ドリーム小説
「花魁は、本当は島田様とお別れするのを何よりも怖れていんした」
幼い少女は涙を拭い鼻をすすりながらも必死に伝えた。
自分が慕う姉女郎が自らにくだした苦渋の決断を。
そして、迷い葛藤する彼女に禁断の甘い果実を手渡した蛇の存在を。
―弐拾陸―
ひとしきり話をし終え、イブキはシチロージに手渡された手ぬぐいで涙や鼻水を拭っていた。
幼いながら綺麗に手入れされた頭が、彼女がしゃくり上げるたびに小さく上下する。
シチロージはその頭にポンと手を乗せ、優しく撫でてやった。
「お嬢ちゃんは、本当にちゃんが好きなんでげすね」
その一生懸命さに、この子がどれほど彼女を慕っているのかが伝わってくる。
それはまるで彼自身が島田カンベエという上官を心から崇拝しているのと同じように。
イブキは手ぬぐいから顔を上げると、泣き顔ながらもできる限り強気な顔をシチロージに向けた。
「好きで、いぃす・・・。花魁は綺麗で、優しくて、柔らかくて、あったかくて・・・わっちの方が島田様よりもずっとずーっと花魁のこと好いてるでいぃす!」
「ぶっ・・・。はは、・・・ははは!そうかい・・・、そいつぁいいや」
カンベエよりも、という発言がシチロージのツボをつく。
その真剣さがおかしくて、健気で、純粋で。
「良い子だ」
シチロージは声に出して笑うと、それからイブキの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。
「あたしは断然イブキちゃんを応援しやすよ」
「・・・本当でいぃすか?」
「あぁ、本当さ。カンベエ様よりもお嬢ちゃんの方がちゃんを守ってくれそうでげすからね」
今のことでやたらと気弱になっている上官を思い出し、彼の居ないところで皮肉ってやる。
にししと笑うシチロージに、イブキの顔にも笑顔が浮かぶ。
「そうでいぃす!お侍様方になど花魁を任せておけないでありんす。花魁は、わっちがお守りいたしぃす」
「はは、こいつぁ頼もしい」
「もう島田様にもシュウサイ様にもお頼みいたしんせん。花魁はわっちが」
「ん?・・・イブキちゃん、ちょいと待った」
不意に聞き慣れない名前がイブキの口から飛び出した。
シチロージは何か引っかかるものがあり、イブキの言葉を遮る。
「シュウサイってのは、一体誰のことで?」
「・・・」
シチロージに聞き返されるや、途端にイブキの表情に翳りがさした。
どうやら彼女にとって・・・もしくはにとって好意的な人物ではなさそうだ。
イブキは答えにくそうにしていたが、きゅっと唇を噛みしめ腹を据えるとようやく口を開いた。
「花魁に・・・島田様とお別れするように助言したお侍様でいぃす」
「それは・・・卯月のことで?」
「違いぃす。卯月様ではありんせん。シュウサイ様は、その・・・シグレ花魁ご贔屓のお侍様でありんす」
どこかでシグレに聞かれてはいまいか。
警戒するイブキの声が小さくなる。
しゃがんでくれているシチロージの方へ顔を寄せると、片手を口元に押し当てこそこそと話した。
「わっちが思うに、お侍様ではないかもしれんせん。街のごろつきの可能性が高いでいぃす」
「はぁ・・・、ごろつきねぇ」
「わっちの勘でいぃす。その方の仕草や言葉が荒くれ者のそれに似てるんでありんす。それに、入れ墨などお持ちの方でありんすから」
「入れ墨、ね。まぁ珍しくもありやせんが。念のため聞いときやしょう」
入れ墨を彫っている者はけっして珍しくはない。
事実、カンベエも両手の甲に六花の紋章を刻んでいる。
けれど入れ墨の模様で所属を特定できることもあるため重要な情報源だ。
「で、それはどんな紋様で?」
「えっと・・・、確か花魁が話してくれんしたのは」
イブキは斜め上を見上げ、記憶を探り出しながらシチロージに伝えた。
男の右肩に彫られた小さな入れ墨、それは見たこともない生き物だった。
龍でもなく、虎でもなく、ましてやシチロージたち南軍が掲げる鳳凰でもなく。
それは、亀に蛇が巻き付いた奇妙な生き物の図。
イブキから話を聞き終えたシチロージの顔が引きつる。
「玄武だ・・・」
その紋様をよく知っている。
それはシチロージたちが何よりも毛嫌いする一族の証。
その神獣を掲げしは、北方より来たりし猛者。
「灯台もと暗しってな、このことかい・・・」
思いがけず有力すぎる情報を手にしてしまったものだ、とシチロージは運命の皮肉さを笑う。
南軍一同あんなにも躍起になって探し回っていた北軍の回し者が、まさかこんなところに来ていたとは。
「シチロージ様?あの・・・何か問題でもありんしたか」
「いや・・・。よく話してくれやしたね、イブキちゃん」
シチロージはくしゃりとイブキの髪を撫でると、急ぎ立ち上がった。
「シチロージ様っ」
「大感謝でげすよ、イブキちゃん。この御礼はまた今度。・・っと。カンベエ様のことはあたしに任しといておくんなせぇ」
「・・・?は、はい・・」
短く礼と挨拶を告げると、シチロージは颯爽と朱塗りの階段を駆け下り楼を後にしていった。
風のような速さで去っていってしまった黄金色の後ろ髪を見送りながら、イブキは訳がわからず首を傾げるのだった。
*
「頃合いだな」
イブキがシチロージを見送っていたそのとき、その光景を更に上の階から見下ろす男がいた。
欄干にもたれ、先程からずっと二人の様子を眺めていた男は、何がおかしいのかくくっと喉を鳴らして笑う。
「旦那?何を笑っておいでで」
その傍らに佇む麗しい遊女シグレは、階下を見下ろし笑う男――シュウサイを怪訝な目で見つめる。
シュウサイはシグレに見えない角度でぺろりと舌なめずりをすると、ゆっくりと首を彼女へと向けた。
「シグレ。いよいよお前の出番だぞ」
男は蛇のように眼を細めて笑ってそう言った。
シュウサイに慣れたと思っていたシグレも、その笑みには背筋が凍る。
頬にうっすらと汗を浮かべながら、だがシグレもまたシュウサイに劣らぬ冷たい笑みを浮かべるのだった。
「ようようでありんすか。待ちくたびれんしたわ」
「ふん。よく言うわ。ほんの少し前までは尻込みしておったくせに」
「・・・旦那」
からかうシュウサイを、シグレは細い横目で睨み付ける。
氷のように冷たい彼女の眼差しだが、むしろシュウサイはそれを楽しんでいるかのように笑って受け流す。
百花楼の天神シグレと、流れ者の侍シュウサイ。
二人は遊女とその客であり、・・・そして共犯者であった。
『お前、あの可愛らしい太夫が嫌いなのだろう?なら、俺と手を組まないか』
全てはシュウサイのその一言から始まった。
とカンベエの仲を壊し満足げにその後を傍観していたシュウサイが、シグレに誘いを持ちかけたのが始まり。
『お前、あの太夫に勝負を挑め』
『は・・・?』
『大座敷を解放しての大勝負だ。客も大勢見に集まってくるだろう。お前の名を売る絶好の機会だぞ』
『旦那・・・、一体何を言っておいでで』
彼の意図が読めず、シグレは怪訝な顔で問い返した。
するとシュウサイはにやりと笑って、階下に佇むをちょいちょいと指さしてみせた。
『お前が。あの花魁と勝負するんだよ。勿論、将棋でな』
『・・・!?な、何を馬鹿なことを・・・っ。そういう冗談は好きではありんせん』
『冗談などではないさ。あぁ、それとわかっているとは思うが、勝負事なのだから互いに賭けるものは賭けてもらうぞ』
突然すぎるシュウサイの提案にシグレは慌てふためくも、彼はそんなことは気にもせずどんどん話を進めた。
『この楼の甲乙同士の戦いだ。盛大にいきたいものだな。・・・あぁ、そうだ。勝者にはここでの太夫の位を、敗者には最下層の鉄砲女郎に成り下がってもらう、というのはどうだろうか』
『な・・・っ。ば、馬鹿げたことを!』
『妙案だろう。これは面白い勝負になるぞ』
『旦那・・・!!ぬし様はわっちにむざむざと大衆の前で恥をかけとお言いで・・・――っ!?』
シュウサイが提示した賭けの内容にいよいよシグレの美しい顔が青ざめる。
どんなにを毛嫌いしていても、経験値で上を行こうとも、悔しいが将棋の腕では彼女には敵わない。
そんなことはシュウサイとてわかっているはずだ。
何を思ってそんな無謀な提案をするのかわからない。
シグレは牙を剥いてシュウサイに食ってかかった。
『第一、楼主様が斯様なことお許しになりんせん・・・っ。それにがそんな勝負受けるわけがっ」
『ふん。問題ないさ。あの花魁には一つ貸しがあるからな』
『貸し・・・っ?』
『さて、な。あとはシグレ、お前の腕次第だが。そこは勝負の日まで俺がみっちりお前に教え込んでやるとしよう』
『・・・――っ。旦那、・・・本気で・・・っ?』
いくらシュウサイが全面的に支援してくれるとは言っても、そのぐらいでシグレの不安がおさまるはずもない。
シグレの青ざめた顔を冷たい汗が流れ落ちていく。
そんな彼女をシュウサイは横目で見やると、にやりと笑って、それから己の袖下に手を差し入れて何かを手に取った。
『なに、大事ないさ』
そう言ってシュウサイは指先で摘んだそれをシグレの目の前で揺らして見せた。
いつかと同じように、シュウサイは袖下から取り出したそれをシグレの前でゆらゆらと揺らす。
それは木栓(コルク)で蓋をされた透明な小瓶だった。
硝子でできた瓶の中では少量の透明な液体がちゃぷちゃぷと揺れている。
それを見つめるシグレもまた、シュウサイと同じように闇深い笑みを浮かべていた。
「お前の勝利を握る鍵だ。これを密かにあの花魁の湯呑みにでも盛ればいい」
「それでしたら心配いりんせん。・・・ユキマル」
シグレが静かな声で名を呼ぶと、彼女のすぐ後ろから「あーいー」と幼い声が返ってきた。
シグレの豪奢な着物の陰から現れ出たのは眦(まなじり)の垂れた愛嬌のある顔立ちの少女。
いつもシグレの傍に遣える、彼女の忠実な禿(かむろ)だ。
「この子がうまくやってくれんす」
「あーいー。お任せくんなまし」
ユキマルと呼ばれた禿は着物の両袖を合わせ、にっこりと笑って挨拶をする。
それは傍目には可愛らしい仕草だったが、彼女の口元に浮かぶ笑みにもまたシュウサイやシグレと同様の仄暗い何かが入り交じっていた。
「シグレ花魁には上等の茶を。花魁には『特別に』上等な茶を煎れて差し上げんす」
「そうそう。それから?大事なことがありんしたねぇ」
「あい。楼主様やイブキどんに気付かりんせんよう十二分に用心しぃす」
「そう・・・その通り。ユキマルはまこと良くできた子じゃ」
シグレがユキマルの頭を一撫で二撫でしてやれば、幼い少女は嬉しそうに姉女郎へと身を寄せる。
シュウサイという男によって禁断の果実を与えられた女たちは、その実がもたらしてくれるであろう甘い未来を夢見て冷たく微笑む。
その後ろで、彼が毒牙を剥き出しにして闇色の空気を纏い笑っているとも知らずに。
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<補足>
■鉄砲女郎■
最下級の遊女のこと。どぶ沿いの汚い小屋に住まわされ、酷い扱いを受ける。
ゆえに性病に冒されるリスクが高く、命をおとす者が多い。
■ユキマル■
禿。シグレの妹女郎。同い年のイブキを目の敵にしている。
垂れ目で愛嬌があり見た目は可愛らしいが、目の奥の闇は底が知れない。
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