ドリーム小説
燃える火種は初めは小さく
誰も知らぬ間に煌々と燃える地獄の業火に成り変わる
そうして燃え尽きた業火の奥に潜む灰は炎よりも熱く
油断せし者の骨と肉をじりじりと焼いていく
―拾陸―
夜風に、焦琥珀の長い髪が踊り狂う。
カンベエは戦艦の甲板の淵に立ち、ちかちかと光が瞬く城下町を眺めていた。
あの光の渦の中に、カンベエが想う秘色(ひそく)の女がいる。
カンベエは黒刀の柄に手を置き、ゆっくりと目を閉じて嘆息した。
瞼の裏には、淡い光に縁取られて柔らかに微笑む女の姿が見える。
―――島田様
彼女の声が聞こえた気がした。
目を瞑るカンベエの口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。
それに応えるように、女は尚一層穏やかに微笑む。
「 」
女の名を呼ぼうと、カンベエは薄く唇を開く。
だが、ささやかな幸せの時間は、唐突に闇に襲われた。
それは一瞬のことだった。
瞼の裏に映る彼女の首が、彼女の背後から忍び寄ってきた者の手によって寸断された。
彼女の小さな頭がごろりと落ち、首なしの身体から噴水のように血しぶきが舞い狂う。
カンベエはその場に凍り付き、指一つ動かせないでいた。
彼女の後ろに立つ闇の使者が、血に染まった鎖鎌を片手に残忍な笑みを浮かべていた。
悪鬼が如きそやつの顔は、・・・・・
「・・・様・・っ!」
「カ・・・エ様・・!!」
「カンベエ様!」
「・・・・・っ」
肩に手を置かれて名を呼ばれ、カンベエは閉じていた両目を勢いよく見開いた。
鼻頭からぽたりと冷たい汗が落ち、カンベエは正気に戻る。
目の前は、闇。
カンベエがいるそこは、一歩先には奈落の底しかない戦艦の甲板の淵。
カンベエは、いつの間にか自分がそのぎりぎりの淵で跪いていたことに気付く。
肩に置かれた手が、カンベエを何度も揺する。
「カンベエ様、大丈夫でございますか?」
「・・・シチロージ、・・か」
カンベエは肩で大きく息をつく。
シチロージはカンベエの横に片膝をつき、上官の横顔を覗き込んだ。
その顔は冷や汗に額に髪が張り付いており、疲労の色が濃く浮き出ていた。
「いかがなさいました、このようなところで」
「・・・・あぁ・・」
「まさか、自殺志願なんかじゃございませんでしょうね」
「馬鹿者・・・、何を言うておるか」
カンベエは疲れた顔でシチロージに苦笑を向ける。
だが、シチロージの顔は呆れながらも本気で心配していた。
「でもですね、覇気もなく、こんな崖っぷちで佇んでいらしたら、あたしじゃなくたって心配ぐらいしますよ」
「・・・そうか。それはすまぬな」
「何をお考えでいらしたので、カンベエ様」
「・・・・・あぁ・・」
カンベエはまた心ここにあらずな返事を返す。
シチロージの手を借りて立ち上がったカンベエは、ゆっくりと額に手をあてがった。
そして、
「・・・幻影を、見ていた」
ひどく重い声で、ぼそりと呟いた。
シチロージは眉をひそめる。
「幻影・・・ですか?」
「あぁ、そうだ」
「・・・一体どのような、」
シチロージは、額に手を当てて目を瞑るカンベエをじっと見つめた。
カンベエが、夢や幻影などという形のないものに捕らわれるなど、ひどく珍しいことだった。
カンベエは薄く目を開けると、言葉にすることを決意するようにゆっくりと時間をかけて瞬きした。
「百花楼の殿が、・・・・・鎖鎌に斬首されておった」
「・・・・・・・・」
カンベエの言葉が夜の闇に溶けて、彼の周りに漂っていた。
シチロージは表情を苦め、言葉を切った。
ご冗談を、とは笑えない幻影だった。
カンベエが想う女が、先日カンベエたちを苦しめた獲物によって命をおとす。
何の予兆なのか。
どんな未来を見せようとしているのか。
カンベエの横顔が苦しげに歪んでいく。
シチロージもしばらくその場に固まっていたが、自分以上に衝撃を受けているであろう上官を思い、凍り付いた場を崩さねばと無理矢理表情を緩めた。
「それはまた、やけに現実めいた・・・あー・・、皮肉な幻影でげすなぁ」
シチロージは引きつった笑みで場を崩そうと試みる。
だが、カンベエの横顔から苦渋の色が消えることはなかった。
シチロージは諦めて表情を平素に戻す。
そうして、張りつめた雰囲気を少しでも消そうと、何てことはないというため息をついた。
「カンベエ様」
「・・・・・」
「お気になさりすぎですよ、カンベエ様」
「・・・・・」
「先の残党狩りのこと、まだ引きずっておいでで?あれはカンベエ様の失態なんかじゃなくですね、あのハゲチャビンの差配が、」
「シチ」
慌てて弁護しようとするシチロージを止めたのは、カンベエの重たい呼び声だった。
シチロージの軽快な口が止まる。
そしてじっとカンベエの次の言葉を待った。
夜風が、少しだけ強さを増した。
雲が、下弦の月を半分隠す。
「わしは、確かに・・・・・ゆっくりと狂い衰えていっておるよ」
カンベエの声は、強く、はっきりとしていて、シチロージが聞き間違えることを許さなかった。
冷たい夜の風が、カンベエの長い髪を闇に舞わせる。
下弦の月が男を照らし出す。
カンベエの横顔は、自嘲するように苦々しげに笑っていた。
同じ下弦の月を、秘色の女は楼の二階の欄干にもたれて眺めていた。
夜風が、の長い髪をきれいになびかせる。
「んー・・・、気持ちいい」
「花魁。あんまり夜風にあたっていると、身体を冷やすでありんす」
「あ、イブキちゃん。名代(みょうだい)終わったの?」
通りかかったイブキに注意を受けても、はのほほんとした様子でそれを流す。
年下のイブキの方がなんだか大人びていて、まるで彼女の方がの姉のよう。
イブキは両手で抱えた御膳を持ち直し、「花魁」と呆れたように声をかけた。
「風邪ひいても知らないでありんすよ」
「大丈夫。そんなに柔じゃないよ」
「何言ってるでいぃすか。楼内で一番からだが弱いのは花魁でいぃすよ」
「そんなことないよ」
「そんなことありんす。もう、・・・。花魁が風邪で寝込んだりしたら、島田様ががっかりするでありんすよ」
「もう・・、イブキちゃんは。何言うかなぁ」
「本当でいぃすよ」
冗談半分にしか聞こうとしないに、イブキは唇を尖らせて「もう知らないでありんすよぉ」と御膳を運んでいく。
自分を心配してくれる可愛い妹女郎の背を、は愛しげに見送った。
「わかってるよ。ありがとね」
もう聞こえないだろうけれど、は小さな声で礼を告げた。
そのとき、階下から賑やかな声が多数聞こえてきた。
階下を見下ろせば、五、六人の大人数の賑やかな客たちが暖簾をくぐって入ってきたところだった。
夜はまだまだ、これから華やかになっていくのだ。
「これはこれは、お侍様方。ようこそおいでくださいました」
楼主が穏やかな笑顔で客らを迎えれば、酒の入っている軍人たちはがはがはと笑いながら機嫌良く百花楼に足を踏み入れる。
「いつもお勤めご苦労様にございます」
「おぉよ。日々、命を削って戦に赴いておる我等を、如何様にもてなしてくれる、主よ」
「それはもう、お侍様方の心身の疲れがすっかりとれるまで。手厚くお迎えさせていただきますとも。我々市井の平和は、南軍の皆様のお勤めあってのもの」
「わははっ!よぉくわかっているじゃぁないか」
浅黒い肌の男は、上機嫌に楼主の肩を抱く。
「宴だ!酒と女を侍らせろ」
「はいはい。すぐにご用意いたします。、手伝ってくれるかい」
「はい。ただいま」
すでに朱塗りの階段を降りてきていたは、楼主の呼び声に笑顔で応える。
百花楼太夫の姿を目にした軍人たちは、その美しさと愛らしさに感嘆の声を漏らす。
「ほぉ。お主が噂に名高い棋士の花魁か」
「はい。にございます。お見知りおきを」
「これはこれは。噂通り、・・・いや噂以上だ」
軍人たちは酒が入った赤い顔でに近づき、顎を撫でながらを観賞するように見つめ回す。
は始終にこにこと微笑んではいたが、逆にそれを遠目に見ていた楼主の方が気が気ではなかった。
もしも、以前のように酒に酔った勢いで男どもがに触れたりなどしたら。
その杞憂は、だが果たして現実となってしまった。
「次に来たときには、是非一局手合わせ願いたいものよのぉ!」
浅黒い肌の男が、酒臭い息を吐いて笑いながら、の肩を強く抱いた。
心配していたことが起こってしまい、楼主は心内で「ひっ」と悲鳴をあげた。
偶然にも階段の上を通りかかったイブキもまた、階下の様子を目にし、思わず声を上げてしまった。
「花魁・・っ!」
が壊れてしまう。
男たちに触れられることを拒絶し、小鳥のように泣き叫び、狂ってしまう。
楼主もイブキものことを想い、恐れに恐れて眉をひそめた。
だがしかし、現実は彼らの予想とは酷く異なるものとなった。
「一局と言わず、お侍様のお時間が許す限り、何局でもお付き合いいたします」
は、静かに笑っていたのだ。
それは無理をしている笑みではなかった。
常と同じように穏やかに笑い、そして何でもないようにそっとさりげなく男の手を自分の肩から外してみせた。
(まさか・・・、が、あの娘が、自分から異性に触れたというのか・・・)
楼主もイブキも、信じられないという顔でを見つめる。
だが当の本人は何でもないと言うように、明るい笑顔で接客を続けた。
「これはこれは手厳しい。何局もか。ということは、某の勝ちはもとより無いに等しいということかな」
「ふふ。さぁ、どうでしょうか」
「なぁに言ってんだ、おめぇ!艦(ふね)ん中でだってほとんど勝てねぇくせに、百戦錬磨の花魁に勝てるわけがねぇだろぉよ!」
「うるせぇな!そんなもん、やってみなきゃわかんねぇだろぉが」
男どもは、がはがはと賑やかに笑い合いながら奥の部屋へと進んでいく。
は静かに、「ごゆっくりどうぞ」と男たちを見送った。
ばたばたと慌てた足音がに近づく。
「っ・・・、や!」
「はい、何ですか?あ、お酒の御膳ですね」
「いや、そうじゃない・・、お前・・・男の方に触れられても、」
何ともないのか、と楼主は驚きの目で問いかける。
てっきり、島田カンベエにしか触れられないのかと思われていたから、この驚きは一様ではない。
はといえば、やはり変わりなく穏やかにしていたが。
楼主にそのことを言われると、自分の変化に今ようやく気付いたようで、小さな口を大きく広げて、その口を手で覆い衝撃を受けていた。
の変化は、カンベエに助けられたときの接触が要因に違いない。
触れられるのはカンベエだけだと思っていたことが、そうではなかったと今知る。
それが、果たして喜ばしいことかどうかはわからないが。
今のには、それが吉となるか凶となるか、判別することはできないでいた。
ただ少なくとも、の変化を疎ましく思う者は確実にいるのだった。
「花魁・・・」
「自分でも気付きませんでした・・・。どうしよう・・・」
「花魁・・・」
「ん?どうかしたの、イブキちゃん」
「花魁・・・、シグレ花魁が」
イブキの声は酷く気まずげで、イブキは楼の二階からあからさまに目をそらしていた。
イブキが避ける方向に、は目を向けた。
そうしてすぐに、イブキの意図は掴めた。
冷たい、氷のような眼差しと目があったからだ。
「シグレ様・・・」
の変化を、の女としての成長を疎ましく思う遊女が一人。
を射殺さんが眼差しで、を見下ろしていた。
赤い紅をひいた唇が、ぎりりと憎しみを込めて真一文字に結ばれる。
シグレは、最後の一睨みを利かせ、に背を向けて二階の奥部屋へと去っていった。
は、悲しげに眉をおとし、シグレの背中を見送る。
生涯、あの姉女郎と分かり合えることはないのだろうかと、胸を痛めながら。
「おぉーい!!酒が全然足りんぞぉっ!」
先程の軍人たちが、上機嫌の声で酒を所望していた。
はつらい気持ちを切り替え、頬をぺちりと叩いて笑みを作る。
「はーい、ただいまお持ちいたします!」
「おーい、花魁!花魁、お主も来い。酒を注いでくれんか!」
「馬鹿野郎、太夫が相手すんのはなぁ。将棋に勝った野郎だけなんだよ」
がはがはと賑わう明るい声に、も小さく肩を揺らす。
客が明るく楽しんでくれる声は、時にこちらの荒んだ心を救ってくれる。
酒の膳を取りに行こうと、は軽い足取りで後ろを向いた。
すると、ちょうど今、玄関先の暖簾をくぐってやってきた軍人と目があった。
長身でがっしりとしていて、強面の顔立ちと禿頭が余計にその人の印象をきつく逞しく印象づけた。
身なりや雰囲気から感じ取るに、奥で宴会を始めた軍人たちの連れだと思われる。
「いらっしゃいませ。あの、お連れ様でございますか?」
は愛想良く接客した。
だが軍人の男はそれに応えることはなく、ただひたすらじっと、を上から下まで睨むように見つめていた。
なんだろう、何かしただろうかと、は不安げに首をかしげる。
「あ、あの・・・・お侍様?」
「というのは、・・・。お前のことか」
男は怪訝な眼での眼をじっと睨み続けた。
「は、・・・はい。は、わたくしめにございますが、」
何か、とは恐る恐る問いかけた。
強面の男は応えることなく、今度は視線だけでを値踏みした。
そして目を合わせると、不安そうにしているに向かって、ふんと鼻で笑ったのだ。
皮肉たっぷりの、人を揶揄するような笑い方。
その後に言った男の台詞は、の思考と笑顔を停止させた。
「お前が島田を腑抜けにさせた、女狂いの元凶か」
「・・え・・・」
「なるほど。朴念仁のようでいて、意外と女を見る目はあるものだな」
男が告げる「島田」という名に、は耳聡く反応して見せた。
男が言う「島田」という人物と、が想う人物がきっと同じ人だと。
確認せずとも何故かわかった。
あからさまにカンベエを揶揄する皮肉な笑みは、決して気持ちの良いものではなかった。
その男が、を介してカンベエを間接的に見下していることは明らかだった。
腹が立ち、客であることを忘れて睨み上げてやってもよかった。
だが、そのときのにはそれをする余裕など無かった。
彼女の心は、今この場所にあらず。
男が鼻を鳴らして憎々しげに笑い、自分を見下ろしていることなど、最早どうでもよかった。
の身体に、男が言った言葉が幻影のようにまとわりつく。
『島田を腑抜けにさせた』
『女狂い』
『元凶』
見えない幻影が闇となり、彼女を縛り苦しめる。
―――・・・彼に、・・・会いたい
今すぐ、・・・会いたい・・・
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