ドリーム小説
天は、意地悪だと思う
迷い悩む私に、考える暇(いとま)すら与えてはくれない
シュウサイに追いつめられ、が思い悩む日々は続いた。
あれ以来、幸か不幸かカンベエが百花楼を訪れることはなく、は会えない寂しさと同時に、会わなくて済むという安堵感の両方を抱いて過ごしていた。
今彼に会って心の底から嬉しそうに笑えるかと問われたら、きっとぎこちない笑みを浮かべてしまう。
だから、カンベエに会わずにひたすら考える時間があるのは、にとっては良かったのかもしれない。
長い時間をかけてゆっくりと考えていれば、もしかしたら何か妙案が思い浮かぶかもしれない。
そんなふうに、良い方へ良い方へと物事を考えようとしていた矢先のことだった。
あの大きな事件―――に一つの決意を固めさせるに足る、<始まりの出来事>が起きたのは。
それは、朱で始まる出来事だった
その日、百花楼は朱く染まっていた
「 !?」
どうか嘘であってほしい
皆の切なる願いは、だが果たして天に届くことはなかった。
百花楼の玄関先が、常以上の慌ただしさに包まれている。
だがそれは、多くの客で賑わう暖かみのある慌ただしさではなかった。
冷たく、仄暗く、そして死の香りがする。
「
しっかりおし!目を開けないか・・・っ!
」
店先の喧噪を聞きつけ階段を降りてきたは、いつも物静かで穏やかな楼主が玄関先に跪き必死な形相で叫んでいるのに気づき、異常さを感じ取った。
何を叫んでいるのだろう。
何が起こっているのだろう。
人垣に阻まれ、何も見えない。
は、玄関先の様子が見えるところまでそろそろと近づいた。
そして、この喧噪の主因を知るや、―――彼女の世界は、音も色も失った。
その一瞬で、の耳はまるで真空の世界にいるかのように何の音も伝えなくなった。
その一瞬で、の眼はまるで白黒の世界にいるかのように何の色も映し出さなくなった。
どうか嘘であってほしい
「
イブキ!しっかりおし、・・・私の声が聞こえるかいっ?!
」
だが楼主の必死な声が、に現実逃避をしている場合ではないのだと鞭をくれる。
の耳にだんだんと音が戻ってきた。
周りにいる姉女郎や妹女郎、禿(かむろ)たちや雑用たちの悲鳴も徐々に耳に入ってきた。
「畜生っ!何をやってやがんだ、軍人どもは・・・!」
「姉さん・・、ヒカリ姉さんっ。しっかり、お気を確かに・・・っ」
「早く!お医師は呼んだのか?!」
朝陽が昇る。
太陽の光が、楼の玄関先を明るく照らし出す。
失っていたの視力も、次第に戻ってきた。
そして彼女の目に映った最初の色は、赤よりも赤い、朱だった。
真っ赤に染まった人々の姿がの視界を覆う。
「イブキ、・・・ちゃん・・・?」
絞り出した声は、みっともなく震えていた。
だって仕方がない。
こんなの、嘘だとしか思えない。
夢に違いない。
百花楼の玄関先に敷かれた茣蓙(ござ)の上。
そこに横たわるのは、身体を真っ赤に染めた楼の仲間たちなのだから。
自分の視界がおかしくなってしまったのだと思いたい。
でも、・・・駄目だ。
耳に届く、周りの人々の沈痛な叫び声は本物で。
目に映る、真っ赤な血の海は本物で。
鼻につく、鉄錆のような血の香りは本物で。
何の疑いようもない。
今、自分の目の前にいるのは、百花楼の大切な人たちで、そして、
「・・・イブキちゃん・・・―――っ!!」
真っ赤に染まるのは、可愛い可愛い大好きな妹女郎の姿で。
はようやく声を荒げて妹の名を呼び、震える足で彼女の真横に跪いた。
天は、意地悪だと思う
迷い悩む私に、考える暇すら与えてはくれない
それどころか
こんな信じがたい現実を私の前に突きつける
天よ
もしもこれが「彼」を堕落させた私への罰だというのなら
貴方はなんと意地悪で
そして無情なのでしょう
―拾玖―
その事件が起こる二日前。
世の中も百花楼も、いまだ平和な時間を刻んでいた。
まだ陽も昇らない薄暗い時間帯だが、の眼はぱっちりと覚めてしまっていた。
部屋の窓を開け、欄干に寄りかかり、遠くの山々を見つめる。
『お前が島田を腑抜けにさせた、女狂いの元凶か』
以前に楼を訪れた禿頭(とくとう)の軍人の言葉を、今更ながらに思い出していた。
は、ぼぉっとした眼で山々の中に座す艦(ふね)を見つめる。
そして、愛しい彼のことを想った。
(島田様は・・・、ご無事だろうか)
以前に比べ、鋼牙渓周辺での戦(いくさ)の回数が激増しているのだ。
カンベエらが出撃することも多いのだろう。
彼は、猛々しく戦っているのだろうか。
指揮官として、軍隊をまとめているのだろうか。
見たことのない彼の戦場の姿を想像していると、の中にふと漠然とした不安が渦巻いた。
もしもだ。
もしも、あの軍人やシュウサイが言ったように、カンベエが自分のせいで戦意を失うようなことがあれば。
自分のせいで、彼が戦の犠牲になるようなことがあれば。
「・・・・っ」
身が竦む想いがした。
は自分の身体を緩く抱きしめる。
『生真面目な武人であればあるほど、お前のような聡い女に溺れ、腑抜けていくのだろうよ』
まるで自分の存在がとても邪悪なものであるかのように感じる。
自分の存在が、カンベエを貶める。
戦に立つカンベエの足枷にはなりたくない。
もしも自分の存在が彼の前進を阻んでいるのだとしたら、何を差し置いてもカンベエを救う手立てを優先させたい。
そしてその手立ては考えるまでもなく、シュウサイが置いていってくれた。
それは、・・・
―――早々に想いを断ち切り、その相手を捨て去ることだ
シュウサイという人間のことは、あまり好きになれない。
けれど、彼の言葉はきっと正しいのだ。
そう頭では分かっていても、彼の言葉を反芻するたびにの胸はずきりと痛んだ。
ずきずきと、釘で打たれているかのように鋭い痛みが走った。
カンベエのことが心配でならない。
できることならば、今彼には戦場に立ってほしくないとすら思った。
そんなこと不可能だとはわかってはいても。
カンベエたちは今も必死に戦っているのだろう。
だからは祈るしかなかった。
(どうか、・・・ご無事で)
どうか死なないで。
はどんなときも彼の無事を願った。
楼主が以前からかってに言っていたことを思い出す。
『お前がいる限り、お前の大好きな島田様がきっとここを守ってくださることだろうよ』
自分のことなど、どうでもいい。
自分を守るためにカンベエが危険に晒されることの方がよっぽど怖い。
(島田様、・・・・。どうか、・・・どうかご無事で)
は両手を合わせて天に祈った。
ひたすらカンベエの無事を祈った。
そしては知ることになる。
己の視野の狭さと浅はかさを。
カンベエが無事であればいいと、そればかりを強く祈る彼女の元に、それはまさに天罰のように降り注いだ。
二日後
激化する鋼牙渓周辺の戦い
悲劇は、何の前触れもなく唐突に訪れた
陽が昇る前の朝市を狙い、北軍が奇襲をかけてきたのだ。
敵の奇襲に気付いた南軍の兵士たちがやってきた頃には、既に多数の市民が命をおとしていた。
その中に、街へ買い出しに出ていた百花楼の仲間たちもいた。
奇襲の犠牲となった者たちは、すぐさま楼の玄関先へと運ばれてきた。
「しっかりおし!目を開けないか・・・っ!」
茣蓙(ござ)の上に横になる、真っ赤に染まった仲間の肩を揺する。
楼主や仲間らが必死に叫ぼうと、もはや息をしていない者もいた。
「姉さん・・、ヒカリ姉さんっ。しっかり、お気を確かに・・・っ」
幼い禿(かむろ)たちが姉女郎を取り囲み泣いていた。
「早く!お医師は呼んだのか?!」
化粧師のタキゾウが、遊女の顔についた血を手ぬぐいで拭いながら叫んでいた。
喧噪に包まれる楼の玄関先で、は足を竦ませて立ちつくす。
人々の沈痛な叫び声も、茣蓙を染める真っ赤な血の色も、鉄錆のような血の香りも本物で。
何の疑いようもない。
今、自分の目の前には百花楼の大切な人たちが瀕死の状態で転がっていた。
そして、
「・・・イブキちゃん・・・―――っ!!」
は叫び、大好きな妹女郎の傍に駆けよった。
泣きそうな顔でイブキの顔に手を当てる。
頬には、べっとりと赤い血が付いていた。
綺麗な着物も真っ赤に染まっていて、は震える手で彼女の細い肩を揺らした。
「イブキちゃん・・・っ!いや、・・・目を開けて!」
「、揺らしたらいかん!」
「いや・・・っ!イブキちゃんっ」
見世番のショウジに後ろから両腕を掴まれ、はようやくイブキから身体を離した。
ショウジはの両手首をがっちりと掴む。
「大丈夫だ、イブキは軽傷だ。まだ息がある」
「・・やっ・・・イブキちゃん・・!」
「落ち着け、。おめぇがそんなんでどうする!おい、レンジ。を頼む!」
ショウジはを抑えたまま近くにいたレンジロウに声をかけた。
だがレンジロウは動こうとせず、その場に立ちつくしている。
ショウジは不審に思い、眉を寄せた。
「おい、・・レンジ、」
「畜生・・・・・、畜生っ!何をやってやがんだよ、軍人どもは・・・!」
レンジロウの叫びが喧噪の中に響き渡った。
レンジロウの両の拳は怒りに震えていた。
「くそ・・!あいつら、何のために鋼牙渓に居座ってやがんだ・・・っ」
「あぁ、おめぇの言い分も分かるさ。だがよ、今はこいつらを助けることが先決だろうが」
「分かってる、・・あぁ分かってるよ!でもよ、・・・でも、そんな容易に割り切れなんてできやしねぇよ。なんで、・・・・・なんでもっと早く助けに来てくれねぇんだよっ」
怒りに満ちたレンジロウの顔、だがその目尻にはうっすらと涙が滲んでいた。
レンジロウの哀しみと怒りに満ちた鋭い瞳は、すぐ傍で横たわる遊女のヒカリに向いていた。
重症のヒカリは、今すぐに手当をしなければ助からない。
彼女を想う彼の心、彼の叫びに周囲の人々は賛同を示す。
「その通りだ・・・。レンジロウの言うとおりだぜ」
「あぁ。お侍さん方には、この街に居座る代わりにここを守る義務があるってもんだ」
男衆の声がだんだんと軍人への怒りに変わっていくのを、女たちははらはらしながら見守るしかなかった。
レンジロウの声が、より一層昂ぶる。
「せっかくこの里で癒してやってるってぇのに、・・・腑抜けた戦い方されたんじゃあ、たまったもんじゃねぇ!」
「レンジ、熱くなるな。今やるべきは、」
冷静に状況を判断し、レンジロウを抑えようとショウジは言葉をかけていた。
だがその意識が不意にへと戻る。
「おい、・・?」
掴んでいた彼女の腕から力が抜け、ずるずると床にへたりこんでしまった。
の身体から力が抜け、両の肩が下がり落ちる。
ショウジはの変わり様に不安を抱き、の肩を揺すった。
その間に、呼ばれた町医者たちが大慌てで楼へと駆け込んできた。
楼主の一声で、男たちは口争いを止めて怪我人たちを奥の部屋へと運んでいく。
ショウジも、最後に一度の肩を叩き、加勢に行ってしまった。
女たちは清めの塩を玄関先に撒き始めた。
だが、皆が皆次の行動へと移る中で、一人動けずにいる者がいた。
「花魁、・・・大丈夫でいぃすか?」
禿に声をかけられて、は呆然とした顔を向ける。
彼女の顔色が真っ白なことに、禿たちは心配する。
は妹女郎らに手を引かれ、ようやく立ち上がることができた。
支えられながらふらふらと危うい足取りで奥部屋へと進む。
その途中、二階の廊下から見える遠くの山々への目は向いた。
戦いを終えたばかりの戦艦が何隻も、機体から白い煙をあげながら着陸するところだった。
と同じものを見つめる禿たちが、幼さゆえの残酷な言葉を紡ぐ。
「還ってきんした。役立たずの腑抜けなお侍さん方が還ってきんしたわ」
「うちらんこと守ってくれんのでしたら、とっとと街から出てってくんなんし」
の足が、ぴたりと止まる。
支えていた娘たちも合わせて止まり、に声をかける。
「どうしんした、花魁?」
「・・・・・・・」
の眼は、真っ直ぐに戦艦を見つめていた。
吹きすさむ朝の風が、秘色(ひそく)の髪を揺らす。
何故かはわからない。
けれど、どういうわけかその時の頭の中に流れたのは、楼主のあのからかう言葉だった。
『お前がいる限り、お前の大好きな島田様がきっとここを守ってくださることだろうよ』
楼主が笑いながら言っていたのが思い出される。
でも、今はあの時の明るく楽しい雰囲気はない。
「花魁・・・?」
「なんでも・・ないよ」
戦艦を見つめるの目尻に、うっすらと涙が滲む。
自分の愚かさに、恥ずかしくて腹が立った。
カンベエが守ってくれるのは『』であって、『百花楼』や『鋼牙渓』を守ってくれるわけではないのだと感じた。
だから、百花楼を離れたイブキたちは守られることはなかったのだと。
そんなことあるはずはないと思ってはいても、血まみれのイブキや仲間たちを眼にし、の思考は傾いていく。
自分を守ることなどどうでもいいから、どうかカンベエが危険に晒されないようにと、そればかり願っていた。
だからまさか、災いが自分ではなく、カンベエではなく、自分の周りにいる人々へ向くなんて思ってもみなかった。
はふらりと欄干に手をつき、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
妹女郎が心配して彼女の肩に手を置く。
「花魁、・・・花魁?」
(どうして、・・・どうして傷つくのは皆なの。どうして、)
―――どうして、・・・私じゃないのですか・・?
は、天に問うた。
答えなど返ってくるはずもなく、それでも問うた。
迷い悩む私に、考える暇すら与えてはくれず
それどころか、こんな信じがたい現実を私の前に突きつけるのですね
天よ
もしもこれが「彼」を堕落させた私への罰だというのなら
貴方はなんと意地悪で、そして無情なのでしょう
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<補足>
■ヒカリ■
女郎。と同じ年。話には出ていないが、イブキを庇って重症を負った
■タキゾウ■
化粧師。遊女らの化粧を生業としている
■ショウジ■
見世番(みせばん:遊郭で働く雑用のこと)。冷静な判断ができ、穏やかで周りから慕われている
■レンジロウ■
同じく見世番。熱い性格でカッとなりやすいが、仲間思い
若いヒカリに淡い恋心を抱いているが、遊女と恋仲になることは御法度と理解はしている
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