ドリーム小説
かりり
かりり
口の中で、金平糖を噛み砕く。
小さな星くずが、甘い痺れを残して消えていく。
―拾参―
「花魁」
「・・・・・」
「花魁」
「ぁ・・・あぁ、イブキちゃん。うん、何?」
「何、って。金平糖。そんな噛んでたら、すぐなくなっちゃうでありんす」
「え・・・・私、噛んでた?」
イブキに言われてやっと気付く。
口の中に放り込んだはずの金平糖が、ものの数秒でなくなっていたことに。
手の中の金平糖の瓶を目線まで持ち上げて、いつの間にか中身が半分になっていることには自分で驚いた。
「やだ・・・私、何も考えてなかった。勿体ないことしちゃったなぁ」
「花魁、最近ちょっとおかしいでありんす。いつも金平糖ばっかり食べてるし」
「あ・・うん」
それは自覚している。
はイブキに向かって曖昧に笑ってみせた。
飴でも菓子でも何でもいい。
何か口に入れていないと、自分を落ち着かせることができない。
口の中が空っぽで、唇が乾いているとどうしても思い出してしまうから。
―――思い出したくなんて・・・ないのに。
シュウサイに無理矢理押し付けられた口付け。
ぺろりと蛇のように舐められた己の唇。
他人の唾液に濡れた唇。
「・・・・・」
思い出したくない、と心が叫ぶ。
無意識に金平糖を口に運んでいたようで、イブキに「ほら、また。花魁」と呆れられた。
「金平糖ばっかり食べてたら、栄養失調になってしまいぃすよ」
「大丈夫だよ、ちゃんとご飯も食べてるし」
「でも、前よりずっと食べる量が減ってるって旦那様も言っていぃしたし、それに花魁、最近なんだか具合悪そうでいぃす・・・」
「ありがとう、イブキちゃん。心配してくれて」
私は大丈夫だよ、とは笑って告げる。
大丈夫、大丈夫、と。
まるで自分に言い聞かせるようには呟く。
不意にの部屋の障子が、とんとんと叩かれた。
「イブキ、名代(みょうだい)だよ。菊の間だ」
「あい、すぐに行きぃす。・・・・・・」
障子の外に返事を出して、だがイブキの目は心配そうにを見つめていた。
「なぁに?イブキちゃん」
「花魁・・・・本当に大丈夫でありんすか?」
「ふふ。イブキちゃんは心配性だなぁ。大丈夫だよ、私は」
「でも・・・」
「ほら、早く行かないと。お客様をお待たせしちゃ駄目よ」
「・・・あい」
すっきりしない返事をして、イブキは重い腰を上げる。
最後まで心配そうな顔を残して、イブキはの部屋を去っていく。
甲斐甲斐しくて可愛い妹女郎を、は笑顔で見送った。
ぱたぱたと軽い足音が遠ざかっていく。
イブキが去って、一人部屋に残って。
ふぅ・・・と一つ、は小さな息を吐いた。
それから、ごろんと畳の上に身体を横たえさせた。
低い文机の足を、ただぼぉっと眺める。
「だるい・・・・・・・・かも」
誰もいなくなって、ぽつりと本音が漏れた。
イブキには強がりを言ったが、正直最近自分の身体が重くて仕方がない。
あの一戦交えた日からだ。
シュウサイとの一戦は、酷く精神力を消耗した。
将棋の一戦だけならいざ知らず、勝負に負けたくせにあの男はに手を出して帰っていった。
あの些細な戯れが、の心と身体にしこりを残していった。
あの日から、自分の唇が気持ちの悪いものに思えて仕方がないのだ。
出される食事が上手く喉を通らない。
代わりに水と金平糖ばかりを食べている。
イブキの言うとおり、最近は食も細くなり、実際痩せ始めているのを自身自覚していた。
「・・・弱いなぁ・・・私って。本当に」
畳の上で猫のようにきゅぅっと丸まり、苦しそうに目を閉じる。
瞼の裏は真っ暗闇だ。
今は、そこに前のようにカンベエの姿は映らない。
―――・・・・・・寂しいなぁ。
凍える子どものように、畳の上で身を丸める。
自分の下唇をそっと指先で撫でてみた。
ふくりとしていて柔らかい、それなのにどこか冷たい。
自分の唇が気持ち悪い、自分の身体を愛せない。
「・・・・島田、様・・」
それは無意識に、彼の名が口をついて漏れ出た。
は自分の唇を撫でるのをやめない。
撫で続けるうちに、妙なことを考え始めている自分がいるのに気付く。
―――唇に触れるこの指が・・・・彼の指だったらいいのに。
それは酷く官能めいた妄想。
それは遊女らしいといえば遊女らしいが、らしいとは決して言えない世迷言。
「馬鹿・・・」
自分は何を考えているのだ。
頭がおかしくなっている。
彼のせいだ、あのシュウサイという男のせいだ。
彼の、あの男の、蛇の毒牙に侵されているのかもしれない。
ざらら・・・・
金平糖の瓶を横倒しにして、こぼれた星くずを一つ摘んで口に放り込んだ。
舌先にあたる優しい棘。
すぐに消えてなくなる甘い棘。
儚すぎて、余計に寂しくなってしまう。
「・・・・・島田様・・・」
呼んだからといっていつでも来てくれるわけじゃない。
そんなことわかりきっている。
遊女が客を選ぶことなどできない。
だって彼は私のものじゃぁない。
でも、今は欲しくて仕方がないの。
金平糖よりも、何よりも欲しくて仕方がないの。
「・・・会いたい・・・・・・島田様」
寂しすぎて、視界がうっすらとにじんだ。
ゆっくりと目を閉じて、少女はそのまま眠りに落ちていった。
せめて夢の中で会いたいと切に願いながら。
心が葛藤する。
御職の花魁としての気高い心と。
ただただ島田カンベエを求める女としての心が。
ぎしぎしとせめぎ合っている。
あぁ
会いたい・・・会いたい・・・
―――花魁、花魁!
自分を呼ぶ声が聞こえた、気がした。
眠りに落ちた重い頭の奥で反響して、鈍痛が襲う。
―――花魁!
小さな手が私の肩を揺すり、眠りから覚まそうとしている。
でも、だるくて仕方のない身体がどうにも起きることを拒否している。
花魁、と何度も少女が私を呼ぶ。
そのとき、返事を返せない私の耳に、また別の音色が届いた。
―――・・・眠っておるのではないか?
―――あい。そうみたいでいぃすね。
(誰・・・・・?)
頭の奥に届く、誰かの声。
とてもはっきりしない、鼓膜に薄い壁が一枚張ってあるような曇った声が聞こえてくる。
―――花魁、最近疲れていたみたいでありんす。ご飯もほとんど食べていなかったでいぃす。
―――左様か・・・。
(イブキちゃん、だ・・・・・それから・・・)
聞き覚えのある妹女郎の声。
それから、曇っていてはっきりしないけれど、耳に心地いい低い声。
の心を揺さぶる、深みのある声。
―――ならば起こすのも悪い。また日を改めて来るとしようか。
―――あい。お武家様、花魁に何か言づてはありぃすか?
帰る。
帰ってしまう。
あの人が帰ってしまう。
(・・・・・待って・・っ)
お願いです。
帰らないで。
ここにいて。
そばにいて。
心ではこんなにも切望しているのに、身体が言うことを聞いてくれない。
は必死に目を覚まそうと試みる。
だが彼女の意志に反して瞼は上がらず、指一本動かない。
死人のように眠りに落ちる身体。
イブキとあの人の会話が途切れ途切れに届く。
二人が何を話しているかはよくわからない。
―――すまんな。よろしく頼む。
―――あい。承知いたしました。
障子が閉まる音がする。
ぱたぱたとイブキの軽い足音と、しゃらしゃらとどこかで聞いた音が遠ざかっていく。
その瞬間、の心を満たしたのは失望とどうしようもない喪失感。
あぁ・・・・。
あぁ・・・・帰ってしまったのか。
仕方がない。
だってあの人にはあの人の生活がある。
私の願いがいつもいつも叶うなんて、そんな傲慢なこと言えないし、言いたくない。
それなのに。
(・・・・いやだ、私・・・・・・・泣きそう)
これではまるで寂しがりの子どものようだ。
情けない、恰好が悪い、しっかりしなければ。
寝ている場合ではない。
ちゃんと起きて、飯を食べて、身支度を調えなくては。
もうすぐ夜の仕事が始まる。
夜の見世(みせ)が始まれば、百花楼内も世話しなくなる。
島田カンベエだけが客ではない。
自分は花魁としての仕事をしなければならない。
ちゃんと起きなければ。
いつまでも夢の中に逃げているわけにはいかない。
そして目を開けた。
夢が覚め、現実が待っている。
それは酷く苦しくて、逃げたい現実だけれど。
(唇・・・乾いてる。・・・・・・・・・ぃやだ)
金平糖が欲しい。
何か口に入れなきゃ。
ぼやけた視界の端にうっすらと金平糖のガラス瓶が見えた。
横倒しになったガラス瓶から、星くずたちが零れて畳の上に広がっている。
震える手を伸ばし、細い指先を伸ばし、柔らかい棘に触れた。
小さな星くずを一粒、頼りない指先でつまんだ。
金平糖に触れたまま力尽きてしまった私の手に、そっと褐色の手が重ねられた。
震える細い手を、ゆっくりと大きな手が握り包んでくれる。
あったかい。
細められていた彼女の目が開き、褐色の手から腕を伝い、肩へ、その上へと視線が移っていく。
広い肩、深緑の軍服、そこから流れ落ちる焦琥珀色の長い髪、それから。
よく日に焼けた褐色の肌。
「・・・ぁ・・・・」
「少し・・・痩せられたのではないか・・・?」
―――・・・殿。
今にも死にそうな私の顔を見て、彼が心配そうに眉間に皺を寄せる。
その優しい目で見つめられると、心が締め付けられて苦しくなる。
幸せに、胸が潰れてしまいそう。
帰ってしまったと、もう行ってしまったと思っていたのに。
何故、です。
何故そんな優しい真似をするのですか。
「しまだ・・・さま・・・・っ」
声が震えてしまう。
あぁ、だめだ。
雑音が入り乱れてよく聞こえなかった、さっきまで交されていた会話が。
今になって鮮明に頭の中に鳴り響いた。
―――イブキ殿。言づて代わりに、そなたに頼みがある。
―――あい。何なりとお申し付けください。
しゃらん、と彼の銀細工の耳飾りが揺れる音がする。
―――殿が起きるまで、この部屋にいさせてくれぬか。
―――へ・・・?
―――なに。金ならばもう下で払ってある。それならば違法ではあるまい。
―――あい、それなら大丈夫でいぃすが・・・でも何故。
カンベエの行動の意味が読めない。
イブキは疑問の顔でカンベエを見上げる。
小さな遊女に、カンベエは本当に心配そうな表情で告げたのだ。
―――今、客が来れば殿は相手をさせられてしまうのであろう。
―――・・・あい。それが花魁の仕事でありんすから。
―――ならば殿の今の時間、わしが貰い受けよう。
そうすれば、彼女はゆっくりと身体を休めることができよう。
依頼賃には安すぎるが、これを。
そう言って、カンベエは懐から透明の瓶を取り出し、イブキの手の中に置いた。
イブキは手渡された瓶とカンベエを交互に見つめる。
「しぃ」と人差し指を口元に立てて笑うカンベエを見上げて、イブキは物知り顔で笑いながら喜んでそれを受け取るのだった。
―――すまんな。よろしく頼む。
―――あい。承知いたしました。
頭の中の砂嵐が消えていく。
鮮明になっていく視界に映る、あなたの心配そうな顔。
一介の遊女の身を案じてくれるその顔は、とても無骨な軍人様だなんて思えない。
何故、あなたはそんなにもお優しいのです。
やめてください。
これではあなたのことを、もっともっと好きになってしまう。
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<補足>
■名代(みょうだい)■
花魁がお座敷で手が放せないとき、その代わりとして使わす妹女郎のこと
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