成り上がり、贅を尽くす者が数多ひしめく都市だったが、その反面、お零れに群がる者も数多くいた。
ごろつきも盗人も多く、奴らの対象となるのは決まって弱者、老人、女、子供。
鋼牙渓は治安が完全に良いとは言えない街だった。
警邏隊(けいらたい)の対処も追いつかず、街にのさばる者の多いこと。
耳を澄ませば、今もまたどこからか女のか細い悲鳴が聞こえてくる。
「お放し下さい!私は金品の類は・・何も持ちおおせておりませんっ」
薄汚れた衣装を纏う男たちに囲まれ、少女と思しき女は震える声で叫ぶ。
だが少女が懇願すればするほど、男たちはにぃと口を歪めて笑うのだった。
「金目のものはなくとも・・・お嬢ちゃん、あんたの体があるだろ?」
「やっ」
それで十分、と男の一人が少女の肩に手をかける。
びくりと少女の体が跳ね、それが余計に男たちを喜ばせた。
「いや・・・触れないで下さいっ」
少女は顔を歪めて懇願する。
男は肩を掴む手に力を入れた。
「こんなところを一人で歩いて、襲ってくれって言ってるようなもんじゃねぇか」
「・・・やっ」
「そんな顔するなって。殺しはしねぇよ、ちょっとばかし楽しませて貰うだけだ」
男の言葉に、他のごろつきたちも喝采を上げる。
少女はぎゅうと震える体を抱きしめた。
弱き者は、鋼牙渓では生きていけぬ。
悪人に襲われても、誰も助けてはくれぬ。
襲われる方が、弱い者が悪い。
それがこの街の理。
助けが来ることなど、微少も求めても意味はない。
少女は半ば諦めかけていた。
「そのぐらいにしたらどうだ?」
突然に横から入り込んできた、低い声。
少女は弾かれたように顔を上げた。
視界に入ってきたのは、きらりと鈍く光る刃。
少女の肩にかけていた男の手に、刀の切っ先があてがわれている。
いつの間に現れたのか。
ごろつきの男の背後に、褐色の肌をした長い髪の男が立っていた。
焦琥珀の髪と瞳を携えた、軍服を身に纏った壮年の男。
「な、なんだよ、てめぇ!?」
「手を放せと申しておるのだ」
軍服の男は、ごろつきを睨みつけた。
優しい焦琥珀色の目には、だが同情や優しさなどは微塵もなく、刀を持つことへの迷いもない。
少しでも不審な動きを見せれば、男は躊躇いなく刀を振り、手を切り落とすと感じた。
ごろつきの背中を冷たい汗が流れる。
ゆっくりと少女から手を放し、汚れた男はあとずさった。
「見逃してやる。立ち去れ」
「くそ・・っ!」
低い声で威圧され、ごろつきたちは脱兎の如く逃げ去っていった。
負け犬の遠吠えらしきものが聞こえてくる。
少女は目を丸くし、軍服の男が刀を収めるのをじっと見ていた。
かちんと音を立てて刀が鞘に戻る。
その音で少女の意識は現実に戻ってきた。
少女は多少乱れた着物の襟を正し、男に向き合った。
「あの・・危ないところを、ありがとう御座いました」
深々と頭を下げる少女を見下ろし、カンベエは刀をベルトに差し戻した。
「いや、なに。偶然通りかかっただけだ。礼には及ばん」
人が困っているのを、捨て置けない。
それがカンベエの性だった。
たとえそれが急いでいるとき―――御上への謁見(えっけん)に参る中途だったとしても。
シチロージを通りの向こうに待たせている。
カンベエはその場を立ち去ろうとした。
「お待ちくださいませ、お侍様。何か・・・何か御礼をさせて下さい」
少女に呼び止められ、カンベエは振り返った。
そこでカンベエは初めて、真正面から少女を見ることになる。
幼いとはいえ、それは非常に美しい少女だった。
小奇麗な瑠璃色の着物を纏い、身なりを見れば良い家の娘に見える。
流れる長い髪は、白い絵の具に青と灰を一滴ずつ垂らしたような灰青の秘色(ひそく)。
陽の光に照らされ、艶やかな髪は水色とも、銀とも見える。
少女は、深い紫色の目でカンベエを見上げた。
「私に何かできることは御座いませんか?」
容姿だけでなく、言葉遣いや立ち振る舞いも流れるように美しい。
しかりと教育された者だとカンベエは感じた。
年の頃まだ十代ともいえる少女に、半ば感心する。
「いや。わしは少し威嚇しただけだ。あれしきで礼をされたらこちらの申し訳が立たぬ」
「ですが・・」
カンベエも少女もひかない。
どうしたものか、とカンベエは顎に手をやる。
不意に少女は、それではと提案を持ちかけた。
「それでは、私の名を留めていて下さいませんか?次にどこかでお会いしたときに、御礼を」
少女はカンベエを真っ直ぐに見つめる。
京紫(きょうむらさき)の瞳に見つめられ、カンベエは観念して小さく息を吐いた。
「そういうことならば、まぁ。承知した」
「ありがとう御座います」
少女は再び頭を下げる。
「して、そなたの名は何と申す」
カンベエの問いかけに、少女は薄く微笑んで名を告げた。
「はい。に御座います」
灰青の秘色の髪が風に揺れる。
それはまるで一枚の名画のような美しい光景で、カンベエの目をしばし釘付けにした。
幼い娘が、ここまで精練された姿を見せられるものなのか。
カンベエはただ黙っての目を見返していた。
遠くからシチロージが呼ぶ声がする。
それに気付き、カンベエはようやくから視線を外した。
「カンベエ様!お時間、かなりまずいですよ!」
「すぐに行く!・・・ではな、殿。気をつけて帰られよ」
カンベエはの返事も聞かず、その場をあとにした。
カンベエの姿が見えなくなるまではその背に頭を下げていたが、カンベエがそれに気付くことはなかった。
「カンベエ様ともあろう御方が、人助けに随分と時間を食われましたね」
シチロージは並んで走るカンベエに声をかけた。
謁見の時間までもう間もなくとなっている。
どうやら相当時間を食ってしまったらしい。
ごろつきを追い払うのにはそれほど時間はかからなかった。
むしろ時間を取られたのは、助けた少女―――とのやり取りであろう。
「いや、なに。あの娘子がどうしても礼をしたいと言うのでな」
「ほぉ。それはまた律儀な。で。カンベエ様のことですから、どうせ何も受け取らなかったんでしょ?」
長い付き合いの上官のことなどシチロージにはお見通しである。
苦労貧乏のカンベエがあれしきのことで礼など受け取るはずがない。
シチロージの予想通り、カンベエは頷く。
「代わりに名を留めさせられたがな。次に会ったときに礼をすると申しておった」
「それはそれは。で。ちなみにカンベエ様、御自分の御名前名乗られました?」
「・・・・・」
「忘れたんですね」
相変わらずだ、とシチロージは笑う。
軍部が間近に迫ってきた。
シチロージはカンベエに顔を向け、にぃと笑う。
「遠目にもなかなか可愛い子でしたね。また会えるといいですねぇ、カンベエ様」
「また・・・お主はそればかりだな」
カンベエは苦笑し、前を向いて走る足を速めた。
軍門を前に、既にカンベエの頭は謁見のことのみで埋まっている。
先程助けた少女のことは、過去の記憶の一つとなっている。
カンベエの前にそびえる鋼牙渓支部の大門。
走る二人の背を、春風が強く押して行く。
これが島田カンベエとの、鋼牙渓での出会いだった。
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<補足>
■鋼牙渓(こうがきょう)■
虹雅渓の姉妹都市。風景のイメージは、『天空の城ラピュタ』に出てくる炭坑みたいな感じで
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