ドリーム小説
恋に破れ私の心が今にも張り裂けそうなくらい傷ついていても
陽はまた昇る
世は変わらず動く
そうして己の存在の小ささを否応なく思い知らされる
朝陽が登り始めた色街にかんかんかんと響き渡る、鉦(かね)を打ち鳴らす音。
「大門が開くぞー」
威勢の良い門番の声が百花楼の暖簾の中まで届く。
あぁ、こうしてまた何の変わりもない一日が始まるのだ。
―弐拾参―
時が過ぎるのはこんなにも早いのかと、は思い知らされるのだった。
カンベエに別れを告げたあの日から、もう随分と日が経っていた。
日常には、何の変わりもない。
変わったことがあるとすれば、それはあの日からカンベエが百花楼を訪れなくなったということだけだ。
「最近、島田様をお見かけしないね。どうかなさったのかな」
「さぁ。お忙しい方ですから。暇(いとま)がないのでしょう」
楼主の何気ない語りかけに、はさも残念そうな笑顔を作って自然な口調で答える。
楼主は「残念だねぇ、や」と彼女に同情する。
はそれにもまた笑顔で応える。
傍で聞いているイブキばかりがつらい顔をしていた。
「花魁・・・」
「ん?どうかしたの、イブキちゃん」
「花魁は、・・・本当にこれでいいんでいぃすか」
を心配するイブキがおずおずと上目遣いで控えめに問いかければ、は妹女郎を見下ろして少し哀しそうに笑うのだ。
「これでいいんだよ・・・」
「・・・花魁」
「いいの。私はもう大丈夫だから。さ、お客様がいらしたよ」
は努めて明るく振る舞った。
くるりとイブキに背を向け、玄関先に客を迎えに行く。
「ようこそお出でくださいました。さ、どうぞお上がりくださいませ」
玄関先に両膝をついて客を迎えるの後ろ姿を、イブキは哀しげに眉をひそめて見守った。
「嘘でいぃす・・・」
イブキの声はには届かない。
それでもイブキは一人呟く。
「大丈夫ならなんで・・・、なんで毎晩泣いてるんでいぃすか」
あの日から毎夜真っ暗な部屋でカンベエの名を呼びながら涙するを想い、イブキは泣きそうな顔での背を見守った。
遊郭に関わる者は皆言う。
遊女の恋は実らない、と。
分かっていることとはいえ、今のの姿があまりにも痛々しくて、見ていられない。
愛した男のために嘘の芝居までうって自ら身を引いて。
相手を傷つけて、自分の心も傷つけて。
忘れられない男を想い、毎夜ひとり涙して。
そうして何が得られるというのだろうか。
「花魁・・・」
*
イブキが切なく呟く姿を朱塗りの階段の上から覗いていたシュウサイは、欄干にしなだれかかり、にやりと口元を歪めた。
「旦那。何を笑っておいでで」
「いや。愚かしくて、人間臭くて、実に面白いと思ってな」
シュウサイから見れば、それはまるで男女の別れを題にした滑稽劇に過ぎなかった。
自分がちょいと手を下しただけで、積み木はばらばらに崩れていった。
カンベエもも、互いの心の拠り所を失った。
そうして行き着く先は、一体どこなのだろう。
人は、どう壊れていくのだろう。
それを見るのが面白くてならなかった。
だが、男の腕の中にいるシグレは面白くない顔をする。
自分の肩を抱きながら、のことばかりを見つめるシュウサイが面白くなかった。
「旦那は相も変わらず、あの娘にご執心にありんすか」
「なんだ、シグレ。嫉妬か」
「嫉妬?ふん。何を馬鹿なことをお言いで」
シグレは気分を損ねたと言わんばかりに冷たい視線をシュウサイに投げると、彼の腕の中からするりと抜け出した。
「あんなおぼこい子に、わっちは何の関心もありんせん」
シグレはシュウサイに背を向け、しゃなりしゃなりと歩き出す。
その背中は一見すると冷たく凜としていて位の高い遊女の気品に見えた。
だが、シュウサイはそんな彼女の後ろ姿を鼻で笑う。
シグレの背中から漂うへの明らかな嫉妬や羨望、憎悪をシュウサイははっきりと嗅ぎ分けられた。
以前のシグレが纏っていた、高位の遊女の気品はもはや薄れていた。
それはまるで剥がれかけた鍍金(メッキ)のような自尊心のみ。
それを必死に隠そうとするシグレの姿が哀れで、シュウサイは可笑しくてならない。
シュウサイは階段の欄干に背を預け、シグレの方を見ずに声をかけた。
「なぁ、シグレ」
「・・・なんでいぃすか」
シグレは仕方なさそうに機嫌の悪い態度でゆっくりと振り返る。
そして自分の方を見ずに、やや上を見つめたままにぃっと笑う不気味なシュウサイを不審に思った。
「お前、あの可愛らしい太夫が嫌いなのだろう?」
「ふん・・・。そんな分かり切ったこと聞いて、どうするおつもりで」
シグレの冷たい答えに、シュウサイはにやりと蛇のように笑う。
そして、
「なら、俺と手を組まないか」
舐めるように横目で女を見て笑い、毒蛇は禁断の果実を女に差し出す。
口にすることを許されない、甘い毒を女に差し出す。
女は不審な顔で男を見据える。
だが、次に紡がれた男の言葉にはっと驚きの顔をするとすぐに、にんまりと、男と同じ邪悪な笑みを浮かべた。
*
執務室の窓を大きく開け放つ。
闇夜に浮かびあがる、鋼牙渓の街の色とりどりの光が美しかった。
夜風がカーテンをふわりと揺らし、部屋の熱気を少しだけ冷ましてくれる。
「あ゛ぁー・・・、生き返る」
まるで砂漠の真ん中で一杯の水を飲んだかのように、シチロージはやや情けない声をあげた。
それを聞き、机に向かい書類を書いていたカンベエは顔を上げて苦笑する。
「シチロージ、風で紙が飛ぶ。窓を閉めんか」
「え゛ー・・・・、そりゃないでげすよ、カンベエ様」
「何を情けない声を出しておるか」
「いや、だって。今宵の暑さと来たら尋常じゃないですよ。一体何度だって、・・・げぇ、二九度!?二九度ですよ、カンベエ様!」
「わかった、わかった。窓はそのままでよい。まったく、・・・冷茶でももらってくればよかろう」
窓辺につり下げた温度計を見て、その残酷なまでの室温にシチロージは泣き声を上げる。
窓辺に背を預け、ぱたぱたと手を団扇代わりに仰いで胸元に風を入れていた。
「あぢぃ・・・なんて夜でぇ、いったい」
「いつの間にやら、すっかり夏だな」
カンベエも書き物の手を止め、風の匂いを吸い込み表情を緩めた。
早いものだと、感慨深げに肩で息を吐く。
この艦(ふね)に左遷されてきたのが、確か桜の花が舞い散る春の頃のこと。
あれからもう、季節が一つ終わったというのか。
三ヶ月間の契約勤務のはずだったのに、カンベエが御上に殊更気に入られたがためにこんなにも長く居座ることになってしまった。
だがそのおかげで、この艦に、街に、人々に慣れるには十分な時間が得られたとカンベエは思いに耽る。
「カンベエ様」
「なんだ」
「灯りを消してもよろしいですか」
「何ゆえだ」
「この白熱灯がね、部屋の暑さをあげる原因の一つでもあるんですよ。ですから、」
「それではわしの仕事が進まんが」
「よろしいじゃありやせんか、ちょっとぐらい休憩したって。カンベエ様は休まなすぎなんですよ」
「いや。お主が休みすぎなだけだと思うがな」
「・・・。まぁ、とにかく!灯りを消して書類は読めなくなりやすがね、新たに見えるものもあるってもんですよ」
言うや、シチロージはカンベエの許可を待たずにぱちりと室内灯の電源を切った。
部屋の中が真っ暗になる。
白い明るさに慣れていた目は突然の暗闇に瞳孔を小さくし、視界が闇と化してしまった。
だが、それもしばらく時間が経てば、次第に闇に目が慣れ、暗闇の中にもいろいろなものが見え始める。
だがそれがなくとも、シチロージが開けた窓から見える城下町の様々な光が灯りの代わりになりはしていた。
「どうです」
「ふむ・・・。これはなかなかに」
「綺麗なものでしょ」
「あぁ。風流だな」
暗闇の中にともる色とりどりの光は、まるで百種の蛍のよう。
朱、黄、橙、青、緑、白。
ちかちかと瞬くそれは、命の灯火。
そこで人が生きている何よりの証拠。
「我々が守っている街、ですよ」
窓から吹き込むそよ風が、カンベエの焦琥珀色の髪とシチロージの結った金髪を緩く揺らす。
窓辺に寄りかかるシチロージはカンベエの方に顔を向け、凜とした表情で笑む。
守ることが我等の責務。
軍人としての責を果たしていると自信に満ちたシチロージの笑みに、カンベエは笑って目を閉じ、「そうだな」と短く答えた。
カンベエは組んだ手の上に顎をのせ、目を閉じて何かを瞑想しているようだった。
シチロージは口元の笑みを消し、そんな上官を離れた窓辺から見つめた。
「カンベエ様」
「なんだ」
静かな呼びかけと、そして答え。
カンベエは目を閉じたままだ。
一拍、二拍、・・・十分な間をおいて、シチロージは決意を固めて問いかけた。
「今、ちゃんのことをお考えで?」
シチロージはカンベエと目を合わせて―――彼は今もまだ目を閉じたままだが、それでも構わずじっと見つめて問いかけた。
一拍、二拍、・・・ゆっくりと時間が過ぎていく。
だが、どんなに間をおこうともカンベエの瞳が開くことはなかった。
寝てしまったのではないかと不審に思うくらい自然な顔で目を閉じていた。
だが、沈黙は不意に破られる。
「カンベエ様、」
「何ゆえ、そんなことを訊く」
カンベエがゆっくりと瞼をもたげた。
上官と部下はしばらくの間、まるで相まみえた二体の獣のようにじぃっと目を合わせて見つめ合っていた。
だが、先にふっと口元を緩めて表情を崩したのは、問いかけたシチロージの方だった。
緊張に張りつめていた室内の空気が和む。
無表情のままのカンベエに、シチロージは穏やかに微笑む。
「いえ、ね」
「なんだ」
「だって。あなた様が、あの子のことを忘れられるわけがないと思いましてね」
シチロージはふっと力を抜いて、本当に優しい笑みをカンベエに向ける。
窓辺に寄りかかり風に金色の髪をなびかせて微笑むその姿が美男子の彼にはとても似合っていた。
そしてシチロージの言葉には、カンベエを気遣う思いやりが感じられた。
「カンベエ様」
「・・・」
「カンベエ様は、本当にこれで良かったので?」
シチロージの問いかけに、カンベエは答えない。
沈黙が、執務室内にしばらく流れた。
カンベエから事情を聞いてとの間に何があったのかは知っていたから、思わずそんなことを問いかけてみた。
との別れを聞いてからもうだいぶ経つが、改めて訊ねるのはこれが初めてだ。
シチロージとカンベエは真っ直ぐ向き合ったまま、視線だけで会話を交わした。
そして、
「シチロージ」
カンベエが静かに部下の名を呼ぶ。
そして、ゆっくりと時間をかけて目を閉じ、同じくらい時間をかけて瞼を押し上げた。
カンベエと目を合わせたシチロージは、それだけで彼の思いを悟る。
焦琥珀色のその目が言っているのだ。
これでいい、と。
これ以上何も問うな、と。
それだけを告げてカンベエの両目はまたゆっくりと閉じていってしまったから、シチロージは肩でため息をつき、
「・・・承知」
そう答えるしかなかった。
カンベエからとの別れの話を聞いたとき、シチロージは解せぬことがあまりに多いことに不審を抱いた。
あんなにも穏やかに愛し合っていた二人に、一体何が起こったのかと。
何かがあるに違いないと察した。
だが、一人動こうとするシチロージとは相反して、カンベエ自身がそれを望んでいないのが彼から流れ出る雰囲気でわかった。
カンベエの心が、苦しみと哀しみと寂しさと戸惑いと、それからほんの少しの憎しみに嘆き叫んでいるのが感じ取れた。
けれど、だからといって別れを告げられて、その女に無理矢理会いに行くのは野暮で無粋だとカンベエはわきまえているのだ。
そこまで感じ取れていて、上官の意思に反する行動をとるのはお節介を通り越して、ただのお調子者でしかない。
そう頭では分かってはいても、だが上官を想うシチロージの心は彼のために何かしたいと疼いてしかたがなかった。
(何か、引っかかるんでげすがねぇ・・・)
そのとき、執務室の扉をノックする音が聞こえ、がちゃりと扉が開いた。
「失礼します」と、はきはきとした声で入ってきた若い兵士は、室内が真っ暗なことにぎょっとする。
「あのぉ、・・・島田カンベエ殿はおいででいらっしゃいますか?」
「いまーすぜぇ。悪い悪い、あんまり暑かったんで、ちょいと納涼をね」
「左様で。あ、これ、指令書をお持ちいたしました」
「あぁ、ご苦労さん」
シチロージは窓辺から動かず、近づいてきた兵士から一枚の紙を受けとる。
兵士は「失礼しました」と一礼し、速やかに部屋を出て行った。
シチロージは窓辺に寄りかかったまま、月明かりで書類に目を通す。
そしてあからさまに眉根をひそめた。
「出撃命令か」
表情を変える副官の様子を眼にしたカンベエは、おそらくあたっているであろう予測を口にする。
それは果たして予想通りだった。
だが、それだけではないとシチロージの歪められた表情が語っていた。
「はぁ、・・・まぁそうなんでげすがね。あ、今回カンベエ様は後方支援組の部隊長で」
「そうか。それは大儀だな。そのことに何か問題があるのか」
「問題と言いますか、・・・これ、この印が本物なら」
「偽造不可能な文書だ。本物であろう」
「なら余計に不可思議ですよ。よりにもよってこれ、此度の出撃編隊でカンベエ様を部隊長に推したのが」
シチロージはカンベエに書類を見せ、カンベエを部隊長に推薦した者の名の印を指さして見せた。
「ハゲチャビン。でげすよ」
「・・・卯月指揮官がか?」
*
「この編隊に、何か問題があるのか」
禿頭(とくとう)が目立つ強面の男は白檀の机にどかりと座り、目の前に立つ金髪の色男を睨みあげた。
シチロージは、このいけ好かない、やけに偉そうな指揮官を前に、あからさまに不満な顔をして立っていた。
机の上には、カンベエ宛てに届いた出撃命令書が卯月の方を向いて置かれている。
この書面に納得のいかないシチロージが、カンベエには内緒で勝手に卯月の執務室に抗議をしにやってきたのだった。
「いえ、問題は何もありやせんが」
「が。なんだ」
「何ゆえ、部隊長にカンベエ様を推されたのでありましょうか」
「なんだ、不満か」
「いえ、大儀だと申しておりましたがね」
「ならば、何の問題がある」
「解せません」
はっきりきっぱりと、シチロージは己の上官よりも更に地位の高い男に食ってかかった。
自分のことを上官と思っていないシチロージの態度に、卯月のこめかみに皺が寄る。
「解せぬとは、なんだ」
「当然です。カンベエ様が出撃されることを良く思っていらっしゃらなかった卯月殿が、何ゆえ突然にあの方を後方支援の部隊長などという花形に」
解せない、とシチロージはあからさまに不信感を抱いた眼で卯月を見据えた。
若く血気盛んなシチロージの―――しかも己が好かぬ「島田カンベエ」の副官の睨眼に、卯月は若干苛々しながらも、はっきりと答えてやった。
「それは奴の実績を買ってのことだ」
「ほほぉ・・・。つい先日まで、やれ廓狂いだ、やれ腑抜けだとカンベエ様のことを仰っていた貴方様が?いったいどんな風の吹き回しで」
「いちいち小うるさいな、貴様は。この時勢、人が足りんのだ。使える者に仕事を回すのは当然のことであろう」
それに、と卯月はシチロージを睨み返しながら付け足す。
「ここ最近の島田指揮による出撃に伴う死傷者数が減っておるのは事実だ」
「・・・確かにそういう報告は聞いておりやすがね」
「ふん。一度は女に狂い士気を下げ下降線を辿ったが、持ち直したようだな。配属当時に近い鋭気を取り戻しておる」
「ほぉ・・・、毛嫌いされる割りには、よく見ていらっしゃいますね」
「好かん奴ほど、好まずともよく目に入る」
「(・・・ふん。どうせ監視かなんかしてんだろーが、このハゲチャ、)」
「何か奴の身辺に変化でもあったのかね」
「(・・・・・・・・あ?)」
ふん、と。
卯月は鼻で笑ってにやにやと笑う。
まるでカンベエの身辺事情を知っているかのような口ぶりだった。
不審な目で卯月を見下ろしていれば、それに気付いた卯月がシチロージを睨みあげてきた。
「まだ何かあるのか」
「・・・いえ、別に」
「ならば、とっとと出ていかんか。仕事の邪魔だ」
卯月は勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべる。
そして机上の書類を掴み、シチロージに押しつけるように手渡した。
シチロージはそれを片手で乱暴に受けとると、したくもない一礼を小さくして、足早に執務室を後にした。
部屋を出て廊下に出たシチロージは、右手の書類をぐしゃりと握りつぶしてしまった。
納得がいかないというか、解せない表情をしていた。
卯月キョウノスケの言葉の中に、引っかかるものがあった。
どうにも流せない言葉があった。
おそらく、卯月は何かを隠している。
それはカンベエに関すること。
シチロージは眉間に皺を寄せ深く考える。
そして、「いっちょ、頼んでみるか」とぼそぼそと呟くと、早足で鍛錬場へと向かった。
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