ぐるぐる、ぐるぐる、と。
の胸の内に渦巻くのは彼が残していった楔のような言葉。
───お前は本当にマルコのことを愛しているのか?
ぐるぐる、ぐるぐる、と。
それは頭の中を巡り巡って答えを導き出さんとさまよい続けている。
その様子をまるで第三者のごとく眺めながら、は重たい頭を支えるように額に手を添えた。
さまよい歩く自身に不毛だと教えてやるべきなのだろう。
たとえどこまで探し求め歩き続けようと、お前が今いるそこには答えなどない、そこは出口のない迷宮なのだと。
教えてやったら……、果たして踏ん切りがつくのか。
それもまたわからない。
「頭痛い……」
この痛みは二日酔いのせいか、寝不足のせいか、はたまた彼に与えられた試練のせいか。
たぶんそのすべてだとは重たいため息をつきながら、遠ざかるレッド・フォース号を見送った。
sequel 14 : さまよえる恋愛迷宮
朝の風が彼女の短い白髪をなびかせる。
船縁に両腕をのせ、更にその上に顎をのせて寄りかかるような姿勢で船を見送っていたは、ふと背後に知った気配を感じて静かに振り向いた。
「おはようございます、マルコさん」
「はようさん、……ぁふ。赤髪の野郎はもう行ったのか」
「はい、少し前に。今はもうあそこです」
は海の向こうで豆粒ほどになってしまったシャンクスの船を指さしてみせる。
マルコはあくびを片手で隠しながらちらりと船を一瞥しただけで、すぐに眠そうな目をの方へと戻した。
「ひとりで見送りしてたのかよい」
「はい。皆さん潰れちゃっていて起こすのも悪いかなと思って」
「ひとりでやらせて悪かったねぃ。ありがとよい、ご苦労さん」
「いえ、そんな」
「で。何があった、見送りで」
「え?」
「暗い顔してる。何か言われたか、赤髪に」
「……」
(……どうして)
いつもどおりにしているつもりだったのに、とは表情を指摘されたことで思わず頬に手を当ててしまう。
マルコの目はまるでの心の内を見透そうとしているかのように真っ直ぐに彼女を見つめてくる。
目をそらしたらかえって変に思われる、は頬の添えた手を離すと慎重に笑みを作り「いいえ、何も」と首を横に振った。
「白ひげに、父様によろしくと言伝を預かっただけです」
「本当かよい」
「疑り深いですね。本当ですよ」
真意を悟られぬよう、はいつも通りの自分を演じることに徹する。
しばらく無言でじっと彼女を見つめていたマルコだったが、に「そんなに疑うのでしたら電伝虫で直接本人に訊かれては?」と自信ありげに言われ、ようやく「そうかい」と視線を外した。
マルコが背を向けたことにはホッと安堵する。
だが安心する胸の裏側ではどこか後ろめたさを感じていた。
(嘘はついていない……けど、隠すことも罪なのかな)
黙秘は別に悪いことではない。
わかってはいても、だが自分を大事に想ってくれている彼に隠し事をすることに少しの罪悪感が湧く。
正直に話してしまえばきっと胸の内はスッキリするのだろうけれど、そうするには少々シャンクスとした会話の内容は重すぎた。
(私は、マルコさんのことを……)
自身の中でもいまだ答えがはっきりと出ていないというのに、話せばマルコさんのことだ、きっと「へぇ。そりゃぜひお前ぇの答えを聞きたいねぃ」と食いついてくる。
自分の首を絞めるのは明らかだ、言えるはずもない。
「。何してる、行くよい」
「あ、はいっ。……? あの、どちらに」
「食堂。朝飯食いに行くよい」
「あー……、はい」
誘いを受ける返事はしたもののの歯切れは悪い。
本当は見送りが済んだら部屋に戻って仮眠を取るつもりでいた。
何より寝不足と二日酔いのせいで食欲はまったくと言っていいほどない。
だがマルコに隠し事をしてしまった手前、誘いを断るのも申し訳なくては彼に付き合うことにした。
背を向けた彼を追いかける。
だが数歩進んだところで前触れなく彼の足はとまり、くるりとを振り返ってきた。
「と、その前に」
「……? ……っ、ん」
マルコの腕が伸びてきての片腕をとり引き寄せるとそのまま何も言わず、言わせず、唇を重ねてきた。
奪うような押しつけるような強いキス、微かに香る煙草の香りと味にはわずかに眉をひそめる。
煙草の臭気が嫌いなわけではない、彼女が表情を崩すのには別の訳がある。
(マルコさん……、苛ついてる)
それは彼のそばで過ごすようになっただから気付けること。
マルコは不機嫌なときに決まってこの銘柄の煙草を噛む。
いつも吸っているものとは少し違う、後に甘さが残るそれを彼が吸うときは積もり積もった苛立ちを緩和させるときだ。
香りの強さが鮮明なのはおそらくここに来る前に部屋かどこかで吸ってきたからだろう。
こんな朝早くから彼が苛立つ原因とは……、考えたときが思い当たることはひとつだった。
(たぶんゆうべの……、私のせいだ)
容易に予想ができてしまい、は自分の軽率な行為が彼を苦しめていることに申し訳なさを覚える。
押しつけられた唇がゆっくりと離れていく。
息のかかる距離で見えた彼の表情はやはり明るいものではなかった。
自分を見つめる彼の表情の中に苛立ちと寂しさ、嫉妬心を見つけての胸はチクリと痛む。
「どうしたんですか……、突然」
「ん? あぁ……、いや。飯食ったらすぐに発たなきゃいけねぇからよい。今のうちにと思ってな」
「え? ……あ。偵察に出るのって今日でしたっけ」
「おぅ。少なくとも1週間は戻って来られねぇからな」
「その間モビーをよろしく頼むよい」と船のことをに託し、マルコは彼女の柔い髪をくしゃりと握る。
まだ下っ端も下っ端、見習いの自分の力を頼ってくれることが純粋に嬉しくては照れた笑顔で彼を見つめ返す。
マルコへの複雑な想いはいまだ胸の中でぐるぐると渦巻いている。
けれど今だけは心からの笑顔で見送りたいと「いってらっしゃい。お気を付けて」と声をかけ、は髪を握る彼の手に自分の手を重ねた。
*
モビーディックにマルコのいない、にとって長いような短いような1週間が始まった。
その始まりの日の夕飯時、食堂の席についた彼女は早速サッチに「マルコがいなくて寂しくねぇかい」とからかわれた。
それには笑って「寂しいのはサッチさんの方なんじゃないですか?」とそっくりそのまま相手に返して話題をはぐらかした。
彼に振られた話題はうまいように流れてくれたが、彼の言葉には初めて気付かされた。
そういえばこの船に来てからマルコのいない日々を過ごすのは初めてだ。
(いつも気付くと近くにいたからなぁ……)
行儀悪くテーブルに肘をのせて頬杖をつき、フォークでプチトマトをつっつきながらふと考える。
いつの間にかにとって彼がそばにいることが当たり前になっていた。
毎朝誰よりも先に「おはようさん」と声をかけに来てくれるのは彼で、食堂の席につけば自然と自分の隣に彼が座って、見張り台で海を眺めていれば不死鳥の姿で飛んできて「お疲れさん」と声をかけてくれる。
マルコはいつもの隣にいる。
そしてはそれを嫌だと思ったことはない。
そばにいるのが自然で、その人がいてくれることで安堵する、それを人は……。
「……愛」
と、そう呼ぶのだろうか。
わからない。
口に出してみても今のにはいまいちピンと来るものがない。
───お前は本当にマルコのことを愛しているのか?
今朝言われたばかりのシャンクスの言葉がまた彼女の脳内を回り出す。
ぐるぐる、ぐるぐる、と。
彼を愛しているのか、いないのか。
彼女の中でやはり答えは出ない。
「わからないよ、そんなの……」と隣に座る仲間にも聞こえないほどの囁き声で頭の中に潜む何かに文句を言う。
ぷすりと刺したトマトの身から赤い汁が溢れ出るのを見つめながらは重苦しいため息をついた。
*
1週間は長いものだと思っていた。
だが日は思いのほか早く流れていくもので、マルコが偵察に行ってからすでに5日が経過していた。
モビーに変わった様子はない。
あえて挙げることがあるとすれば、昨夜の突然の落雷でメインマストの一部が焦げたくらいだ。
修理のほとんどは船大工専門のクルーがおこなうが「これも見習い修行の一環だ」とも少しだけ手伝いに参加している。
「ふぅ……」
昨日の豪雨と落雷はなんだったのだろうと思えるほど今日は天気に恵まれている。
額に浮く汗を拭いながらは板や釘をクルーに渡していく。
偶然通りかかったサッチとイゾウがあくせく働くを見つけて声をかける。
なんてことはない、平和な時間がそこには流れていた。
「よぉ、ちゃん。よく働いてんなぁ。感心感心」
「どうもです。あ、イゾウさん。新聞ありがとうございました。部屋に戻しておいたので後で確認お願いします」
「あぁ、悪いな。助かる」
イゾウは咥えていた煙管を口から外し、細い紫煙を吐き出しながら彼女に笑みを向ける。
短い会話を終え再び修理の仕事に戻るを2人の隊長たちはあたたかな眼差しで見守った。
見習い仲間のベンノとともに一生懸命、ときに笑みを浮かべて働くの姿にふとイゾウは口を開く。
「しかし、なんだな。違和感があるというか」
「あ、やっぱり? お前もそう思う?」
「あぁ。彼女のそばにいつもいる奴がいないと、こうも景色が違うものかね」
この5日間、がひとりで船内を動き回る姿を見ていてサッチとイゾウは思うところがあった。
それは端的に言えば、が自由に見えるということ。
そう言うとまるで普段は、今ここにはいない誰かが彼女の行動を抑制または制限しているかのように聞こえる。
だがそれはけして否定できることではなく、今のを見ていればよくわかる、まさかのまさかでその通りなのだった。
「なんだか笑顔も少し砕けたというか、いつもより朗らかというか」
「そう、なんだよなぁ」
「あれか。にとってはマルコがいない方がいいんじゃないのか?」
「イゾウ……お前ね、ちょっとストレートすぎ。本人が聞いたら泣くぞ」
「おぉ、いいね。1番隊隊長様の泣き顔なんざそうそう拝めるもんじゃない。見てみたいね」
「ドエスかよ、お前……。まぁいいんだけど。イゾウ、今言ったことマルコが帰ってきても言うなよ」
「なんかあいつはあいつなりに悩んでるみてぇだからさ」とサッチは珍しく悪友をかばいイゾウに釘を刺す。
彼は思い出していた。
以前マルコと2人で今と同じようにを見守りながら話をしていたときのことを。
あのとき彼に投げかけられた問いかけがサッチの脳裏に蘇る。
───あいつは……の方は、俺を好いてるように見えるかい。
マルコがを愛する気持ちは絶対だ。
それは自他共に認められるものだ。
問題はその反対で、マルコが不安に思っているのは自身の気持ちだった。
は果たしてマルコにどんな感情を抱いているのか。
サッチは思う、おそらくもマルコに対して好意は抱いていると。
なにせ彼女にとってマルコはこの海で自由に生きる道を切り拓いてくれた救世主だ。
彼女の育ての親だという海軍中将のつると同等の恩を抱いていることだろう。
だが、愛の深さはと問われたら……。
───悪ぃけどな……、……お前の一方的な片思いに見えなくもないわ。
あのとき、マルコの不安を大きくするだけだとわかってはいたがサッチはあえて正直な意見を伝えた。
そのことを後悔してはいない。
だが、あれ以来マルコが見た目には気付かれにくいが少しずつ荒れ始めているのも確かだ。
(ったく、何でも器用にこなすくせに本気の恋愛にだけは不器用なおっさんだよ)
気持ちはわからなくもないが、とサッチは呆れた笑みを浮かべてため息をつく。
どうしようもない男だ、いい歳してあんな若い娘に惚れてしまうなんて。
「そう簡単にうまくはいかないだろう、覚悟を決めろ」と心の中で叱咤激励しながら、だができることならば2人には幸せになってほしいとサッチは願っていた。
「ま、頑張れよ」
「サッチ、誰に言ってんだ?」
「ん? ん〜……ちゃんに、かな」
「……?」
本音を隠す飄々とした笑顔で誤魔化し、不思議がるイゾウに背を向けてサッチはその場を後にした。
空を仰げば雲一つない青空が広がっている。
この広い空のどこかを飛んでいるであろう青い鳥を想い、帰ってきたら彼の好物でも作ってやろうと両腕を頭の後ろで組みながら考えるのだった。
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この続編は、周りの人々の想いを受けながらマルコと彼女が幸せな道を探す物語、です。
途中いろいろと傷つきながら最後は幸せになってほしいです。
ハピエン厨なのでちゃんと幸せな2人で終わらせますのでご安心を。
タイトルを前のものから変更してあります(改訂前『恋愛×迷宮=?』)
次回、15話は裏口からお入りください。
2018/07/28 加筆修正
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