ドリーム小説
さようなら、さようなら
私が愛した人
さようなら、さようなら
どうかお元気で
―弐拾弐―
「ご無沙汰しておりました」
「本当に久しいな。遂に愛想を尽かされたかと思うたぞ」
「ごめんなさい。ここ最近あまり体調が優れず」
「季節の変わり目だ。そういうこともあろう。今はもう大事ないのか」
前を歩くカンベエはちらりと後ろを振り返り、心配そうな眼をに向けてきた。
は笑顔で応える。
そして、胸がずきりと痛んだ。
こんな他愛ない会話も、穏やかな時も、今日限りになるのだろう。
そう思うと、の笑顔は哀しみを帯びたものに変わった。
「突然の文に少々驚いた。して、如何いたした」
カンベエが文の話に入るや、の足がゆっくりと止まった。
先を行っていたカンベエも気づき、足を止め後ろを振り返る。
「殿?」
は俯き加減で、体の前で組んだ両手をぎゅっと握っていた。
カンベエは眉をひそませる。
やはり体調が万全ではないのではないかと心配になった。
「大事ないか」
「・・・はい」
「具合が良くないのであれば、今日は」
「いえ・・・」
「殿」
改まった声で名を呼ばれ、は顔を上げた。
心配そうな顔のカンベエと眼があった。
そして、カンベエの手がすっと伸びてきて、の耳に髪をすくいかけた。
触れられた耳が、熱くなる。
「会えるのは嬉しいが、わしはお主に無理などしてほしくはない」
そのたった一言で、優しい一言で、心が堕ちてしまいそうになった。
今すぐ彼の胸に飛び込んで、真実を話してしまいたかった。
覚悟が揺らぐ。
だから、彼には会いたくなかったのだ。
「・・・・・大丈夫です・・。ごめんなさい、参りましょう」
無理矢理笑顔を作って、無理矢理足を前へと動かした。
甘えては駄目だ、甘えては駄目だと自分に言い聞かせながら。
明らかに何か無理をしていることは見て取れたが、カンベエも仕方なく彼女の後についていった。
「島田様」
前を歩きながら、は後ろのカンベエに声をかけた。
後ろを振り返らず、言葉を続ける。
「実は、・・・島田様にお話ししたいことがございます」
できるだけ平静を保って、絞り出すようにそう告げた。
の足が、座敷の前で止まる。
「話とは?」
カンベエも足を止め、の背中に問いかけた。
だがが振り返ることはなく、彼女の手が障子の取っ手にかかった。
その瞬間、カンベエはぴくりと眉を動かし、障子の向こう側にいる者の気配を察した。
「殿」
「・・・・・・」
「それは、二人で話すものではないのか」
カンベエの問いに、は答えない。
障子に掛かる手が、僅かに震えていた。
そしていよいよ、はゆっくりと障子を横に引いた。
が先に部屋に足を踏み入れる。
そして、カンベエを中へと招いた。
すでに先客のいる、の部屋へと。
*
艦内にはいくつかの鍛錬場がある。
シチロージは、その中でも徒手空拳専用の第三鍛錬場で胴衣姿でいた。
拳がぶつかり合う音と、畳に叩きつけられる音と、男たちの威勢の良い声が響きあう。
「はぁっ!!」
「ま、参った参った!降参だ!」
「なんでぇ、これからってときに。だらしねぇでげすな」
シチロージは畳の上に寝転がる男の顔面に正拳を入れる直前だった。
降参を言い渡され、渋々男から退き、緩んだ帯を直す。
「シチロージ殿、また腕を上げましたな」
「いやいや、ギンさんもなかなか。あたしなんてまだまだでさぁ」
そう言って笑いながら、シチロージは相手役のギンゾウの手を引いて体を起こしてやった。
出撃のない間、体が鈍らぬようにとシチロージは週に何度かここへ鍛錬にやってきていた。
ギンゾウはシチロージよりも年上の中年の侍だ。
シチロージと同じように、普段は長槍を使う者同士、気が合うところがあった。
「はぁ、・・・しんどい。体動かすのがつらい年になりましたわい」
「何を言っておいでで、ギンさん。まだまだ現役でげしょ」
「シチロージ殿はお若いからそう言える。羨ましい限りですよ」
手ぬぐいで汗を拭くギンゾウに、シチロージは白い歯を見せて幼げに笑ってみせる。
「年は取りたくない。まぁ、中には年を重ねて熟練の士となっていく者もいますがね」
ギンゾウは、「君の上官のようにね」と笑って告げる。
シチロージは、だが首にかけた手ぬぐいを両手で引っ張り、真顔になった。
自分の上司を褒められたはずなのに、どういうわけか嬉しいという気持ちになれなかった。
シチロージの態度にギンゾウも気付く。
「シチロージ殿。どうかしたかね」
「・・・いや」
「何か、気に障ったかね」
「いやいや・・・。ギンさんは何も悪くねぇですよ」
悪いのは誰だ。
シチロージはふんと鼻息荒くし、「それはあんただ、カンベエ様」と心の中で唱えた。
シチロージの中では、まだ解決できていないことがあった。
カンベエの気弱な発言と、彼が見せる侍らしからぬ言動。
いよいよ自分が駄目になったら、思いきり殴れと彼は言う。
だから、まるで自分が鍛えているのが自分の上司を殴るためのように思えてしまう。
「敵が何なんだか、わかりゃしねぇ・・・」
「ん?何か言ったかい」
「いんや。何でもねぇでげすよ」
シチロージは首の手ぬぐいをばさりと肩にかけ直し、ゆっくりと大股に歩き出した。
右の拳を握っては開いて、握っては開いて。
できることならば、この拳が倒す相手が己の上官でなければいいと、切に願う。
*
「待ちくたびれたぞ」
開いた障子の向こうにいたのは、カンベエが見たことのない優男だった。
男は将棋の盤を前に胡座をかいて座っていた。
細身の体を着物で包み、胡座の上で頬杖ついてカンベエを横目で見てにやりと笑う。
決して印象の良い男ではなかった。
カンベエは訳が分からぬという顔でを見やる。
通された部屋にすでに別の男がいて、は何の話をしようというのか。
「何者だ」
カンベエは静かに男に問いかける。
だが男は何も答えず、代わりに顎でを指し示し、彼女に聞けと眼で告げた。
カンベエは部屋の出入り口に佇むを見やる。
だがは、もはやカンベエと視線を合わせようとはしなかった。
「殿・・・。これは一体どういうことだ」
「・・・・」
カンベエの声色に幾ばくかの憤りを感じ、は更に俯く。
組んだ指を何度も組み直し、そしてぼそぼそと口を開いた。
「実は、・・・私は、ずっと島田様にお話ししなければならないことがあったのです」
「それは、この者に関係があると」
「・・・はい。こちらの方は、・・・わたくしめの・・・、」
声が震えていた。
それ以上言葉を続けられず、黙り込む。
続けられない言葉を、代わりに盤の前に座る男が引き継いだ。
「花魁の間夫(まぶ)だ」
男はカンベエににやりと笑いかけた。
「シュウサイという。よしなにな」
カンベエの動きが止まる。
男の言葉を飲み込めずにいた。
間夫は、遊女の恋人を指す言葉。
それはわかっていたが、男の言葉が真実かどうか、怪しいものがあった。
それは、のいつもと違う様子からもうかがえた。
「殿」
「・・・・・」
「これは、誠のことか」
は返事をしない。
カンベエと目を合わせようともしない。
俯く横顔がひどく困惑していた。
まるで脅されているような、言いなりにさせられているような。
カンベエは、の口から直接聞きたかった。
「殿」
「・・・・・」
「殿。答えてくれぬか。これは誠か、」
「あぁ、わかったわかった。主もなかなかにしつこい男だな。証拠を見せればいいのであろう、証拠を」
答えられないにシュウサイは助け船を出した。
シュウサイは立ち呆けるの手を引っ張り、自分の胡座の中へと無理矢理導き入れた。
の身体を抱きしめ、小さな頭を自分の肩に押しつけさせ、優しく髪を撫でる。
そして舐めつけるような眼でカンベエを見上げて笑って見せた。
流石にそんな光景を見せつけられ、カンベエは表情を険しくさせる。
慌てたのはだった。
(な、なにを・・っ)
(じっとしておれよ。騙したいのであろう)
シュウサイは暴れようとするをきつく抱きしめ、女の耳元に口を寄せて内証話をする。
それは、カンベエにはまるで仲睦まじい二人の愛撫に見えた。
カンベエの表情が険しさを増す。
「と、いうことだ。おわかりかな」
「・・・お主、・・何を」
「まだわからんか、お主。これ、この女はな、―――まぁ、お主もよう相手にしていたようだが、遂に俺の女になったということだ。だから、もうお引き取り願おうか」
「殿・・・誠か」
「・・・・」
「誠に、・・・お主はその者に負けたというのか」
「花魁はもう何も話したくねぇとよ。あんたも早く立ち去れ」
「殿、お主が答えよ」
カンベエの声に険が混じる。
彼の声を背中に受け、は身を竦ませる。
小さな肩が濡れた子犬のように震えていた。
シュウサイはふと何かを考え、だがすぐに笑みを浮かべた。
「そう怖い顔なされるな。見ろ、花魁は震えているではないか」
シュウサイはの頬に手を滑らせた。
(仕上げにかかるか。おい、花魁。顔を上げろ)
(え・・?)
小さな声で耳打ちし、は反射的に顔を上げた。
刹那、シュウサイはの唇を奪った。
重なり合う唇は熱く、シュウサイはの口内に舌を伸ばす。
感じたことのない異物に、は両目を見開いて驚愕するも、シュウサイの手に両目を塞がれてしまった。
シュウサイに身体を掴まれていて身動きがとれない。
細い首をのけぞらせ、両目を覆い隠され、シュウサイにされるがままに唇を貪られる。
唇の端から唾液がこぼれ落ちようと、どうすることもできない。
シュウサイはの唇を味わいながら横目でカンベエを見上げてにやりと笑って見せた。
カンベエの、人を射殺しそうな視線に快感を覚えながら。
ようやく唇を解放してやれば、シュウサイはに余計なことをしゃべらせまいと己の胸に顔をうずめさせた。
「わかったかい」
シュウサイは濡れた己の唇を手の甲で拭き取って見せつける。
「こいつはもはや俺の女だってこと」
「・・・・・」
シュウサイとカンベエの間に緊張の線が走る。
この場にがいなければ、おそらくは刀が抜かれ、障子に血が走ったことだろう。
「早く続きがしたいんでね、とっとと失せてもらいたいんだが」
シュウサイはの頭を優しく撫で、カンベエに見せつけた。
カンベエの拳がめきりと嫌な音を立てる。
「殿・・・」
「・・・・は、い」
ようやくはカンベエの声に返事を返した。
消え入りそうな、小さな声で。
戸惑いや怒りを含むカンベエの声はただただ静かで、それが逆に空恐ろしかった。
カンベエは覚悟を決めて問いかける。
「わしは、・・・もう用済みか」
静かな問いに、だがは答えない。
シュウサイに体を預けたまま沈黙を保つ。
それをカンベエは肯定と受け止めた。
カンベエはきつく両目を閉じる。
「・・・・・承知した」
「・・・・・」
「もう、ここへは来ぬよ」
「・・・・っ」
シュウサイの胸に顔をうずめたままでも、カンベエが去っていくのがわかった。
怒りを含んだ静かな足音が徐々に遠ざかっていく。
最後に告げたカンベエの声に、静かな怒りと、への侮蔑の情が含まれているのが感じ取れた。
は抉れるような痛みを胸に感じた。
「上手くいったな」
呆然とした抜け殻のような彼女を、シュウサイはようやく放した。
向き合っても、彼女の瞳に生気はなく、色を失っていた。
シュウサイはにやりと笑い、の細い顎を掴み、無理矢理唇を重ねた。
だが、今度はも全力で抵抗を見せた。
「何をなさいます・・!」
「礼だと思えば安いものであろう」
シュウサイはの着物の合わせを掴むと、無理矢理脱がそうと試みた。
はだけた白い肌に手を這わせる。
「お止めを・・・!」
は全力で抵抗し、無我夢中で暴れた。
シュウサイの着物の襟を掴み、力任せに引っ張った。
それでもを組み敷こうとする彼に、思わず手が出た。
ばちんと乾いた音がして、シュウサイは頬をはたかれようやく動きを止めた。
「ほぉ・・・やるものだな。花魁」
シュウサイはにやりと横顔で笑い、を褒めるような言葉を吐いた。
は息を荒くし、乱れた着物を慌てて直す。
そして、キッと鋭い眼差しをシュウサイへと向け、―――は視線を一点に固めた。
が引っ張ってはだけたシュウサイの着物の隙間から、それは垣間見えた。
彼の右の肩口に浮かぶ、小さな入れ墨。
亀に蛇が巻き付いた、奇妙な生き物の入れ墨。
それを凝視していたは、不意に飛んできた平手に頬を張られ、畳の上に倒れた。
「・・・・っ」
「身を売る仕事だからな。多少は手加減してやった。拳でないだけありがたく思え」
叩かれた頬を押さえ、痛みをこらえる。
畳の上に倒れたまま動かずにいれば、シュウサイが立ち上がり部屋の出入り口へと足を進めた。
「なかなかに面白い余興であった。楽しませてもらったぞ」
シュウサイは着物を直しながら部屋を去っていった。
くくっと、喉を鳴らして笑う声が遠ざかっていく。
はしばらく呆然としていたが、しばらくしてゆるゆると体を起こし始めた。
ふと文机の上に置かれた鏡に目を向けた。
酷い顔をしていた。
張られた方の頬が赤くなっていて、はそっと手をあてがった。
酷い顔。
けれど、今の自分にはひどく似合いだと思った。
鏡の傍に置かれた、たくさんの小瓶に目を向ける。
硝子の瓶の中には、色とりどりの星屑が詰め込まれている。
中身の減り具合は瓶によってまちまちだが、その中にほとんど中身が減っていないものがあった。
上等な造りの瓶のそれは、カンベエがくれたものだ。
もったいなくて、なかなか手をつけられないでいたものだ。
その瓶を眺めていると、自然と彼の穏やかな笑顔が思い出された。
『会いたかった』
短くそう告げて、彼女の頬に手を伸ばし、そっと耳に髪をかけていく、あの仕草が好きだった。
優しいのに熱い眼差しで、己の全てが飲み込まれそうになる、あの感覚が好きだった。
初めて鋼牙渓の街で出会って助けられたときから
初めて百花楼で盤を挟んで将棋を指したときから
彼が愛しくて、愛しくて、愛しくて
会えば会うほど、彼を想う気持ちは強くなっていった
ずっとこのままでいたかった
「島田、様・・・・」
全てが夢であってほしいと願う。
けれど、この胸の痛みも、この頬の痛みも、全てが現実。
今がどんなにつらくとも、明日からまた何の変わりもない日常が始まる、全てが現実。
「・・・しまだ、・・さま・・・・っ」
何の変わりもない日常が始まる。
ただ一つだけ違うのは、そこに愛しい彼がいないということだけ。
の頬を、涙が一筋流れて落ちた。
ゆっくりと瞳を閉じれば、ぽたぽたと無数の雨の雫が降っておちた。
さようなら、さようなら
私が愛した人
さようなら、さようなら
どうかお元気で
←
戻
→
<補足>
■間夫(まぶ)■
遊女の情夫。恋人のこと
■ギンゾウ■
長槍遣いの中年の侍。シチロージの飲み仲間
シチロージとはだいぶ年が離れているが、彼の実力を妬んだりしない
どっしりとした体格で器の大きい男
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送