ドリーム小説
「ママに本気で勧誘されとったやろ」
「あれ・・・。聞こえてましたか」
千堂くんにずばりと指摘され、私は苦笑いを浮かべる
彼の言うとおりだ
実は2次会の最中に何度も、私はママさんからお店で働かないかとお誘いを受けていた
29:桜咲く真夜中に目が覚める2
「ママに勧誘されたっちゅーことは、自分相当気に入られたっちゅーことやで」
『エイドリアン』ではバイトの募集はしていない
従業員はすべてママさんが気に入った子に自分で声をかけて集めるのだという
そしてママさんの人選規準も割りと高いため、あの店の子たちは文字通り選りすぐりなのだ
「バイト料も結構えぇやろ」
「・・・はい。聞いてちょっとびっくりしました」
ママさんにこっそり耳打ちされた時給は、ジムの2〜3倍はあった
聞いたときは思わず目を丸くしてママさんの顔を凝視してしまった
時給はかなりいいし、交通費も出るし、働ける時間帯も合わせると言われた
かなりの好待遇だ
もちろん急なことなのでまだ返事はしていないけれど
そう千堂くんに話すと、彼は相変わらず私の方を見ずに真っ直ぐ前を向いたまま会話に応じた
「けど自分、あっちで働くんならジムのバイト減らすか辞めなあかんやろ」
「そう、ですね・・・。ちょっと両立は難しいですね」
「せやろな」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「で、どないするん」
「・・・はい。・・・今考え中です」
「考え中、か。・・・」
一言呟いてから、千堂くんは黙ってしまった
声のトーンがだいぶ低い
これは、あんまり機嫌が良くないときのトーンだ
私の煮え切らない態度に苛ついているのかもしれない
けれど自分でも正直迷うところだった
「ジムのバイトは好きです。大好きです。だけど、学校の実習費とか個人的に買う材料費がかなりかかるのも事実で・・・」
「そか」
「はい」
「・・・」
「あの・・・」
「・・・」
「千堂くんは、・・・どう思います?」
「あ?」
「どうしたらいいと思います、かね・・・」
「なんでそれワイに訊くねん。自分で決めたらえぇやん」
「・・・」
千堂くんの意見は短く簡潔、的確で・・・そして当然のものだった
これは私個人のことなのだから、私が決めるのは当たり前だ
なに答えを人任せにしようとしているのだろう
投げかけておいて今更だが自分が情けなく感じた
「そう、ですよね・・・、・・・ごめんなさい。変なこと訊きました」
弱く情けない自分に呆れ笑いが浮かぶ
ベンチに浅く腰掛け、両足を真っ直ぐ伸ばし、スカートの上で炭酸の缶を両手で持って俯いた
自分で答えを出さなくては
思わずため息をつきそうになって、きゅっと奥歯を噛んで我慢した
(ジムの仕事を続けるか・・・、時給の良いお仕事にうつるか・・・かぁ)
それぞれのメリット・デメリットを思い浮かべてみる
整理が付くかと思いきや、頭の中は余計にぐちゃぐちゃになってしまった
ちらりと横目で隣を見やれば、相変わらず千堂くんは前を向いたままだ
なんだか突き放されたような気がして胸の奥がしくしくと落ち着かない
沈黙が、まるで尋問されているかのようで息苦しかった
「なんで迷うん」
「え・・・?」
不意に声をかけられ、私は反射的に彼の方に顔を向けた
千堂くんはベンチに寝そべるような格好で私の方にわずかに顔を向けていた
その顔は笑ってはいなかった
怒ってもいなかった
真剣というほどでもなく、当然のことを話すときのようにしれっとしていた
けれど千堂くんはそんな気の抜けた自然な態度で、とっても大切なことを私に教えてくれた
「迷う必要ないやん。ワレが居たい場所におったらえぇんや」
「私が、居たい場所・・・?」
「せや。なんも深く考えることあらへん。それに、大事なんはたとえどっち選んでも後悔せんで頑張るっちゅーことやろ」
「・・・」
千堂くんのその言葉に私はハッとした
それから、ずっと自分の中でもやもやして片付かなかったものがゆっくりと動き出すのを感じた
「どっちを選んでも、後悔しないで頑張る・・・」
私は彼の言葉を反芻した
不思議だ・・・彼の言葉それひとつだけで、私の中の暗闇がスゥッと晴れていくのがわかった
暗雲の切れ端から光の筋が落ちてくる
その光を掴むように私は空に手を伸ばす
彼がくれた光はあたたかく、私の心をゆっくりと満たしていってくれるのがわかった
「なら私は、・・・・・・今のままがいいです」
私は今し方出たばかりの答えを静かに告げた
「やっぱり私、ボクシングが好きだから。なにわ拳闘会が・・・ジムのみんなのことが大好きだから」
言葉にすると確かになる
私はジムで会うみんなの顔をひとりずつゆっくりと思い出していった
会長さんや兄はもちろん、トレーナーさんたちに練習生たち
ひとりひとり全員のことを思い出して、最後に浮かんだのは今自分の隣に座る人のことだった
「千堂くん・・・」
私は私に大切なことを気づかせてくれた彼の名を呼んだ
浪速の虎と怖れられる、現日本フェザー級王者、浪速のロッキー
けれど、私にとってはそれだけじゃない
そのことに、今気付いた
私にとって彼は・・・
千堂武士という存在は・・・
「私まだ、・・・千堂くんのサポートしていてもいいですか?」
私の問いかけに、千堂くんは「あ?」と眉をしかめた
「なんやねん、していてもいいですかって。んなこと訊く必要あらへんやろ」
「それじゃ、」
「ずっとサポートしとったらえぇやん」
「・・・ずっ、と・・・?」
それはどういう意味で言ってくれたのだろう
どう受けとっていいのだろう
少なくとも自分の気持ちに気付いてしまった今の私は、その言葉を深読みしてしまう
私の胸はゆっくりゆっくりと鼓動を早くしていく
会話はそこで途切れ、しばらく沈黙が続いた
けれどそれはもうさっきのような苦しい沈黙ではなく、ゆったりと流れるような優しい沈黙だった
「ほな・・・そろそろ帰ろか」
「ぁ・・・、はい」
彼が先にベンチを立ち上がり、私もその後を追いかけた
彼が買ってくれた炭酸はまだ少し残っていて、捨てるのももったいないので持って帰ることにした
公園の出口で私は一度振り返って、さっきまで2人で座っていたベンチに視線を投げた
大きな桜の木、白い花弁の中で光る街灯、まるで舞台の中心のようにそこだけ照らし出された一脚のベンチ
私の気持ちをはっきりとさせてくれた真夜中の夢の舞台に私は小さく微笑んでから公園を後にした
私たちは再び真夜中の道を歩き出す
少しだけ残った炭酸が缶の中でちゃぷちゃぷと揺れるのを聞きながら
12時をとっくに過ぎているため、車の通りはほとんどない
けれど混雑していない分、時たま通る車は凄いスピードで私たちの横を駆け抜けていった
そして歩き始めて3台目くらいの車がF−1よろしく通り過ぎていったときだった
不意打ちだった
隣を歩く彼の手が私の手をとって、私たちは手を繋ぐ形となった
いきなりのことに私はびっくりして顔をあげた
「ぁ、あの・・・っ」
「あ?」
「・・・っ」
「なんやねん」
「・・・手・・・、・・・っ」
「あ?・・・あぁ。なんや車ごっつ速いさかい危のう思うて」
「・・・、・・・」
「嫌か」
「・・・っ、・・・ぅ、うぅん」
嫌じゃない
むしろ今の私にとっては嬉しくて嬉しくてたまらなかった
それからそれと同じくらい胸がどきどきして破裂しそうで怖かった
彼とこうして手を繋ぐのは2回目だ
記念すべき1回目のことを彼は覚えているだろうか
と思っていたら
「ぷっ」
「・・・?」
「・・・くくっ」
「千堂くん?」
「思い出してもうたわ、・・・遊園地のお化け屋敷」
彼も私と同じことを思い出していたらしい
そのことがまた嬉しかった
たとえそれが私にとって苦く恥ずかしい思い出でも
「あれはおもろかったわ」
「・・・おもしろくないですよ。本気で怖かったんですから」
「くくっ。はー・・・、またそのうち行こか」
「え?」
「久々にワレのキャーキャー言うとる姿見たいわ」
「・・・ぁ、・・・悪趣味っ」
「うははっ」
あのときの私の失態なんか思い出して千堂くんは笑う
私は恥ずかしくて恥ずかしくてほっぺたを膨らませてそっぽを向いた
笑う彼から顔をそらす
それでも、繋がった手から彼のぬくもりを確かに感じて
家に着くまでの間、私は幸せな時間を過ごした
わかってしまったことがある
気付いてしまったことがある
それは、私にとって千堂武士という人が、誰よりも特別な存在なのだということ
どうしよう・・・、私はこの人のことが・・・
(千堂くんのことが・・・、・・・好きなんだ・・・――)
29話にしてようやく気持ちに気付くというスローペースな恋愛です
じれったくてすみません
そしてここ数話名前変換がなくてすみません
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