ドリーム小説
Maple
【名】楓;糖蜜色
椿姫 maple 10
魔女はこうして世に降臨しました。
それでも椿が恋をしなければ死は舞い降りてきません。
椿が生まれてから十数年。
椿は美しい少女に成長しました。
決して真っ当な生活ではないけれど。
椿は生きています。
生きています。
このままこの街で無事生き続けてほしい。
何も起こらないでほしい。
毎日毎日そう願って止みませんでした。
でもあるときそれは破られました。
百花楼に再び闇が舞い降りたのです。
それは幾日も続いたある雨の日でした。
「さ〜ん。もう雨飽きたよぉ」
その日のことを今でも覚えています。
カウンターに顎を乗せて一人椿がごちていました。
「部屋に行ってろ、椿。“花”は店先に出てくんじゃねぇって言ってるだろ」
マスターがいつものように煙管をふかしていたのを覚えています。
その日のことを今でも覚えています。
その日は雨が降っていました。
不意に店の扉が開いて、聞こえる雨の音が大きくなったのです。
マスターが煙管を外して営業顔で扉の方を向きました。
カウンターに顎を乗せていた椿は当然扉の方を向いていました。
私は扉が開く音に反応して無意識にそちらを見ました。
瞬間自然な態度を取ったのは椿だけ。
マスターは。
私は。
私は。
目を見開くことしかできず、ただその場に不自然に立ち尽くしていました。
そのとききっと私とマスターの時間だけが世界から取り残されて止まっていました。
「すまないな、マスター。突然の雨に遭ってしまってね」
シャンッと伸びた背筋に貴族のような身のこなし、高貴な身なりに教育された者の発する
言葉の数々。
そこにはマスターの・・・普段のマスターなら好きな高級そうな身なりをした中年の男性
が立っていました。
「東洋のことに興味があってね。私自身つい最近まで東洋の島国にいたんだよ。遊郭にして
は綺麗な体裁の店だったのでね。あぁ、失礼。私は」
男はと名乗りました。
その名前を私は知っていました。
よく知っていました。
マスターも知っていました。
男がどの“花”を選ぶのか。
男が言わずとも、なぜか私たちにはわかりました。
「おや。そちらのお嬢さん」
男は柔らかな口調でカウンターに佇む少女に声をかけました。
少女は微動だにせず、瞬きすらすることなくそこに佇んでいました。
「どこかで・・・・・お会いしたかな?」
男の言葉に、私の足は竦みました。
その場に立っているのがやっとでした。
「いいえ。旦那様」
椿はいつもと変わらぬ穏やかな口調で答えました。
その口元は薄っすらと笑っていました。
何が面白いのか私にはわかりませんでした。
「美しいお嬢さん。私の相手をしてくださるかな」
男がマントを脱ぎステッキを振る仕草も以前と変わりありませんでした。
穏やかな男の誘いに、少女は穏やかに答えました。
「はい。ありがとうございます」
それはそれは穏やかで。
十数年前一瞬で恋してしまったあの子とは違うんだと気付かされ。
私は椿と男がその場を立ち去るやいなや、安堵とともにその場に崩れ落ちたのでした。
運命とは何と皮肉な。
記憶をなくしたはずの男が。
再びここを訪れるなんて。
誰が導いた。
神か。
今一度あの娘を選ぶなんて。
何と皮肉な。
誰が導いた。
神か。
あの子は頭がいい。
きっとわかってしまったはずだ。
あの男が自分の何であるかを。
それでも表情崩さず、態度の変化を一遍も見せず。
あぁ、なんて強い子なんだろう。
椿。
よ。
誰がこんな運命を導いた。
神か。
それとも。
魔女か。
それからというもの、は何度も百花楼を訪れました。
指名するのは決まって冬の真っ赤な花。
が店を訪れるようになって半年ほど経ったときでした。
「さん。今日・・・休めないよね」
あるとき初めて椿は私にそう言ってきました。
「どうしたの?椿ちゃん」
心配そうに顔を覗きこむと、椿の白い顔が真っ青になっていたのです。
「今日・・・あの人が来るの。私あの人といると・・・気味が悪いほど体中の血が騒ぐの。
私の中を流れる血が、必死に“ダメだ”って言うの」
そう言って体を抱きしめる椿は、ひどく弱い生き物に見えました。
それもそうでしょう。
だって椿の血は。
あの男の血。
それは神に背きし行為。
それでも私は。
愛しい少女に何をしてやることもできないでいました。
何も言えずにいる私の気持ちを汲んだのか、椿は痛々しげな笑みを浮かべて立ち上がりま
した。
「ごめんなさい。・・・・・行ってくるね」
必死に作った薄っぺらな笑みで部屋へと向かう椿を見送るしかできなかった。
自分の無力さを呪いました。
何もできない自分がひどく矮小な生き物に思えました。
それでも私にして上げられることは何もなかった。
そんな椿の姿を1年以上見守り続けて。
椿も、私も、身を削るような苦しみを抱えて1年が過ぎた頃でした。
それは前日まで続いていた雨が上がって、眩しいくらいの太陽が顔を出した日でした。
その日椿は非番で、ホグズミードの酒屋へと足を伸ばしていました。
前日私とした賭けの勝ち金を手に、少しだけ楽しそうに店を出て行ったのを覚えています。
椿が出て行って数時間が経過した頃のことでした。
洗濯物を干し終えてマスターと店番を交代しようと階下に降りていったときでした。
百花楼の玄関先から珍しいくらい元気な声が聞こえてきたのです。
「放せ!僕はこんなところに興味などない。お前一人で楽しんでくればいいだろう?」
「2人じゃなきゃタダにならねぇんだよ!別にやってこいって言ってるわけじゃねぇだ
ろ!?部屋入っておとなしくしてればいいじゃん」
声からして少年といった感じでしょうか。
カウンター近くからそっと覗くと、案の定ホグワーツの制服を着た黒髪の少年と金髪の少
年が喧嘩をしていました。
金髪の少年には見覚えがありました。
1年ほど前から通ってくるようになり、いつも桜ちゃんを指名していたからです。
どうやら騙されて連れてこられたらしい少年は顔が真っ赤です。
「僕にそんな屈辱的なことをしてこいというのか!?いいから手を放せ!!」
そう少年が怒鳴った瞬間、不意に玄関の扉が開いてしまい少年は支えを失い転んでしまっ
たのです。
扉を開けたのは椿でした。
椿は転んでいる少年を見つめ、いつものようにあっけらかんとした口調で謝罪しました。
「ありゃ。ごめんなさい、お客さん。大丈夫?」
その波風も立たない穏やかすぎる言いぶりに私は隠れながらも思わず笑みがこぼれてしま
いました。
でもそれも一瞬のこと。
次の瞬間、私の心臓はぎくりと音を立てたのです。
転んだ少年の動きが止まっていました。
少年の時が止まっていました。
それはいつか見た。
十数年も前に見た男の表情と同じものでした。
まさかそんなことが。
そんなことが起こるわけがない。
私の中を最悪のシナリオがよぎりました。
十数年も平穏が続いた。
が訪れても壊れることのなかった平穏。
それが今更。
こんなところで。
不安で押し潰されそうな私の耳に、さらに不安を圧し掛からせる少女の言葉が入ってきま
した。
“ねぇ、君。私の相手しない?”
確信的ではないにしろ、椿のその言葉を聞いた瞬間、私の視界に薄っすらと灰色の幕が下
りました。
椿が自分から誰かに手を差し伸べたのは。
これが初めてだったからです。
遂に、畏れていた運命の歯車が回り出してしまったのです。
黒髪の少年と出会ってからというもの。
椿に目に余るような変化が起こったのです。
椿が、人並みに笑うようになりました。
「さん。あの男の子ね、セブルス君っていうんだよ」
椿が、楽しそうに誰かの名前を呼ぶようになりました。
「ごめんなさい、さん。セブルス君に・・・・・名前、教えてしまったよ。だって」
椿が、本当の名を明かした客もあの少年が初めてです。
「だってセブルス君に椿って呼ばれると・・・・・どうしてか、さんを思い
出して。でも名前で呼ばれると、どうしようもないほど嬉しくて・・・」
椿が、そんなふうに正直に言うようになったのも初めてで。
「会いたいよぉ・・・・・セブルス君・・・・」
椿が、自ら誰かを求めたのも初めてでした。
「セブルス君といると、安心するんだぁ。ねぇさん。わたしね・・・今なら」
“呪いも怖くないよ”
それを告げたときのは、見たことがないくらい美しい笑顔を浮かべていました。
それこそ・・・・・椛ですら浮かべたことのない、幸せそうな笑顔を。
叶えてやりたい、大切なの願い。
だから私は腹をくくりました。
マスターから処罰を受けることを承知でカウンターから百花楼のパスを盗み出したのです。
それを百花楼直属の梟を遣ってホグワーツの少年の元へ送りました。
何度も何度も送りました。
これがのために私ができる精一杯のことでした。
少年はに会いに来てくれました。
その度にの顔に生気が満ち溢れ。
笑顔も輝きを増し。
やっと。
やっとが手にした幸せでした。
願うことのならこのままずっと。
ずっと。
でもそれは叶わぬ願いでした。
の幸せを阻む男が、2人を引き裂こうと。
の幸せを阻む魔女が、2人を引き裂こうと。
から笑顔が消えつつあります。
最近では食事も取らず、自ら生を投げ出そうとしています。
もう私ができることは、あの少年にパスを送り、に残された時間内で、できるだけ多
くと彼が共有できるときを与えてあげることだけ。
後はもう見守るしかないのです。
これが、私がお話しできる全てです。
私が。
私の傲慢さが。
この世に恐ろしい存在を産み落としてしまった。
幸せになれなかった少女を、孤独な魔女へと変えてしまった。
娘よ。
愛しい娘よ。
どうかあなたは幸せに。
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