ドリーム小説
涙はよく宝石に喩えられるが
君が流す涙はそんなものではとうてい測れない
ただ我輩が願うことは
君に涙を流してほしくないということだけ
■ 魔女の条件 〜The Love of the Maiden〜 <4> ■
あの事故から1週間が経過し、の怪我はすっかり完治していた。
「マダム、お世話になりました。本当にありがとうございました」
はにっこりと笑い、マダム・ポンフリーにお礼を言ってぺこりとお辞儀をした。
「どういたしまして。あなたもいろいろと大変だったわね」
マダムのを見下ろす目はとても暖かだった。この1週間で、2人はずいぶんと親しくなっていた。は、マダムを母のように感じ、マダムもまたのことを実の娘のように可愛がった。
の事故のことは誰が噂を広めたのか、瞬く間に学校中に知れ渡った。そして連日、生徒たちがお見舞いに押し寄せてきた。山のようなお見舞い品に保健室は埋め尽くされ、フレッドとジョージは来る度に騒ぎを起こすので、マダムによって3日目から面会謝絶になった。ただ、の希望でドラコ、ハリー、ロン、ハーマイオニーの面会だけは許可された。事故後、最初にお見舞いに来てくれたのは、やはりドラコだった。
「やっぱり君をひとりにするべきじゃなかった。僕の責任だ」
ドラコは形の良い眉を寄せて、自分のせいだと叱咤した。
「何言ってるの、ドラコのせいなんかじゃないよ。ピーブズに驚いて私が勝手に落ちたの」
「わかっている、心配するな。ピーブズのことは血みどろ男爵に任せてある」
一体何を任せたのか、ドラコはにやりと不敵に微笑んだ。憐れピーブズ。学園のアイドルにちょっかいを出したばかりに。血みどろ男爵ものことを気にいっているので、これでしばらくはピーブズがの前に姿を現すことはないだろう。
「ドラコ、本当に気にしないでね。ほら。そんな怖い顔しないで、いつもみたいに堂々としててよ」
全てを許すように笑うに、ドラコはようやく怒り肩を解いた。まだ眉間に皴が寄ってはいたが。
「これからが寮に戻ってくるまで毎日会いに来るからな」
「了解。楽しみにしてるね」
悪戯っ子のように、へへっと笑うの口元から白い犬歯が垣間見えた。そんな顔もまた可愛らしかった。ドラコは不意に真剣な顔でを見下ろした。
「」
「ん?」
呼ばれては顔を上げた。の顔に、影が落ちた。ドラコはの頬に掠める程度のキスをした。頬にあたる柔らかな感触は確かにドラコの唇のもので、感じたことのないそれには反応が遅れた。
「え・・・ド、ドラコ!?」
突然の行為にの頬は真っ赤に染まった。そんなを楽しそうに見てドラコは不敵な笑みを浮かべ保健室を去っていった。はただ呆然と彼を見送った。
グリフィンドールの3人もまた毎日来てくれた。ハリーとロンはホグズミードのお菓子をいっぱい持ってきてくれた。ハーマイオニーはが休んだ授業のノートのコピーを毎日持ってきてくれた。
「には必要ないかもしれないけどね」
「そんなことない。だってハーマイオニーのノート、すっごくわかりやすいんだもん」
は羊皮紙のコピーを胸に抱き、満面の笑みでハーマイオニーに礼を告げた。呪文学や闇の魔術に対する防衛術のノートはどうしても欲しかったのだ。魔法史や魔法薬学はともかく、実践的な術を使う授業に関してははまだまだ勉強不足。休んだ分を早く取り戻さなければならない。は3人に感謝した。
その一方で、が一番お礼を言いたい人はあの日以来一度も現れなかった。
スネイプの梟だけが飛んできて、
『療養中の手伝いはいい。早く治すように』
とのメッセージだけが届いた。
「(早く・・・会いたいな)」
日が経つにつれ、いつの間にかそんなふうに思うようになっていた。誰かを想ってため息をつく。待てども待てども待ち人は来ない。胸の奥がじくじくと痛むような、そんな感じだった。そんな想いを抱えながら、1週間が過ぎた。マダムのおかげでの怪我は傷が残ることもなく完全に消えた。
回復後、久しぶりに出席した最初の授業は魔法薬学だった。
ずっとスネイプの助手として彼の横に立っていたが、スネイプはがまだ本調子ではないと判断し、今回は久々に生徒として授業を受けた。何とか暇を見つけてスネイプに話しかけようとするが、彼はグリフィンドールから減点することに気を注いでいて無理であった。また、ネビルが失敗したため余計にそんな時間もなかった。そうこうしているうちに授業は終了し、宿題にレポートが出された。
「グリフィンドールはミスター・ポッター、スリザリンはミス・が集めて持ってくるように」
そう言うと、スネイプはローブを翻し教室を出ていった。出されたレポートの量とその難易度に、その場の全員(とハーマイオニーを除く)は顔をしかめていた。
夕食後、は両手いっぱいの羊皮紙を抱えて地下牢へと続く廊下を歩いていた。
「重くはないけど・・・結構かさばるなぁ」
レポートを落とさないように、慎重に前に進んでいると途中でハリーと出くわした。何だか精神的に疲れているようだった。
「あら、ハリー。どうかしたの?」
大量の羊皮紙の隙間からハリーの顔を覗くと、ハリーの顔はひどく引きつっていた。
「やぁ、。はぁぁ・・・・疲れた」
「疲れた?」
「何でか知らないけど、スネイプの奴すっごい機嫌悪かった」
部屋に入ってから出るまでのほんの数秒間で、ねちねちねちねちといろいろな嫌みを言われたらしい。その様子が容易に想像でき、は苦笑いした。
「お疲れ、ハリー。気をつけてね」
背中に声をかけると、ハリーは片手だけあげてふらふらしながら寮に戻っていった。
辿り着いた研究室の前。久しぶりのスネイプの部屋に、は緊張した面持ちでドアをノックした。
「スネイプ先生、・です。レポートを持ってきました」
「開いている。入りたまえ」
「失礼します」
部屋に入ると正面奥の机にスネイプは座っていた。部屋に入ってきた大量の羊皮紙人間に、スネイプの口元は微かに緩んだが、それはからは見えなかった。
「ご苦労。前は見えているかね?」
「はい、・・・僅かながらに」
スネイプは腰を上げると、ふらつくの手から羊皮紙の束を下ろしてやった。スネイプは機嫌が悪いと聞いていたから、もそれなりに気を引き締めていたが、いつも通りの優しいスネイプの様子にほっとした。
「すみません。ありがとうございます」
1週間ぶりの研究室は何だか懐かしい感じがした。ホルマリンたちの位置も変わっていない。仄かに香る薬草の香りも、座り心地のいいソファーも。ソファーも・・・、
『怪我がないのなら、そろそろどいてくれないかね』
ぼんっ
何を思い出したのか、の頬がほんのりと赤く染まった。はふるふると小さく頭を振り、邪念を追い払った。そして、スネイプに伝えたかったことを思い出した。
「スネイプ先生」「」
2人は同時に声を発し、言葉が重なってしまった。「あ」と、両者ともに口をつぐみ、妙な空気が流れた。先に沈黙を破ったのはスネイプの方だった。
「怪我の方はもう大丈夫かね。日常生活に支障は?」
スネイプは淡々とした口調で問いかけた。は、予想外の気遣わしげな言葉に驚き、そしてゆっくりと微笑んだ。
「はい。もう完全に治りました」
の笑顔からは、もうあの事故のとき見せた寂しそうな雰囲気は感じられなかった。スネイプの口元が若干緩んだような気がしたが、は見間違いかと思った。
「先生。この間は本当にありがとうございました。先生が来てくださったおかげで傷も残らずに治りましたし、それに・・・・それにとても嬉しかったです」
は前で手を組み、恭しく頭を下げて礼を告げた。彼女の動きにあわせて綺麗な銀色の髪がさらりと揺れ動いた。
「そんなに大袈裟に言うことではない。礼ならマダム・ポンフリーに言いなさい。ともかく無事でよかった」
スネイプはの蒼眼に見つめられ、なんだかくすぐったくてすぐに目をそらしてしまった。何だか心が落ち着かなかった。
「そういえば先生。痛み止めの薬、ありがとうございました。私が寝ている間にいらしたんですか?」
は首をかしげて問いかけた。は何気ないことを質問したつもりだったが、見上げるスネイプの顔はこころなしか血色がよくなっていた。彼女の言葉で、保健室での自分の行動を思い出してしまったせいだろう。
あぁ、・・・思い出してしまった。
唇を重ねたときの柔らかな感触。
微かに薫る桃の香。
何より、衝動的にそんなことをしてしまった自分の失態に羞恥の念を感じた。
はハリーが言っていたことを思い出した。確かに、今日のスネイプはなんだかいつもと違う。本当に機嫌が悪いのかもしれない。
「(もう少し話したいこともあったんだけどな)」
先生というのは忙しいものなのだろう。は用も済んだことだし、早く退散することにした。
「先生、私そろそろ失礼させていただきますね」
最後にもう一度にこりと微笑み、は一礼してスネイプに背を向けた。そのまま足を前に進めたはずが、の身体は前には進まなかった。は振り返った。自分の手首をつかみ、その場に引き留めるような行動をとるスネイプに驚きの顔を向けた。薬品で少し荒れた、でも繊細な長い指がの手首を優しく掴んでいた。大人の男性の手のひらの大きさに、の耳は赤く染まった。
「スネイプ先生・・・?」
「は?・・・っ!いや、・・・すまん」
に声をかけられ、自分が何をしているか気付いたらしい。スネイプは慌てて自分の手を引いた。スネイプの顔がますます血色よくなっていった。
「(何をしているんだ、我輩は・・・)」
自問する。だが答えは出なかった。また衝動的な行動をとってしまった。自分はどうかしてしまったのかと不安になる。
が行ってしまう。
そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。掴んだ手首は、想像以上に細く華奢だった。
「あの・・・。まだ何か御用が?あ、明日の授業の準備ですか?」
引き留められてしまったは帰るに帰れず、その場に立ちつくしていた。
「いや、準備は結構。・・・あぁ、実は少々君に訊きたいことがあってな」
スネイプは場を取り繕うようにわざとらしく咳払いした。そしてをソファーにかけさせると、自分はデスクに向かい、引き出しを開けて中から書類を取り出してきた。スネイプは彼女の向かいに座って、長い足を組んだ。そして、に見えるように書類を掲げてみせた。
「これに見覚えはあるかね」
「はい。私の入学手続き書と・・・、試験結果ですか?」
「そうだ。校長からお借りした。このことで、少し聞きたいことがある」
「はい。これが何か?」
も一度見せてもらったものだ。訳が分からずきょとんとしている。スネイプは神妙な顔をすると、別の1枚の書類を引っ張り出し、に見せた。そこにはの個人的な情報が書かれていた。
・
履歴・学歴 特記事項なし、魔法省管理下最高機密として取り扱うことと処す
真っ白な履歴の中に、一行だけ。見逃せない一文が綴られていた。
「君は本当に、その年になるまで就学したことがないのかね」
「はい。本当にありません」
「幼稚舎や初等部の経験も?」
「はい。まったく」
の答えはきっぱりとしていた。隠している様子も感じられなかった。スネイプは顎に手を添え、思案気な顔をした。が全く教育を受けていないとすれば、彼女の家での指導がよほど良かったということだろう。そちらに感心させられた。
「その年まで、ずっと家に?それとも魔法省管理の下、何か訓練を、」
「スネイプ先生」
スネイプの言葉を切るような形で、が割って入ってきた。彼女の声かと耳を疑うくらい鋭い声だった。スネイプも思わずハッとさせられる声に、そこで口をつぐんだ。そして冷静に考え、それは個人的なことでスネイプが立ち入っていいことではないと察した。
「すまない。浅慮であった」
「いえ。気にしていません」
は構わないと微笑む。だが、その笑みには明らかに哀しみが混じっていた。
「ちょっと体が弱くて病気がちだったもので、集団生活できるまで自宅での療養を言い渡されていたんです」
「なるほど」
「そういうことにしておいてください」
それはスネイプを黙らせるには、十分すぎる台詞と微笑だった。スネイプは微笑むの瞳を真正面から見据えた。も視線をそらさず、やんわりと受け止めた。その青い瞳がスネイプに言っていた。
『それだけではない』と。
『ただ、今はまだ訊かないでほしい』と。
スネイプは、彼女の気持ちを優先しようと決めた。ゆっくりと目を閉じ、彼女の心の声を受け止めたと示した。
「わかった、深くは追求しない。個人的なことを聞いてしまいすまなかったな」
スネイプの言葉に、はようやく肩の力を抜いて安堵の表情を浮かべた。
「話は以上だ。もう戻ってよい」
「はい。失礼します」
今度こそ部屋を去ろうと、はソファーから立ち上がり、扉の前まで歩いた。ドアノブに手をかけたところで、の動きは止まった。
どうしてだろう。
未練があった。
スネイプは自分の秘密を知る目前まで来てくれたのに。
そのまま去るのはひどく惜しいような気がした。
はスネイプを振り返った。ソファーに腰掛ける彼と目を合わせた。どうしてそんな気持ちになったのかわからない。ただ、無性に愛しかった。彼の気をもっとひいていたかった。
「?」
名前を呼んでくれる。そんな些細なことですら、嬉しかった。
「ごめんなさい。何もお答えできず」
「いや。構わん。話しにくいことを訊いたこちらにも非がある」
威厳を失わないスネイプの姿に、ひどく惹かれた。はずっとずっとここにいたいとすら思った。
彼の傍にいたいと。
ただ、それは叶わぬ夢・・・叶えてはいけない夢だと自分に言い聞かせ、は無理矢理笑顔を作った。
「先生。私は、ひどく面倒な人間です。きっとこれからたくさんご迷惑をおかけしてしまう。だから、」
は笑いたくもないのに無理矢理笑ってみせた。スネイプを見つめる青い瞳は、確かに揺らいでいた。
「あまり、・・・私に関わらない方がいいですよ」
そう言い残し、は静かに部屋を出ていった。スネイプは閉められた扉を見つめた。去っていった少女の幻影を、扉の前に追い求めた。少女が残していった謎の言葉を頭の中で反芻した。だが、その意図は一向に見えることはなかった。
スネイプはソファーから立ち上がると、奥の机にの引き出しから小箱を取り出した。蓋を開ければ、中には金剛石が一粒入っていた。それは、自然界から採れたものではなく、まごうことなく彼女・の体から生まれた原石だった。このことはまだ彼女には伝えていない。の言葉の節々から滲み出ていた、彼女の抱える何かとてつもなく大きな不安。はそれを恐れている。今このことを告げたら、彼女が内に秘めたものに触れ、きっとまた悲しい顔をさせてしまうから。スネイプはもう、のそんな顔は見たくなかった。
研究室を後にしたは、誰もいない回廊の壁に背を預け、胸に手を当てて気を静めていた。心臓が破裂するのではないかというくらい鼓動が早く脈打っていた。
「(まさか、・・・過去を聞かれるなんて)」
には過去の履歴がない。だが、それはが望んだことではなかった。できることなら思い出したくはない。それは自分が無教育という不名誉を着せられるのが怖いからではない。自分の心の奥底に潜む、深い孤独に触れたくないからだ。自分の中に棲む、巨大な闇を再び呼び起こしたくないからだ。
一度溢れれば、抑えることはできなくなる常闇。
誰も巻き込みたくなどない。
誰も。
彼も。
「(先生を巻き込むわけにはいかない。そんなことできない)」
それなのに。どうして。本当はもっと知って欲しいと、の心が騒ぐ。落ち着かない。絡み合った視線が熱かった。大きな手に掴まれ、体が熱くなった。
この気持ちは何?
スネイプの手の中で、希少な金剛石がちかちかと光り輝いていた。これ一つで巨万の富を築けるほどの価値がある。彼女が金剛石が生み出す身体であるなどと、そんなことが周囲に知れ渡れば、おそらくは彼女が願う平穏な生活は一瞬で消え去ることだろう。絶対に死守しなければという強い使命感が、スネイプの中で小さく火を灯した。
それはこの世に存在する石の中で最も美しいと言われる貴石。だが、
『まさか、本当に先生が来てくれるなんて思わなかったから』
目を閉じれば、スネイプの脳裏には瞳に涙を浮かべる彼女の姿が鮮明に映し出された。どんなにその石の価値が高かろうと、スネイプは結晶化する前の彼女の涙の方がずっと美しいものに見えて仕方がなかった。そんなこと、絶対に誰にも言えはしないが。
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