ドリーム小説
焼け付くような喉の痛みと止まらない咳に、ベッドに横になってもうとうとすることもできずにいた。そうこうするうちに朝食を終えた寮生たちが戻ってきてしまった。
を心配してパンジーやドラコが声をかけてくる。それに、は笑って「大丈夫」と答えた。ただの風邪だと嘘をつく。血を吐いた洗面台は、みんなに悟られないように全ての痕跡を拭き消した。
笑顔で嘘をつく。それが今のにできる、精一杯のことだった。
■ 魔女の条件 〜The Love of the Maiden〜 <22> ■
こんな日に限って1時間目が占い学の授業で、は重い足取りで北塔へ向かった。部屋の扉を開けた瞬間、蒸し暑い空気がの体にまとわりつき吐きそうになった。
授業の内容なんて全く頭に入らない。集中しようとすればするほど、迫り来るのは吐き気のみ。
「ごほっ・・・ぅぐ」
咳も止まらず、静粛な場を好む占い学教授のトレローニーはが音を立てる度にじろりと彼女を睨んだ。いつもと違う様子のに、隣に座るドラコは不安げな顔をする。
「ミス・。集中できていないようですわね。そんなことでは未来など到底視えはしませんわ」
「・・・はい。すみません」
もはや両目の下に隈を浮かべながら、はできる限り平静を装って返事をした。だが気分の悪さは悪化するばかりで、ついに集中力が欠け、は紅茶の入ったカップを落として割ってしまった。しかもどうやらそれがトレローニーのお気に入りのカップだったらしく、トレローニーは視線でを威圧した。
「ミス・は授業後お残りなさい」
「・・・はい」
らしくない失態に、クラスの皆が心配そうに彼女を見つめていた。
授業後、だけが部屋に残され、他の皆は次の授業に行ってしまった。
(・・・窓開けたい)
熱気のこもった部屋でトレローニーの説教は続き、はだんだんと教授の話に相づちも打てなくなっていった。
「よろしいですか、ミス・。わたくしは、わたくしのお気に入りのカップを割ったことを怒っているのではないのです。あなたの注意力散漫がこのような事故を引き起こしたことを、あなたに十二分に反省していただきたいと思いましてね」
延々と続く話に、の瞳から徐々に力が失われていくのがトレローニーにも伝わった。の目は茫洋としていて、反省していないような態度にトレローニーはこめかみに青筋を浮き立てる。
「わたくしの話を全然聞いていないようですね。本当にわかっているのですか、ミス・!?」
「・・・はい。わかっています」
生返事を返すのがやっとで、もうつらくても泣きたかった。教師の話はいつも真剣に聞くだったが、今ばかりはすぐに終わってほしいと願った。
の首ががくりと折れる。ぼやける視界で、膝の上に組んだ自分の拳を見つめていた。
部屋を満たす熱気が、ほんの少しだけその温度を下げた
の頬を、冷気がするりと撫でていく
『そうだな。もうわかっているはずだ』
それはまるで壊れたオルゴールのような声だった。きしきしと軋みを上げる声は、トレローニーのものではなかった。そのしわがれた声に、威圧するような口調に、は両目を見開いてゆっくりゆっくり顔を上げた。
(・・・・・・・・だれ)
服が見える。それはトレローニー教授のものだった。首からぶら下がる奇妙な形のネックレス、それもトレローニー教授のものだった。少し痩せた細い首、それもトレローニー教授のものだった。はゆっくり視線を上げていく。自分の目の前に座る人物と目を合わせた。
それは、トレローニー教授だった。
だが、トレローニー教授ではなかった。
『もう十分に幸せな時間を過ごしたのだろう?』
鬼のように口を裂いて笑う、そんな笑い方をトレローニーはしない。嘲り笑うように眉をおかしな形に曲げて笑う、そんな笑い方をトレローニーはしない。それは、トレローニー教授の姿を借りた何かだった。掠れた声は、もう何百年も言葉を紡いでいないかのような老婆のもので。は恐怖に体が竦み、椅子に座ったまま動けずにいた。相手が与える恐怖に、見開いた両目からは涙すら流すこともできない。
その声に聞き覚えはなかった。それなのに、空耳だと否定することはできなかった。どうにも止まらない体の震えが、その声を無意識に覚えている。
「・・・・・やめて・・っ」
『さぁ、娘よ。試練のときだ』
トレローニーの姿を借りた何かが、蛇のように赤い舌を出して舌なめずりをする。狂気に支配されるなとの本能が叫ぶ。気が付くとの体を縛る金縛りは解け、はその場から逃げ出していた。追いかけてくることはなかったが、の背中に老婆のしわがれた笑い声が響いた。北の塔を飛び出して、ふらふらとした足取りで廊下を駆けながら、は首にかけた銀色のリングを強く握りしめた。それだけが今のの正気を支えてくれた。
2時間目の授業に向かう途中のドラコたちに追いつくと、はホッとして表情を緩ませた。だが顔面蒼白で今にも倒れそうなを見て、ドラコは保健室へ行くよう促した。はそれに首を横に振る。
「今日は、授業全部休むね・・・」
「あぁ、そうした方が良いぞ、。それに、やっぱり保健室に行った方が」
「大丈夫よ。マダム・ポンフリーに頼む程じゃないわ・・・たぶん、ただの貧血だから。・・・大丈夫」
無理矢理笑顔を作り、はドラコを次の授業へ行くよう背中を押した。「先生方に伝えておいてくれる?」と頼み、不安げな友人の視線を受けながらは寮へと戻った。
寮の扉の番人に心配されながら、よろよろとした足取りでは女子寮に足を踏み入れた。誰もいないことにほっと胸をなで下ろすと、北の塔で受けた恐怖が蘇ってきた。同時に忘れていた吐き気が戻ってくる。は口を押さえ、倒れるようにベッドに横になった。
一時間、二時間、三時間、・・・。部屋に戻ってきて何時間経ったかわからない。誰もいない、気を遣う必要のない場所なのに、ゆっくりと眠ることすらできなかった。
体中が痛い
まるで全身を針で刺されているかのよう
気持ちが悪い
吐けるものは全て吐き出してしまったのに
喉の奥にまだ何か詰まっている
うっすらと瞼を押し上げれば、窓の外はもう暗くなっていた。いつの間に夜になっていたのだろう。朧気な意識の中、本日の授業を終えて戻ってきたパンジーが、「何か食べたいものある?」と声をかけてくれたのを覚えている。だがは声すら出せず、ゆるゆると首を横に振って断った。そのまま重い瞼を下ろした。
次に薄く目を開けたとき、月の光だけが部屋を照らしていた。机の灯りも消えていて、人が起きている様子もなかった。静かな夜だった。
そして、にとって地獄とも言える夜が始まった。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い・・・・・
まるで体中に針を刺されたみたいに
まるで全身の骨を砕かれたみたいに
痛い、痛い、痛い・・・・・
小さな体が悲鳴を上げる
「ごほっ・・・うぇっ・・・げほ、・・ごほ・・っ」
咳が止まらない
唾液とは違う何か熱いものが零れたがそれが何かもわからない
知るのが怖い
体が灼けるように熱い
でも・・・・・心は寂しい
助けて、助けて、助けて・・・・・
「・・・スネイプ、・・せんせい・・・」
*
太陽の陽が部屋を照らす。また新しい日が始まる。
女子寮の洗面台は髪を縛る女生徒たちで賑わい、身支度を調える明るい声が聞こえる。パンジーもまた緑と銀のストライプ柄のタイを首に巻きながら、自分の隣のベッドの住人に声をかけた。
「、具合はどう?朝食の時間よ」
ベッド周りのカーテンが閉まったままの隣の住人は、体調を崩して昨日からずっと寝ていた。返事はなく、まだ寝ているのかもしれない。
「。まだ起きられない?大丈夫なら行きましょう。遅刻するとドラコがうるさいわよ」
タイを結び終え、パンジーはセーターの腕に袖を通しながらカーテンの向こうに眠るに声をかけ続けた。だが隣からは何の音も聞こえてこない。まるでそこに誰もいないかのように。いつもなら少女の寝惚けた声が聞こえてくるのに。自分の身支度に焦るパンジーは、音沙汰のないの様子に若干苛立ちを感じた。
「ってば。今日も休みでも構わないけど、一度は起きなさいよ」
パンジーは「開けるわよ」と一応の声はかけ、軽快な音を立ててのベッドのカーテンを左右に引いた。そこにいる、寝ぼけ眼の・に喝を入れるために。
『おはよう、パンジー。もう朝?』
眠そうに目をこすって伸びをするの姿は、だがそこにはなかった。ベッドの上には、確かにがいた。冬の猫のように体を丸めて、この寒いのに掛け布団もかけずに眠っていた。
いつもと何ら変わらない光景。ただ一つだけいつもと違うのは、シーツの色だった。ハウスエルフが毎日洗ってくれる真っ白いシーツ。の美しい銀髪が広がったシーツは、薔薇の花束を撒き散らしたかのように真っ赤に染まっていた。匂い立つそれは、鉄錆の香り。死にいく寸前の人の香り。真っ赤に染まったベッドの上でぴくりとも動かない少女の姿に、恐怖に凍り付いていたパンジーの意識が戻ってくる。
スリザリン寮内に、少女の悲鳴が響き渡る。それでも紅く染まった少女の蒼い瞳が開くことはなかった。
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