ドリーム小説
Pain
【名】苦痛,苦悩;悲嘆;痛み
【動】苦痛を与える;苦しむ
椿姫 pain 1
目が覚めたら土曜の朝だった。
眠った記憶も起きていたときの記憶もひどくおぼろげだ。
最近ますます自分がおかしくなってきている。
そう思えて仕方がない。
だが自覚しているだけまだましか、とセブルスは列車の窓枠に肘をつき小さく溜め息を漏
らした。
「なに悩ましげな溜め息ついてんだよ」
「・・・気色悪いことを言うな」
コンパートメントの向かいに座ったが悪戯っ子のような笑みを浮かべてセブルスを見
つめる。
いつものようにあくびをしていないに、セブルスはさして興味もなさそうに言った。
「昨夜は。珍しく繁盛していなかったじゃないか、売れっ子占い師」
「ん?」
それだけ言って窓の外に顔を向けてしまったセブルスに、はいつもとは雰囲気の違う
笑みを浮かべた。
「ん〜まぁね。今日はちょっといろいろあるから」
言葉を濁すは、だが細めた目でセブルスを見つめていた。
窓の外の空をおうセブルスはそれに気付いていない。
セブルスの心はここにはない。
すでに心も意識も、列車が向かう村の、村の一角の、一人の少女にあった。
ここまでセブルスが変わってしまうとは思わなかった。
はそんな友人を笑みのない顔で見つめた。
細めた奥の蒼い瞳が薄っすらと揺らいでいた。
運ばれた食事が目の前にある。
スープにサラダ、ヨーグルト。
とても十分な栄養なんか取れそうもないメニューだったが、それですらには苦痛で仕
方なかった。
「さん。サラダ、残してもいい?」
やっとのことでスープを飲み干したは、以前よりもさらに細くなった指でスプーンを
置いてにトレイを寄越す。
その弱々しい姿に思わずの眉間に皺がよる。
「・・・椿ちゃん。これだって全くタンパク質と炭水化物が取れていないのに。ちゃんと
食べないと栄養失調になってしまうわ」
「でも、ホントにお腹一杯だし」
か細い声でそう言ってテーブルを離れ、はまた窓辺に座ってしまった。
それでもが心配しているのをよく知っているので、はただ一言“ごめんなさい”
と小さな声で呟いた。
(・・・謝ってなんか欲しくないわ。それよりも、しっかり食べて欲しいのに)
に聞こえないようには小さく溜め息を吐いた。
窓から注ぐ光に照らされたの体は、たった1週間で見る影もないほど痩せ細ってしま
った。
指の骨や鎖骨は浮きでて、雪のように白かった肌は青白く。
そしてなにより光り満ちていた深蒼の瞳は翳りを帯びてしまった。
1週間前の身請けが決まってから、の仕事は全て免除された。
身体的な苦痛はなくなり、生気に満ちてもいいはずなのに今のにはそんなものは欠片
もない。
飛べない鳥というのはこういう姿を言うのかもしれない。
相変わらず窓の外を歩く黒衣の人をチラチラと見ているを見て、は今度は深く溜
め息を吐いた。
トレイを下げようとドアノブに手をかける。
「・・・セブルス君・・・」
不意に耳に入ってきたの言葉を聞いて、はまた小さく溜め息を吐いた。
ここ1週間ずっとそうだったからだ。
外を歩く黒衣黒髪の人物を見てはは時折少年の名を呟く。
その度にの心は軋んだ。
そっとしておいてやろうとは静かにドアを開ける。
だが閉めようとした扉は不意に動かなくなった。
顔をあげると、の目の前にいつの間に来たのかがいた。
閉めようとするの手をがっしりと握っている。
「つ、椿ちゃ・・」
「セブルス君が」
細い腕のどこにそんな力がというほどの手には力が入っていた。
「セブルス君とさんが来てるっ」
そう言うやいなや、はと扉の間をすり抜けて部屋を飛び出した。
体に力が入らないのか、本の少しよろけながらも階段を下りていく。
「椿ちゃんっ。だめよ、戻りなさい!」
が呼ぶ声にも振り返らず、どんどん椿の姿は階段下へと消えていく。
「戻りなさい!会っても・・・彼の相手はできないのよっ!?」
身請けされる日まで、は仕事を免除・・・言うなれば禁止されている。
会っても一緒にいられない。
それでも久し振りに見た椿の活気に満ちた瞳に、は必死に追いかけて止めようとは思
えなかった。
百花楼の玄関先。
少年2人は立ち尽くしたままマスターと対峙していた。
セブルスの眉間に皺が寄る。
が不満げな顔でマスターを睨んだ。
「どーゆーことだよ、マスター。この券が使えないって」
そう言ってマスターの前にバンッと券を叩きつける。
それはいつものようにセブルス宛に送られてきた百花楼の券だった。
「だから言ってんだろ。椿は今休業中だ。そこの坊主。お前ぇが椿を指名する気なら、こ
の券は使わせられねぇって言ってんだよ」
そう言ってマスターは煙管をぶつける。
その顔には意地の悪い笑みが張り付いていた。
ようはセブルスが椿以外の“花”を選べばいいのだ。
「坊主。他にだって“花”は」
「断る。僕は椿を指名する」
セブルスにとってはそんなことは論外だった。
今更誰を指名しろというのか。
セブルスがここを訪れる理由だって唯一つ。
「僕は椿を指名する」
握り締められたこぶしに力が入る。
じっと自分を睨みつけるマスターを、セブルスは真っ向から睨み返す。
何があっても譲ろうとしない少年に、マスターは軽く舌打ちをした。
根負けしたようにふいっと眼をそらす。
だがセブルスにを会わせてやるつもりはなかった。
いつまでも自分を睨む黒い瞳が気に入らなくて、怒鳴りつけてやる気で煙管を外したとき
だった。
玄関先まで響くほどの大きな音で降りてくる者がいた。
そっちを先に注意してやろうとマスターは再び舌打ちをして振り向いた。
そこにはマスターの予想外の者がいた。
「・・・・・セブルス君っ・・」
部屋にいるはずのが、息も荒くそこに立っていた。
「椿っ!部屋にいろって言ってあるだろう!!」
セブルスに向けて溜めていた激昂がに吐き出される。
だがはそんなもの慣れているといわんばかりにマスターの怒りをサラリとかわす。
の瞳はただ真っ直ぐ、マスターの後ろへと向けられていた。
ただ真っ直ぐ自分を見つめる少年へと。
突然すぎる彼女の登場に目を見開くセブルスへと。
名前を呼びたいと思ったが、ここでの名を呼ぶわけにもいかない。
一人逡巡するセブルスの目の前に、それはまたも突然現れた。
「椿っ!!」
マスターの怒鳴り声など蹴散らし、は一目散に少年のもとへ。
揺れる銀色の髪がセブルスの視界を覆い隠す。
小さな少女は引き寄せられるかのようにセブルスの胸へと飛び込んできた。
小さな弾丸を壊れないようにそっと受け止める。
“・・・・・”
誰にも聞こえないくらい小さな声でそっと呟く。
セブルスの声に反応するように少女は小さく頷いた。
それだけで自分と少女は繋がっていると思えた。
「いい加減にしろ、椿。早く部屋に戻れ」
激昂を抑えることで余計に威圧感を増したマスターの声がの背中に浴びせられた。
だがはゆっくりと振り向きながらその怒りをもかわす。
「いや、です。この人は・・・・・私を指名してくれるお客様です。私がお相手します」
本当ならば言いたくもない言葉。
認めたくない言葉。
それでもそのくらいの苦痛など耐えてでもはセブルスに会いたかった。
「許して、ください。これだけは」
の瞳は真っ直ぐにカウンターの男に向けられていた。
深い海の底のような瞳。
どこかで、遠い昔に見たことのある色に、マスターは苦虫を噛み潰した顔でふっと眼をそ
らす。
数秒と合わせていられないほどの強い目。
には言い表せない不可思議な力があった。
全てを受け流してしまうような清流かと思えば、ときに激流を押し留めるような強固な瞳。
の強い視線を感じ、男は一つ白煙を吐き出した。
どこかゆったりとした動作で煙管をぶつける。
「3回」
マスターの口から不意に発せられた言葉には目を見開く。
「今日を入れて3回。お前に自由をやる。後は部屋で大人しくしてろ」
それだけ言うと、早く行けと顎で2人に指図する。
それを聞き、はマスターの気が変わらないうちにと先にセブルスを部屋へと進めた。
セブルスが階段を上がっていくのを見て、は体にこめていた力を緩める。
気を抜いた途端足元がふらついた。
おぼつかない足取りでカウンターの横を通り過ぎた瞬間、に低く重い言葉が放たれた。
「椿。今日をもってお前から最高位の座を取り上げる。今までの待遇はないと思え」
早口で言い放たれた言葉に反応して振り返ったがマスターはの方を向いていなかった。
マスターの背中越しに白煙が上がる。
覚悟はしていた。
ただ自分が思っているより告げられる時期が早くなっただけ。
自分のわがままがそれを早めただけ。
天井に昇る白煙から背中に目を戻し、は決意の篭った目でそれを見つめた。
「はい」
小さな、だがはっきりとした声で返事をし、は降りてきたときとは違って静かな音で
階上へ戻っていった。
その音を聞きながら男はまた一つ煙を吐く。
そして玄関先に佇むもう一人の少年に目を向けた。
「金髪の坊主。どうした。珍しいな、お前ぇが大人しいなんて」
一嵐去って疲れたような不機嫌そうな声でマスターはに声をかける。
いつもならセブルスを押しのけて春の花を指名するが、今日は玄関先に佇んだままさ
っきのやり取りを眺めていた。
「桜ならいるぞ」
最早相手にボードを出す必要はないと悟り、マスターは変わらず白煙を吐く。
だがから活気に満ちた声は発せられなかった。
いつにない静かな歩みでカウンターに近寄り、番台の男に真っ直ぐな視線を向ける。
それに気付いたマスターはつまらなそうに目線だけを向けた。
「なんだ、坊主」
「お願いが、あるんだよね」
そう言って少年は口元に薄っすらと笑みを浮かべる。
何かをたくらむような子どもの笑み。
だが決して目は笑っていない。
ひどく不自然な笑み。
付き合っていられないと男が視線をそらす。
その耳に予想外の言葉が入ってきた。
「桜ちゃんを身請けさせて欲しいんだ」
「・・・・・・・・・・ぁ・・あ?」
不意の言葉にマスターは自分の聞き違いだと思った。
少年の方を向くと、彼は変わらず笑っていた。
「坊主。冗談は」
「お金なら払うさ。高く買うよ?いろいろ条件付きで」
マスターが呆気に取られているのをいいことにはどんどん話を進める。
「身請けはするけど、もうしばらく桜ちゃんをここに置いてあげて」
マスターが何か口を挟もうとするも、が口を閉ざさない。
「それから今日から桜ちゃんに僕以外の客を取らせないで。あぁ、僕が身請けしたってこ
とは桜ちゃんには内緒だから」
「おい、坊主っ」
「お金なら払うさ。そうだなぁ」
昇りきった白煙は宙に霧散して消えていた。
煙が晴れて、少年の笑みはより一層はっきりと男の眼に映る。
「椿ちゃんが買い取られた額の倍出すよ。それでどう?」
少年の眼が初めて笑った。
男の眼球に映る少年の瞳は、深海のような蒼だった。
階段を上りながら、セブルスの頭の中は謎で一杯だった。
1週間ぶりに百花楼を訪れたら。
店先で椿に会わせられないと宣言され。
かと思ったら自らが、しかも必死な顔で迎えにきた。
3回。
後3回の自由とはなんだ。
胸に飛び込んできた小さなの体。
たった1週間見ない間に、は信じられないほど痩せてしまっていた。
自分が知らない1週間の間に何があったんだ。
謎で頭を埋めていたセブルスの耳に軽い足音が聞こえてきた。
聞いたことのある足音に振り返ると、予想通りが階段を駆け上がってきていた。
「」
もう隠すこともないとセブルスは少女の名を呼ぶ。
だがは呼びかけに反応することなく早足で階段を駆け上がる。
セブルスを追い越して彼の数段上で止まった。
「・・・?」
階段を上がってきただけで荒い息をするに、セブルスは眉をしかめる。
こちらを向かせようとの手に触れようとした瞬間、少女は勢い良く振り向いた。
「どうし・・・ぅわっ」
そう問いかけるセブルスの首に腕を回し、きつく抱きつく。
段差で同じ身長になり、の細い髪がセブルスの鼻先をくすぐる。
抱きついてきたまま微動だにしないだったが、セブルスはそのままでいた。
「どうした?」
優しく声をかけてやり、小さな背中をポンポンと叩いてやる。
幼子をあやすようにそっと背中を撫でてやる。
ぎくりとセブルスの頬を汗が流れる。
薄い服越しに、の背の骨が浮き出ているのを感じた。
「・・・・・・セブルス君」
すぐ耳元で自分の名を呼ぶ少女に、セブルスは構わず背を撫でてやった。
「・・・・・・セブルス君」
「どうかしたか?」
「セブルス・・くん」
名前を呼べば返事をしてくれる。
それだけがただ嬉しかった。
それだけで嬉しかった。
は回していた腕をそっと解き、自分の胸元へと運んだ。
服の材質とは違う、がさりとした何かに触れる。
それを小さな手の中に納めた。
「?」
心配そうな彼の声が聞こえる。
それが何よりも嬉しくて。
「セブルス君。君に、言わなきゃいけないことがあるんだ」
それだけをそっと呟き、ゆっくりと唇を押し付けた。
いつだって拒まず自分を受け入れてくれた。
セブルスの大きくも繊細な手が自分を抱きしめてくれる。
溺れてしまいそうなほどの幸せな時間を感じ、の目頭が熱くなる。
それでも必死に涙を耐える。
泣くことは後でもできる。
今は彼と幸せになりたい。
薄っすらと開けた視界の端に、手の中に納めた赤い花が見えた。
もう一度ゆっくりと目を閉じる。
瞼の奥に誰かの姿が、耳の奥に聞きなれた女の人の声が聞こえる。
花名を与えられた今より、あなたの名は「椿」よ
最高位につくまで、・の名は捨てなさい
散らず、咲き誇りなさい
椿よ
花はいずれ散る。
赤い花も美しく咲き、そして今散る。
たとえ造花でも、この花は私の胸で咲き続けた。
楼のどの花よりも艶やかに咲き続けた私の全てをこめて。
百の花の天辺に咲き誇った花が、はらりと少女の手から離れた。
視界の隅で落ちていく花に、の胸は僅かに軋んだ。
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