ドリーム小説
「この艦の侍は腐っとるな、シチロージ殿」
ギンゾウの笑い顔は決して明るいものではなく、そこには不信感や嘲笑が混じっていた。
その笑みは、この艦に棲む全ての侍が信じられないと言っているかのようだった。
―弐拾泗―
硬質な廊下を悠然と歩く二人の軍人がいた。
一人は、卯月キョウノスケ。
この艦(ふね)を取り仕切る四つの小艦隊、『花』『鳥』『風』『月』の内の一つ、『月』艦を任されている指揮官だ。
特徴的な禿頭(とくとう)の男の斜め後ろにつくもう一人の男は、彼の直属の部下。
二人の男は、かつこつと硬い音を立てて世間話をしながら歩いていた。
話題に上るのは、つい先程卯月の執務室を訪れた金髪三本髷の男の話。
執務室でのやり取りを、卯月は部下に舌打ち混じりに話す。
すると、彼の部下は怪訝そうに眉根を寄せた。
「そうですか。そんなことがあったとは。・・・島田の副官、勘付いたのでしょうか」
「シチロージとか言ったな。鋭い奴だ。だが、奴とて詳細まではわかるまい」
「そうあって欲しいものですな。今は島田の士気も戻り、我等が部隊の任務成功率も上がっております故」
「策を講じた甲斐がありましたな」と、部下の男はにやりと笑う。
前を行く卯月もまた頬をあげ、薄く笑った。
「あぁ。まったくもってな。ようやく御上のお目に留まる艦になれたというのに、ここでまた島田に士気を下げられたのでは困るわ」
「しかし、おかしなものですな。あれほど戦場で名を馳せた軍師ですら、たった一人の女にその士気を左右されるとは」
「ふん。奴も血の通った人間だったということであろうよ」
卯月は肩を揺らして笑う。
途中すれ違う兵士が卯月の姿を見て立ち止まり、通路の壁際に背をつけ、一礼して去っていく。
それを横目に見やり、部下の男は再びいやらしげな笑いを上官に向けた。
「しかし、卯月様は本当に無情にあらせられる」
「儂がか?ふん。何を言う」
「おや、ご自身はまったくの無自覚で?想い合う、何の罪もない男女の仲を無惨に裂かれて。まるで冷たい鬼のようだ」
部下の男は肩を揺らして、くくっと笑う。
卯月は歩きながらちらりと後ろを振り向いて、そしてにやりと笑った。
「儂が裂いたわけではない。ただ、本の少々突いてみただけだ」
「またまた、お人が悪い。その突っつき傷が、今のこの状態を作られたのでしょう。ならば、同じ事」
「ふん。もっと愛憎の泥沼に帰すかと思ったがな。島田も、あの―――といったか、あの遊女も。思ったよりもあっさりと身を引いてくれたものだ。二人とも生真面目な性格が仇(あだ)となったな」
「あぁ、怖い怖い。卯月様は本当に酷い御方だ」
「それで奴の士気が戻り、市井が平穏を保ち、我が軍が勝利を収められるのだから、安い代償であろう」
二人の軍士は声をひそめて笑い合う。
だが、内緒話にしては大きな声は、回廊の鉄の壁にぶつかり僅かに反響していた。
二人は意気揚々と足を進める。
だが、不意に二人は笑みを引っ込め、その場の空気が変わったことを感じ取った。
誰か、いる。
見知らぬ気配がそこにいる。
卯月は視線を鋭くさせ、声をかけた。
「誰だ」
卯月の冷たく厳しい声が響き渡る。
それでも反応がないことに、卯月は目つきを鋭くさせる。
二人が進む先にある回廊の曲がり角。
そこから、不意にはらはらと何枚もの白い紙が振ってきた。
「・・・・・」
「あぁ、これはこれは申し訳ありませんなぁ。すぐに片付けますゆえ」
「貴様、・・・そこで何をしている」
「いえ、別に。あぁ、それ踏まないでくださいよ」
どっしりとした体躯の男は、ぺこぺこと頭を下げながら散らばった用紙を集め始めた。
その様子を、卯月と部下の男は怪訝な顔で見下ろした。
「貴様、・・・名と所属部隊を言え」
「へぇ。名は、荒川ギンゾウ。所属は第三班の長槍部隊ですわ」
「第三班の者が、こんなところで何をしておるか」
「いや、この書類を持ってこいと班長殿に頼まれていたんですがね。早く持って行かなきゃなんねぇと慌ててたらこの様で。どうもお見苦しいところを、」
「ちっ・・・。さっさと片付けて立ち去らんか」
「へい。急ぎ片付けますわ」
ギンゾウはぺこぺこと頭を下げて、慌ててその場を去った。
後ろで卯月が再び舌打ちしたのを確かに聞きながら。
*
ギンゾウはどたどたと慌てた足つきで廊下を駆けた。
「急がねば急がねば。班長殿に大目玉を食らう」
その言い方は、なんだか喜劇役者のようでわざとらしかった。
ギンゾウは廊下の角を曲がると、どたばた走りを突然に静かで落ち着いた歩き方に変えた。
まるで、今までの慌てた走り方が演技であったかのように。
ギンゾウはまた角を曲がると、目についた厠(かわや)の前で立ち止まった。
目玉だけ動かして辺りを検索すると、厠の扉にかけられた『使用可』の札を裏返し『清掃中』に換えた。
そして隠密行動のように、さっと厠の中へと身を隠した。
厠の中には、一見誰もいないように見えた。
ギンゾウはずらりと並んだ大便用の個室の方へ目を向ける。
その中に一つだけ扉が閉まり、『使用禁止』の札がかけられた個室があった。
ギンゾウはその個室の前に立つと、扉に声をかけた。
「いや、お前さんの思っていたとおりだったわい」
「・・・・」
「この艦の侍は腐っとるな、シチロージ殿」
扉に話しかけるギンゾウは、何者かを皮肉るように眉をひそめて笑った。
少し間をおいて、使用禁止のはずの個室の中から、静かな声が返ってきた。
「・・・あぁ。よぉくわかっていやすよ」
姿は見えないが、そこにいるのは確かにシチロージだった。
ギンゾウがここに来るしばらく前から個室に身を潜め、ギンゾウが来るのを待っていた。
ギンゾウはシチロージに頼まれ、卯月らの周辺を捜査していた。
シチロージが卯月の近くにいたのではきっとぼろを出すことはない。
だが、顔見知りでもないギンゾウならば、卯月らがその気配に気付くこともなかろうと踏んでいた。
シチロージの考えは、果たしてあたっていた。
ギンゾウは、今し方聞いたばかりの卯月らの悪行をシチロージに聴かせた。
話を聞いたシチロージは、個室の中で拳をめきりと音が鳴るほど握りしめる。
「・・・あんの野郎。汚ぇ真似を」
にぃっと、犬歯を剥き出しにしてシチロージは怒りに満ちた笑みを浮かべる。
「シチロージ殿よ。まさか、今から卯月殿を殴りに行く気ではなかろうな」
「・・・いや。んなことしたって、奴らはそらっとぼけて、俺が処分されるだけでぇ」
「あぁ、よかった。よく分かってるな。・・・で?だからって、それで静かにしてるお前さんじゃないのだろう?」
シチロージの性格をよく知るギンゾウは、ふっと口元に笑みを浮かべる。
「ちぃっとばかし、話をしたい子がいるんでさぁ」
出かけてきやす、とシチロージは言う。
ギンゾウはシチロージの急な行動に少々戸惑う。
「今からかい?そんな性急過ぎやしないか、」
「思い立ったが吉日さぁ。何かしてなきゃ、気がもたねぇ」
考えがあるから、すぐにでも行動したい。
そうでもしなければ、この怒りに沸いた衝動はおそらくあの禿頭(とくとう)の軍師へと向かってしまう。
今すぐにでもこの個室の扉を蹴破って、あのハゲチャビンをぶん殴りに行きたいのだから。
シチロージは自分を落ち着かせるために目を閉じて笑うと、すぅと大きく息を吸い込み、・・・そして「うっ・・・」と顔をしかめた。
「いけねぇ・・」
「どうしたい?」
「ここが便所だってこと、忘れてた」
ぴしゃりと額を叩いて自分を笑うシチロージに、ギンゾウも扉越しに思わず吹き出すのであった。
夏の夜風は生ぬるく
どこかで誰かが燃やした線香花火の匂いを運んでくる
薄暗闇にふよふよと漂う儚げな蛍の光
小さな光虫がの指先に止まり、ちかり・・・、ちかり・・・、と弱々しげに光を放つ。
「誰を呼んでいるの?」
小さな声で虫に問いかけても、勿論答えが返ってくるはずもない。
光虫は、ゆっくりゆっくりと明かりを灯すだけ。
「恋しい誰かを、呼んでいるの?」
その問いかけは、まるで自分自身へのもののようで。
は眼を細めて蛍を見つめ、細く息を吐いた。
不意に障子を叩く音。
「や。お客様だよ」
呼び声に、「はい」と短く返事を返す。
蛍を指先に乗せたまま、はゆっくりと振り返った。
障子がゆっくりと開いていく。
そしてそこにいる、見覚えのある侍の姿に、はゆっくりと目を丸くした。
「あ・・・」
「おや。そのお顔はもしかして、あたしのこと覚えていてくれたようで」
客だという男はとても美青年で、ににこりと優しい笑みを向けてきた。
金髪を三本の髷に結った珍しい髪型で、深緑の軍服は「彼」と同じ。
「彼」との会話の中に、時折姿を現したことがある。
「彼」はこの人のことを優秀な副官だと自慢げに語っていた。
「シチロージ、様・・・?」
「こいつは嬉しい。名まで覚えていていただけやしたか」
シチロージはにっこりと笑う。
その優しい笑顔につられて、まともに話しをしたこともない相手なのに、も思わずにこりと笑顔を返した。
だがそれも、次のシチロージの一言で引っ込んでしまう。
「申し訳ありやせんね、カンベエ様じゃなくて」
シチロージは申し訳なさそうに苦笑する。
の顔から、一度笑顔が消えた。
彼女の心を察したかのように、彼女の指先に止まっていた蛍がふよふよと窓辺から飛び立っていった。
はほんの少しだけ蛍を目で追い、そしてまたシチロージに顔を戻した。
は緩く首を横に振ると、シチロージに向けてやや哀しげに笑って答えた。
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