ドリーム小説
Maple
【名】楓;糖蜜色
椿姫 maple 9
その笑顔には見覚えがあった。
今まさにこの世に生を受けたばかりの赤子の笑みに、なぜか楓は見覚えがあった。
少し前まで自分のすぐそばに佇んでいた笑み。
物静かな、水が流れるような穏やかな微笑み。
楓の脳に常識では考えられないことが浮かぶ。
脳は必死にそれを否定しようとする。
生まれたばかりの赤子がここまで流暢に言葉を扱えるわけがない。
これは何かの間違いだ。
自分は悪い夢を見ている。
それでも赤子がゆっくりと目を開けた瞬間、その非常識が現実となった。
重い瞼の向こうの赤子の瞳は、海の底から拾ってきたような深い蒼だった。
楓もも青眼じゃない。
隔世遺伝だとしても、ここまではっきりと楓のよく知る色が出せるだろうか。
その色を楓はよく知っていた。
自分のすぐそばにその瞳を、その笑みを持つ者がいた。
「・・・・・もみじ・・・・・、なの?」
そんなことありえない。
馬鹿げた問いだとわかりながらも、楓は声に出さずにはいられなかった。
恐怖が体から溢れ出しそうだった。
そして肯定の返事の代わりに返ってきたのは、壊れたオルゴールのような笑いだった。
『久し振りだね、楓ちゃん』
何年も話していないような、しわがれた老婆の声。
まるで御伽噺に出てくる、悪い魔女のようなつぶれた声。
恐怖で体の動かない楓に、魔女は楽しそうに声をかけた。
『怖がらないでよ。別に楓ちゃんやこの子を殺すわけじゃないんだから』
冗談が冗談に聞こえないのは声のせいだろうか。
「・・・・・・・これ・・どういう」
当たり前の問いかけ。
誰もが思うことにも魔女は何の驚きも見せない。
『別に。私の魔力ならこれくらい』
彼女の前では全ての常識が音を立てて崩れていく。
楓の喉を生唾が音を立てて流れていった。
『可愛い子だね。あの人の子』
赤子の小さな唇が綺麗な円を描いて言葉を紡ぐ。
『私が愛した人の子』
赤子の小さなこぶしが微かに動く。
『あの人が愛してない人の子』
優しい憎しみを抱いて言葉を紡ぐ。
既に楓は目の前の赤子を赤子として認識することはできないでいた。
目の前にいるのは、生涯自分と地位を争った一人の女。
『この子に名前をつけてあげるよ』
名前?
『そう。この子の名前は、。・。この子には私の名前とあの人の姓を
あげる。それ以外の名をつけたら、この子を殺す』
どうして?
『この子に私の美貌と才能をあげる。私の全てをあげる。この楼で最高の椅子に座るため
に必要なもの、その全てをあげる』
どうして?
『その代わり、この子を幸せにはしてあげない。あなたの血、の血が流れる
子は決して幸せにはしてあげない』
幸せ?
『そう。幸せ』
幸せ?
『幸せ。この子が誰かを心から愛した瞬間から、この子は死に近づき始める。誰かを愛し
た瞬間から、苦しい試練が始まる』
試練?
『試練。肉体の苦しみ。精神の苦しみ。そして愛した者を忘れていく苦しみ。愛された者
も幸せにはなれない苦しみ』
どうして?
『“どうして?”?』
だって言ったじゃない?
私の最初で最後のわがまま聞いて、って。
赤子はただただ微笑むだけだった。
『愛する者に忘れられることの苦しみ、あなたにはきっとわからない』
ゆっくりと細められた赤子の瞳に、楓の胸がきしりと痛んだ。
震える体で、震える唇で、それでもゆっくりと口を開いた。
「・・ぉ願い・・・・やめて・・・っ」
恐怖からか、懇願からか、自分でも知らないうちに楓は涙を流していた。
それは何故か。
本人にもわからなかった。
「お願い・・・・・・・苦しみなら・・・私が受けるからっ」
初めて見せる、懇願する楓の姿。
楓の瞳から零れた涙が一つ、赤子の頬に落ちた。
赤子は頬を触ろうと手を動かすが、未熟な体ではそれはできないでいた。
小さな手が開いたり閉じたりを繰り返す。
『じゃぁ、光をあげる』
不意の言葉に楓は目を見開く。
『いつかこの子に運命の王子様が現れ、その人と恋に堕ち、この子に死の苦しみが舞い降
りたとき』
赤子の瞳がゆっくりと閉じ、再びゆっくりと開かれる。
『この子の呪いを解く鍵を握る子がこの子の前に現れる。この子と同じ目を持って現れる。
この子を救う詩を歌う』
赤子はスラスラと言葉を紡ぐ。
まるで御伽噺を語るように。
『詩の中には石が出てくる。この子の涙は穢れのない輝石。忘れられたくない想いが記憶
の石となって外に出て行く。それをこの子の体に戻すのも』
“王子様の役目よ”と赤子は微笑む。
何のことを言っているのか、楓には見当が付かない。
わからない。
そのことが尚更楓の恐怖を掻き立てる。
『そろそろ、お別れだよ。楓ちゃん』
赤子は、魔女は、少女は、そう言ってゆっくりと目を閉じる。
「ま、待って。待ってよ、!」
何に必死になっているのかわからない。
あれほど忌み妬んだ少女に、今更何を言いたいのかもわからない。
それでも楓の中の何かが必死になって別れを拒んだ。
『ねぇ、楓ちゃん。私ね』
楓の激情とは裏腹に、魔女は穏やかに目を閉じて微笑む。
それは、どこか死の匂いがした。
何よりも美しい、死の香。
『私ね。結局最後まで』
死の香は、どこか甘い桃の香りに似ていた。
『最後まで、のことも、のことも、嫌いになれなかったんだぁ』
だから言ったでしょ?
私の“わがまま”だって。
私の意志じゃない。
ただの、わがまま。
だって、ね。
だって。
私も。
人並みの恋をして、幸せになりたかったんだよ。
私の最初で最後の王子様。
奪ったのはあなたなんだから。
私の最初で最後のわがまま。
許してよ。
それから数分後のことだった。
赤子が再び産声をあげ始めたのと、楼内に誰かの悲鳴が上がったのは。
楓は赤子を毛布にくるみ、重い体を無理矢理起こして這いずるように悲鳴のする方へと向
かった。
そこで見た光景を楓は一生忘れることはないと思った。
部屋の真ん中、ベッドの上。
銀色の髪を大きく広げ、純白のシーツよりも白い体を横たえ。
白いシーツを真っ赤に染めて、少女は横たわっていた。
毒を飲んだのだろう。
口端に赤い筋を残し、シーツに至るところに血を吐いた跡が残っていた。
それよりも奇妙なことは。
「・・・・石・・・?」
少女の周りに無数に光る石が散らばっていた。
人口の光を受けてキラキラと光るそれは、この世で最も貴重な石。
「・・・金剛石」
動かない少女の目尻にも一粒、石はキラキラと光を放っていた。
部屋に微かに薫る、桃の香り。
横たわった少女は、今にも目を覚まし、自分に声をかけてきそうなほどで。
とても命の光が消えてしまったようには見えず。
『楓ちゃん』
耳の奥で、懐かしい声が聞こえた気がした。
その少女の死すら美しいと思った。
「・・・・ごめんなさい・・・」
今更謝ったってどうにもならないのに。
「ごめんなさい・・・・・ごめんなさい・・っ」
何もかも元には戻らないのに。
「・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・っ」
楓の双眸から涙は溢れて止まらなかった。
光る石に変わるわけでもない純粋な人の涙。
ただただその場にうずくまり、泣くことしかできなかった。
腕の中に抱いた赤子の確かな温もり。
それだけが楓の正気を保たせてくれた。
何もわからぬ赤子が一つ声を上げる。
小さな手を動かして楓の頬に触れる。
その温もりだけが真実だった。
「可愛い子。・・・私の子・・・・・」
フラフラと宙を彷徨う赤子の手が楓の指をキュッと握る。
それだけで自分は必要とされている気がした。
「愛してあげる・・・・・あなたを精一杯愛してあげる。あなたは」
私の子。
・。
こうして魔女は生まれた。
3人の複雑な運命の糸が絡み合って生まれた。
3人がそれぞれ望んだ幸せは実現することはなかった。
幸せはすでに存在していなかった。
楓は娼婦という仕事から足を洗った。
店の手伝いをしながら親子2人、百花楼に住むことになった。
子がそれ相応の年になったとき店の商品となることが条件だった。
楓は少女に自分が母であることを告げずに育てた。
少女専属の世話係として傍に付き、いつも少女を見守り続けた。
いつしか少女は12という若さで楼一の座につくまでになった。
少女には“椿”という名が与えられた。
“椿”は美しい少女だった。
雪のような白い肌。
波のように光る銀色の髪。
そして海の底のような蒼い瞳を持つ美しい少女だった。
それは寒い冬の日だった。
それは少女“椿”の12歳の誕生日だった。
楓は少女に秘密の一部を明かした。
「椿ちゃん。あなたは頭のいい子ね。今のあなたになら、全てを知ることもできるかもし
れない。・・・・いえ、知らなければいけないことだわ。だから、しっかり聞いてね?」
「・・・さん?」
もうその頃には、楓という名は百花楼からは消えうせていた。
「あなたの名前は、。・・・。あなたの父親の姓よ」
そのとき初めては少女にその名を告げた。
少女は動揺することもなくただ黙って話を聞いていた。
「椿ちゃん。約束して。絶対に男の人を好きになっては駄目よ?恋をしては駄目。いい?
あなたは、12年前にね・・・・・12年前、生まれた瞬間に魔女に呪いをかけられたの」
少女は微動だにせず、瞳を揺らしもせず黙って話を聞いていた。
「誰かを好きになったりしたら・・・・・あなたは呪いで死んでしまうの。だから・・・
だからお願い」
少女は黙って聞いていた。
だけが体を震わせていた。
「お願い・・・。・・・・・どうか恋をしないでちょうだい」
そのとき初めては椿を抱きしめた。
椿が生まれて物心ついてから一度たりとも抱きしめてやったことはなかった。
の胸に抱かれながら、椿はやはり微動だにせず、が自分を解放するのを静かに待
った。
「大丈夫だよ、さん」
幼い少女は静かに言葉を紡いだ。
「約束するよ・・・・恋をしないって」
そう言って少女は静かに微笑んだ。
とても12歳の少女とは思えないほど酷薄な笑みだった。
それはやはり、が遠い昔に見た少女の笑みと同じものだった。
ただ違うのは、少女の姓と、胸に飾られた赤い花だけ。
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