ドリーム小説
Maple
【名】楓;糖蜜色
椿姫 maple 2
長いこと鳥籠の中で飼われていた少女に飼い主が見つかってから、早いことに3日経ちました。
様のところに引き取られるまで、椿ちゃんは全ての仕事を免除されることになり、心
身ともにしばしの平穏を取り戻せる―――と思っていたのですが。
「椿ちゃん。お茶でもどう?」
「・・・・・・」
カップから匂い立つメープルティの仄かな香りも、彼女には全く届かず。
「・・・降りてきて、少し横になったら?」
「・・・・・・」
「・・・・・椿ちゃん」
少女は何も話さなくなってしまったのです。
ただ窓辺に寄りかかり、通りを眺めているだけ。
ときたま黒髪に黒いローブの男性が通りかかると少し目線を移し、それでもまた濁った瞳で虚
空を見つめ。
食事の量も減ってしまい、体は弱る一方で。
「椿ちゃん。ご飯だけでも食べないと・・・病気になっちゃうから」
「・・・・・・」
「椿ちゃん」
「別にどうなってもいいよ」
口調は投げやりになるばかりで、何を言っても聞かないのです。
そして
「どうせ、もうすぐ死ぬんだし」
「椿ちゃんっ!!!」
命すら軽く見ようとするその態度に少し強い口調で咎めても、彼女は虚ろな目で私を見つめる
だけです。
「さん。・・・・・ごめんね。・・・・・少し、一人にしてくれないかな?」
それだけ言うと、また窓辺で体を丸めてしまうのです。
「・・・・・・」
私は何も言うことができません。
椿ちゃんの世話係として、いつでも彼女を最高の“商品”として仕立て上げる。
それが私の役目です。
そんな、一種穢れた役柄の私には、何も言えない。
いえ。言う権利など、ないのです。
光のない瞳で遠く離れた恋人を探す椿を見ていると、・・・・・・・どうしても“あの子”を思
い出してしまうのです。
椿は、とても寂しそうに笑います。
椿は、あらゆるものを肯定して生きています。
椿は、生と死をよく理解しています。
そして椿は、・・・・淡く恋しています。
水面のように光る長い銀髪。
雪のように白い肌。
深海に似た深い青の瞳。
椿を見ていると、どうしても“あの子”を思い出してしまうのです。
少し、昔話をしましょうか?
椿について―――について語るには、少し昔までさかのぼらねばなりません。
椿について語るには、ある3人の人物のことを話さねばなりません。
この3人の運命が複雑に絡み合って、椿が、が生まれたからです。
かつてこの百花楼に、2人の娼婦がいました。
まるで姉妹のように仲が良く、ランクも高い2人の娼婦がいました。
2人の通り名は、「楓(かえで)」と「椛(もみじ)」。
最高ランクの楓(かえで)とその下に位置する椛(もみじ)。
2人は似たような形の造花を胸に、この鳥籠で日々を過ごしていました。
あぁ。自己紹介がまだでしたね。
申し遅れました。
私の名は。
今はここ、遊郭『百花楼』最高ランクの少女“椿”の世話係をしておりますが、かつては
“楓(かえで)”の名で百花楼の栄華を極めた、元娼婦でございます。
〜16年前〜
空は曇天、絶え間なく雨が降っている。
街を歩く人の姿もそれなりに、だがある遊郭はいつものように繁盛していた。
ほら。
耳を澄ませば、今日も男たちの渇望する声が聞こえてくる。
「楓(かえで)!!頼むよ!今夜だけ・・・一晩だけでいいんだ!俺の相手をしてくれ!!」
「楓がお前の相手なんかするもんか!!なぁ、楓?今日は私だろ?!」
ひっきりなしにかけられる言葉の数々。
それらはほぼ全て、一人の遊女に向けられたもの。
降りしきる雨の音をも掻き消すほどの男たちの飢えた声が店内に響き渡る。
「楓!何か言ってくれよ!!」
ジャリンっとガリオン金貨の触れ合う音が響き、その音に微かにカウンター奥の気配が変わ
る。
カウンターの奥に潜む一人の遊女。
遊女とはいうものの、外見はどう見ても15、6の少女。
ただその纏った空気が、彼女を小娘とは思わせないのだろう。
それまでただ黙って男たちの叫びを聞いていただけの少女は、少しだけ顔を動かし、細めた
目で彼らを見下ろす。
その瞳に見つめられ、男たちは期待の目を彼女に向ける。
少女は口端だけを上げて優雅に微笑む。
桜色の唇がカナリアのような声を発しながら、だが気だるげに言葉を紡ぐ。
まるで汚物に話しかけるような、全く温度の感じられない冷たい声色で。
「下郎。気安く私に声をかけないで」
ただ一言。
「楓ちゃん。またお客さん全部断っちゃったの?」
先ほどの喧騒が嘘であったかのように、百花楼内に静寂が流れる。
聞こえてくるのはしとしとと降る雨音と、どこかの部屋から微かに響く少女の甘い嬌声。
そんな日常的な音には微塵も関心をくれず、楓は話しかけてきた少女の方に向き直る。
「椛(もみじ)。聞いてたの?」
「聞こえない方がおかしいよぉ。店先であれだけの人数が騒げば」
クスクスと柔らかく笑い、“椛”と呼ばれた少女は長い銀髪を揺らしながら楓の横に腰掛ける。
「マスター、かんかんだったよぉ。『これじゃぁ、商売にならねぇ!どこまで我侭を言やぁ気
が済むんだ!?』だって」
青眼よりも少しだけ深い青の瞳を細め、椛は楽しそうにマスターのガラガラ声を真似てみる。
「言わせておけばいいわ。どのみちこの店は私の稼ぎで成り立っているんだから」
吐き捨てるように言うと、楓は口端だけを上げ、鋭利な刃物のような目つきで微笑む。
「マスターも、何度言ったらわかるのかしらね。私は平凡な客なんて受け付けないわよ」
「楓ちゃんらしーい」
楓の放つ、マスターさえも怯ませる鋭い眼光も、椛にだけは全く利かない。
椛の周りに流れる穏やかな空気が全てを受け流してしまう。
「静」と「動」。
2人はそんな関係だった。
『私に触れる男は金を持っているだけではダメ。顔が良いだけでもダメ』
それが楓の口癖。
百花楼創設以来、空前絶後の栄華を極めた楓は、時が経つごとに気高く、美しく、貪欲に、自
意識過剰になっていった。
『富も、名声も、知性も、権威も、・・・何もかも手にした男こそが私に触れる権利を持てるの』
極上の絹のシーツに裸身を包み、楓は甘い声で囁く。
最早彼女の栄華を止められるものはいない。
彼女に次ぐ椛ですら、最近では客足が少しずつ遠のいてきている。
百花楼は彼女の時代に入った。
誰もがそう思っていた。
そんなときだった。
百花楼に、ある一人の男がやってきたのは。
この“おとぎ話”を奏でる3つの歯車の最後のひとつ。
その日もホグズミードは雨が降っていた。
「今日も雨」
降りしきる雨に、銀髪の少女はポツリとつぶやく。
「昨日も雨」
窓辺に寄りかかり、細くしなやかな指でガリオン金貨をもてあそぶ。
「一昨日も」
「やめてよ、椛。余計に気分が沈んじゃう」
楓はティーポットでお茶を淹れながら不平を漏らした。
コポコポと音をたてながら2つのカップに糖蜜色の液体が注ぎ込まれる。
「やた!メープルティーだ。楓ちゃんの淹れてくれるやつ、大好きぃ」
持っていたガリオン金貨をピンッと弾き、椛は幼子のように笑みを浮かべる。
「誰もただとは言ってないわよ」
「・・・・・いくら?」
意地の悪い笑みを浮かべながら、楓は椛の手中にある金貨にチラリと視線を送った。
「1ガリオン」
「高っ!」
子供のように口を尖らせる椛の目の前にカップを浮遊させ、楓は自分のカップに口を付ける。
「飲みたいんでしょ?」
「・・・・・楓ちゃんの意地悪」
「はい、1ガリオン」
「・・・・・楓ちゃんの守銭奴」
ほらほらと差し伸べる楓の手を軽く睨みつけていた椛だったが、何かを思いついたのか、不意に
ニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
サイドテーブルにのっていたティースプーンを指でつまみ、楓に標準を合わせる。
それでピンと来た楓が止める前に、椛は可愛らしい声で呪文を唱えていた。
「アクシオォー、楓ちゃんのメープルティー」
「こらーっ!!」
ふよふよと不安定に揺れながら、椛の手の中にカップが収まった。
まだ湯気の立つそれに、楽しそうに笑いながら口を付ける。
「おいしぃー」
「・・・・・ずるくない?」
「ずるくなぁい」
「・・・・・せめて杖使いなさいよね」
スプーンって・・・と脱力する楓を他所に、椛は楽しそうにお茶を飲む。
(なんであんなもので魔法が使えるのかしらね?)
不思議でならない。
椛は普通のひと―魔法使いと違って、杖でなくても魔法を発動させることができる。
自分に合ったものだとか、そういったものがない。
スプーンだろうとフォークだろうと羽ペンだろうと、椛にかかれば何でも魔法の杖になってしま
う。
しかも魔力も高い。
椛は一般人に畏怖される存在だった。
(だからこんなところに売られるんだけどね)
呆れとも取れる溜め息を吐いて、楓が自分のカップを片付けようとしたときだった。
「楓!椛!お客様だ、早く来い!!」
魔法で拡張されたマスターの声が部屋に響き渡った。
2人は顔を見合わせ、うんざりという表情を浮かべた。
2人同時に溜め息を吐き
「「・・・・・行きますか?」」
声までそろってしまった。
その波長の良さに、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。
はたから見れば姉妹のように仲が良く。
不幸なことでも起こらぬ限り、これからもこの穏やかな雰囲気は続いていくのだろう。
誰もがそう思っていた。
だが、嵐は突然やってきた。
2人が心から穏やかに笑い合ったのは、このときが最後となった。
3つ目の歯車は唐突にやってきた。
ホグズミードを湿らせる雨とともにやってきた。
「すまないな、マスター。突然の雨に遭ってしまってね」
マスターの好きな高級そうな身なりをした男は、穏やかそう告げると、ステッキとマントを従者
に手渡した。
シャンッと伸びた背筋に貴族のような身のこなし、高貴な身なりに教育された者の発する言葉の
数々。
その高貴な匂いをすぐに嗅ぎ分けたカウンターの男は、とても醜悪な笑顔を浮かべる。
「いやぁ、構いませんぜ旦那!この店を雨よけ代わりに選ばれるとは、本当にお目が高い!」
シルクハットを取ったことで、その男がまだ20代前半であることがわかった。
稼ぎ盛りのその男に、マスターの目は妖しく光る。
「少々東洋のことに興味があってね。遊郭にしては綺麗な体裁の店だったので」
「いやいやとんでもない!ありがたいこってす。・・・で、旦那。どの“花”にしやすか?」
“花”という珍しい“商品”の出し方に、男は興味を引かれたようにカウンターの傍による。
品定めをするかのように、マスターが提示したボードに視線を巡らせたときだった。
「マスター。お客様は?」
「椛。指名されるまで行っては駄目よ」
耳に心地良い少女の声と、それを叱る姉のような少女の声が不意に流れ込んできた。
その声と同時にカウンターの奥から、まだハタチにも満たないであろう2人の少女が顔を出して
きた。
その内の、揺れる銀髪を携えた少女が視界の内に入ってきた瞬間。
「・・・・・・・・」
男の思考が停止した。
「楓。椛。俺が指名するまで出てくんじゃねぇって言ってあるだろ?」
どすの利いたマスターの声も、他の娼婦の少女には利いても、水のように流れる椛と自分の地位
に浸かった楓には何の効果もきたさない。
マスターの言葉を聞き流した椛は、自分の方に向けられた視線に気付き、その方に向き直った。
高級そうな足元から、徐々に視線を上に上げていく。
(楓ちゃんの好みっぽいなぁ)
そんなことを思いながら視線を上げ、そして椛の深い青の瞳が男の視線とかち合った。
ガラス玉か何かが、パンッと弾ける音がした。
脆く儚く、そのときまで割れるのを待っていたかのように澄んだ音を立てて。
「どうぞ。こちらからお選びくだせぇ、×××××様」
マスターが男の名を呼ぶのを、椛は耳の奥で聞いた気がした。
どういうわけか、心臓がおかしいくらいドクドクと脈打っていた。
男の名前の部分だけ、砂嵐のようなものがかかって上手く聞き取れなかった。
(・・・・・もういっかい・・・・・もういっかい言って・・・・!!)
知りたい、あなたのこと。
知りたい、あなたの名前。
知りたい、あなたの全て。
立ったまま動かない椛に、楓は怪訝そうに声をかけた。
だが彼女からの反応は全くない。
ふと視線を男に投げると、男もまた呆然とした様子で立っていた。
その視線の先には、銀髪の少女がいた。
マスターがボードを掲げ、男の名を呼ぶ。
「どうかしやしたか?様」
3つ目の歯車はやってきた。
富も、名声も、知性も、権威も、・・・何もかも携えてやってきた。
歯車は、全て揃ってしまった。
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