ドリーム小説
Scarlet
【名】緋色,深紅色
【形】緋色の,深紅色の;目に余る;売春婦の
椿姫 scarlet 3
相変わらず本で山積みになったセブルスの机。
それを見てはうんざりという溜め息をつく。
「お前、そのうち本と同化しちゃうぞ?」
振り向いたセブルスは上品に片手で口を覆って欠伸を隠す。
セブルスが自分の無防備な姿など滅多に見せないことを知っているは、彼のその姿に
苦笑する。
「セブルスさぁ、最近眠れてねぇんじゃねぇの?マダムんとこ行ったか?」
の問いかけにセブルスは気まずそうに顔をそらし、視線を本に戻す。
セブルスのその仕草に、さっきよりも深いの溜め息が聞こえてきた。
「体おかしくしても知らねぇぞ?」
心配するの言葉に、だがセブルスは感謝と同時に心の奥に走る痛みを感じた。
自分の寝不足などどうってことはない。
心配なのは自分じゃない。
おかしくなっているのは自分じゃない。
今苦しんでいる人は、ここにはいない。
本当に助けなければならない人は、ここにはいない。
「セブルス?」
「あ・・・あぁ。大丈夫だ」
余程真剣な顔をしていたのだろう、がセブルスの顔を覗きこんできた。
だが久々にの顔を間近で見て、セブルスは眉間の皺を増やした。
「おい、。お前こそなんだ、その目の下の隈は。自分だって寝てないんじゃないのか?」
指摘されたは、“ん?”と気にした様子もなく、いつものようにはにかんだ笑みを向け
てきた。
「ん〜や、俺は大丈夫。今星回りが変わってきててさ。占うのに深夜の方が向いてるんだ
よね」
「・・・そうか」
占いのことにはほとんど興味もないセブルスは、それで納得したようだった。
「授業中に寝てっから大丈夫」
「・・・それはそれで問題だろう」
呆れた口調で再び本に戻ってしまったセブルスに、は白い歯を見せて悪戯少年のよう
に笑う。
セブルスが本に完全に集中してしまったのを見て、は自分の机の椅子に腰掛けた。
後ろに体重をかけて机に足をかけ、ギシギシと椅子を揺する。
いつもなら“行儀が悪い”と叱るセブルスだが、相当本に集中しているのか何も言ってこ
ない。
一つ溜め息をつき、は机の引き出しを開けた。
クシャクシャになった紙切れを取り出す。
紙擦れの音にもセブルスは何も言ってこない。
丸められた紙を広げようとした手を、だがは不意に止めた。
「なぁ、セブルス」
セブルスには背を向けたまま、単調な声で彼の名前を呼ぶ。
「なんだ。用があるなら早く言え」
の背中にセブルスの単調な返事がかけられた。
読書の邪魔をするなという心情が如実に表れている。
しばらくは沈黙を保っていたが、取り出した紙をもう一度丸めて引き出しの奥に突っ
込んだ。
セブルスに背を向けたまま言葉を続けた。
「いや・・・やっぱいいや」
セブルスはそれには返事をせず、そのまま本に集中していた。
紙を押し込んだ引き出しを、はゆっくりと戻す。
パタンと乾いた音が響き渡った。
ギシ ギシ
「記憶の金剛石が、彼女の体に戻った」
呟く小さな声は、椅子が軋む音に遮られてセブルスに届かない。
「これで・・・いいのかな」
ギシリと一つ大きく軋ませて、椅子はもとの位置に戻された。
の机の前の開け放たれた窓から風が入り込む。
少年の黄金の髪を揺らし、風は部屋を吹きぬけた。
風が吹き抜ける。
狭い部屋に満ちた血の匂いを消し去るが如く、風が吹き抜ける。
晴れた日の穏やかな風に、少女の銀色の髪がさわさわと揺れる。
綺麗に整えられたベッドに腰かけ、は窓から吹き込む風に気持ちよさそうに当たって
いた。
風が部屋の腐敗臭を洗い流し、少女特有の白桃の香りに変えた頃、静かに2回ノック音が
聞こえてきた。
「はい、どうぞ」
「椿ちゃん。・・・具合はどう?」
恐る恐る入ってきたのは、世話係のだった。
昨日までかけていた防音の呪文も施錠の呪文も唱えず―――もう唱える必要はなく、少し
表情を穏やかにに声をかける。
「うん。もう大丈夫」
心配するに、もあの柔らかな笑顔を向ける。
それにはほっとして、持っていたトレイをサイドテーブルに置いた。
「軽いものを持ってきたの。これだけでも」
「さん、ごめんなさい」
の言葉を途中で遮る。
何かと顔を上げたの目に、申し訳なさそうに苦笑するの顔が映った。
「ごめんなさい。ご飯は・・・もう全く食べられないの」
“全くお腹が空かないの”と付け足して、は悲しそうにの運んでくれたスープに
視線を落とす。
突然の言葉に、は眉間に皺を寄せる。
「そんな・・・・でも水分だけでも摂らないとっ」
切羽詰ったように言うに、だがは静かに首を横に振る。
小さな声で“ごめんなさい”と呟いた。
「・・・・・椿ちゃん」
はゆっくりと肩を落とす。
料理を食べてもらえないのが悲しいのではない。
の体がどうにかなってしまうんじゃないか。
それだけが心配でしょうがない。
それでもそんな心配を忘れさせるかのようには穏やかに腰掛け、風に髪をなびかせて
静かに身を任せる。
まるで、まるで何事もなかったかのように。
一晩中吐き続けたことも、自ら体中傷つけていたことも、一度は愛しい者の名を忘れてし
まったことも。
何事もなかったかのように穏やか。
穏やか過ぎて、まるでそれが狂気のよう。
「さん」
不意に名を呼ばれ、考えていたことがばれたのかと一瞬驚くも、そうではないようだ。
「なぁに?」
穏やかに答えると、も儚げな笑みを返してきた。
「お願いがあるんだ。お使い、頼まれてくれないかな?」
の笑顔に反応するように、彼女の指にはめられたリングがきらりと光る。
今のにしてやれることは、少しでも多くの望むことを叶えてやること。
それ以外、何も思いつきはしなかった。
薄暗いスリザリンの談話室。
夜も更け、もう残っているのは数人だけ。
その中でセブルスもまたソファーに深く座り、分厚い呪いの書を読んでいた。
「ふぅ・・・・・これも収穫なし、か」
眉間に寄った皺を指で伸ばして、一つ溜め息をつく。
静かに目を閉じる。
真っ暗な視界。
疲れた腕をだらりと投げ出したときだ。
唯一働く耳に、自分と同じくらい低い少年の声が入ってきた。
「何をしている」
上から降ってきた声に反応してセブルスは目を見開く。
ゆっくりと首を巡らすと、やや斜め後ろに予想通りの人物が立っていた。
「・・・マルフォイ先輩」
「相変わらず勉強熱心だな」
本気で感心しているわけでもない。
感情のない冷たい声が降ってくる。
「はどうした」
「は・・・」
名前まで出して、セブルスは口をつぐんだ。
それにルシウスは耳ざとく反応を示す。
高貴な顔に冷たい微笑が張り付いていた。
「気取った占い師め。また女たちのところか」
今度ははっきりと蔑みの感情が見て取れた。
ルシウスは、他寮の者と仲良くするをよく思っていない。
そのことを知っているセブルスは、できるだけルシウスの前での話題は避けていた。
実際は寮に関係なく、自分に占いを頼みに来る者を拒みはしなかった。
誰にでも笑顔を振りまく・。
ほとんどの生徒には好かれていたが、闇を好むスリザリンの生徒の一角がそれを気に入る
わけがなかった。
のことで何か言われるのかと危惧していたセブルスだが、幸いその予想は外れた。
だがそれはセブルスの予想を大きく上回るものだった。
「ならばちょうどいい。スネイプ。お前に話がある」
「お話・・・とは?」
ルシウス・マルフォイが放つ、彼特有の冷たい沈黙が流れる。
暖炉にくべられた薪のはぜる音が聞こえる。
ルシウスの薄い唇が動く。
「単刀直入に言おう。スネイプ。我々の仲間に・・・死喰い人に加われ」
淀みなくスラスラと紡がれたその言葉。
他の誰かに聞かれるかもしれないのに、そんなことは全く気にした様子もなく言ってのける。
セブルスは一瞬目を見開き、そして黒い目だけを動かして辺りを見回した。
だが周りにいる数人の生徒たちは、その言葉の重大さに気付いているのかいないのか、はた
また聞こえていないのか、何の反応も示さない。
ルシウスとセブルスを見ようとすらしない。
スリザリンの大半の生徒は、上手い具合にルシウスに調教されている。
セブルスは改めて、目の前に座る少年の大きさを知った。
そして僅かに恐怖した。
「・・・何を・・・突然」
「なに、卒業してからで構わんさ。私とナルシッサもそうする」
「いえ、なぜ・・・・・僕に」
スリザリン生が死喰い人になりやすいことはセブルスもよく知っていた。
だが現実にそれが自分に降りかかるとは思ってもいなかった。
やや驚愕するセブルスに、ルシウスは楽しげに微笑む。
「お前には死喰い人としての素質が備わっている」
「そんな・・・。・・・・・は」
ルシウスの冷たい視線に耐え切れず、セブルスは眼をそらしながら言った。
の名を告げたことに深い意味はなかった。
ただ自分に向けられた鋭い矢を、少しでもそらしたかった。
だが帰ってきた言葉は尚更冷たいものだった。
「奴はダメだ。は・・・得体が知れない」
そう言ってルシウスは目を細めた。
まるで眩しい何か、目では捉えきれない何かを見るかのように。
再び自分だけに向けられた矢に、セブルスはごくりと息をのんだ。
「なぁ、スネイプ」
ルシウスの目が、獲物を捕らえるかのように妖しく光る。
「お前が加わるというのなら、お前との遊郭通いは黙っていてやろう」
「・・・・・っ!?」
突然すぎるルシウスの言葉に、セブルスは何も言うことができなかった。
ルシウスの含みのある冷たい目。
“どうして!?”と訴えるセブルスの視線を静かに飲み込む。
(部下に調べさせたのか・・・・?)
セブルスの背を冷たい汗が流れていく。
それすら読み取るかのように、ルシウスの氷笑は冷たさを増す。
獲物は完全に蛇に飲み込まれた。
「拒絶する理由などなかろう。よもや、血が怖いなどと言う気ではあるまい?」
「そんなことは・・・・・」
「ならば結構。黒を纏うお前には、紅がよく似合う」
楽しそうなルシウスに、セブルスは何と返していいかわからなかった。
ルシウスが示唆する色が、今は自分と彼女を思い起こさせてどうにも不快な気分になった。
「少し考えさせて下さい。・・・失礼します」
「あぁ。いい返事を期待している」
最後に一度だけルシウスの目を真正面から見据え、セブルスは部屋へと入っていった。
セブルスが部屋の扉を閉める音が微かに聞こえてきた。
それすら僅かに震えているようで、ルシウスは喉の奥で笑いをかみ殺す。
「ルーシー?」
セブルスが去ったのを見計らったかのようにブロンドの少女が女子寮から現れた。
スリザリンの女らしい高貴な姿。
「スネイプは誘えたの?」
静かな口調でそう言って、広げられたマルフォイの腕の中に収まる。
2人の様子を目の端で見ていた生徒たちが、順々に部屋へと戻っていく。
それを当然のことのように、ルシウスは普通に言葉を続けた。
「いや。なかなか手ごわい相手だ。だが、いずれ堕ちるだろう」
口端を上げて冷淡に笑う。
ナルシッサはそっとルシウスの頬を撫でる。
「奴の薬学の才能・・・“あの方”に必要だ」
楽しげに笑うルシウス。
恋人のそんな姿に、だがナルシッサはつまらなそうに視線を外す。
そんな細かな様子までルシウスの目は追う。
「どうかしたか?」
「・・・・・別に」
ルシウスに負けないくらい冷たく言うも、全て彼に見透かされていた。
「スネイプに妬いているのか?」
「・・・・・」
楽しげなルシウスの言葉に、図星だといわんばかりに少女は口を閉じる。
それに気をよくし、ルシウスは何の前触れもなく彼女に深く口付けた。
「ぅ・・・・んっ!」
あまりに突然のことにナルシッサは驚きに目を見開く。
ルシウスの長めの銀髪が目に入り、小さな痛みと息ができない苦しさから無意識に彼の唇
を噛んだ。
「・・っ」
「あっ・・ごめんなさいっ!」
ルシウスの薄い唇の端に、赤い筋が一本流れていた。
苦しさから咬んでしまい、ナルシッサは一人逡巡する。
慌てる彼女の唇を、ルシウスはさっきよりも荒々しく塞いだ。
苦しくても今度は咬まないように気を配るナルシッサ。
だがルシウスの冷たい手が自分の足を撫で始めたときには慌てずにいられなかった。
「やっ・・・・・ル、ルシウスっ!」
抵抗しようと身を捻るも、ルシウスに組み敷かれてしまう。
誰もいなくなった談話室に、薪のはぜる音と少女の嬌声が響く。
「ルシウスっ!!」
「黙れ。お前は私のものだ」
冷たく見下ろしてくる瞳。
獲物を狩る蛇の目。
「私のものだ」
口端の赤い筋を親指で拭い取る。
それを見てルシウスは冷たく微笑む。
(スネイプ。お前もな)
蛇の毒牙が襲い掛かる。
毒が回るのには時間がかかる。
木の軋む音とともにゆっくりと扉が開き、それと同時に室内を満たしていた喧騒が雪崩れ
込んできた。
スピーカーのボリュームを最大にしたようで、は思わず眉を潜めて片耳を塞いだ。
だが次第にその大音量にも慣れてくる。
キョロキョロと首を巡らすと、カウンターで客の相手をする女主人を見つけた。
見慣れた女主人に安堵し、はカウンターに腰掛けた。
それに気付いた女主人がすぐにやってくる。
を見つけた彼女は、他の客に向けるのとは違う笑顔を浮かべての前に立った。
「お久し振りです、楓さん」
不意に紡がれた名。
の耳に大喧騒とは違う音色を持って入ってくる。
「やめてちょうだい。その名はとっくに捨てたの」
苦笑して女主人が出してくれたグラスに口を付ける。
冷たい水がの喉をするりと通っていく。
「元気そうね、ロスメルタちゃん。変わらず繁盛しているようで嬉しいわ」
の言葉に、今度はロスメルタが苦笑する。
「“ちゃん”はやめて下さいよ。もうそんな年じゃない」
おどけたように言って、ロスメルタはカウンターを挟んだの前の席に座った。
「珍しいですね、外出なんて。買い出しですか?」
の空いたグラスにアルコールを注ごうとしたロスメルタを、の手が制する。
「いいえ。ちょっとお使いをね。あ、私はお酒はやめたのよ」
の言葉にロスメルタは再度水を注ぐ。
グラスの氷がからりと音を立てたとき、はカウンターに白い封筒を置いた。
「楓さん?」
「からよ」
ロスメルタに本名を告げたことを知らされていたは、あえて花名を言わず告げた。
の名にロスメルタは僅かに瞳を大きくする。
「手紙?なんで?来て直接言えばいいのに」
「・・・・・」
ロスメルタの疑問に、は静かに視線を落とした。
勘のいいロスメルタの頭が動く。
「・・・今月あの娘が来なかったことと関係あるんですか?」
問い詰めるような言葉にも、は何とも言えない複雑な顔をする。
それ以上聞いても答えてはくれないだろうなとロスメルタは思った。
だから問いかけるのを止めた。
「手紙、後で読みますね」
差し出された白い封筒を、丁寧にエプロンのポケットにしまう。
ロスメルタの心遣いに感謝して、は小さな声で礼を告げた。
遠くにいる客がロスメルタを呼ぶのを聞いて、女主人は威勢良く返事をする。
慣れた手つきで片手に3つのジョッキを引っつかむロスメルタを見て、は静かに腰を
あげた。
「お邪魔になるし、そろそろおいとまするわね。それじゃぁ」
「あっ、ねぇ、楓さん!」
そう言って笑みを向けるに、ロスメルタは慌しく声をかける。
ドアの方向に足を向けていたは振り返ることなくそのまま立ち尽くした。
「一つ、ずっと聞きたいことがあったんですっ」
遠くの客の急かす声を勇ましく蹴散らし、今にも去って行きそうなに早口で告げる。
「私ね、ずっと昔、私が小さい頃。あの娘に・・・に会ったことがある気がするんで
すよっ」
「・・・・・・」
ロスメルタの言葉に、の目が微かに見開かれる。
「気のせいですかね。いやですね、年取ると物忘れが激しくて」
楽しそうに笑うロスメルタに、客の怒鳴り声が降りかかる。
“はいはい今行くよ!”と大声で返し、ロスメルタはもう片手にもジョッキを抱える。
「それじゃ、また」
そう言って彼女は客のもとへ行ってしまった。
残されたは、その後ろ姿を静かに見つめていた。
の体を喧騒が包み込んでいく。
がやがやと騒がしい店内。
何年経っても変わらない風景。
何年経っても、三本の箒の姿は変わらない。
若かりし頃に見たものと変わらない。
変わっていくのはそれを取り囲む自分たち。
年老いて消えていく人々。
新しく生まれてくる人々。
それらが同じものであってはならない。
「そうね。・・・きっと気のせいね」
ポツリと漏らした返事も、喧騒が飲み込んでいく。
グラスの氷が立てる音が、やけに鮮明に耳に届いた。
蛇の目から解放されてから、結局セブルスは本を読むことに集中できず、今日もまた食事
もおろそかに床についた。
その晩また夢を見た。
男たちの喧騒で満たされた、見慣れた居酒屋。
男子生徒たちの間で“足が綺麗だ”と有名な、見慣れた女主人。
女主人は、セブルスが知っている彼女よりもほんの少しだけ若かった。
女主人は幼い少女の相手をしていた。
肩よりも少し長いくらいの、流れるような銀色の髪の少女。
見慣れない東洋の服を着て、胸に異様なほど似合う赤い花を飾っていた。
見たところ12か13の少女。
グラスを拭く手を止めず、女主人は少女に視線だけ投げてよこす。
『ここは子どもが来るところじゃないよ』
『お酒ちょうだい』
女主人の警告にも怯まず、少女は優雅な仕草でカウンターに腰掛ける。
『子どもは帰んなって』
再度の警告にも臆せず、少女は真っ直ぐ見返してくる。
その瞳は空のように、深い海のように蒼かった。
『子ども扱いしないで。ちゃんと自分で稼いでるんだよ?』
子どもらしからぬ言葉に、グラスを拭いていた彼女の手がとまる。
女主人は少しだけ顔を向けて少女を見つめた。
揺るぎない瞳と目が合った。
『・・・倒れたって知らないよ』
そう言って女主人はグラスに2種類の液体を注ぐ。
しばらくして出された薄い紅赤の液体から甘い芳香が漂ってくる。
“ジュースなんか頼んでないよ”と少女は不平を漏らす。
『酒のことなんか全然わかってないくせに、全く。ジュースじゃないよ。ベリーニ。桃のカ
クテルだ』
そう言って女主人は少女の前にグラスを差し出す。
汗をかき始めたグラスにそっと手を添え、少女は恐る恐るそれに口を付けた。
『・・・おいしぃ』
『私はカクテル専門じゃないからね。分量も作り方も正確じゃないよ』
ぶっきらぼうにそう告げて、女主人は再びグラスを磨き始める。
ふと少女に向けられた視線は、さっきよりもずっと暖かだった。
『あんたにぴったりだね』
『・・・え?』
意味がわからないと素の表情を見せる少女に、女主人はやや皮肉を込めて言う。
『蜜の詰まった甘い果実のくせに、微かにアルコールなみたいな大人の香りを漂わせてる』
その言葉に、少女は苦々しげに視線をそらす。
『私はロスメルタ。ここの主人だ。あんた名前は?』
全てのグラスを拭き終わり、自分も向かいの席に座り少女に尋ねた。
グラスを握る小さな手に、僅かに力が篭る。
『・・・・・椿』
小さな声で紡がれたその名に、ロスメルタは片眉を上げた。
少女に気付かれないように、ロスメルタの視線は少女の胸元に向く。
『そうかい。あんたが今のあそこのトップなんだね』
不意のロスメルタの発言に、少女の顔が上がる。
見開かれた目がロスメルタを凝視していた。
『・・・どうして・・』
『子どもの頃から店番してるからね。何度も見てるよ。いろんな花つけた娘がうちに飲み
に来るのを』
『・・・・・』
『あの娘たちを一目見りゃぁすぐにわかるさ。あんたの店の娘たちは皆美しいが、死んだ
ような目をしてるからね』
当たっている、と少女は思った。
自分が住んでいる店の、自分と変わらない年の少女たち。
皆美しく、あでやかで、そして灰色の目をしている。
太陽を一度も見たことがないかのように、まるで光がない。
そんな少女たちを間近に見ているからこそ、少女もまた怖かった。
自分もまた、そんな目をしているのかと。
沈む少女の頭に、だが穏やかなロスメルタの声が降り注いだ。
『でもあんたは違うみたいだね』
楽しそうな声に、予想外の言葉に、少女はゆっくりと顔を上げる。
人の奥深くを見透かすような、決して不快ではないロスメルタの目が自分を見つめていた。
『生きる意味を知っているっていうか、逆に言えば死ぬことをよくわかっているっていう
か。全てを受け入れているみたいな、そんな目だね』
“嫌いじゃないよ、あんたの目”とロスメルタは白い歯を見せて粋な笑い方をする。
百花楼の娘には決してできない、生命力溢れる笑い方。
自分にも絶対できないであろう笑い方。
その笑みに、少女の心を覆っていた氷が溶け出す。
『・・・・・わ・たし』
少女は自分の心を隠すのが得意だった。
誰にも気付かれたことはなかった。
こんなにも気持ちいいほどに見透かされたのは、初めてだった。
『わたし・・・』
暖かい。
心に突き刺さっていた氷の刃が溶けていく。
気付けば、自然と口が動いていた。
『・・・・・よ』
その名を口にするのは2度目だった。
12歳の誕生日の冬の夜に明かされた真実の名。
他人に明かしたのはこれが初めてだった。
『、でいいわ』
久し振りに口にした自分の名は何だか他人の物のようで、上手く発音できなかった。
『よろしく、マダム』
そう言って少女は紅赤の液体が注がれたグラスを掲げた。
ロスメルタも楽しそうに歯を見せて笑って、手近の空のグラスに酒を注ぐ。
『ロスメルタでいいよ。よろしく、』
カシャンとグラスがぶつかり合う澄んだ音が響いた。
目が覚めれば視界を覆うのは夜の闇。
ガラス器のぶつかり合う音が聞こえた気がして、セブルスは小さく頭を振る。
襲い来ると覚悟していた吐き気は来なかった。
吐き気なんか来ない方が絶対いいのに、どうしてか言い知れぬ不安が胸によぎる。
部屋の静寂が心に沁みる。
闇に取り込まれてしまいそうになる。
不意に昼間のルシウスの言葉が蘇ってきた。
『死喰い人に加われ』
『お前には死喰い人としての素質が備わっている』
肯定も否定もできない。
ルシウスについていくことも、“例のあの人”に伏し従うことも何とも思わない。
血など全く怖くない。
ただ。
ただ怖いのは。
「・・・」
血で穢れた己の手で、彼女に触れられるのか。
もう二度と触れられないのではないか。
『黒を纏うお前には、紅がよく似合う』
自分におあつらえ向きなのは、血の紅なのか。
彼女の胸に飾られていた花の赤ではないのか。
だが少なくとも思うのは。
「椿の赤は・・・血の紅じゃない」
誰に言い聞かすでもなくポツリと漏らす。
「そうだな・・・・・」
問いかえるようなセブルスの言葉に、閉じた瞼の奥で少女が頷き笑った気がした。
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