ドリーム小説
小綺麗な座敷に秘色(ひそく)の毛色の兎が一羽。
京紫の瞳をうっすらと赤く染めて、そこに静かに座していた。
―弐拾伍―
座敷の中央に向かい合って対峙する二人がいた。
金髪の美青年侍と、秘色の麗しい花魁。
こうして向かい合い言葉を交わすのは互いに初めてのこと。
けれど不思議と顔見知りのように感じられるのは、きっと二人に縁のある「彼」のおかげ。
「シチロージ様のことは島田様からよく伺っておりました。だからでしょうか。こうしてお話しするのは初めてですのに、なんだかずっと前から知っているような気がいたしますね」
「それはあたしも同じでげすよ。ちゃんのことはカンベエ様からよく聞いていやしたからね」
そう言ってシチロージは人懐こい笑みを浮かべる。
一方のはカンベエの名を聞き、わずかに眉を落として悲しげな顔で笑い返した。
そんなの心中を察し、シチロージは苦笑する。
「化粧で上手く隠しているつもりでしょうが、もしかしなくても毎晩泣いてるんじゃありやせんか。お嬢さん」
「え・・・」
思わずの口から素の声が零れる。
それはシチロージの言葉が真実であると肯定していた。
「ご名答でしょう」
「・・・。はい」
にっと口角を上げるシチロージに、は一度唇を引き結び、それから観念したように苦い顔で笑ってみせた。
は察する、シチロージに下手な嘘や隠し事はできないということを。
「お恥ずかしい限り、です・・・」
きっとシチロージには、が何を想い誰を想い涙しているのかも全てお見通しなのだろう。
「シチロージ様・・」
「なんでしょう」
「その・・・。島田様は、お元気でいらっしゃいますか?」
自分から別れを告げた相手のことを今更訊くなんて虫が良すぎる話だ。
けれどシチロージの姿を見たときから、は彼のことが訊きたくて仕方がなかった。
シチロージはふっと力を抜いた笑みを浮かべる。
「えぇ、元気ですぜ。ここ最近は一時期下降気味だった戦果も順調にあげておりやすよ」
「そう、ですか・・・。それは良かったです」
シチロージの報告に、はほっとする。
けれど安堵したのも束の間、今度は軋りと胸に寂しさを感じるのだった。
カンベエの調子が戻ったのは、それはきっと自分が離れたからなのだろう。
本当に自分はカンベエにとって疫病神でしかなかったということを突きつけられた気分だった。
(やはり、・・・お別れして正解だったのですね)
「もしかして今、『お別れして正解だった』なんて思ったりしやした?」
「ぇ・・・っ」
ずばり心の中を読みあてられ、は反射的に顔を上げシチロージと目を合わせた。
彼は胡座に片腕を立てて頬杖ついて笑っていた。
「あぁ。その顔はやっぱりですかい」
「何故・・・」
「何故って、そりゃちゃんの顔にばっちり書いてありやすからね」
「えぇ・・っ?」
そんなことありはしないのに、思わずは両手で頬を包んでしまう。
その様子を正面から眺めていたシチロージは思わず吹き出してしまうのだった。
「ふはっ。こりゃ確かに・・・(カンベエ様がお気に召すわけだ)」
「え?」
「あぁ、いや。こっちの話ですぁ」
ひとつひとつの所作や言葉が無垢で愛らしくて。
こんな娘でなければ、戦場の穢れや闇で覆われたあの御方を癒すことはできない。
本当に出会うべくして出会った二人なのだと思わせられる。
運命に導かれて出会った二人・・・それなのに。
「どうして別れの道なんて選んじまったんでしょうね」
「それは・・・」
答えにくいことを訊かれ、は口を閉ざす。
けれどその反応を予想していたシチロージは、あえて自分からずばずばと彼女の殻を切り開いていった。
「卯月キョウノスケの狂言に惑わされやしたか」
「――っ。何故、シチロージ様が卯月様のことを・・・」
「あー・・・まぁ、勝手ながらこちらでもちょいと調べさせていただきやしたよ」
シチロージは親しい友人の力を借りて卯月の身辺を探ったことをに伝えた。
カンベエの力を我がものにしようとする卯月がの存在を邪険にしていたことも。
カンベエに力を取り戻させるためにが自らカンベエのもとを去るよう仕向けたことも。
「卯月の野郎は素直すぎるお前さんの性(さが)を利用したんでげすよ。そして奴の策略通り、ちゃんお前さんはカンベエ様のことを想い自分から離れていった」
「・・・」
シチロージの言葉をは黙って聞いていた。
俯くその顔は唇を一文字に引き結び、ひどく複雑そうだった。
「嘘までついてカンベエ様と離れる道を選んで。あの御方を傷つけて、ご自分を傷つけて。・・・本当にこれでよかったんで?」
「・・・」
「ちゃん」
「・・・。私があの方のためにできることは、・・・これぐらいしかありませんでしたから」
小さな声でそう言うと、はゆっくりと顔を上げ暗い窓の外に視線を投げた。
遠くでちかちかと光が瞬いている、鋼鉄の艦を静かに見つめる。
そこにいる、いまだ愛しき誰かを想いながら。
「あの方の足枷には、・・・なりたくなかったのです」
たとえ自分を犠牲にしようとも、侍として生きる彼の道が拓くのならばそれでいい。
思い出すのは、初めてここで彼と将棋を指したときのこと。
あの日から忘れたことなどなかった。
―――わしにとっては勝ち負けよりも遵守せねばならぬことがある
あのときの彼の言葉が心の中で残響して鳴りやまない。
知らず知らず、の魂にも遷り棲んでいた彼の信念。
は遠くの戦艦から目を離し、シチロージと向き合い静かに微笑んだ。
「あの方が侍として生き抜くこと・・・・・それが私の幸せなのでございます」
それは静謐な微笑みだった。
その言葉に、その微笑みに、シチロージは静かに魅入る。
という娘の強さを思い知らされる。
そして、カンベエへの愛ゆえに自分を犠牲にしようとする痛ましさにシチロージは悲しさを覚えた。
「カンベエ様は・・・、お前さんのことを足枷だなんて思ってやしませんよ」
それは本当。
カンベエがそんな人間ではないことはシチロージも、勿論もわかっている。
けれどは微笑みながら目を閉じ、静かに首を横に振るのだった。
どうあっても本当の気持ちを押し殺そうとする。
の決意は頑なだった。
「ちゃん・・・、島田カンベエという御仁を見くびらないでいただきたい。あの御方はあんたの足枷ぐらい・・・、好いた女一人ぐらい悠々と担いでくださる」
「・・・。たとえそうであったとしても、私が自分を許せないのです。私はあの方に嘘をつき、傷つけ、自ら離れた。今更何を申すことも許されません」
「ちゃん・・・」
どうあってもの意志は揺るがなかった。
は静かに両手を膝の前につき、ゆっくりと頭を垂れた。
別れの挨拶をされ、シチロージは奥歯を噛みしめる。
どれほど説得しても、自分では彼女の心を動かすことはできない。
彼女の心を溶かすことができるのは、・・・一人しかいないのだ。
「なら一つだけ・・・、最後に一つだけ聞かせてもらいたいことがある」
頭を下げたままのに、シチロージは静かに問いかけた。
彼女が嘘をつかず、本当の気持ちを答えてくれることを期待して。
「ちゃん。お前さんは今でもカンベエ様のことを想ってくれていやすか」
その問いに対する答えは、長い沈黙だった。
永遠のような時間を彼女は頭を伏せたまま黙り続けた。
けれどシチロージは黙ってその沈黙が終わるときを待ち続けた。
どこかに飛んでいったと思っていた蛍が、ふよふよと相変わらず頼りない飛び方で戻ってきていた。
窓辺の桟に止まり、ちかり・・・、ちかり・・・、と弱々しげな光を放つ。
夜風が一筋吹き入り、蛍を再び宙に飛ばし、彼女の秘色の髪を一房揺らした。
がゆっくりと顔を上げる。
「私は」
*
の部屋を後にし、シチロージはやや重い足取りで朱塗りの廊下を歩いていた。
ギンゾウに協力してもらい、躍起になってやってきたものの、得られたものはほとんどない。
(無力すぎて情けねぇにも程があらぁ・・・)
とぼとぼと重い足を引きずるように廊下を進む。
ふと聞こえる女の声に顔を向ければ、遠くにいる遊女たちと目があった。
金髪の美青年が歩いている、ただそれだけで遊女たちの目をひいていたらしい。
きゃっきゃと歓声をあげる遊女たちにシチロージは疲れた笑みとともに片手を挙げて応える。
はぁとすっきりしないため息をついたときだった、不意にシチロージは軍服の裾を後ろから引っぱられた。
「・・・?」
なんだろうとシチロージは振り返る。
するとそこには、シチロージの腰ほどしか背のない可愛らしい禿(かむろ)がいた。
少女は何か言いたげな顔でシチロージを見上げてくる。
シチロージは両足を折り、少女と目線を同じくしてやった。
「あたしに何か御用で?かわいこちゃん」
「あの・・・。ご無礼を承知で。わっちはイブキと申す者でありんす」
「イブキちゃん、ですか。良い名でげすね。あたしはシチロージっていいやす」
「シチロージ様・・・」
イブキは不安げな声で彼の名を呼ぶと、突然その場に両膝を着き、次いで両手をついて頭を垂れた。
少女の突然の行動にシチロージはぎょっとする。
一体どうしたのかと慌て、とりあえずイブキの頭をぽんぽんと叩いて頭を起こすように説いた。
しばらくしてゆっくりと顔をあげたイブキは、子供らしい丸い双眸からぽろぽろと小さな涙を零していた。
「イブキちゃん・・・?」
「シチロージ様・・・、どうか、どうか・・・・・花魁を助けておくんなんし・・・っ」
「は・・・?」
イブキは廊下に両手をついたまま、しゃくり上げながらもイブキは必死に彼に伝えようとした。
それはとイブキしか知らないこと。
カンベエが最後に百花楼を訪れたとき何があったのか。
が何故カンベエと離れることを決断したのか。
イブキは自分の小さな体に押し込めた全てをシチロージに伝えると、両手で涙をこすりながら訴えるのだった。
「このままじゃ、花魁の涙が止まりんせん・・・っ。シチロージ様・・・、どうか、どうか花魁を・・――」
を想い、の幸せを願い、少女はぽろぽろと涙する。
シチロージはイブキの頭を優しく撫でてあやしてやった。
今目の前で泣きくれる少女と、先程まで座敷で向かい合っていた娘の姿があまりにも鮮明に重なり合うことに胸を軋ませながら。
―――今でもカンベエ様のことを想ってくれていやすか
その問いかけに、秘色の髪を揺らしながら娘はゆっくりと顔を上げ答えるのだ。
京紫の瞳いっぱいに涙を溜め、ぽろりぽろりと一粒ずつ静かに涙を零しながら、それでも笑って答えるのだ。
『初めてここでお会いしたあの日から、私はずっとあの方を想い続けております』
涙を零しながら楚々と微笑む、の想いの強さは刀でも断ち切ることなどできはしない。
百の刃でも、千の弾丸でも到底折れぬその心。
必ず救ってやりたいと男は覚悟を決め、泣き笑う娘の頭をそっと撫で部屋を後にしたのだった。
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