<注意書き>
※審神者の名前は出てきません。
※清光が全力で思春期真っ盛りのDKやってます。成績優秀ですが優等生ではないのでご注意ください。
※前世も今世も清光→→→(←)主。一方的な片想いが続きますが最後はハピエンです。
※後編で清光の断髪表現が出てくる予定です。
加州清光、
恋
心極めました 【中編】
「加州は彼女のこと相当気に入っているみたいだな」
化学の授業の帰り道、教材を実習生控え室まで運ぶのを手伝ってくれと声をかけられて渋々ながらOKした。
閑散とした長い廊下を進んでいたら隣を並んで歩く鶴丸国永に不意にかけられた言葉がこれだ。
彼女というのが誰のことを指すかなんて明白。
いきなりどうしてこんな話題を振ってきたのかは知らないけど無視するには廊下が静かすぎた。
「まぁね。実習生4人の中では一番可愛いくて優しいし、何より授業がわかりやすくて楽しいからね」
って返したら「おいおい、聞き捨てならないな。俺だって十分可愛いし授業だっておもしろいだろう」だって。
思わず肩揺らして笑っちゃったよね。
「えー、そう?校舎裏の喫煙スペースでヤンキー座りで煙草吸ってるような人が可愛いとは思えないけど。あ、でも授業がおもしろいのは同意してあげる」
「こいつは参った……。なんだ、見られていたのか」
苦笑いを浮かべて顔の前に片手を立て「長谷部先生には黙っておいてくれ」と頼み込んでくる姿は年上なのに親しみすら感じる。
いいよ、秘密にしておいてあげる。
その代わり後でジュースでも奢って貰おっかな。
「なんでいきなりこんな話?」
疑問を口にすると彼は口角を上げた意味ありげな笑みを俺に向けてきた。
「いや、なに。彼女から相談を受けてな。『清光くんに告白されてしまったんですが、鶴丸さんは女生徒にせまられたときどう対処されているんですか?』って」
「あー……その話?なんだ。先生、話しちゃったのか」
楽しそうな声の鶴丸に対して俺はちょっとバツの悪さに苦笑いを浮かべる。
別に隠したいわけじゃないけど明け透けに話題にされるとちょっと気恥ずかしい。
確かに俺は彼女に好きだと伝えて付き合ってほしいってお願いした。
それも実習の2日目、俺のクラスで授業した直後にだ。
彼女の回答は当然のことながらNOだった。
まぁわかっていた結果だ。
初めて会った男子高校生から突然告白されてOKする教育実習生なんているわけがない。
スタートダッシュは失敗したけど、でも彼女の中に俺という存在を印象付けることには成功したと思っている。
「いきなりのご挨拶だな。随分とストレートにいったもんだ」
「まぁね。回りくどいのは好きじゃないし」
ばれているのなら仕方がない。
観念して開き直ることにする。
「カーブやフォークでも良かったけど、ゆっくり時間をかけてる余裕もないからね」
だってしょうがないじゃん。
彼女がここにいる時間はたった4週間しかないんだから焦りもする。
ゆっくりじわじわと……なんてやってられない。
出だしでこけはしたけど、でもそれ以降も俺はめげることなく彼女にアプローチし続けている。
廊下で彼女を見かけたら必ず声をかけに行き、遠く離れたところにいてそばに行けないときでも笑顔で手を振って存在を知らせる。
英語の授業後はすぐに教卓に向かい、集められたノートの山を実習生控え室まで運ぶのを手伝う。
授業の質問を理由に控え室にちょくちょく足を運び、勉強のことや進路のこと、彼女自身のことを質問したりして一緒の時間を過ごす。
そんなことを1週間も続けた成果か、今では扉をノックすると「やっぱり。そろそろ来る頃かと思いました」って彼女が笑顔で迎えてくれるようにまでなった。
これもすべて俺の努力の賜物だ。
「清光、アピールがストレートすぎるよ」って安定には呆れられたけど、でも何度も言うけど時間が足りないんだよ。
ようやく彼女と再会できたかと思えば一緒にいられるのは4週間とかありえない短さだ。
実習が終わったら彼女は大学へ戻ってしまう。
実習後も繋がりを持てればと連絡先の交換をお願いしたら「実習先の生徒とのそういうやりとりは大学側から禁止されているんです」って断られてしまった。
だから本当に俺に与えられた期限は4週間しかない。
ストレートすぎるぐらいのアピールしてかないと何も始まらずに終わっちゃうよ。
加州清光、かっこ悪いけど正直余裕なんてないし焦ってます。
「気持ちはわかる。でも焦りは禁物だぜ」
本音をつらつらと暴露したら意外にも鶴丸は俺の肩を持つようなことを言ってくれた。
てっきり止められるか呆れられるかのどちらかだと思っていたから拍子抜けしてしまう。
でも意外ではないかな。鶴丸は昔もそうだった。
誰が何をしていても咎めることはせず「いいなそれ!」って笑って許容してくれて、時には一緒になって騒いでくれる。
悪戯好きで破天荒な行動から勘違いされがちだけど、相談役に向いていて俺にとっても主にとっても良き理解者だった。
今隣にいる鶴丸国永にもかつての記憶はないけれど、それでもこうして話しているとあの頃と同じくホッとさせられる。
「君の気持ちが本気だっていうのなら尚更だ。焦らずゆっくり距離を縮めていくべきなんじゃないのか」
「俺は本気だし、あんたの言うこともわかる。……わかるけどさ」
俺と彼女が一緒にいられる時間は限られている、それも事実。
砂時計の砂は今もとまることなく零れ落ち続けている。
残り少なくなっていく砂を見て焦るなっていう方が無理な話だよ。
そこに来て更に俺を焦らせるのは彼女の態度だ。
「先生、ぜんっぜん俺の言うこと本気にしてくれないんだよね。完全に10代男子の気の迷いだと思われてる」
初日からの俺の努力も虚しく、彼女の俺に対する態度はほとんど変わっていない。
彼女の中ではきっと「清光くんって本当に人懐こくて親切で勉強熱心ないい生徒なんですよ」ぐらいに処理されてるんだろうね。
彼女の中の加州清光というデータを「大勢の生徒の一人」から「一人の男」に上書きするにはどうしたらいいのか。
それが俺の目下の悩みかな。
◆
鶴丸とそんな話をした日の昼休み。
日課のごとく訪れた実習生控え室にて俺はあまりおもしろくない光景を目にすることになった。
授業の質問をしようと教科書とノートを手に訪れるといつも閉まっている控え室の引き戸が開いていた。
ノックする必要もなく「加州清光、入りまーす」と挨拶してひょっこりと顔を覗かせる。
目に飛び込んできた光景に思わず動きが止まった。
そこにあったの彼女と一期一振の2人だけの世界。
普段は席が離れているはずの2人が今は隣同士に座って一台のパソコンの画面を見つめていた。
え、なにこの状況。
思わずフリーズしてしまう。
「申し訳ありません、お手を煩わせてしまい。しかし助かります。貴女の説明はとても丁寧でわかりやすい」
「本当?それはよかった。私も最初は苦手だったから気にしないで。また何かわからないことがあればいつでも訊いてね」
2人の会話から状況を見るに、どうやらパソコンの操作が苦手な一期の手伝いを彼女がしているみたいだ。
なんだ、そういうこと。
って割り切れればいいんだけど、ダメだね。
気持ちに余裕のない俺はどうしても邪推してしまう。
笑い合いながら仲良さげに作業する2人の姿が理想的な恋人の図に見えてしまって胸がちょっと苦しくなった。
だって一期の隣に座る彼女は俺が見たことのない楽しそうな顔で笑っている。
彼が纏う女性を安心させる柔らかな雰囲気のせいなのかもしれないけど、俺といるときより砕けた態度なのも気に入らない。
2人は同じ大学で所属ゼミも一緒らしく、彼女は一期のことを「一期くん」って呼ぶ。
他の2人のことは鶴丸先生、山伏先生って呼ぶからどうしても彼だけ特別っていう感じがしてしまう。
一期一振。
俺よりずっと彼女に近しい存在である彼にいやでも胸がざわつく。
かつて仲間だった頃は彼にこんな感情を抱いたことないのにな。
ダメだね。余裕がないと気持ちが狭くなる。
こんな俺可愛くないってわかっているけど、でも自分では止められないんだからしょうがない。
「もし自宅で作業していてわからなくなったら電話か、もしくはLINEに画像を貼って送ってもらえれば答えるから」
「そう言っていただけるとありがたいですな。家には機械に強い弟がおるのですが、さすがに夜遅くに起こして教えを乞うのも気が引けて」
「もしかして薬研くん?」
「そうですが。弟をご存知で?」
「一昨日中等部の英語の授業を見学したときに会ったの。いち兄機械音痴だから面倒かけるけどよろしく頼むってお願いされちゃった」
「そんなことが。はは、いやそれはお恥ずかしい」
和やかな2人の雰囲気に余計に入っていきづらくなる。
なんかすっごくいい感じで誰が見てもお似合いの2人って言いそうでひとりで勝手に焦りを募らせる。
ていうかなに、一期にはLINEアドレス教えてんの?
何回頼んでも俺には絶対教えてくれないのに?
まぁゼミメイトなら当たり前かもしれないけど、でもそれにしたって……ずるい。
ていうか近い。2人の距離が異様に近くて今すぐ間に割り込みたくなる。
じとー……っていう感じの視線を向け続けていたら「あ、清光くん。こんにちは」って彼女が気付いてくれた。
でも席を移動することなく一期の隣に座り続けている。
そんなに彼の隣は居心地がいいのだろうか、なんて焦りで余裕なんてない心は卑屈なことばかり考えてしまう。
「あー……お取込み中だった?俺、邪魔かな」
いない方がいいなら今は出てくけど。
出直そうかって提言したら「大丈夫です。授業の質問ですよね?座ってください」って彼女が椅子を引いて勧めてくれた。
ありがたいけど、でも俺は入り口から動かないし勧められた席にも座らない。
だってそこに座ったら彼女は一期との作業の片手間に俺の対応するんでしょ?
そんなの嫌だ。
我が儘言っているのはわかってるけど、俺と彼女の時間の中に誰かが入ってくるのは我慢ならない。
彼女が勧めてくれる席を無視し、向かいの空いている席に勝手に座ってやった。
「清光くん?」
「いい。ここで待ってるから先にそっちやっちゃってよ」
彼女を一期にとられて不満いっぱいの俺はきっと今最高に不貞腐れた顔をしてるんだろうね。
わかっているけど感情を抑えられない。
あからさまにヤキモチを焼く俺に彼女はしょうがないなぁって感じの呆れ笑いをしている。
「少しお待たせするかもしれませんよ?」
「いーってば。待ってる」
「そうですか。……わかりました。すぐ済ませますから質問のページを開いて待っていてください」
「はいはい」
「『はい』は一度」
「はーーーい」
素直じゃない返事をして机に頬杖ついた格好で教科書をぱらぱらとめくる。
時折ちらちらと2人の方に視線を投げ、そのたびに楽しげな2人の姿に眉間の皺を一本増やして視線をそらした。
昼休みの半分ぐらいは待たされるかな、あんまり時間とれないかなって諦めの覚悟でいた。
けど5分もしないうちに一期がパソコンを畳み、「終わりました。お待たせしてすみません」って彼女が俺の方にやってきて拍子抜けした。
え、ちょっと早すぎない?いや、嬉しいのは嬉しいけど。
「もういいの?」
「はい。続きは放課後に回していただきました」
「あ……そう」
なんだ。終わりじゃないのか。
放課後俺がいないところでまた2人で作業するんじゃん。
ぬか喜びだとわかり口をへの字にしてあからさまに不貞腐れたら彼女にぽんぽんと背中を叩かれた。
「今はわざわざ質問に来てくれた可愛い生徒の方に時間をあてますよ」だって。
その言葉も笑顔も完全に俺のご機嫌をとるためのものだ。
わかっているけど、でもやっぱり嬉しい気持ちを隠せなくて不覚にも耳がじんわりと熱くなった。
口の内側を噛んでにやけそうな笑みを殺す。
彼女に可愛いって言ってもらえたことが、俺の方を優先して時間を作ってくれたことが、たまらなく嬉しい。
その反面で、やっぱり俺のことを生徒としてしか扱ってくれない彼女の態度には不満と寂しさが残ったけど。
開いたページを彼女に見せ、こことここがわからないって伝えると「ああ、これは」って彼女自身のノートを見せながらゆっくり丁寧に解説してくれた。
一期は俺に気を利かせたわけじゃないだろうけど「私は資料室におりますので」と告げて控え室を出ていった。
念願の2人きりにはなれたけど、俺は浮かれることなく彼女の言葉を取りこぼさないよう必死にノートにメモをとり教科書にラインを引くのに集中した。
勉強を教えてもらいに来たのは本当だから。
彼女の教え方はわかりやすくて英語が苦手で嫌いになりかけていた俺の耳にもすんなりと入ってくる。
これがたった4週間の限定授業だなんて惜しすぎる。
できることならもっと長く教えてほしいし、願うことなら3年まで見てもらいたいよ。
楽しい時間ほど過ぎるのは早い。
昼休みの時間はあっという間に終わり、午後の授業を知らせる予鈴がスピーカーから鳴り響いた。
「ここまでにしておきましょう」と彼女のペンが止まり、それだけですごく残念な気持ちになる。
「あー、もう。昼休み短い。全然時間足りない」
午後の授業とかいいからもっと先生に教えてほしいのに、って駄々をこねたら肩を揺らして笑われた。
「そんなふうに言ってもらえて光栄です。でも午後の授業も大切ですからしっかり受けてきてください」
「んー……。先生は?午後どこのクラス?」
「私は今日午後空きです。明日の授業の準備をします」
「えーーーいいなぁ!俺もさぼりたい!」
「私のは別にさぼりではありませんよ。教材研究も立派な仕事の一部です。清光くんもきちんと授業を受けて勉強頑張ってきてください」
「無理……頑張れない。今のでやる気失くした」
「なんでですか」
片付けを放棄して机の上に頭を横たえてやる。
ほらほらと肩を叩かれても動かず「やだ……もうライフゼロ」って子どもみたいなことを言って彼女を呆れさせる。
「もう……。どうすればやる気が出るんですか?」
俺を授業に遅刻させないように彼女は必死だ。
その必死さと彼女の優しさに俺は全力で甘えにいく。
「先生がLINEのアドレス教えてくれたらやる気出るかも」
頭は横たえたまま視線だけを彼女に向けてお願いオーラを送る。
けど残念ながらそれは届かず困り顔の笑みで断られてしまった。
「ダメですよ。何度も言ってるじゃないですか。生徒との親密すぎる交流は自粛するよう言われているんです」
「えー、いいじゃん。交換だけしてさ、連絡しなきゃ問題なくない?」
「それ交換する意味あります?」
「あるよ。他の奴らが知らない先生の個人データ知ってるっていうだけでテンションあがる」
「理解に苦しみます。代替案はないんですか」
動かない俺の代わりに彼女が俺の教科書やノートを片付け始める。
こんな押し問答をしている間にも時間は進み、間もなく本鈴が鳴ってしまう。
彼女は壁時計をちらちらと見ながら焦りを露わにする。
俺は授業に遅刻したって全然構わないんだけど、真面目な彼女はそれを良しとはしないんだろう。
もう少し粘りたかったけど今は諦めることにしよう。
このまま俺が我が儘を言って授業に遅れて、それで彼女が他の先生から注意なんかされたら嫌だからね。
でも手ぶらで帰るのもなんだから、最後にちょっと彼女を困らせるようなことを訊いてみた。
「じゃ、ひとつ質問に答えてよ。それでいいや」って妥協の姿勢を見せる。
いいですよって了承する彼女の顔を真正面から見据えて、本気の目で彼女に問いかける。
「先生はさ、一期先生のこと好きなの?」
好きっていうのはもちろんライクじゃなくてラブの方の意味で。
今一番知りたいことを彼女に訊ねる。
俺がなんでこんなことを訊くのか、聡い彼女は当然わかっていることだろう。
10代男子の気の迷いはいまだ続いているのかと思われているのかもしれないけど今はかまわない。
答えてよ。
あんたは一期が好きなの?
視線をそらさず真っ直ぐ見つめていると彼女はお得意の困った笑顔でNOと答えた。
「一期くんのことは好きですが、あくまでライクの範囲内です」
それ以上でも以下でもない。
大切な友人だと彼女は付け加える。
「ご満足いただけましたか?」って、まとめた教科書とノートを手渡され俺は素直にそれを受け取った。
彼女が嘘をつくような人じゃないってわかっているから、それが彼女の本音なんだろうって納得できる。
自分で質問しておいて正直怖かった。
好きですよ、って答えられていたら情けないけど俺どうにかなっちゃってたかもしれない。
彼女の答えにホッとして、それが顔にも出て今俺最高に気の抜けた顔で笑ってるんだろうな。
「うん……満足した」
「それはよかったです。それじゃもう授業に」
「よかった。一期先生がライバルだったら絶対勝ち目なかったもん」
「なにを馬鹿なことを。ほら、もういい加減」
「ね、じゃあさ、俺は?先生、俺のことは好き?」
「質問はひとつの約束です。はい、もうおしまい。さようなら〜」
「えっ、ちょっ、先生ひどい!」
本鈴まで1分半を切り、痺れを切らした彼女に背中をぐいぐい押されて強制的に控え室から退出させられてしまった。
更には「ここに入り浸っていて授業に遅刻なんてするようでしたら、もう今後は出入り禁止にします」の強烈な一撃までお見舞いされ、そんなこと言われたらもう素直に出ていくしかない。
「急いでください、あと1分」
「わかった、行きます、行くってば!じゃーね、先生。また明日!」
「はいはい、また明日」
走りながら半身を後ろに向けて「『はい』は1回なんでしょー?」って揚げ足をとってやったら「はーい。まったくもう」って呆れ笑いで手を振られた。
俺も手を挙げて応え、「あと40秒」の彼女の声に前を向き走る速度を上げた。
廊下をダッシュし階段を3段飛ばしで駆け上がり息を切らして教室を目指す。
安定が教室のドアからひょっこり顔だけ出して「あ!清光来た」って俺を迎えてくれる。
どうやら先生はまだ来てないみたいだ。
教室に一歩足を踏み入れた瞬間本鈴のチャイムが鳴った。
窓側の自分の席に座って一息つくと、まるでダッシュしてきた俺を労うかのように気持ちのいい風が入り込んできた。
ふわりと揺れるカーテン。
眠気を誘う午後の陽射し。
惰眠を貪りたいところだけど午後一のクラスは居眠りを許してくれない先生の授業だし、彼女に頑張ってきてくださいとも言われたので眠気と戦いながらペンを握ることにする。
チャイムから遅れること30秒後、先生がやってきて日直が号令をかけて全員起立した。
授業開始の礼をしながら、なぜか俺は古い古いかつての記憶を思い出していた。
なんでこんなタイミングであの頃のことを。
たぶん、昼休みに一期にヤキモチを焼いて彼女を困らせたからだろうな。
◆
「ずるい!俺も主と買い物行きたい!」
爽やかな秋風がそよぎ、ぽかぽかと心地いい陽射しがふりそそぐ午後の本丸。
爽やかさとは程遠い、ヤキモチがたっぷりと詰まった俺の我が儘が玄関先で炸裂していた。
目の前には外出用の着物に身を包み、いつもより少し華やかな化粧を施して髪まで結った主が困り顔で笑っている。
その隣には今回主の近侍として買い物に付き添う一期一振がきちんとした身なりで、彼もまた彼女同様に眉を下げて微笑んでいた。
膨れっ面の俺の隣では安定が腰に手を当てて「我が儘言うなよ、清光」って呆れたため息をついている。
「くじで一期さんが付き添い役って決まったんだからしょうがいないだろ。諦めなよね」
「……っ、やだ。一期、お願い代わって!今度あんたが馬当番のとき代わりに引き受けるから」
「清光お前……プライドとかないの?」
いい加減にしなよって安定にたすきの背を引っ張られるも俺はその場を動くもんかって抵抗を続ける。
優しい一期ならもしかしたら代わってくれるかもという一縷の望みは、けれど叶えられはしなかった。
「申し訳ありませんな。弟たちからも色々と買ってきてほしい物を頼まれていまして。それに何より自分も久々に本丸の外の空気を吸ってみたいのです」
困った顔でやんわりとお断りされてしまい俺はしょんぼりと肩を落とす。
そうだよな、外に出たいのは誰だって一緒だもんな。
俺の我が儘ばかりを叶えてくれるほど神様も優しくはないよね。
うなだれていると主にぽんぽんと頭を撫でられた。
「清光。お土産買ってくるから」
いい子で待ってて、だって。
短刀にするみたいな慰め方をされ、ちょっと自分が情けなくなる。
主に宥められてようやく諦め渋々2人を見送ると午後は気の進まない内番作業をこなして過ごした。
2人が帰ってきたのは空が橙色に染まる頃。
両手にたくさんの荷物をぶらさげて満足気な顔で戻ってきた2人の姿におさまりかけていたヤキモチが再び顔を持ち上げる。
みんなが荷物持ちの手伝いに向かう中、俺は不貞腐れた顔で遠巻きにそれを見つめていた。
主の方が俺を見つけてくれて「ただいま、清光」と声をかけに来てくれる。
「おかえり」と返すと間を置かずに「お土産は?」とぶっきらぼうに催促なんかした。
彼女はにこにこしながら「はい、これ」とみんなが運んでいる大量の荷物の一部を俺にも渡した。
袋の中身は今街で一番人気の菓子司の和菓子だって。
夕食後のデザートと明日のおやつにって大量の大福と色とりどりの花の形をかたどった和菓子を買い込んできたみたい。
鶯丸とか歌仙が茶請けに好みそうな菓子だ。
おいしそうだね。俺も好きだよ和菓子。
でも悪いけど今の俺の溜飲はこれじゃおさまらない。
「俺へのお土産は?」
恥もプライドも捨てて特別を強請る。
すぐ近くにいた安定に「清光、お前自分だけ贔屓してもらえるとか思うなよ!」って呆れながら怒られた。
「いいからさっさと荷物運ぶよ。荷車で米とか味噌も届いたから清光はそっちの応援に行って」
「えー、俺汚れる仕事やだ。箸より重い物持てないし」
「普段腰に下げてるのはなに?我が儘言ってないで行けって」
「ちぇー……」
そんなやりとりを安定としている間に彼女は厨の歌仙に呼ばれてそっちへ行ってしまった。
不満いっぱいの目で彼女の背を見送り渋々荷下ろしの手伝いに行く。
次に彼女と言葉を交わしたのは夕餉の後のこと。
食べ終えた食器をまとめていると彼女が後ろにやって来て「明日の部隊編成のことでちょっと」って部屋に来るよう告げられた。
他の奴に聞かれないように小声で囁くあたり、何か編成に大きな問題でもあったのかとちょっと心配になる。
主に少し遅れて部屋を訪れると中に通され座布団を勧められた。
彼女の正面にあぐらをかいて座り「何か問題でもあった?」と声をかける。
するとこちらの心配をよそに彼女は笑顔で「ごめん、嘘」と告げた。
「明日のことでと言うのは嘘。編成には何の問題もないわ」
「はぁ?」
ごめんね清光、と謝る彼女の顔はやっぱり笑っている。
わざわざ嘘までついて俺だけを呼び出すなんて一体何のために。
顔の周りに疑問符を浮かべていると突然彼女からひとつの包みを手渡された。
「はい、これ」
「……?なに」
「お土産です。清光に」
「ふーん。……。えっ!?」
驚きすぎて一瞬理解が遅れた。
本当に?まさか本当に俺にお土産買ってきてくれていたの?
そわそわとした視線で開けていいかと訊ね、笑顔の彼女にどうぞと促されて丁寧に包みを解く。
開けた瞬間俺の両眼から星が零れ落ちた。
「主これ……俺にっ?」
出てきたのは綺麗な赤の爪紅の瓶と、凝った装飾が施されたそれ用の刷毛(はけ)が数本。
小瓶の中に詰められた赤は俺が持っていない種類のもの。
深い赤。派手すぎず、どこか上品さを感じる落ち着いた色合い。
瓶の表には『艶紅』と初めて聞く色名が表記されている。
「どうかな。清光に似合いそうな色を選んだつもりだけど」
「主が?これを選んでくれたの?」
俺のために?
なにそれ、嬉しい。嬉しすぎる。
「気に入ってくれた?」と問われ、嬉しさを言葉にできない俺は必死に首を縦に振って気持ちを伝える。
「ふふ。ならよかった。清光センスいいからかなり悩んだよ」
「主……」
俺のためにわざわざ時間を割いてこれを選んでくれた。
彼女だって欲しい物があったろうにそれを見る時間を削って。
たまらなく嬉しくて胸が苦しくなった。
今すぐ彼女に飛びつきたいのを必死に抑えてくしゃくしゃの笑顔で「……ありがと。ホントに嬉しいっ」って精一杯のお礼を伝えた。
両手の中の包みに顔を戻す。
艶紅。彼女が俺のために選んでくれた色。
それだけで愛しさが募る。
そうだ、明日の戦はこれを塗って出陣したい。
急いで湯浴みして早速これに塗り替えよう!
もう一度彼女にお礼を告げると包みを両手の中に大事にしまって部屋を出た。
薄暗い廊下に一歩出たところで「清光」と背中に声をかけられ首を後ろに向ける。
彼女はにっこりと穏やかな笑顔で一言、俺にひとつの約束をした。
「次は一緒に行こうね」
2人で街へ買い物に。
今度は一緒に爪紅の色を選ぼうか。
帰りに甘味処に寄ってあんみつでも食べよう。
彼女の言葉に胸の中で燻っていた黒い靄が一気に晴れていくのを感じた。
繋がれた未来への希望にさっき星が零れ落ちた瞳が自然と三日月を描いて俺を笑顔にする。
彼女とともに過ごす時が、彼女が俺に与えてくれるもののすべてが、愛しくてたまらない。
この日々が永遠に続けばいいのにと、そう願ってやまない。
けれど現実は残酷で、神様は意地悪で、彼女と約束をしたその数日後、本丸に政府から一通の手紙が届くことに。
そうして結局彼女との約束は果たされぬまま、俺は極められもせず、俺たちの本丸は門を閉じられることになる。
◆
実習生控え室の扉前。
そこに貼られた一枚の紙。
書かれている内容を俺はただただぼうっとした目で見つめていた。
『職員会議に参加中。実習生全員不在』
放課後。いつものように意気揚々とやって来てみればこれである。
なにこれ。俺、何も聞いてないんだけど。
昼休みにここに来たとき彼女は何も言ってくれなかった。
放課後もほぼ毎日来てるんだから今日も俺が来るってわかっていただろうに、一言くらいあってもいいよね?
会議っていつ頃終わるんだろ。
見当も付かず、ため息をついてドアの横の壁に背を預けそのままずるずると座り込む。
普通なら諦めて帰るところだろうけど、悔しいから終わるまで待ってやることにした。
鞄から取り出したイヤホンを耳に挿し音楽を聴きながら英語の単語本をめくる。
口にペンを咥えてキャップを外し重要なところに色を付けていく。
どう、勉強熱心な生徒に見える?
へへ。まぁね、これでも一応学年でわりと上の方にはいるからね。
それに来週末には実力テストもあるから気が抜けない。
モデルの仕事で忙しいからなんて言い訳して成績落とすのは俺のプライドが許さない。
それに成績優秀ってことだけで多少の校則違反も目を瞑ってくれる先生はわりといる。
だからお勉強ができることは俺の武器の一つ。
鈍らせないように常に磨いておかないとね。
スッスッと本にラインを引きながら時折ページの端を折って後で確認のマークをつけていく。
作業はスムーズに進み、あとちょっとでテスト範囲内のページを読み終えるというところで「げっ」と我ながら可愛くない声が口から飛び出した。
ページを折っていた人差し指、その爪のネイルが削れているのを見つけてしまったのだ。
「うっそ、いつやっちゃったんだろ……」
全然気付かなかった。
剥げたネイルなんて最高に可愛くない。
単語本にペンを挟んで一旦横に置く。
鞄の内ポケットから携帯用の除光液とティッシュ、ネイルの瓶を取り出し慣れた手つきで丁寧に爪の塗り直しを始めた。
除光液特有の刺激的な匂いが俺の周りを包み込む。
剥げたネイルを落として綺麗になったところに新たにまた同じ色のマニキュアを塗っていく。
爪にのせるその色は流れ落ちたばかりの鮮血のように生き生きと輝きながら、けれどどこか上品ささえも纏う、そんな赤。
ネイル瓶の表面には装飾文字でその色の名前が小さく刻まれている。
艶紅。
遠い昔、彼女が俺に似合いそうだって買ってきてくれた色。
生まれ変わった今でもやっぱりこの色が好きで、もうずっと長いことこの赤だけを爪にのせ続けている。
忘れられるわけがない。
この色は俺と彼女を繋ぐ大切な絆。
たとえ今の彼女にあの頃の記憶がなくとも、俺は彼女を想いながらこの赤を纏い続ける。
ひと塗り、ふた塗り、爪にのせるたびにずしりとそこに見えない重みが加わる。
果たせなかった、果たされなかった未練が層のように折り重なっていく。
俺はこの重みをわりと気に入っている。
ずしりと響く、その重さが彼女への想いの厚さだって自分に都合よく解釈して悦に浸っている。
誰かに聞かれたらきっと「重いよ」って引かれるんだろうな。
安定なんか絶対「清光……お前それはさすがに」ってドン引きしそう。
わかってるよ、そんなの自分でも重々承知してる。
でもしょうがないじゃん。
俺がしている恋愛は周りの奴らがしているような数年単位のものとはわけが違うんだから。
ただ一人、彼女のことだけを前世からずっと愛し続けている、こんな気持ち誰がわかってくれるっていうのさ。
ホントにさ、できることならそろそろ彼女にも俺の気持ちの半分……とまでは言わなくても一片ぐらいは受け取ってほしいよ。
こんなにアプローチし続けているのに彼女の態度は一向に変わらないんだ。
今日で実習も半分が終わるっていうのに、俺と彼女の仲は相変わらず進展せず、させてもらえずの平行線。
日が経つにつれ余裕はどんどんなくなり焦りばかりが大きくなっていく。
その余裕のなさが俺自身を追い立て、もう最近では彼女を愛しいと思う気持ちと併せて彼女を自分のものにしたいなんて強引な独占欲も肥えていっている。
それを抑えるのに俺がどれだけ理性に鞭打って彼らを働かせているか考えてみてほしいよ。
塗り終えた爪にフゥとため息をつくかのように息を吹きかけ血のように赤い爪を見つめる。
コツンと壁に頭を預けて廊下の天井を見上げて肩で息をついた。
「あーもう…………頭おかしくなりそ」
「何をぶつぶつ言っているんです?」
「……っ!?」
天井を見ていたはずがいきなり彼女の顔が被さってきた。
イヤホンをして耳を塞いでいたから余計に気配に気付けなかった。
びっくりしすぎて口から心臓が飛び出るかと思った。
普段あんまり本気で開いていない目を真ん丸にしていると「そんなに驚かなくても」と彼女にもびっくりされた。
いつの間にか職員会議は終わっていたらしい。
彼女の後ろの方に他の3人の実習生の姿も見える。
窓の外に視線を向けると空は橙色を通り越して薄暗くなっていた。
秋は日が暮れるのが早い。
「ずっと待っていたんですか?」
驚きよりも少し心配そうな声で彼女は訊ねてくる。
その顔に見おろされていると不意に胸が締め付けられた。
きっと爪なんか塗り直して昔のことを思い出しメランコリックになっていたせいだ。
「会議、いつ終わるかもわからないのに。こんなところで時間を無駄にして」
「いーじゃん別に。俺の勝手でしょ」
「それはそうですけど、でも」
「俺が会いたかったの。先生に」
真っ直ぐに彼女を見上げて素直な気持ちを伝える。
無駄な時間なんかじゃない。
あんたに会えるなら何時間だって待っていられるよ。
冗談なんかじゃないって真剣な目で見つめる。
もう何度こうやって気持ちをストレートにぶつけてきたかわからない。
けどやっぱり俺の言葉は彼女を困り顔の笑みにさせるだけなんだ。
ふぅって肩でため息をつかれて「今日はもう遅いです。帰りましょう」って流されてしまう。
打てども打てども響かない。
この想いに答えてもらえない。
焦りに加えて虚しさと苛立ちまでも少しずつ大きくなっていく。
「正門まで送りますから」と彼女に肩を叩かれ、俺はしかたなく腰を上げて彼女の後をついていった。
下靴に履き替え、彼女と2人並んで正門まで歩く。
外は薄暗く、秋の空気は肌寒い。
吐く息がほのかに白く霞み、冬がそう遠くないことを知らせる。
並んで歩いていると彼女の方から「今日はごめんなさい。会議のことお知らせしておけばよかったですね」って謝罪の言葉をかけられた。
俺が来るだろうなってことはわかっていた。
でもバタバタしていて伝えるのを忘れちゃったんだって。
「次にもし放課後に会議が入るときは事前に伝えますね」って彼女は約束してくれた。
他愛無いひとつの約束、それだけでも俺は彼女と繋がれたことに嬉しくてたまらない気持ちになる。
正門まであと少し。着いたらもうお別れ。
何か話題はないかと慌てて探して「職員会議ってどんなこと話すの?」なんて全然興味もないことを振って無理やり話を繋ぐ。
でも真面目な彼女は「生徒には教えられませんね」って相手にもしてくれない。
「ケチ。いーじゃん少しぐらい。こんな感じのことってざっとでいいからさ」
「そんなに興味あります?職員会議の内容なんて。聞いておもしろい話なんてありませんよ?」
「いーよ」
あんたと長く話していたいだけだから話題なんてハッキリ言って何だっていい、という本音は口にせず彼女に話を促す。
「まあ会議時間の半分は来月の予定の確認ですね。あとは各学年からの報告や3年生の進路のお話。保健室の利用状況。来週のテストの作成状況ですとか。……あ」
「あ?」
「生徒指導が必要な子の名前チェック、もありましたね」
これはちょっと興味深かったです、と含み笑いをする彼女の目は明らかに俺に向いていた。
あからさまなメッセージに俺は苦笑いするしかない。
「それさ、絶対俺の名前呼ばれてるよね」
おかしな話だよね、自分がブラックリストに載っている自信があるなんて。
彼女は「2年生のトップバッターに呼ばれていましたよ」って肩を揺らして教えてくれた。
えー、なにそれ。俺、超問題児じゃん。
なんて今更驚きはしないよ。
生徒指導のお説教なんて1年のときからずっとだからもう慣れっこだからね。
反省する気ゼロって感じの飄々とした態度でいたら彼女に肩で息をついて呆れられた。
「清光くんは違反を正す気はないんですか」
「えー、それって髪切ってネイル落とせってことでしょ?んー……ないかな」
「ないんですか。せめてピアスだけでも外す、とか」
「ないね。これは一番外したくないもん」
思わず指摘された耳元に指を添える。
これはちょっと思い入れのあるやつなんだ。
モデルの仕事をして初めて自分で稼いだお金で買った、ネイルと揃いの赤いピアス。
奮発して値段も質も結構いいやつを選んだ。
俺の自信の象徴でもあるから相当な理由でもない限り外したくはないんだよね。
ピアスだけじゃない。
この髪も爪も、俺が俺であるための大事なアイデンティティだからそう易々とは変えられないし変えたくない。
誰にわかってほしいとも思わないけどさ。
「違反してるのは重々承知してる。それで先生たちによく思われないのも内申落ちるのも覚悟の上。風紀乱して迷惑かけてるのは悪いと思ってるけど、でもこれが俺のスタイルだから」
ちょっと譲れないかな、って我が儘ながらも正直な気持ちを伝える。
彼女は「なかなか頑固なんですね、清光くんって」って笑う。
「でも君のそういう一途で真っ直ぐなところ、私は美点だと思います」
「え、マジ?先生、そう思ってくれる?」
「はい。普通はできないことです。少なくとも私には無理です」
校則違反は褒められないけれど自由に生きる君の姿はちょっとかっこいいと思います、って。
他の誰かじゃなくて彼女の口からそれを聞けたことが俺は嬉しくてたまらない。
たった2週間しか一緒に過ごしていないのに彼女は俺の本質をきちんと見抜いてそれを認めてくれた。
なんで、って思っちゃう。どうして俺のことわかるの、って。
記憶がなくても、あの頃の俺を知らなくても、ちゃんと俺を理解し真摯に向かい合ってくれる。
見つめる先の彼女の笑みにあの頃の主の姿を垣間見る。
鼓動が高鳴る。
あぁ、やっぱり俺の気持ちはあの頃から少しも変わらないんだなって再確認する。
「清光くん?」
「俺、やっぱり先生のこと好きだな」
並んで歩いていた彼女の隣を飛び出す。
数歩前に進み少し距離をとったところでくるりと振り返って彼女と向かい合った。
「ねぇ、先生はさ。俺の告白覚えてる?」
実習が始まってすぐの頃、ドストレートに「俺、先生のこと好きなんだけど。今彼氏いないなら俺と付き合ってよ」って告げてその場でNOと言われたやつ。
よくある若い先生へのからかいだと思われていたら嫌だからもう一回ちゃんと言うよ。
「あれ、冗談なんかじゃないから。俺は最初から本気で先生が好き。その気持ちは今もずっと変わってないから」
もともと溢れだしそうなほど膨れ上がっていた彼女への想い。
彼女に褒められたことに刺激された心が気持ちを吐き出し始める。
「そろそろ先生にも俺のこと好きになってほしいんだけど」
ずっと心の奥で望んでいた我が儘で身勝手な希望すら吐き出し相手に押しつける。
当然だけど彼女は完全に困ってしまっている。
彼女にとって俺はたくさんいる生徒の一人にすぎない。
そんな俺の告白なんて受け取れないし、むしろ迷惑って感じなんだろうね。
彼女の立場も無視して我が儘ばっかり言って、困らせてごめん。
でも悪いけど、やっぱり俺はあんたが好きで、ようやく出会えたあんたを今度こそしっかり捕まえておきたいから。
だから無理を承知で、俺は彼女に一つの提案を投げかける。
「ひとつ俺と賭けをしてよ」
一石を投じる。
この一手が吉と出るか凶と出るかは俺にもわからない。
すべては意地悪な神様の手のひらの上。
ただ俺は今の自分がしたいと思うことを思い切りやるだけ。
神様の手の上だろうとお構いなしにめちゃくちゃにあがいてやるだけだ。
「来週の実力テストで俺は学年1位を獲ってみせる。もし達成できたら、そのときは俺と付き合ってよ」
「……!」
彼女の瞳が驚きに丸くなる。
何を無茶苦茶なことを、って目が言っている。
わかってる。こんな馬鹿げた話ってない。
真面目な先生からしたら大事なテストを恋愛の賭け事になんか使って、って感じなんだろうね。
まぁでもとりあえず最後まで聞いてほしい。
俺がいかに本気かっていうのをわかってほしい。
「ちなみに達成できなかったときは、俺は校則通り髪も爪も服装も直して卒業まで過ごす。もちろんピアスも外す。モデルも辞めろっていうんならそうする。先生たちが望むいい子ちゃんになってあげるよ」
これでどう?
負けたら俺は自分のアイデンティティを全部投げ出す覚悟でいるよ。
先生側からしたら生徒指導の常連客のひとりを更生させられるかもしれない絶好の機会だ。
これじゃ足りないっていうならもうひとつ条件を追加してあげてもいい。
「俺が負けたら金輪際先生を困らせるようなことはしないって約束するよ」
好きだとか付き合ってとかもう絶対に言わない。
不必要につきまとったりしないし控え室にももう行かない。
どう?悪い条件じゃないでしょ。
これでもまだダメ?
見据える先の彼女は眉を落とし瞼を半分ほど伏せて困り果てている。
すっぱりNOと言ってこないことがちょっと意外だった。
そこで俺は初めて彼女の胸の内を聞くことになる。
「わかりません」
緩く首を横に振った彼女は本当に不思議だという顔を俺に向けて言う。
「君がそんなリスクを冒した賭けまでして私を想ってくれる理由が、全然わからないんです」
自分がそこまで魅力のある人間だとは思えない。
どうして綺麗で可愛くてかっこ良くて人気もある君が私なんかを、って。
彼女は卑屈な言葉を並べ立てて自分を落としめる。
そんな彼女の姿に俺は呆れ笑いしか浮かばなかった。
あんたの魅力ならもう知りすぎるぐらい知っている。
その一つ一つ、すべてを語るには今は時間が足りなすぎるから割愛するけど。
今短い言葉で言えることがあるとしたら、きっとこれかな。
「人を好きになるのに、恋をするのに理由なんていらないでしょ」
理屈じゃない。
心が叫ぶんだ、あんたじゃなきゃダメだって。
だから俺はどんな手を使ってでも、こんな馬鹿げた賭けをしてでもあんたを手に入れたい。
「先生に俺のこと好きになってほしいし、俺は先生のこともっと好きになりたい」
「……」
「だから先生と付き合えるなら、そのためならなんだってやってやるよ」
決意に満ちた言葉をのせて吐き出された息が白く凍る。
その白い影が消えるとき、彼女は葛藤の末にひとつの答えを出す。
彼女の返事を聞いた俺は思わず小さく、けれど力強く拳を握りしめる。
湧き出る笑みを抑えられないまま、さよならの挨拶の代わりに宣戦布告の言葉を彼女に向けて投げつけた。
「覚悟しててよね。俺、絶対1位獲ってみせるから!」
冬もそう遠くない、秋も終わりかけの夜空に熱のこもった白い息が舞い上がる。
逸る気持ちをとめられず、俺は彼女に背を向け街灯に照らされた道を全速力で駆けだした。
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