ドリーム小説
2月14日―――それは年に一度の恋する女の子の一大イベント。
好きな人に想いを告げる日、女の子がいつも以上に輝ける日。
もまた何週間も前からこの日を心待ちにしていた。
あまり甘味を好まない恋人のためにいろいろな工夫をして、放課後毎日のようにお店をまわって材料を集めた。
全て準備万端で今日のこの日を迎え、気合い十分に家を出てきたはずが。
「ど・・どうしよう・・・っ!?」
現在の時刻、朝の8時15分。
は渋谷駅のホームに立ち尽くし、泣きそうな顔で途方に暮れていた。
ただただ呆然とする彼女の耳には『電車がまいります。黄色い線の内側に・・・』のアナウンスも届いていない。
余裕で黄色い線の外側に立っている彼女は、見かねたサラリーマン風の男性に「危ないですよ」と肩を叩かれて我に返った。
「すみません・・っ」と耳を赤くして礼を告げ、ホームの時計で学校に遅刻しそうなことに気付いて今度は顔を青くする。
慌てて階段を駆け下り、駅の改札を出て学校まで駆け足で向かう。
走りながらもの頭の中にずっと「どうしよう」がリフレインしていた。
学 園 幻 想 曲 1
学校に着けば、のクラス3年7組もまた朝からバレンタインの香りをふんだんに漂わせていた。
女の子同士でチョコを食べている一角もあれば、男女混ざって和気あいあいとしているところもある。
本命に渡してきたのか、顔を赤くしてからかわれている女の子もいる。
見渡す限り、バレンタイン一色。
そんな楽しそうな雰囲気の中、は不釣合いな溜め息をついて自分の席に鞄を下ろした。
2月の最初のくじ引きで決まった、一番後ろの窓際の席。
左を向けば校庭が見え、右を向けば仲の良いヘイハチと目が合って笑みを交わした。
「やぁ、おはようございます。さん」
「おはよう、ヘイハチ君。・・・うわぁ。すごいね」
「さんもどうです、おひとつ?」
「早速食べてるの?」
甘くておいしいですよ、とヘイハチは幸せそうな笑顔でチョコを食べている。
彼の机の上には綺麗にラッピングされたチョコの箱がピラミッドを作っていた。
「人気者だね、ヘイハチ君」
「いえいえ、私など。キュウゾウ殿に比べればたいしたことはありませんよ」
「キュウゾウ君?」
は思わず身を乗り出してヘイハチの向こう側―――キュウゾウの席へと目を向けた。
キュウゾウは腕を組んで目を閉じ、椅子にぐったりともたれかかって座っている。
彼の机の上を見たの目が真ん丸になった。
そこには箱のピラミッドが2つほどできていた。
「おはよう、キュウゾウ君」と苦笑交じりに挨拶すれば、キュウゾウは細い横目でを見て片手を挙げて応えた。
そしてまた目を閉じてしまう、目の前の状況にうんざりというふうに。
「まだ今日始まったばかりだよ?どうしたの・・・あれ」
「待ち伏せされたんですよ、登校途中と朝練の終わりに」
黙り込むキュウゾウに代わってヘイハチがチョコを頬張りながら答える。
ヘイハチはすでに一箱を空にしていた。
「剣道部の朝練って結構早いよね。そんなに朝から?」
「えぇ。正直女性のパワーには驚かされましたよ。キュウゾウ殿の乗り降りする電車までサーチして。
下車駅で他校の女子が待ち伏せしていたときは流石の私も感動以上に背筋がぞわりと」
「・・・ヘイハチ」
薄っすらと開いたキュウゾウの鋭い横目が「思い出させるな」と言っている。
当の本人は大量のプレゼントにあまりお気に召していない様子。
周りの男子が羨ましそうな目でちらちらとキュウゾウを見ているのに気付き、なんとも贅沢な悩みだとは思わず苦笑した。
これが剣道部の主将にして個人戦のインターハイ覇者、容姿端麗な学園のヒーローの宿命なのだろう。
キュウゾウはヘイハチが嬉々としてチョコを食べる姿に嘆息し、だるそうに箱の山をロッカーにしまい始めた。
不機嫌な表情とは裏腹に、彼の作業は割と丁寧だ。
「なんだかんだ言って乱暴に扱わないところがキュウゾウ君らしいね」
「そこのところ本人無自覚ですからねぇ。冷静沈着のフェミニスト。勝手にファンも増えるというもんです」
「・・・何か言ったか」
「いえいえ別に。お気になさらず。イライラしているときは甘いものが一番ですよ。チョコでもいかがですか?」
「・・・いらん」
キュウゾウが重い溜め息を吐いたところで調度よくHRのチャイムが鳴った。
教室に入ってきた担任教師がヘイハチの机を見て驚き呆れながら笑う。
「林田、早く片付けんか」と言われ、ヘイハチは残念そうにチョコたちを机の中やロッカーにしまい出した。
教卓ではクラスの女子たちが先生にチョコを渡しに行っていた。
照れながらもそれらを受け取る先生を見ていると、の脳裏にカンベエの姿がちらついて思わず窓の外へと視線をそらした。
抜けるような青い空を見上げて、は小さく嘆息した。
♪
ちらりと腕時計を見れば、時刻は10時半。
カンベエは職員室の自席のデスクチェアに背をもたれさせ、手にしていた書類を投げやりにデスクに置いて嘆息した。
カンベエの机の上には目を背けたくなるような書類の山。
これを今日中に終わらせなければならないのかと思うと、今から頭が痛くなってくる。
かけっぱなしの眼鏡を外して眉間を指で押さえていると、不意にコーヒーのいい匂いが薫ってきた。
加えて、背後に見知った者の気配。
「わしは」
「ブラックがお好み、でげすね。心得ております」
顔の横から差し出されたカップを受け取り、カンベエは椅子を回して振り返った。
「お疲れ様です、カンベエ様」と労わりの言葉をかける白衣の色男に礼を言い、カンベエは熱いコーヒーに口を付けた。
「旨い。沁みるな」
「何を年寄りのようなことを言っているんでげすか」
「言葉通りの年寄りだ。目も疲れて敵わん」
「でしょうねぇ。どうですか、終わりそうですか」
「いや、今日も残業になりそうだ。まったく・・・どの部も揃いも揃って今朝出してきおって」
辟易したように言うカンベエに、「心中、お察しいたしますよ」とシチロージは苦笑する。
部活動全体の決算報告書を任されたカンベエの苦労には同情してしまう。
これのせいで、カンベエはここ1週間ほど遅くまで学校に残って書類処理をしていた。
その疲れが堀の深い褐色の顔に顕著に出ている。
「少しは休まれた方が」というシチロージの慰めの言葉も、仕事に手を抜かない彼の耳には届いていないようだ。
「過労で倒れられてもあたしは知りませんよ」
「なに。そのときはそのときだ」
倒れたらたっぷりと休養を取らせてもらう、と冗談のようなことをカンベエは笑って言う。
冗談にも思えないそれに、シチロージは困ったように笑いかける。
「カンベエ様が倒れたりしたら、ちゃんが悲しみますよ。いいんでげすか?」
「ん?・・・それはちと」
困る、とカンベエは顎に手を添え、急に真面目な顔をする。
彼女のことになるとカンベエは途端真剣になる。
笑いたいのを必死に耐え、シチロージはカンベエに声をかけた。
「あぁ、そういえばカンベエ様」
「ん?・・・・・・シチロージ。なんだ、その楽しそうな顔は」
何かを企むような笑みを浮かべる彼を、カンベエは怪訝な顔で窺う。
「なんだも何もありませんよ、このような日に」
「なんだ」
「おとぼけなさるとは連れない。カンベエ様、ちゃんからもう受け取ったんでげすか?」
「受け取る?」
何をだ、と真面目に問いかけるカンベエにシチロージの表情が一転、呆気にとられたものに変わる。
青春をおくる高校生が集まる職場に勤務していて、今日のこの日のイベントに気付けないほどカンベエは書類に追われていたのか。
お疲れ様です、と心中で唱え、シチロージは指でカレンダーを指し示した。
卓上カレンダーの今日の日付を目にし、カンベエは「・・・あぁ」と納得した。
「なるほど。合点がいった」
「何がでげすか?」
「お主が朝からずっとここにいる理由がだ」
「・・・・・よくお覚えで」
シチロージの笑みがひくりと引きつる。
説明しよう★
何を隠そうシチロージ、高等部女子に一番人気の男性教諭なのだ。
毎年この日には大量の女生徒がチョコを持って保健室を訪れるため、一年でこの日だけは彼は朝から職員室に避難しているのだ。
ちなみに既にシチロージの保健室のデスクには箱のピラミッドが3つできあがっている。
職員室に来ているのは噎せ返るようなチョコの香りから逃げるためでもある。
ユキノさんという恋人がいながら罪な人ですね、シチロージさん。
「斉木殿、余計なことは言わない方が身のためでげすよ?」
はい、すいません。
「誰と話しておるのだ、シチロージ」
「いえいえ、こちらの話です。それより、カンベエ様・・・」
「あぁ。今日はまだとは一度も会っておらん。7組の授業は6限にあるのでな」
「なるほど。楽しみは最後までというやつですか」
「さて、な。だといいのだが」
まるで楽しみでもなさそうな言い方だが、長年の付き合いのシチロージにはわかる。
カンベエとて愛しい女から何かしらがあることを期待してはいるのだ。
そしてもまた少女ながらにカンベエをとても深く想っていることをシチロージは知っていた。
疲れ気味のカンベエをが癒すのに、今日のこの日ほど絶好の機会はない。
「さぁさぁ、お早く仕事を片付けて。今夜は愛しの彼女と甘い時間を過ごせますように」
「お主・・・わしをからかう暇があるのならば少しは手伝ったらどうだ」
天罰が下るぞ、と脅すカンベエに、シチロージは白衣の袖を持って肩をすくめて見せる。
「天罰とは面白いじゃぁありませんか。さてさてどのようなものが」
「「せぇのっ・・・・シチロージ先生ぇーっ!!」」
「・・・・・」
「呼んでおるぞ。シチロージ先生」
職員室の入り口の方に目を向ければ、シチロージを見つけた女生徒たちが黄色い声を発して手を振っていた。
シチロージに背を向けたカンベエの肩が明らかに揺れている。
本当に天罰が下ったのか、とシチロージは笑みを引きつらせる。
「色男。早く行ってやらぬか」
「カンベエ様・・・」
そうだよ、色男。早く行ってあげなよ。
「斉木殿。後でちょいとお話が」
すいませんでした。
「だから誰と話しておるのだ、お主は」
「そいつはちょいと。さぁさぁお嬢さん方、チャイムが鳴りますぜ」
訳のわからないはぐらかし方をして女子のところへ行くシチロージの背をちらりと見送る。
女生徒たちの黄色い声が遠ざかるのを耳にして、カンベエは笑みを浮かべて再度書類と向き合った。
6限の7組のクラスの授業を少しだけ楽しみにして。
♪
午前中の授業が終わり、お昼になってもの溜め息は少しも軽くならなかった。
むしろそれは少しずつ重みを増していくばかり。
「・・・こんな憂鬱な日になるはずじゃなかったのになぁ」
屋上から見上げる空はの心とは裏腹に青く清々しく、冬にしては暖かな日差しが注いでいた。
屋上に設置された貯水タンクに背をもたれさせて座り、は一つ溜め息を吐いた。
膝の上に乗せたお弁当も少し箸でつつく程度で全然減っていない。
売店で買ったあったかい紅茶のパックもストローが刺さったままだ。
「本当に・・・どうしよう」
朝からずっと同じ言葉ばかり、胸の中で呟いては口に出して言って。
それでも心のもやは全然晴れることはない。
昼が終われば午後の授業が始まる。
5限が終われば6限が始まる、そして6限はカンベエの授業だ。
の事情を何も知らない彼と顔を合わせるのが、どことなく気まずい。
また一つ溜め息をついて、箸の先で進まないお弁当の卵焼きをつついた。
「あ。当たる」
「え?」
それは突然、上から声が降ってきた。
誰、とが空を見上げた瞬間。
「ひゃ・・っ!」
こつんっ、と。
上から降ってきた何かが上を向いたの顔の真上に落ちてきた。
鼻頭に当たって、びっくりして思わず膝の上のお弁当をひっくり返しそうになった。
鼻先をさすりながら落ちて来たそれを拾い上げる。
「キャンディー・・・?」
「違う」
「えっ?・・・あ」
声のしてきた方、真上を仰げば、がより掛かる高い貯水タンクの上に昇った声の主が顔を見せてきた。
豊かな金髪の、それはが良く知るクラスメート。
「キュウゾウ君」
「悪い」
「いいよいいよ。大丈夫、これぐらい」
鼻をさすっていた手をどけて、ひらひらと振ってみせる。
キュウゾウは高さ3mは優にある貯水タンクから、ひょいっと軽い身のこなしで飛び降りてきた。
猫のような彼の運動神経には思わず感心してしまう。
「キュウゾウ君。上で何してたの?」
宇宙との定期交信です。
「死にたいのか」
ごめんなさい。
「え・・?」
「お前じゃない」
不思議がるに「ここが一番落ち着く」と空を見上げながら彼は言う。
キュウゾウはの横に静かに腰を下ろして片膝立てた。
そしてブレザーのポケットからごそごそと引っ張り出してきたものにの目が向いた。
それは今朝彼の机の上で見たチョコの箱で、封が開いて中身が減っていた。
「キュウゾウ君・・・まさか、それお昼ご飯?」
「あぁ」
「え、本当に?お弁当忘れたの?あの、私のでよければ少し」
「いい。これがある」
「え・・・。キュウゾウ君、甘いもの嫌いじゃなかったの?」
朝、机の上のチョコの山を見てうんざりしていた彼の姿が思い出される。
てっきりキュウゾウは甘いものが嫌いだと思っていた。
そんなをちらりと横目で見て、キュウゾウはまた前に向き直ってしまった。
「好きでもない。だが、捨てるわけにもいかない」
「えっと・・・それはもしかして、一応人から貰ったものだから?」
「・・・・・」
まぐまぐとチョコを貪りながらキュウゾウは小さく頷く。
意外と律儀なんだなぁと彼の知らなかった一面に触れ、は思わず顔が緩んでしまった。
キュウゾウが上から落としてしまったあれはキャンディーではなくチョコだった。
が渡すと、「やる」と言って手を突っ返されてしまったのでとりあえずありがたくいただくことにした。
「」
「うん?」
「何か困っていたのではないのか」
「あ・・・聞こえてたの?」
貯水タンクの上と下にいたのだから聞こえて当たり前か。
独り言を聞かれた恥ずかしさには苦笑いする。
「うーん・・・困っているといえば困っているんだけど。でもつまらないことだよ」
そう言っては笑って空を見上げた。
横顔だけで、それはほとんど変化のないように見えた。
だが彼女の笑みがゆっくりと哀しげなものに変わっていくのをキュウゾウは目聡く察していた。
口を閉ざしたにそれ以上問いかけることなくキュウゾウは黙ってチョコを食べ続けていた。
土足でずかずかと上がってこようとしない、彼の沈黙が今のには逆に嬉しかった。
キュウゾウが無機質にチョコを食べているのを見つめた。
「キュウゾウ君・・・」
「なんだ」
「チョコ貰って、嬉しかった?」
「別に」
そう答える割には律儀に一個一個食べている。
甘いものが好きではないなら、甘党の誰かにあげればいいのに。
彼には彼なりの考えがある気がしてならない。
じっと横からキュウゾウを見ていると観念したように「嬉しくなくはない」という曖昧な答えが返ってきた。
「なんだ、突然」
「うん・・・・ちょっと、羨ましいなぁと思って」
「欲しいならもっとやる」
「や、そうじゃなくてね」
キュウゾウがチョコを食べる姿をじっと見ていたせいで、チョコが食べたいのだと思われてしまったようだ。
が彼を見ていたのは別の理由があってである。
チョコを見ていると、はどうしても昨夜の自分を思い出してしまうのだ。
一人暮らしのキッチンでカシャカシャと生地を練って、オーブンと睨めっこしていた自分を。
カンベエに渡したい、食べてもらいたい一心で一晩中起きていたのだ。
「その・・・渡せた女の子が羨ましいなぁ、と思って」
好きな人にあげられて、こうして食べてもらえて。
それが羨ましいと思った。
の言葉の意味がいまいちわからないキュウゾウは眉をひそめる。
「も渡せばいいだろう」
「うん・・・渡したいんだけどね。ちょっとできなくて」
それは勇気が足りないからだとかそういう気持ちの問題ではないのだと告げる。
では何が問題なのかと問うキュウゾウに、は情けない笑顔を向けた。
「その・・・実は」
はもごもごと言葉を濁す。
先を促すキュウゾウの視線に当てられて、気まずげにぽつりぽつりと言葉を零した。
「で・・電車の中に」
「・・・」
「・・・忘れてきました」
「・・・・・」
今頃、まぁるい緑の山手線のどこかにあります。
ちなみに真ん中通るは中央線です。
ビーックビックビックビックカーメ
「死にたいのか」
すいませんもうしません。
「キュウゾウ君?」
「何でもない。災難だったな」
「うん・・・だめだよねぇ、本当に」
キュウゾウに顔を向け、は自嘲気味に笑う。
どうしてこんな大切なものを、しっかり掴んでおかなかったのだろう。
拗ねたように笑っては自分を卑下する。
彼女の呟きをキュウゾウは黙って聞いていた。
「明日あげても明後日あげても、ただのチョコになっちゃうのに・・・」
ただのチョコレートに恋の魔法がかかるのは14日の一日だけ。
12時を過ぎたら、それはただのチョコレートに戻ってしまう。
「それじゃあ・・・意味ないよね」
はぁとは恋の溜め息をつく。
落ち込むの横顔をキュウゾウはちらりと垣間見た。
キュウゾウにとってはバレンタインなどどうでもいいイベントだ。
だが彼女の目は、思わずキュウゾウがじっと見てしまうほど真剣にそのことを思い悩んでいた。
勤勉で生真面目だと思っていた彼女に、そこまで思い煩わせる相手がいたことにキュウゾウは僅かに関心を寄せる。
何気なく見ていたの横顔に、不意に苦笑いが浮かんだ。
「さっきね、売店で今日だけ特別にプレゼント用のチョコが売っているのを見たの」
「買ったのか」
「うぅん。でも・・・何もあげないよりはいいのかなぁって」
本当は自分で作ったものを、自分でラッピングまでしたものを渡したかったが。
でもバレンタインは今日しかないのだから、せめて形だけでも取り繕えないか。
細い枝にしがみ付くようなを、だがキュウゾウは「それはどうだろうな」とすっぱりと切り捨てた。
キュウゾウの意外な反応には思わず彼の顔を見つめる。
「は本当にそれでいいと思っているのか」
「・・・うぅん。私も嫌なんだけど・・・でも、あげるのとあげないのだったら全然違うし」
「安い、な」
キュウゾウが放つ一言に、思わずの口が閉じた。
たったそれだけの言葉が、だがひどく重たい響きを持っていた。
「キュウゾウ君・・・」
「お前の想いというのは、そんなに安っぽいものだったのか」
「・・・・・」
キュウゾウはちらりと一度だけを横目で見て、すぐに目をそらしてまたチョコを頬張り始めてしまった。
は彼から視線をそらし、自分の伸ばした足先へと向けた。
キュウゾウの言葉が胸に刺さる。
違う、と言いたいけれど、弱気な発言をした自分が否定したところで説得力も何もない気がした。
「」
呼ばれて俯いていた顔を彼に向ける。
キュウゾウは口を動かしながらちらりと横目での手元を見て、何かを指差した。
キュウゾウの指を追って示された自分の手元を見下ろす。
彼の指が指すのはの手、の中。
「・・・チョコ?」
の手の中には先程キュウゾウがくれたチョコがあった。
これが何だというのだろう。
「食ってみろ」
「え・・?」
「お前にならわかると思うが」
何が、と聞こうとしたが、その前にキュウゾウはさっさと立ち上がってに背を向けてしまっていた。
何がなんだかよくわからなかったが、キュウゾウがヒントのようなものをくれたことだけはわかる。
「キュウゾウ君!」と声をかければ、彼はすっと片手を軽く上げただけでそのまま屋上を出ていってしまった。
残されたはキュウゾウからチョコへと視線を移して考える。
何の変哲もないそのチョコは、包装が甘いところを見るとどうやら手作りの様子。
キュウゾウに想いを寄せる子が、彼のために一生懸命作ったのだろう。
「私と一緒だね・・・」
思わず笑みが浮かぶ。
自分も先週から何度も練習して味の試行錯誤を繰り返して作り直したのだ。
甘いものがあまり好きではないカンベエのためにビターチョコを買ってきて、調べたレシピを自分なりに変えて。
あんなに頑張ったのに、それを電車の中に置いてくるなんて馬鹿みたいだ。
ぬけている自分に呆れてしまう。
「君はいいね・・・ちゃんとキュウゾウ君に食べてもらえて」
食べて欲しい人にきちんと食べてもらえたチョコたちに、それを作った女の子に少し嫉妬してしまう。
指で包装の両端を引っ張ってセロファンを開けば、少しいびつな丸のチョコが現れた。
指で挟んで口の中に放り込む。
舌の上で溶け出したチョコは初めのうちは甘かったのだが。
それは徐々に口内で焦げ臭い苦味へと変わり、は思わず口を押さえてパックの紅茶を引き寄せた。
手作りらしい可愛い失敗は自分にも経験があることだ、と笑みがこぼれる。
「それにしてもキュウゾウ君・・・よく全部食べたなぁ」
まるで表情を変えずに彼はこのチョコを全て食べきっていた。
律儀な彼のことだから、くれた子に申し訳ないと思ったのかもしれない。
それが手作りで、心のこもった物なら尚更。
キュウゾウ君らしい、とは苦笑する。
「もてるはずだよ、まったく」
少しだけ、彼を追いかける女の子たちの気持ちがわかった気がした。
の顔からはいつの間にか迷いが消えていた。
いつもの彼女の明るい笑みが広がっていた。
迷いが吹っ切れたは強いのだ。
半日を鬱々として無駄にしてしまったが、今から何をすべきか考え、「よし!」と可愛らしい気合いを入れた。
そのためにもまずはお腹を満たすべくは減っていないお弁当に手をつけた。
うーん。長い1日になりそうです。
そして。長い話になりそうです。
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