ドリーム小説
着物の襟元から見える、細く白い首筋。
痩せてはっきりと浮き出た鎖骨。
病弱な女の気だるげで緩慢な動き。
無意識に彼女が見せる女の色香に、
男は愚かな蝶のように引き寄せられてしまう。
―拾泗―
百花楼に夜の帳(とばり)が落ちる。
あちらこちらの座敷から聞こえてくる三味線の音色、鈴や鉦(かね)の音。
ちん、とん、しゃん
ちん、とん、しゃん
けらけらと笑う遊女たちの明るい声。
ぱたぱたと廊下を走る禿(かむろ)たちの足音。
カンベエは小窓の近くに胡坐をかき、下界の風景を眺めながらそれらの音に耳を傾けていた。
窓の外には夜の花街が広がっている。
ちかちかと色とりどりのネオンに照らし出される、色欲の街。
カンベエは、視線を遠くにそびえる山へと投げた。
そこにはカンベエが身を置く御庭番戦艦(おにわばんせんかん)が、暗闇の中で巨大な城のように浮き出ていた。
まるで機械兵のレーザー光線のように、警備用の灯りがあちこちに飛んでいる。
ちん、とん、しゃん
ちん、とん、しゃん
窓枠に頬杖ついて何となく外を眺めながら、彼の左手は秘色(ひそく)の小さな頭をゆっくりと撫でる。
形のいい小さな頭、さらさらの髪は何度梳いても指に絡みつくことはない。
―――すぅ・・・
は座布団を枕代わりにし、カンベエの真横で猫のように丸まって眠っていた。
時折、小さな口から寝息が零れ落ちる。
「余程疲れていたのであろうな」
イブキに導かれて部屋に入ったとき、は縋るように零れた金平糖に手を伸ばしていた。
久し振りに見たは、前にも増して痩せてしまっていた。
カンベエの顔を見た瞬間、はまるで束縛から解放されるかのように、ことりと意識を手放した。
安堵した顔で眠りに落ちた少女を見て、カンベエは思わずその小さな手を取っていた。
―――すぅ・・・
「わしは信用されておるとうぬぼれてよいのか。なぁ、殿」
からの返事はなく、代わりに可愛らしい寝息が返ってくる。
彼女は今、夢の淵をさまよっている。
気持ちよさそうに眠る彼女の髪を、カンベエは大きな手でゆっくりと梳いた。
開け放たれた窓から、春の穏やかな夜風が吹き込んでくる。
彼女の頬にかかった髪が邪魔そうで、カンベエは頭を撫でていた手を止めてそっと乱れ髪を払ってやった。
秘色(ひそく)の猫はくすぐったそうに少しだけ身をよじり、「・・ぅ・・ん」と小さな声で鳴いた。
「すまぬ。起こしてしまったか」
折角気持ちよさげに寝ていたのに悪いことをした。
だがカンベエの危惧をよそに、は目を覚ますことなく寝息を立て続ける。
カンベエはほっと胸を撫で下ろし、頬に残る彼女の髪をもう一度払ってやった。
「・・・ん・・・」
寝入る彼女の口から、小さな吐息が漏れる。
「殿」
小さな声で呼んでも、返事は返ってこない。
「殿」
二度目の呼び声にも、だが返事は返ってこない。
それでもいい。
「殿」
何度でも何度でも、その名を呼んでいたい。
どれほど呼べば、そなたは己のものになるのか。
「、殿」
殿。
殿。
殿。
眠る彼女の口からは寝息ばかりがこぼれ、意味をなす言葉は返ってこない。
自分ばかりが名前を呼んで、返らぬ返事に心が切なくなる。
愛しさに比例するように、焦りばかりが募る。
他の男のものになってしまう前に、早くお前を手に入れたい。
殿。
殿。
殿。
『島田よ。何をそう焦る。焦ってばかりいては、得られる勝利も指の隙間からこぼれ落ちてゆくぞ』
不意に脳裏を横切ったのは、意外な人物の言葉だった。
『島田よ。戦場に立つのに、己が感情を制御できぬ侍など、足手まといなだけだ』
カンベエが血気盛んであった若き頃のこと。
勝利に焦り、感情剥き出しの勢いばかりで戦っていたカンベエをよくたしなめていた、女上官の言葉だ。
なぜ今さら脳裏をよぎる。
瞼の裏に一度だけ映っては消えた、笑顔の美しい師匠の姿に、カンベエははたと我に返る。
気づけば、寝入る彼女に口付けようと、彼女の上に覆い被さる自分がいた。
さながら獲物を捕らえ、逃がさぬように上から押さえつける獣のように。
「しまだ・・・さま・・」
掠れた声で、は自分の名を呼ぶ。
ついぞ起きてしまったかと背に冷や汗が流れる。
だがそれもまた取り越し苦労、の寝言でしかなかった。
カンベエはゆっくりと正気に戻っていく。
そして彼女からゆっくりと己の身体を引き剥がした。
カンベエに理性を取り戻させ、よく考えるようにと助言しに黄泉の国から降りてきてくれたのだろうか。
―――相変わらず、お節介は変わりありませんな。お師匠
カンベエは目を閉じて苦笑する。
そしての秘色(ひそく)の頭をゆっくりと撫でた。
彼女の夢の中には、確かに自分がいる。
それが、嬉しくて仕方がない。
今これ以上の贅沢を望むのは傲慢なのかもしれない。
「勝負に勝ったら、という約束であったな」
からの返事はない。
カンベエは構うことなく、を起こさぬように気をつけながら、彼女の細い手を取った。
そして雪のように白い手の甲にそっと唇を押し当てた。
彼女が起きる様子はない。
カンベエは細い手を、そっと彼女の胸の上に戻した。
「次は、必ず勝ってみせよう」
―――・・・、愛しき者よ
この張り裂けそうな想いをどこにぶつけたらよい。
夢の淵に浸る女を一人残し、男は静かに部屋を後にする。
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