ドリーム小説
忘れたくない想い出がある
一度きりの想い出がある
無くしたくなどないから
奪われる前に光る石に込めた
■ 魔女の条件 〜The Love of the Maiden〜 <28> ■
閉ざされかけていた闇の先に一筋の光が射したかのようだった。
スネイプは北塔から戻ったその晩、一睡もせずに詩の解読に勤しんだ。オリヴィアがその身をもって守り続けた詩が、ずっとスネイプの頭の中を木霊していた。時折ひどい頭痛や吐き気が襲い作業を中断しようかと迷ったが、だが時間は止まってはくれない。こうしている間にも、の体はどんどん死の呪いに蝕まれていく。スネイプは手を止めることはなかった。時間は進み、太陽が顔を出していることにも気付かないくらい没頭した。暗号の解読は得意ではないが、スネイプは思考を止めることをせず羽ペンを動かし続けた。
今が一体何時なのかすらわからず、教室移動で研究室の前を通る生徒たちの賑わう声を聞いてようやく1時間目が始まっていることに気付いた。スネイプはハッと我に返る。そして今日の1時間目に授業がないことを思いだし、ふぅと大きなため息をついた。ずっと机に塞ぎこんでいたために眉間にいつも以上に皺が寄っている。スネイプは眉間に指を押し当てて皺を伸ばした。
(疲れた、・・・などと言ってはいられんな)
スネイプは机の引き出しを開け、以前煎じた点眼薬がないかがさがさと探した。必要なときに物が出てこないことに苛々する。半ば乱暴に引き出しの中を掻き回し奥の方へ手を突っ込んだときだ。指先にこつりと箱があたり、スネイプは手の動きを止めてゆっくりとそれを引っ張り出した。現れた箱を手にとり、スネイプはふと気を緩ませる。
(・・・懐かしいものだ。あれから、もう何ヶ月も経つのか)
スネイプはそっと箱の蓋を押し上げた。中から光る小さな石を取り出し、手のひらに載せた。それはの涙が結晶化した金剛石だ。光のない暗い部屋でも淡い輝きを放っている。
「・・・」
どうしてだろう。こんな頼りない小さな石なのに、いつかきっとこれが必要になるとスネイプは感じた。手のひらに乗せた石を強く握りしめ、スネイプはきつく両眼を閉じた。まるで何かに祈るように。
それからもしばらく詩の解読を続け、ほとんど一睡もしていない状態で2時間目からの授業に出た。ふらふらした足取りなのに纏うオーラはいつも以上に鬼気迫っており、その姿を見た生徒たちは皆体を萎縮させた。その日の授業をすべて終えるや、スネイプは覚束ない足取りで研究室へ戻り、腰掛けたソファーでそのまま眠りについた。眠る間際に、テーブルの上に置いておいた箱から光る石を取り出し、左手の中にきつく握りしめた。それはまるで崩れそうなスネイプの心を繋ぐ安定剤のようだった。
「・・・・・、」
離さぬようにきつく握りしめ、スネイプは眠りに落ちた。夢の中でまた愛しい少女に会えることを願いながら。
*
シーツ類の洗濯を終えて保健室に戻ってきたマダム・ポンフリーは、いつになく静かな部屋に違和感を覚えた。窓から夕陽が差し込み、微風がカーテンを揺らしている。いつもならこの時間、少女はスネイプの訪問を絵本を胸に抱いて心待ちにしているというのに。
「ミス・、・・・あら。寝ているの?」
マダム・ポンフリーが少しだけカーテンをずらすと、ベッドの上には穏やかな寝息を立てる少女の姿があった。胸に絵本を抱いたまま眠ってしまっている。白いシーツは数時間前に取り替えたときと同じ状態で、が暴れたり血を吐いた様子もない。それを見てマダムは安堵し、大丈夫だろうとカーテンを閉めた。
は安らかな寝息を立てて少しだけ寝返りをうつ。緩く握られた左拳の隙間から、細身のシルバーリングが輝いていた。
彼女の欠片を手にして眠りについたからだろうか。望んでいたとおりに、夢の中で彼女に会うことができた。スネイプを嬉しくさせたのは、それが衰弱したではなく、今のようになる前の元気なだということ。
「!」
背を向ける彼女に思わず声をかけると、はひらりと舞うように振り返り、そしていつものように柔らかに微笑んだ。
『スネイプ先生』
聞き慣れた声にスネイプの心が緩む。だがそれ以上にスネイプは何か違和感を覚えた。
「・・・、体の具合はどうかね。今日は、・・・あぁそうだ。今日はまだ一度も君のところへ行っていないな」
解読に必死になり、スネイプは今日保健室を訪れていないことに気付く。心を幼くしたは泣いているかもしれない。そう思うとスネイプの顔は自然と悲しげなものに変わった。そんなスネイプを見て、―――はくすりと笑った。
『私は大丈夫です。それよりも、先生。なんて顔されているんですか。なんだか泣きそうですよ』
「なに・・・?」
流暢に言葉を紡ぐに、スネイプは先程感じた違和感の正体に気付く。今スネイプの目の前にいるは、現在保健室で治癒を受けている、幼い心のではないのだ。相手を気遣う優しい言葉遣いや、少し哀しげな笑い方。それはスネイプがよく知る、呪いをかけられる前のだった。
「そうか・・・。これは、夢なのだな・・・」
スネイプは独り言のように零す。現実ではないことに、深い失望を抱いた。だが、
『そうです、これは夢。私とスネイプ先生の夢が繋がっているのです。現実ではないけれど、でも夢の中では私は先生のことをちゃんと覚えていられるんです』
は一歩一歩、スネイプの方に近づいてくる。呆然としていたスネイプは、だが何かを思い立ちハッと表情を強張らせた。
「・・・現実のはどうしたのだ。まさか・・・!?」
スネイプの脳裏に最悪の瞬間が思い描かれる。だがは笑みを絶やさず、首を横に振った。
『心配しないでください。現実の私は今も保健室で寝ています』
はスネイプの前で足を止めると、彼の左手をとりそっと拳を広げた。そこには淡い光を放つ石が握られていた。
『これを、あなたがずっと持っていてくれたのですね。私は、ずっとあなたに守られていたのですね』
はスネイプを見上げ、嬉しそうに目を細める。そして石を指で摘むと、スネイプの眼前に掲げた。
「何をする気だね」
『先生。よく見ていてくださいね』
スネイプがじっと見つめる先で、は親指と人差し指の間に挟んだ石に少し力を入れてそれを砕いた。石はまるでガラスのようにぱんっと乾いた音を立てて砕け散り、細かな破片を空中に散りばめた。突然の出来事にスネイプは目を見張る。
「何を・・・!」
『驚かないで。大丈夫です。先生、・・・見えますか?』
空中に霧散する石の破片を集めるように、は両手を大きく広げた。そしてゆっくりと両手で空をかき、胸の前で両手を合わせた。花開くようにゆっくりと両手を開く。の手のひらの中から生まれた光の渦が、スネイプの視界を包んでいった。
が生み出した光の破片、その中に幻影を見た。次第に見えてきた。それは映像だった。それはどこかで見たことのあるものばかり。スネイプの記憶にあるものばかり。
ゆらゆらと揺れる幻影の渦の中。見えるのは、二人が初めて出逢った組み分け儀式だった。他の生徒よりも遅れてやってきた・という少女は一際注目を浴び、そして二人が目を合わせた瞬間、互いの心の中にあの声なき声が響き渡ったのだ。
ゆらりと幻影が揺れる。そこは魔法薬学の教室だった。がスネイプの難問にすらすらと答えている姿が映し出される。スネイプの驚く顔など珍しい。
ゆらりと幻影が揺れる。映し出されたのは、両膝を血で赤く染めたを抱きかかえるスネイプの姿だった。は保健室で治療を受けることになった。幻影を見つめるスネイプが気まずい顔をそらし、耳を赤く染める。薬をもってやってきたスネイプが眠るに静かに口付けた。今思い返してもスネイプにとっては触れられるのが気恥ずかしい記憶だった。
ゆらりと幻影が揺れる。傷が治り、研究室を訪れたはそこで初めて自分の過去について、その片鱗をスネイプに明かした。「先生。私は、ひどく面倒な人間です。きっとこれからたくさんご迷惑をおかけしてしまう。だから、あまり、・・・私に関わらない方がいいですよ」そう言ったときのの哀しげな顔が忘れられない。今なら分かる。あのときからは、スネイプを巻き込むまいと、スネイプを守ろうとしていたことを。
「これは・・・、」
『私の記憶です。私が忘れたくないと思っている記憶の結晶です』
大切な人がこのホグワーツにいると感じたときから、は自分にかけられた死の呪いが始まっていることに気付いた。美しい思い出は、いずれ呪いの闇に奪われてしまう。だからこの石に詰めて守ろうとした。の中で想い出ができあがるたびに、この石に記憶が流れ込むようにした。
『先生はどのぐらい覚えていますか?』
の手のひらで幻影が踊る。黒いローブのスネイプと純白のドレスを纏ったがワルツを踊る姿が見えた。幸せそうに笑うは、だがその笑顔の裏に大きな決意を秘めていたのだろう。大粒の涙を流す少女の姿が映る。
―――先生のことが、・・・・好きなんです
その愛の告白をスネイプが受けようと、拒もうと。どちらであろうと、その瞬間からが背負った死の呪いはゆっくりと動き出した。錆び付いた歯車が重たい音を立てて動き出したのだ。もスネイプも、深く悩んだ。それぞれ悩む事に違いはあれど、苦しみと哀しみの狭間で二人とも溺れる日々が続いた。
不意に幻影が真っ白なものに切り替わった。穢れない白は、雪の色。死を覚悟して吹雪の中に飛び出し行方知れずとなったを救い出したのは、他の誰でもない―――スネイプだった。
ゆらりと幻影が揺れる。今までとは違う、幸せそうに笑い合う二人の姿が映っていた。心を許し体を結んだ二人は何度も愛の言葉を囁き、愛を確かめあった。そして銀色に光り輝くリングのもと、永遠をともにする約束を交わしたのだ。
幻影を手のひらにかざし、はスネイプに向かって微笑んだ。
『思い出されました?』
そう言うと開いていた両手を閉じ、光る石の破片が作り出していた幻影を消した。幻影に魅せられ呆然としていたスネイプは、ゆっくりと目を閉じて唇をもたげて薄く笑った。
「思い出すもなにも、・・・我輩は忘れたことなどない」
大切な人との想い出は、いつだって胸の中にある。その言葉には満足気に微笑んだ。
はここにいる。彼女を抱きしめたい。もう一度、あのぬくもりを感じたい。そう思うだけでスネイプの体は勝手に動いた。そっと右手を伸ばし、の頬に触れた。が目を丸くして驚いたのは初めだけで、すぐに嬉しそうに目を閉じてスネイプの手のひらに頬を寄せた。
『先生、・・・』
「なんだね」
『ずっと、・・・ずっとそばにいてくださいね』
頬に触れるスネイプの手に自分の手を重ね、はスネイプの温度を噛みしめる。スネイプは答える代わりに彼女の頭に手を回し、自分の胸へとそっと引き寄せた。たたらを踏んでスネイプの胸に飛び込んできたを両手で強く抱きしめる。は幸せそうに笑い、目を閉じ、スネイプの胸に頬寄せた。
『よかった・・・。もう離れたくない』
「あぁ。一生、離しはしない」
強く強く、が遠くへ行かないように抱きしめる。だがスネイプはあることに気付く。
「しかし、これは現実ではない。夢、・・なのだったな」
幸せな雰囲気に忘れていたが、今いるここは現実の世界ではない。そう問えば、は何も気にした様子もなく微笑んでみせた。
『そうです、ここは夢の世界。でも、けして苦しむことのない、離れることもない、二人だけの永遠の世界です』
は両腕を伸ばし、スネイプの両の頬をそっと包み込んだ。
『先生。ずっとここにいましょう。ここにいれば、私は死の呪いに怯えることもなくあなたを愛し続けられる。ここにいれば、永遠に二人一緒にいられます』
そう懇願するの表情は、次第に離れることへの不安から哀しげなものに変わっていった。眉を潜ませ泣きそうな顔でスネイプの頬を包むは、必死にスネイプに訴える。スネイプはじっとの蒼い瞳を見つめた。のこんな怯えた顔を見るのは初めてだった。ふとスネイプはエリックが話してくれたの過去を思い起こした。生まれながらに呪いをかけられ、幼くしてその運命を受け入れ今まで生きてきた。一体どれほどの恐怖と戦ってきたのだろう。そう思えば、こんな小さな願いぐらい・・・
を抱きしめるスネイプの腕に力がこもる。
「君が望むなら、そうしよう。あのときの約束を守ろう。ずっと、・・・君のそばにいる」
『・・・先生』
「だから君も約束を、」
『嬉しい』
はスネイプの言葉を切り、彼の首に抱きついた。いきなりのことにスネイプは数歩後ろにたたらを踏む。飛びついてきたの背中に手を回し支える。離れようとしないを支えながら、―――どうしてだろう。スネイプは何か違和感を感じていた。
『スネイプ先生』
はスネイプの首から腕を放し、彼を見上げると静かに目を閉じた。愛の証を望むの頬に手を添え、スネイプはゆっくりと顔を近づけた。
「・・・」
愛しげに名を呼び、彼女の唇に口付けを、・・・・・
だが、二人の口付けはいつまで待とうと交わされることはなく、不安を覚えたはゆっくりと目を開けた。どうしたのかと訊ねようとして、はスネイプの表情に体を強張らせた。自分を見下ろすスネイプの顔は、猜疑心に満ちていた。それは他の誰でもない、自分に向けられたもの。
『・・・スネイプ、先生・・?』
怯えた声で彼の名を呼ぶと、スネイプはあろうことかから体を離した。は戸惑い眉を寄せる。そして信じられない言葉を聞いた。
「君は、一体何者だ」
『・・・・・・え・・・?』
スネイプの疑わしげな目はずっとを見ていた。は困ったように笑う。その笑い方に、スネイプはより一層眉間の皺を深くした。
『先生、何を言ってるんですか。私は、・・・・ですよ?』
「そうかね。ならば、後生大事に身に付けているはずなのだがね」
『え?きゃっ!』
小さな悲鳴があがる。スネイプはの制服のタイに指を引っかけて緩ませると、ブラウスの襟元を掴み強引に引っ張って第一ボタンを外した。細い首が露わになる。そこには、が肌身離さずつけているシルバーリングの鎖がかけられていなかった。は怯えた顔でスネイプを見上げる。その顔は、たったそれだけのことで疑うのかと言っていた。スネイプは乱暴にを解放すると、冷たい視線を投げた。
「。約束を言ってみたまえ」
『ごほっ・・・。え・・?』
「約束だ。君と我輩が交わした、約束。いつ訪れるともわからない別離への怖れ。それを緩和するために、我々はあの日約束を交わしたな」
『・・・・・』
スネイプはまるで授業のときと同じように威圧するように語る。一方では怯えというよりも、まるで計画をしくじった策士のように戸惑いを色濃く見せていた。
「君が我輩に望んだことは、『そばにいること』。そうだったな」
『・・・えぇ、・・・そうです』
「ならば問おう。我輩が君に望んだことを」
『・・・・・』
「覚えているのであろう。言ってみたまえ」
『・・・・それは、』
の言葉が止まる。戸惑いの顔のまま、それ以上何も言えなくなった。スネイプは厳しい顔つきのままを睨み続けた。はスネイプから目をそらせないまま、一歩逃げるように後退した。
「言えないのかね。わからないのか」
『・・・・・っ』
「よかろう。ならば別の質問にしよう。我輩が君に贈ったシルバーリング、そこに刻まれた日付を答えてみたまえ。日付は我々が付き合うきっかけとなった日―――君が吹雪の中に飛び出した日の翌日だ。覚えていよう」
スネイプはを追いつめるように早口にまくし立てる。それまで何も答えられず焦りと不安の顔を浮かべていたは、だがその質問には緊張の中に安堵の色を見せた。
『忘れるわけがないじゃありませんか・・・、私たちが付き合い始めた日。刻まれているのは、・・・February ××th』
は額に汗しながらもそれだけは自信満々に答えて見せた。これでスネイプの猜疑を払うことができる。そう期待していたは、スネイプが浮かべる不敵な笑みにその期待を打ち破られた。
『・・・先生・・?』
「感謝する。これで確信が持てた」
『・・・え・・・?』
「君が、私が知る・ではないという確信だ」
『な・・・何故?間違ってなどいません、先生が私を救ってくださった日・・・私たちが恋人同士になれた日は、』
「あぁ、そうだ。日付は間違ってなどいない。君が犯した最大の失態は、・・・我輩が贈ったリングには、日付など刻まれていないということだ」
『・・・・・・・』
の顔一杯に、哀しみの色が浮き上がる。もはやスネイプに何を言っても信じてもらえないと感じた。苦しいくらい眉を寄せ、唇を噛みしめる。蒼い瞳にじわじわと涙が滲んできても、だがスネイプはもう表情を変えることはなかった。
「君はではない。ならば、本当のはどこにいる」
スネイプは目を細めて少女を睨む。その目は、少女の存在を否定する者の目だった。少女の両眼からぽたぽたと涙が零れ落ちた。少女は覚束ない足取りでスネイプに近づき、ローブの胸元を掴んで必死に懇願した。
『・・・・私は、・・です。先生、信じてください・・・』
スネイプの胸に額を押し当て泣き続けた。それでも、もうスネイプが優しく抱きしめてくれることはなかった。
「我輩が会いたいのは、君ではない。・・・・・は、どこにいる」
自分の胸にしがみついて泣く少女を、抱きしめるでも振り払うでもなく、スネイプは黙ってその場に足を踏み留めた。少女が泣く声を聞きながら、静かに目を閉じた。
“スネイプ先生”
その声は風が吹き抜ける音に似ていた。スネイプの耳を優しく掠めていったのは、目の前の少女と同じ声だった。だが、今自分の前にいる少女のものではないとスネイプは感じていた。優しく包み込む、あの覚えのある声は・・・。スネイプは目を開け辺りを見回す。だが、ただ広いだけの真っ白な空間には自分と泣き続ける少女しかいない。聞き間違いか、いやそんなはずはない。諦めかけたスネイプの耳に、小さな笑い声が聞こえた。
“目には見えないけれど、私はちゃんとあなたのそばにいます”
間違いなどではない。その声はスネイプの心の奥底にまで届いた。
「・・・!」
“さぁ、現実の世界へ帰ってきてください。そこにいてはだめ。その子に囚われてはだめです。それは、私の寂しい心が具現化したもの。孤独を何よりも恐れる、幼い頃の私の姿です”
スネイプは自分の胸で泣きじゃくるを見下ろした。そして不思議なことが起こった。泣きやむ気配のない少女が、少しずつ少しずつ若返っていくのだ。それは縮み薬を飲んで体が小さくなっていくのとはまた違う現象だった。14歳の姿をしていたはずのが、今では4、5歳ほどの小さな女の子になっていた。ぶかぶかの制服に包まれ、それでも泣きやむことはない。真実のが現れたことで偽物の皮を剥ぎ取られた幼い少女は、鼻をすすりながら泣き続けた。
“先生。帰ってきてください”
が呼んでいる。目には見えないが、それが本当のだとわかった。だが、それでもスネイプは苦渋に満ちた顔をする。
「帰れるものならば、すぐにでも帰りたい。だが、・・・そこに帰っても、情けないが我輩はまだあの詩の謎が解けてはいない」
スネイプは悔しげに両眼をきつく閉じた。体の横に置いた手を強く握りしめる。自分の不甲斐なさが腹立たしかった。そんなスネイプの苦しみとは裏腹に、見えないは明るく笑う。
“謎はもう解けていますよ、先生”
の言葉にスネイプは両眼を開けて驚く。自分は謎を解いた覚えはない。だがは大丈夫だと言う。スネイプに、“握った手のひらを開いてみてください”とは言う。言われたとおりにスネイプはぎゅっと握りしめていた両手をゆっくりと開いた。右の手には何もない。だが、左の手のひらには先程偽物のが砕いたはずの金剛石が確かにあった。スネイプは目を見開く。
「これは、・・・・・」
“あの詩の中にあった、金色の実です。あなたがずっと守っていてくれた、もう一つの私です。それをあるべき場所に返してください。大地は、新しい命を生み出します”
「それで君が助かるのかね、・・・君の記憶が戻るのか?」
スネイプはいつになく取り乱した。願うは、再び彼女と幸せな日々を送ること。焦るスネイプの耳にの笑う声は聞こえてこない。返ってきたのは、淋しげな問いかけだった。
“記憶のない私は、もう愛してはくださいませんか?あなたにとって大切なのは、セブルス・スネイプの記憶を持つ・だけですか”
「・・・・・」
スネイプの胸がぎしりと軋む。ローブの上から心臓を緩く掴んだ。両肩から力が抜ける。スネイプは呆然とその場に立ちつくし、動けなくなった。自身に問う。自分は何を望んでいたのだろう。自分が言った、大切にするという言葉が嘘のような気さえした。現実世界での退化が始まったとき、そんな気がなくともスネイプは無意識に思っていたのだろう。
―――これは、この幼い心に蝕まれた少女は、・ではない
誰よりも彼女を信じるべき自分が、一番初めに彼女の存在を否定したのだ。そして必死に彼女を元に戻す方法を、―――退化したを消す方法を探し求めた。そんな自分の傲慢が、現実の世界のの退化を進めていたのかもしれない。
自分は、試されていたのだ。本当に、・という少女を心から愛している存在かどうか。
「・・・違う。我輩が大切なのは、」
答えを出そうと開いた唇に、不意に暖かい風が吹いた。指でそっと封じられた感覚にスネイプは開きかけた唇を閉ざす。
“待って。その先は私の前で言ってください。私はずっと待っています。だから、戻ってきてください”
スネイプは目に見えない彼女を見つめるように少し上を見上げた。あぁ思えば、自分はいつも彼女を待たせてばかりのような気がする。それでも、強い君はずっと待っていてくれたのだな。
「・・・すまなかったな。。今度こそ、そばにいよう」
目に見えないが、今度こそ嬉しそうに笑うのがわかった。
“私も。あなたに逢えたら、まずはじめに笑ってお迎えしますね”
スネイプは宙を見上げ、苦笑する。それきりの声は聞こえてこなかった。スネイプは決意を新たにきびすを返し。足下に跪き泣き続ける少女から、一歩二歩と離れていく。少女は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、スネイプの背中を見つめた。
『・・・い、・・・いっちゃうの?まってよぉ、・・・おいてかないでっ』
「・・・・・」
『もうやだよ・・・、ひとりでいるのはやだよぉ・・・っ!』
小さな少女は泣き叫ぶ。ぶかぶかの服に包まれ、溢れる涙を両手で擦り必死に助けを求めた。スネイプは足を止め、振り返り少女を見下ろす。そして少女の体が次第に半透明になっていくことにスネイプは目を丸くした。スネイプを夢の世界に引き留めるために作り出された幻影が消えようとしている。泣きじゃくっていた少女は透ける両手を目の前に広げ、静かに大粒の涙を流した。
『・・・きえたくない・・・・。なんで・・?だって、・・・ちゃんとだよ・・・。よわくても、・・・だよ』
少女の存在はついには消える寸前まで薄くなっていった。背を丸めて床にうずくまり震える小さな生き物。もう駄目だと少女は目を瞑った。だが、消えかけの体を優しく抱きかかえてくれる暖かい腕があった。
『・・・え・・・』
少女は瞳に涙をためたまま、自分が置かれた状況がわからず呆然とする。気付けばそこはスネイプの腕の中で、幼い子をあやすように両腕に抱きかかえられていた。はすぐ近くにあるスネイプの顔を見つめる。スネイプは相変わらずの仏頂面で幼いを見つめていた。
「泣き虫なのは昔から変わらんということか。ひどい顔だな」
涙でぐしゃぐしゃになったを見つめ、スネイプは困ったように笑う。幼いは呆然とスネイプを見つめていたが、不意に紅葉のように小さな手を伸ばし、彼の頬に手を押し当てた。スネイプは拒むことなく、好きなようにさせてやる。そして少女の頭を優しく撫でてやった。
今自分の腕の中にいるそれは、世界で一番弱い生き物。そして、世界で一番愛しい生き物だ
「大丈夫だ。お前のことも、一緒に連れて行ってやる」
スネイプは少女の小さな頭を胸の中に引き寄せた。柔らかな銀糸の髪に頬を寄せる。優しく優しく背中を撫でてやる。スネイプには見えない、彼の胸の中で少女は目を細め、赤ん坊のように嬉しそうに笑った。そして少女は淡い光に包まれ、そのまま霞のように消えていった。スネイプの腕の中に残るのは彼女が纏っていたぶかぶかの服と、―――確かにそこにあった暖かなぬくもり。
*
ゆっくりと瞼を押し上げる。目に映るのは、橙色のランプの光に包まれた薄暗い自室の天井だった。まだ頭は半覚醒だ。スネイプは目を数度瞬かせる。だが一向に焦点が合わず、目の前がぼやけたままだった。ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、スネイプは手の中に握ったままの石が熱を帯びているのを感じた。それはスネイプ自身の体温のせいではない。微弱ながらも、命の温度を感じた。
しかし何度瞬いても焦点ばかりが合わない。揺れる視界に、スネイプは気だるげに手をもたげ目をこすった。そして手の甲に触れる暖かな感触に、スネイプは自分が涙を流していることに気付いた。
―――あぁ、・・・そうか。これは、君の涙だ
ゆっくりと目を閉じる。目尻にたまった涙の雫が、痩せた頬をそっと滑り落ちていった。
耳を澄ませば、愛しい少女の声が聞こえる。
“おかえりなさい。スネイプ先生”
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