ドリーム小説
―――還ってきんした。役立たずの腑抜けなお侍さん方が還ってきんしたわ
あの事件があってからというもの、幼い禿(かむろ)たちの間でそんな言葉が囁かれていた。
軍人が楼を訪れるのを見かけると、小さな娘たちは着物の袖で口元を隠し、くすくすと含み笑いをして囁くのだ。
軍人に聞こえないように小さな声で。
幼い、残酷な言葉を。
(還ってきんした。役立たずの腑抜けなお侍さん方が還ってきんしたわ)
(何しに来ぃした。はよう、あの鉄の籠に帰りんし)
「これ、お前たち。何を陰口など叩いておる。いい加減にしないか」
「きゃぁ、見つかりんしたぁ」
「楼主に見つかりんしたぁ、あぁ怖い怖い」
「馬鹿なことを言っていないで、早く仕事に行かないか」
「あーいー」
叱られた禿たちは、くすくす笑いを残してぱたぱたと廊下を駆けていく。
幼いが故の無邪気な、だが質の悪い悪戯に楼主はため息をつく。
そして、禿たちが通った後にぽつりと立ちつくすに声をかけた。
朱塗りの欄干に手をついて、静かに遠くを見つめている。
「や」
「はい。あ、お客様ですか?」
「いぃや。随分と気落ちしているようだね」
「・・・はい」
普段なら「大丈夫です。そんなことないです」と多少のことは無理をしてでも気を張るも、今日ばかりは素直に肯定した。
楼主は、が見つめていた先に目を向ける。
「あんなことがあったからね。元気がないのも仕方がないさ」
「・・・はい。でも、気落ちしている場合ではありませんね。ただでさえ楼の雰囲気も良くないというのに、みんなのお武家様方への態度も・・・」
は困ったように眼を伏せる。
だがそんな彼女の心配を他所に、楼主は山奥の鉄の艦(ふね)を見つめたまま、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「なぁに、大丈夫。人の噂も七十五日。しばらくすればおかしな噂も消え、また元の百花楼に戻るだろうよ」
「そうですね、・・・そうありたいです」
「それに、なんだかんだ文句を言おうと、私らはお客様を選ぶことなんてできやしない。お侍様を煙たがろうと、我々は彼らのお銭でおまんまを喰っているんだからね」
我等は所詮、商人(あきんど)。
女の身体を売ってお銭をもらい、その汚い金で生きていくしかないのだ。
「。つらいだろうが、今は看板のお前に頑張ってもらうしかないのだよ」
「はい」
「頼んだよ。花魁」
楼主は、まるで自分の娘にそうするように、の頭を一撫でしていった。
は去っていく楼主の背中に笑みを送る。
秘色(ひそく)の髪を揺らし、楼主に背を向けゆっくりと一歩を踏み出した。
―弐拾―
百花楼内に漂う憤怒に満ちた陰気な雰囲気を払おうと、をはじめ無事な遊女らは世話しなく楼内を走り回った。
先日の悲しい事故で、何人もの遊女や禿、小間使いたちが命をおとした。
命を取り留めた者たちは、奥座敷で治療を受けている。
葬儀はすぐに執り行われたが、だが死んだ者たちを悲しんでいる余裕など今の百花楼にはなかった。
人手が足りず、下位の遊女が小間使いの役目まで果たす始末。
忙しさに追われながらも、楼の皆は早く以前のような活気のある色街の姿を取り戻すべく走り回った。
「ようこそおいでくださいましたぁ、お侍様方」
「さぁさ。日頃の疲れを癒しんし」
麗しい遊女らに迎えられ、軍人らは表情を緩ませ女たちに手を引かれて部屋へと進んでいく。
「。花魁はいるか」
そして太夫への人気は衰えを知らず、以前よりも客足は増えていった。
「はい。ただいまお伺いいたします」
穏やかで物静かなの気性を好み、戦に疲れた軍人たちが彼女とのやり取りに癒しを求めてやってくる。
はどんな相手であろうと誠心誠意を尽くし迎えた。
客の気質を瞬時に見極め、その人その人に最も適した接し方で相手をする、それはが天から与えられた才だった。
年若い少年軍師は女経験が浅く、相手のプライドを潰してしまわないように注意を払って接し。
年老いた軍人には博識をもって、相手のまるで軍議のような歓談に話を合わせ。
そして今が盛りの中堅の軍人は己の武勇伝を語るのが好きで、は嫌な顔一つせず、それら全てに耳を傾けた。
「花魁」
「太夫はいるかね」
「おぉ、や。元気にしていたかい」
、、と皆が呼ぶ。
沈み気味だった百花楼に、少しずつ活気と華やかさが戻り始めていた。
*
とんとん、と障子を優しく叩く音がして、イブキは布団に寝たきりのまま「あい」と小さく返事をした。
静かな音を立てて障子が開く。
「イブキちゃん、具合はどう?」
薄暗闇の中姿を現したのは、彼女の姉女郎だった。
イブキは眼を丸くする。
「あれ、花魁?夜見世はいかがいんした?」
「うん。さぼってきちゃった」
は小さく笑い、ぺろりと舌先を見せる。
イブキは横になったまま、あははと笑った。
「後で楼主に怒られても知らないでいぃすよぉ」
「大丈夫、すぐに戻るから。それより、具合はどう?」
はイブキの横に座り、彼女の顔を覗き込んだ。
は心底イブキを心配していた。
あの日、血まみれで運ばれてきたイブキを見て全身の血の気が引いたのを今でも鮮明に身体が覚えている。
だが、その血のほとんどは姉女郎のヒカリの返り血であった。
ヒカリが己の命を捨ててイブキを庇い、彼女を守ったのだ。
イブキは軽傷で済んだが、ただ頭を強く打っており、今でも時折気分を害し、長い時間立っていられないのだった。
「気分は悪くない?」
「あい。今日は、割りといい方でいぃす」
「そう、それは良かった」
「早く起きあがりたいでありんす」
「だめよ。まだ安静にしていなくちゃ」
「今日は特に天気が良くて、昼間はお天道様があったかくて、風が気持ちよかったでありんすなぁ」
「風?」
「あい。昼にショウジはんが粥を持ってきてくれんして、そのとき気持ちの良い風が吹いていたんでいぃす」
身体の自由が利かないイブキは、心底羨ましそうに話す。
笑うイブキの笑顔がなんだか少し悲しげで、は切なく感じた。
は立ち上がると、障子を細く開けてイブキの方を向いた。
「花魁?」
「空気を変えようか。このぐらいだったら開けておいても大丈夫だよね。今夜のお月様もとても綺麗だから。見えるかな?」
は細く開けた障子の隙間から空を見つめて月を探した。
そんな姉女郎の姿に感謝し、イブキは心からの笑みを向ける。
「花魁、」
に礼を告げようとしてイブキは口を開いた。
だが、障子の前を歩く軍人の足音を聞きつけ反射的にイブキは口を開いたまま言葉を飲み込んだ。
ぎしぎしと廊下の木が軋む重い音がする。
もまた細く開けた障子から数歩後ろへと下がり、イブキの脇に膝をついた。
数名の軍人が歩きながら話をしている。
どこかで聞いたことのある声だとは思ったが、それほど気になることでもない。
何より、軍人のお堅い話になどそれほどの興味もない。
軍人たちが早く通り過ぎるのを、二人は声をひそめて待っていた。
『此度の失態、またしても奴の指揮に敗因が垣間見える』
『市井の者にまで甚大なる被害をもたらしたことで、我等への不信感が増しておる』
『自軍の兵力も激減しております。最終戦間近にして、これは由々しき事態に御座いまするぞ』
『その通り。早急に御上への謁見を請願、奴の処分を所望すべきでは』
障子の隙間から滑り込む軍人らの重苦しい話。
聞き流すように聞いていたは、だが会話の中に聞き違えるはずのない名を耳にする。
『部隊長の島田カンベエ。何よりもまず、あやつを即刻処分すべきだ』
『右に同じく。どうせならば、奴の副官も道連れに』
軍人らの下卑た笑い声が聞こえる。
だがもう、それらはの耳には届かなかった。
耳の奥で、彼の名ばかりが反響し鼓膜を揺さぶる。
―――・・・・・・・・・・今、彼らは・・・・何と言った・・・・?
形のよい唇が半開きの状態で言葉を失う。
京紫の美しい瞳は恐怖に揺らいでいた。
畳の上に投げ出された細い指が、微かに震える。
「聞き違い、・・でありんしょうか」
「・・・・・・」
「今、あのお侍様、確かに島田様のお名前を・・・、」
幼いイブキにも事の重大さは理解できた。
イブキの声にも戸惑いが混じる。
だが、その声すらもの耳には届かなかった。
静止し続ける彼女の背中をイブキは見つめる。
「花魁・・?」
小さな声でイブキが声をかけるもは振り向かない。
明らかに様子のおかしいに手を差し伸べようにも、今のイブキは自由に動くことはできなかった。
だが不意にの重い腰が僅かに畳から浮き上がった。
部屋の外ではまだ軍人らが会話を続けていた。
『もはや奴は単なる疫病神に過ぎん。急ぎ謁見を申し出、島田の処分を』
『そうだ。島田カンベエ。あやつの罪は、万死に値する。早急に処罰を、・・・いや、処刑が相応しい』
死、という残酷な一文字が脳裏を掠めていく
閉じた瞼の裏
愛しい人の笑みが浮かんで、そして闇に消えていった
手を伸ばしても届かないところへ行ってしまう
そう思ったら、その手は、足は、身体は、心は、ひとりでに動いていた
「花魁!」
「いや・・・・・・・」
「花魁、だめでいぃすよ・・っ。花魁!」
気付いたら、頭よりも身体が先に動いていた。
イブキの止める声も耳に入らず、は立ち上がり障子をがらりと開けていた。
「お待ちくださいませ・・・っ」
部屋の前を通り過ぎた軍人らが、を振り返る。
深緑の軍服を纏った軍人たちは、皆が皆怪訝な表情での方を見つめていた。
その中に、見覚えのある禿頭(とくとう)の軍人がいた。
以前、を嘲笑った軍人だ。
「お武家様・・・。今のお話は、・・・・誠に御座いますか」
「・・・なんだ、女郎か。驚かせるでない。しかし立ち聞きとはな、遊女の躾がなっていないではないか」
軍人らは話を聞かれたことに多少の焦りはあったが、相手が遊女ということがわかると態度が豹変した。
頬に僅かに汗を浮かべながらも、軍師は居丈高にを睨み付ける。
「お武家様、今のお話は、」
「うるさい、黙らぬか。おい、女よ。今聞いた話、他言しようなどと思うでないぞ。命が惜しくばな」
男の脅しのような文句に、周りを囲う軍師らが肩を揺らして笑う。
は眉を寄せ、不安な表情を見せる。
だがそれは男たちに怯えているわけではなく、彼らが話していたことの真相を確かめたく思ってのものだった。
男たちはの方を見つめたままにやにやと笑っていた。
真相を確かめたくとも、男らは答えてくれそうにない。
だが、そのときだった。
「卯月(うづき)指揮官?」
軍師の一人がその名を呼んだ。
もその顔を覚えている、長身でがたいの良い禿頭の男。
卯月と呼ばれた軍人は、他の軍人ら―――おそらくは部下らから離れるように一人歩みを進め、に近づいてきた。
「卯月指揮官、」
「お主らは先に行っておれ」
卯月という男が重い響きを持って指示を出せば、他の軍師らは顔を見合わせた後、素直に従い動き出した。
は、遠ざかっていく軍師らから自分に近づいてくる卯月へと視線を向けた。
「女」
「はい・・・」
「確か、といったな」
「はい、左様に御座います」
は小さく頭を下げ、視線を一度床に落とした。
そして再び視線を卯月へと向け、は彼から目をそらせなくなった。
恐ろしいまでの鋭い眼光で、男はを忌み嫌うかのように見下ろしていた。
身が竦んだ。
この男にここまでの眼をさせるようなことを、自分は何かしたのだろうかと。
身に覚えがないは戸惑うしかなかった。
恐ろしさはあったが、今し方までいた軍人たちよりはよっぽど話ができそうだと思えた。
はごくりと唾を飲み込み、卯月に問うた。
「あの、・・・お名前をお伺いしても、」
「卯月、キョウノスケ」
「・・・卯月様。先程のお話は、・・・・誠に御座いますか」
「何のことだ」
「その、・・・島田カンベエ様を、処分なされるというのは、」
本当ですか、と問おうとして、は言葉を飲み込んだ。
カンベエの名前を上がった途端、卯月の形相がまるで鬼のように険しさを増したからだ。
歯を食いしばり、拳は震えるほど強く握りしめているのがよくわかる。
卯月がカンベエにどんな想いを抱いているのか。
それが憎しみや怒りのような類のものだとは感じ取れたが、その要因まではにも分からない。
「あの、」
「誠だ。まだ謁見前の懸案事項でしかないがな」
卯月は鼻を鳴らして、カンベエを嘲笑うかのように言い捨てた。
事実である、と卯月は言う。
は震えだしそうな手を胸元できつく握りしめた。
「何故に、御座いますか・・・」
「斯様なこと、聞いてどうする」
「・・・・いえ、」
「想い人の安否が心配でたまらぬか、花魁よ」
卯月の棘のある言葉に、は恥ずかしさにたまらず顔をそらした。
の赤い耳を垣間見て、卯月は喉を鳴らして馬鹿にしたように笑う。
「幸せな男よの、島田は。だが、まぁ仕方あるまい処分は。奴は、ここ最近の二度の出撃で二度失態を犯しておるのだからな」
「二度とも・・・?」
「そうだ。普通ならば考えられぬことよ。それでも地位が落ちることもなくここまで生かされておるのは、御上のお声があったからこそだ」
卯月の言葉の裏には明らかな嫉妬や憎悪の色が混じっていた。
ぶつぶつと、「御上は何故斯様な奴を、」と卯月が呟くのが聞こえる。
「その処分が変わることはないのですか・・・」
「ない。ありえぬ。奴が処分を免れるなど許されぬこと、・・・・許しなどせぬわ」
卯月の形相が再び剣呑なものに変わる。
握られた拳から、めきりと嫌な音が聞こえた。
この男がどれほどの憎しみと怒りをカンベエに抱いているのか。
そんなこと、に分かるはずもなかった。
それでも、愛する人を助けたいという想いは強かった。
鬼の化身のような男に、は恐れを知らず問いかける。
「その失態を穴埋めすることは、・・・」
「・・・・なに?」
「かの御方に、・・島田様に挽回の余地はないので御座いますか」
過ぎた失敗は取り戻せずとも、カンベエほどの力があればその失態を返上することは可能なはず。
カンベエを想う一縷の望みは、だが無惨にも卯月に切り刻まれた。
「どう穴埋めすれば、死んだ者たちは還ってくるというのだ」
卯月の眼光は猛禽類のように鋭く、そして怒りに煮えたぎっていた。
赤く血走った両目がを突き放す。
はごくりと唾を飲み込み、その瞳を正面から受け止めた。
目をそらすのは、無礼に値すると思った。
この卯月という男の怒りの奥にある、心の痛みが僅かに感じ取れたから。
戦で死んだ者たちを想う卯月の心が垣間見えたから。
ふと、卯月の視線がから座敷に横たわるイブキへと向いた。
「そこの娘児(むすめご)よ」
卯月はイブキに声をかけた。
まさか動けないイブキに何かするつもりなのかとは警戒する。
「怪我をしておるのか。前の奇襲で負ったものか」
「・・あい、」
「そうか。大怪我をしているようだが、命はあるな」
イブキは寝たきりのまま小さく首を動かして頷いてみせた。
そんなことをイブキに問うてどうするのだろう。
訳が分からぬとイブキは顔を見合わせ戸惑い、卯月へと視線を戻した。
そして、はっと息をのむ。
鋭く尖っていた卯月の両目は、悲しげに細められていた。
「卯月様・・?」
「我が弟もまた先の奇襲の応戦に駆り出され出撃し、骨となって還ってきた」
焼け焦げた斬艦刀の後部座席に横たわる、煤の中にちらほらと見えるただの白い骨。
弟かどうかも怪しい、その無惨な骸を前に、卯月は歯を食いしばって身体を震わせ涙を飲みこんだ。
仕方のないことと承知して。
これが侍の定めと承知して。
なんと言葉を返して良いかわからずにいる遊女に、卯月は静かに語りかける。
「わかっておる。軍人だ。侍ならば、戦で死するのは本望。そんなことは百も承知。だがな、・・・・だがな、娘よ」
卯月の声は徐々に徐々に重く、掠れたものへと変わっていった。
一つ一つ、憎しみを込めて絞り出すように言葉を紡ぐ。
その言葉の一つ一つが、鉄の杭のようにの心を抉っていった。
「先の出撃、あれもまた島田が指揮官として赴いたものであった。あやつが、・・・あやつが配属された頃と同様の、迷いなき英断で、以前と変わらぬ志で、・・・っ」
卯月は言葉を切り、左の手で自らの右腕の肘を強く掴んだ。
掴まれた右腕がぶるぶると震えている。
何かを殴りたい、大声で叫びたいのを必死に抑えて卯月は声を絞り出す。
「何よりも、味方の命を多く残すことを強く想い指揮を執っておれば、・・・果たして我が弟は・・・っ!」
一つ一つに、憎しみを込めて。
卯月の鋭く恨みの籠もった眼光に、うっすらと涙が滲んでいるのをは確かに見た。
その瞳を、ごく最近見た。
あぁ、そうだ。
『畜生・・・・・、畜生っ!何をやってやがんだよ、軍人どもは・・・!』
あの奇襲があった日、怪我人が運ばれてきたときの、あのときのレンジロウの眼と同じだ。
怒りに満ちたレンジロウの顔が記憶に新しい。
だがそれは、愛しい人が傷つけられた哀しみの顔。
卯月も同じ顔をしていた。
大切な者を傷つけられた哀しみと、傷つけた者への憎しみを抱いている。
鬱憤を幾らか吐き出した卯月は、少し落ち着いた表情でを見下ろした。
「それでもだ。そんなことがあろうと、我等が御上は島田の力量を買っておる。艦(ふね)に残すと決めておる。だがしかし、もはや島田の肩を持つ者は軍内にはほとんどおらん。奴の副官ぐらいであろう」
「・・・・」
男はそこで言葉を切る。
そして、多少なりとも冷静さを取り戻した顔でに言って聞かせた。
「花魁よ」
「はい・・・」
「お主を賢き娘と見込んで話をした」
「・・・」
「お主は、何を考え、どう動くよ」
「どう、・・・とは」
「悔しいがな、確かに奴は御上に眼をかけられるだけの力を持っておる。その力あれば、我等が軍を容易く勝利に導くことができよう。だが、今の奴はそれに値せん。志が腐りかけておる。我等が艦に来た頃の鋭気はない」
卯月の眼は真剣そのものだった。
は戸惑う。
「なぜ、斯様なことをわたくしめに・・・・」
「何故。それは、聡いお主が一番良く分かっておるはずだがな」
卯月は口の片端を持ち上げて皮肉に笑う。
本当はよくわかっているくせに、何故そんなことを問うと言われた気がした。
「花魁。このまま、あやつの侍としての志を腐らせ続け、要らぬ犠牲を増やすのか」
卯月はそう告げて、にきびすを返して去っていった。
取り残されたは、呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。
その日の仕事を全て終え、夜も更ける深夜。
は楼の最上階の欄干に寄りかかり、遠くに居座る戦艦の灯りを眺めていた。
ちかちかと敵を探す細い光線が艦から何本も放たれている。
近くで鈴虫の鳴く声が聞こえる。
はぼぉっと艦を眺めながら、卯月の言葉と、以前言われたシュウサイの言葉を思い返していた。
―――このまま、あやつの侍としての志を腐らせ続け、要らぬ犠牲を増やすのか
―――お前の香りに、毒気に晒されなければいいだけのこと。最も手っ取り早いのは、お前が自ら離れてやることだ
二人の言葉が意味するところは、同じ。
辿り着く先は、同じだった。
「早々に想いを断ち切り、・・・その相手を捨て去る・・・・・」
ずっと頭から離れずにいた答え。
言葉にすることを躊躇っていた。
それを、は小さな声で言葉にして外に吐き出した。
「・・・・・、・・・・・っ」
声にした瞬間、胸が痛み、眼の奥が熱くなった。
視界が滲む。
だがはキッと眼差しを鋭くし、熱い雫が零れぬように歯を食いしばって耐えた。
違う。
は自分に言い聞かせる。
捨て去るのでは、ない。
彼を、救いたいのだ。
今、泣いてはいけない。
彼女の瞳に、涙はなかった。
←
戻
→
<補足>
■卯月キョウノスケ■
カンベエの直属の上司。禿頭(とくとう)が特徴。シチロージはハゲチャ○ンと呼んでいる
以前からちょいちょい出ていました
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送