ドリーム小説
Maple
【名】楓;糖蜜色
椿姫 maple 7
30日経過
いまだ彼女の想いに変化なし。
私の心は限界に近づきつつある。
私を許してほしい、愛しい君。
「・・・旦那様」
苦悩に満ちた表情で頭を抱える主人に、従者は控えめに声をかける。
その声もまた苦悩に満ちていた。
「旦那様。期限はもうすぐでございます」
「・・・・わかっている」
気持ちが悪いと思っては目を覚ました。
薄い生地の寝巻きが身体に張り付いている。
風邪でもひいてしまったのだろうか。
そっと手を額へと持っていくも、特に熱はない。
それでも微かにする吐き気。
遠くで朝食を告げる調理婦の声がする。
「こんなんじゃ・・・食べられやしないわよ」
それでも今日も仕事が待っている。
気だるい身体を何とか起こし、楓は椅子にかけてあった服を身に付ける。
胸のボタンは最後まで締めないのが決まり。
最後に自分の位と名を示す五指の葉の造花を胸に飾る。
何も見ずに胸に付けた後、その姿を鏡に映してみる。
「すっかり・・・付け慣れちゃったわね」
寂しげに笑う少女は、店先で虚勢を張る姿とは似ても似つかない。
まだ幼い少女の笑み。
窓から差し込む朝の光が鏡を反射させる。
また今日も一日が始まる。
「あの男は今日も来るのかしら」
今日も彼女に会いに。
私が壊した愛を修復しに。
来たってどうせあの娘は相手などしないのに。
私が代わりに相手してあげるのに。
どんなつまらない話も聞いてあげる。
何度だってセックスしてあげる。
どうしてこんなにも健気な私を見てくれないの?
は鏡に映った自分を、そっと掌で撫でてやる。
まるで我が子に触れるかのように。
優しく。
愛しく。
「大丈夫だよ、。いつか・・・・・幸せになれるよ」
いつか来るその日を夢見て。
晴れ渡る空。
鳥たちは、自由に空を飛んでいる。
世の中はいたって平和。
全てが順調。
こんな日は、世界のどこかに嵐が吹き荒れる。
静かに静かに吹き荒れる。
吐き気がおさまらない。
原因も分からない。
店先のカウンターの陰に隠れて、ただひたすら楓は口元を押さえていた。
それに見かねたマスターが流石に声をかける。
「おい、楓。気分が悪ぃんなら奥に引っ込んでろ」
お前はうちの看板娘なんだからな、と情のないことを言って男はカンッと煙管をぶつける。
「平気よ。このくらいのこと・・・どうってことないわ」
精一杯の虚勢を張るも、カウンターから漂ってくる煙草の煙、強い酒の匂いに、吐き気はますますひどく
なる。
一時その場を離れようと楓が重い腰を上げたときだった。
カラカラと乾いた音を立てて百花楼の重い扉が開いた。
「様。今日もおいでになられたんですかい」
最早呆れたようなマスターの口ぶりに、楓は苦しい吐き気を抑え軽く口の端を上げて笑う。
目玉だけを動かして正面を見ると、シルクハットを脱いでいると目が合ってしまった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
だが、それだけだった。
高貴な男は楓を一瞥すると、マスターが何かを言う前に店奥へと足を進めていた。
「ちょっ、ちょっと!様!!なんのおつもりですかい!?」
「邪魔するよ、マスター」
流石のマスターも焦り、煙管を口から外すと男を止めようとする。
だが高貴な身なりの男の前進が止まることはない。
「勝手に入られちゃ困りますよっ!!いくらあんただって。ここは商売屋なんだ!!金を払わねぇ奴は」
ジ ャ リ ン ッ ! !
「これで十分だろ?」
マスターが全てを言いきる前に、カウンターの上に数え切れないほどのガリオン金貨が投げ出された。
袋から零れたそれは、店の床を黄金に染め上げる。
それだけで醜悪な男の口を黙らせることができた。
誰も止めない。
止められない。
はただひたすら、目指す部屋へと突き進んでいった。
はそんな男の後ろ姿をただ見ているだけだった。
一枚、金貨を拾い上げる。
光り輝くそれを力いっぱい握り締める。
それだけで、少し吐き気は和らいだ。
「・・・・・・・」
高貴な男は、自分に一言も声をかけなかった。
最高位の自分に。
見るからに弱った女に。
ただ一瞥をくれただけ。
あの男の目的は最初から一つ。
あの少女以外のものには興味がない。
それが何よりも悔しい。
憎い。
私はこんなにも美しいのに。
なぜ私を見てくれない。
どうしてあの娘ばかり。
どうして私ではなくあの娘ばかりを愛するの。
憎い。
憎い。
もう全てが憎い。
晴れ渡る空。
鳥たちは、自由に空を飛んでいる。
世の中はいたって平和。
全てが順調。
桃の香が部屋に溢れる。
結局あれから一口も口にすることのなかった果実たちは熟し、甘すぎる芳香を漂わせていた。
部屋の真ん中、ベッドの上で白いシーツがもぞもぞと動く。
はらりと流れ落ちる銀髪をよけて脆弱な少女は耳を澄ませた。
遠くで何か音が聞こえる。
どこかで聞いた音。
それはどんどんこちらに近づいてくる。
もう、すぐそこ。
嫌。
来ないで。
それでも扉は少女の願いを振り払い、静かに音を立てずに開く。
「」
聞き慣れた声。
少女が愛する声。
ううん、違う。
少女が愛した男の声。
でも、今は違う。
「なに・・・・しにきたの・・・?」
震える声で、怯えた双眸で少女は男を見据える。
少しでも気を緩めればすぐに深い青の目は雫を落としそうになる。
唇を噛み締めてそれを必死に耐える。
一方男もまた扉を開けた瞬間、視線が少女に止まったまま動けずにいた。
たった一ヶ月。されど一ヶ月。
何も口にせず痩せ細ったを見ては愕然とする。
自分が贈った桃は手付かずで、熟して甘い芳香を漂わせていた。
「なにしにきたの?」
再度問うの声に、男の唇が静かに動いた。
「弁解・・・させてくれ。あのときのこと」
「・・・・・・なに?」
ほんの少しの言葉の重みにも耐えられないような雰囲気を漂わせる少女。
男は苦い顔でゆっくりと重い口を開けた。
「私は」
楓を抱く気はなかったと男は言う。
「うそ」
「私は」
楓に薬を盛られて正気を失っていたのだと男は言う。
「うそつき」
「。私は」
今でも君が好きだと男は言う。
「うそつき」
はゆっくりと口を動かし、空気を揺らさないように静かに言葉を紡ぐ。
抑揚のない言葉にの感情を読み取ることはできない。
が何を考えているかわからない。
それでも男は伝えたかった。
今、伝えねばならなかった。
「私は」
握り締めた手に力が入る。
いつもそばにいるだけで心安らいだ少女を前に、男の心臓は早鐘のように脈打つ。
少女はいつも儚く壊れそうだった。
抱きしめられることを望んでいたけれど、少しでも力を込めれば脆くも崩れ落ちてしまいそうだった。
今でも、自分の紡ぐ言葉に壊れてしまうのではないかと心配になる。
だからいつでも、優しく扱っていた。
自分の言葉が彼女を壊してしまうのではないかと心配でたまらない。
それでもその言葉を言えるのは今しかなかった。
「私は、君を愛している。。君だけを愛している」
伝えたくてもずっと伝えられなかった言葉。
何度言おうとして躊躇ったかわからない。
伝えられないまま終わるのは、嫌だった。
せめて愚かな自分の最後の、真実の想いだけは伝えたかった。
それでも、の必死の想いが届くことはなかった。
「嘘つき。裏切らないって・・・ずっとそばにいるって言ったくせに!」
人形のように静かだった少女が突如喉を裂くように叫び出した。
深蒼の瞳は涙を零すまいと波を打ち、病床の少女の白い肌は微かに赤みを帯びている。
握り締められた指の骨は折れてしまうのではないかというほど細く、だがそこには確かに精一杯の力が込
められていた。
今にも壊れてしまいそうな体で力いっぱい叫ぶ少女に、の胸が張り裂けそうになる。
少女をここまで追いやったのは自分。
全て自分のせい。
気が付けば嗚咽を漏らす少女を腕の中に抱きしめていた。
力は込めても、それでも壊さぬように優しく包み込むように。
「・・・放して。触らないでよぉ!」
の腕の中で必死にもがく。
「楓ちゃんに触った手で・・・を抱いた体で私に触れないで!!」
叩かれても叩かれても、それでもはなお一層きつくを抱きしめる。
「。君に言わなければならないことがあるんだ」
を抱きしめながらも不意に厳かなものに変わったの言葉。
暴れるのをやめたの息は、ひどくあがっていた。
自分の腕の中で静かに息を整える少女、その細い肩に顎を乗せ、男は言葉を紡ぐ。
その唇が微かに震えていたこと。
男が決してに顔を見せまいとしていたこと。
激情に流されたに、それを察することはできなかった。
ただ耳元で囁かれる言葉を単調に聴くことしかできなかった。
「いつか言わなければと思っていた。だが怖くて・・・君と離れるという現実を受け入れるのが怖くて言
い出せなかった」
耳にかかる息がこそばゆい。
は静かにそう感じていた。
「私は、仕事でイギリスを離れる。15年は帰ってこれない」
聞きなれた声が紡ぐ、残酷な言葉。
それは少女の弱く不安定な心を凍りつかせるには十分だった。
「。私はもう・・・君のそばにいられない」
それでも君を愛している
愛してる
愛してる
何の抵抗もなく耳の奥へと入ってきたのに。
それはの中の何かを弾き飛ばすには十分な力を持っていた。
うそつき ずっとそばにいるって言ったのに
少女にも男にも、何が起こったのかを理解することはできなかった。
本の一瞬、少女が何かを口走り、男を淡い光が包み込んだだけだった。
ただ少女は、目の前にいた男が飛ばされて壁に激突するのを静かに視界に収め。
ただ男は、突如高くなった視線で瞳を震わせて自分を見つめる少女を見つめ。
何かが壁に叩きつけられ鈍い音を発し、それが床に落ちたのと同時に世界は再び動き出した。
だが動き出した世界はとても静かで。
立ちすくむ少女。
倒れたまま動かない男。
甘い芳香の漂う世界で、2人はただひたすらそこに存在し続けた。
音を聞いた階下の者たちが部屋に踏み込み、を助け起こしてに鎮静剤を打ったのはそれ
からしばらくしてからのこと。
慌てふためく従者とともに百花楼を去るを、は光のない目で見つめ続けていた。
そのときのに心があったかどうか、わかるものはもうそこにはいなかった。
軽症ですんだがイギリスを発ったということを知らされたのはそれからまたしばらくしてか
らのこと。
そのときマスターが言った言葉。
「様な。頭を強く打ったのが原因か、百花楼での記憶が全てなくなっちまったらしい」
その言葉を聞いたときも、は窓辺に座り込み、ただ静かに体を丸めていた。
「鳥は鳥籠。彼は・・・・・鳥じゃなかった」
誰もいない部屋で久し振りに発した声は、以前と同じ美しいものに戻っていた。
でももうその声を聞いてくれる人は、聞いて欲しい人はいない。
無造作にベッドに投げ出された絵本が目に付く。
静かにそれを胸に抱き、は体を丸めた。
に怪我をさせたのは自分。
自分の望まない魔力。
の記憶を消してしまったのもきっと自分。
彼はもうの事を覚えていない。
と出会ったことも。
と戯れたことも。
を愛したことも。
そして・・・
「子供の戯れでもいいや。あなたが私の王子様だと思ってたよ」
“私も・・・・・愛してたよ。”
に愛されていたことも。
ポツリと漏らした呟きは誰も聞くことはなかった。
音が霧散し、言葉に反応するようにの頬を静かに涙が流れ落ちた。
頬を伝い、細い顎先から床に落ちんとする涙の雫。
それが光を発し、小さな石のつぶてに変わったことを知るものはそこにはいなかった。
“これでもう私には何もない。生きる必要すら・・・・・”
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