働くのはいいことだ。
それが休む暇もないくらい忙しいものなら尚更いい。
体を動かしていれば、何も考えなくてすむ。
下手に手が止まってしまうと、嫌でも彼女とヒョーゴのことを思い出してしまう。
頭の中のモヤモヤも考えることなく仕事をしていれば、ヘイハチはマサムネに呼ばれた。
「何でしょうか」
「お客さんだぜ」
「は?お客様、ですか?」
バイトの自分に客とは一体。
不思議に思いながら、ヘイハチは頬についた汚れを手でぬぐい、つなぎの作業着のまま外に出た。
外はもう真っ暗で、街灯と自販機だけに明かりが灯っている。
修復所のシャッターから一歩外に出たところで。
「よ」
後ろに両手を組んで彼女に明るいとはいえない表情で軽く挨拶されて、ヘイハチはその場に固まってしまった。
口を開けたままのヘイハチを見て彼女は苦笑いして、「ごめん、来ちゃった・・」と告げた。
M e n u e t t 3
彼女のいきなりの訪問に、ヘイハチは戸惑いを隠せないまま帰りの準備をしていた。
バイト中で時間が取れないと言えば彼女は、「じゃ、終わるまで待ってる」と言った。
でも何時になるかわからないからとヘイハチは渋ったが。
「いい。待ってるよ」
「・・・委員長、でもですね」
「待ってる」
「待たせてよ」と告げたときの彼女の笑い方がまるで泣いているようで、ヘイハチもそれ以上何も言えなかった。
バイトを終えて焦りながら着替えて、やや重い足取りで外に出た。
シャッターを一歩出てきょろきょろと周りを見渡せば、入り口のすぐ横にある自販機の隣で膝をかかえ、その中に顔をうずめる彼女が目に入った。
「あ・・・委員長」
「ん?・・・あぁ、終わったか」
「はい。すみません、お待たせして」
「あぁ、いいよいいよ。いきなり来たのは私だし。・・・っていうかさ」
ゆっくりと立ち上がって、彼女は一歩二歩とヘイハチに近づく。
その気迫に圧されてヘイハチが一歩下がれば、彼女は一歩近づいて距離を縮める。
ヘイハチの目の前に立ち、彼女は「林田」と呼んで両手を腰に置いた。
「なんでバイトがあること教えてくれなかったのさ」
「へ?」
「いつまで待ってても図書館に来ないしさ。たまたま工学部のあの・・・いつもお前が一緒にいる女の子見かけたから教えてもらえたけど」
話しながら彼女の顔が曇っていくのがわかった。
どうしてあの子が知っていて自分が知らないのかと、彼女の不満が滲み出ている。
「なんで何の連絡もくれなかったのさ」
「・・・すみません、慌てていたもので」
「電話しても繋がんないし」
「あ・・・バイト中は携帯の電源切ってるんで」
「なんで」
彼女は言葉を区切り、視線を彷徨わせる。
一台の車が2人のそばを横切り、風で彼女の長い髪がなびいた。
「なんでメールくれなかったの?」
手を下ろし、真っ直ぐにヘイハチを見上げて彼女は問う。
それが今のことを言っているのではないことはヘイハチにもよくわかった。
どうしてあの日、約束したメールをくれなかったのか。
彼女の目に問われ、ヘイハチはすみませんとも言えず、押し黙る。
気まずい空気が2人の間をしばらく流れた。
1台、2台、3台と2人の横を車が通り過ぎていく。
黙ったままのヘイハチに「少し歩こ」と彼女が告げる。
2人は何も言葉を発しないまま、近くの公園まで歩いた。
彼女に聞きたいことがたくさんあるのに。
彼女に言いたいこともたくさんあるのに。
いざとなると言えなくなる。
どこまで自分は情けないのだろう。
隣を歩く彼女の手を取ることもできず、ヘイハチはくたびれたジーンズのポケットに両手を突っ込んだ。
背の高い街灯が2本、夜の小さな公園を細々と照らし出す。
人気のない公園の2つのブランコに、彼女は足を伸ばして腰掛け、ヘイハチは足を開いて猫背で座った。
彼女が緩くブランコを揺らすたびに、キィキィと金属音が寂しげに鳴く。
彼女の方が先に「こないだは悪かったね」と小さな声で告げて話を切り出した。
「一応さ、あいつのこと話しとくよ」
「ヒョーゴさんのことですか」
ヘイハチの口から彼の名前が飛び出して、彼女は驚いてヘイハチに顔を向けた。
ヘイハチは「友達が情報通で」と苦笑いする。
彼女は「そっか」と言って前を向いた。
「ヒョーゴはね、家が隣で幼稚園から中学までずっと一緒だったんだ」
「幼馴染、ですか」
「ただの腐れ縁だよ。私がこっちに来てやっと離れられたと思ったのに、まさか同じ大学に進んでるなんてさ」
それはすごい偶然ですね、と言いながら。
ヘイハチは彼女の言い方に引っかかっていた。
聞こうか聞くまいかと逡巡していれば、彼女の方が先に話し始める。
ヘイハチの考えていることなどお見通しらしい。
「まぁ、なんだろね。あいつも女の趣味が悪いというか。・・・私なんかを選ぶんだからさ」
「・・・・・」
「林田?」
「・・・・・それは」
「うん」
「・・・・・趣味が悪い」
「おい」
真顔で告げるヘイハチに、彼女は「ひどい奴」と呆れたように苦笑する。
彼女の笑う顔を久しぶりに見た気がする。
なんだか眩しくて、ヘイハチは思わず目をそらしてしまった。
「でも、それで言ったらお前もあいつと同類になるよ」
「あ・・・そういえばそうですね」
ヘイハチも彼と一緒。
彼女を選んだのだから、そう言われても仕方がない。
あっさり認めるヘイハチを見て、彼女はまた笑う。
笑い、そして綺麗な眉を少しだけひそめてふっと寂しげな笑みを見せた。
彼女は前を向き、ブランコの鎖を両手で掴む。
「林田・・」
「・・・はい」
「怒ったか?・・・やっぱり」
あの日、図書館でヘイハチに見られたヒョーゴとのキス。
彼女が望むものではなかったとはいえ、あんな場面を見られて、きっとヘイハチは怒ったはず。
だからヘイハチは呆れてあの日メールをくれなかった。
彼女はそう思っていたとヘイハチに打ち明ける。
彼女は突然、あははとわざとらしく笑いながら話し出した。
「お前が怒るのもさ、無理ないと思うんだ。それに今回のことだけじゃないし」
今までも、同じようなことは何度もあった。
2人でデートしていても、少し目を放した隙に他の男が彼女に声をかけてくる。
そのたびにヘイハチがうんざりしたような顔をするのを、彼女は見ていてつらかったという。
「ほら。私さ、顔が派手だろ?まぁ言動も派手だけど。・・・だからさ、無駄に声かけられるっていうか・・・」
「委員長・・」
「軽い女って思われてんだと思うよ」
「・・・違いますよ」
「いやいや、でもさ。だから、今回のこともそうだけど・・・その・・・・そういうめんどくさいことで林田に心配かけたくないっていうかさ」
たはは、と頭を掻きながら彼女はぎこちなく笑う。
彼女のそんな笑顔を見て。
ヘイハチは自分がたまらなく情けなくなった。
彼女は美人だ。
頭も良くて優しくて性格もよくて。
みんな、彼女のそういうところに惹かれて寄ってくる。
彼女に声をかける男は後を絶たない。
それをどうするわけでもなく、ヘイハチはただ離れたところから見ていた。
ただ見ていただけだ。
自分が守ってやらなければならなかったのに。
自分が彼女を傷つけたのだ。
今までも、あのときも。
ヒョーゴに唇を奪われて、それを自分に見られて、彼女がどれだけ不安だったかヘイハチは考えてやれなかった。
彼女とヒョーゴが一緒にいるのを見て、あてつけのように女の子たちと一緒にいた自分が恥ずかしくてしかたがない。
「・・・林田?」
「・・・・・」
「おーい」
「・・・・・」
「あれ。寝ちゃったのか?」
「・・・・・起きてます」
ヘイハチはうなだれていた頭をゆっくりと起こし、彼女の方に顔を向けた。
ヘイハチの顔を見た彼女が、「ひどい顔。どしたの?」と苦笑する。
「・・・委員長」
「おぅよ」
「・・お願いがあります」
「なに?私にできること?」
「はい・・・・」
不思議がる彼女の顔をじっと見つめ、ヘイハチは「自分の頬を引っぱたいてください」と言った。
彼女の顔が途端に真顔になる。
「・・・林田」
「・・・はい」
「・・・マゾ?」
「違いますよ!」
「じゃ、なんで」
「自分が情けなくてしかたがないんです・・・っ」
いつもへらりと笑う頼りなげな眉をひそませて、ヘイハチは奥歯を噛みしめる。
彼女は意味がわからず、ヘイハチに首をかしげる。
「あなたが・・・あなただけがそうやって悩んで、私に気を遣ってくれていたことにも気づかないで。だぁ、もう・・・・男として自分が情けないです!」
がしがしと頭を掻いて額をおさえてヘイハチはうなる。
「だから引っぱたいてください。喝を入れてください」とヘイハチは手を膝に置いて彼女に向き直る。
そんなヘイハチを見て、不覚にも胸の奥がじんとしてしまった。
ぎゅっと目を瞑って、「お願いします・・っ」とビンタを所望するヘイハチに、彼女は眉をひそめて苦笑する。
ヘイハチが奥歯を噛みしめて痛みをこらえようとしているのがわかる。
痛みに対する堪え性もないくせに、それでも自分のために、必死に男を見せようとしてくれるヘイハチが。
可愛くて。
愛しくて。
「よぉし、わかった。林田」
「はい・・っ」
「歯ぁ、食いしばれ」
「もう食いしばってます・・・っ」
「よし、いくぞ」
「どうぞ・・・っ」
ぐっと力をこめてヘイハチは奥歯を噛みしめる。
どちらの頬にくるのだろう。
右か、左か。
彼女がブランコを立って、ガシャリと鎖の音がしてヘイハチは膝に置いた拳に力をこめた。
閉じた目で、彼女の気配を目の前に感じた。
「この、馬鹿たれ」
優しい声が耳に届く。
左の頬に走ったのはビンタの激痛ではなく、ぱちんと軽く当てられた柔らかい手の感触。
予想外の感触に思わず目を開ければ、いきなり目の前に彼女が飛び込んできてヘイハチはバランスを崩した。
ヘイハチの情けない叫び声が公園にこだまして、ついでガシャンとブランコが激しく揺れる音がして。
ヘイハチは彼女を抱えて後ろに落下した。
背中と腰をしこたま土の上に打ち付けて、じんじんと痛みが走る。
「いっ・・・だだだ」
「・・・・」
「い・・委員長?」
肘をついて上半身を起こせば、自分の胸に抱きついたままの彼女に気づき、ヘイハチは耳が熱くなるのを感じた。
彼女の方から接触してくるなんて珍しいことだから、余計にどきどきしてしまう。
声をかけても、彼女はヘイハチにびたりとくっついたまま顔も上げてくれない。
だがそれも、上げてくれないのではなく上げられないのだと気づく。
闇夜にかすかに見えた彼女の耳もまた、ヘイハチ同様真っ赤だった。
照れている彼女など尚更珍しい。
「林田・・」
「あ・・はい」
「変わんなくていい」
「はい・・?」
「変わんなくていいよ。お前は、そのまんまでいい」
「はぁ・・・ですが、それでは私の男としてのなけなしの自尊心が・・・何といいますか」
「いいったらいい。だってさ」
ヘイハチの胸に顔をうずめたまま、小さな声で彼女は呟く。
林田が男らしくなんてなっちゃったら、他の女の子がお前のこと好きになっちゃうじゃんか。
今だってあんなに声かけられてんのに。
言い終わった後の彼女の耳がますます赤くなったのを見て、ヘイハチはじわじわと胸を熱くしていく。
「えぇと・・・委員長。あの、もしかして・・・やきもちですか?」
「うっさいな!言わなくていいよ!」
図星らしい。
彼女が、他の女の子たちに嫉妬してくれている。
それが嬉しくてたまらない。
彼女はクールで、何事も飄々とこなす人だと思っていたから、そんな人並みな女の子らしさにヘイハチはどきどきが鳴り止まない。
固まったままの彼女の細い体を胸に抱いて、ヘイハチはしばらくそのままでいた。
落ちたときの痛みはもう消えている。
体を支えていない方の手を、まだ動かない彼女の背中にまわして小さく撫でた。
ヘイハチの体を拘束する彼女の腕から、少しだけ力が抜ける。
「委員長」
「・・・・・・」
「あの、ですね・・・。どうぞご心配なく」
彼女からの返事はない。
それでもヘイハチはかまわず続けた。
彼女が見ていなくても、彼特有の優しい穏やかな笑みを彼女の頭に降り注いで。
どうか心配なんてしないで下さい。だって
「自分の眼中には・・・あなたしか映っていませんから」
「・・・・・・・・・うん」
くぐもった小さな返事が自分の胸から聞こえてきて、ヘイハチは小さく笑って彼女の背から頭へと手を移した。
小さな頭、綺麗な長い髪。
守ってあげなければならない、彼女の頭を何度も撫でた。
しばらくして彼女はようやくヘイハチの胸から顔を離してくれた。
俯き加減で、視線だけをヘイハチに向けてくる。
下から見上げられ、それが彼女の無意識の動作だとわかっていても、ヘイハチの心拍数を否応なしに跳ね上げた。
彼女のことが好きで好きで、たまらなく好きで。
彼女に触れたい衝動がとまらない。
ヘイハチは自分から顔を近づけて、彼女の鼻の頭に小さなキスを落とした。
彼の意外な行動に彼女は目を丸くして、子どもじみた仲直りに思わず吹き出した。
「やっぱり委員長は笑っていた方が可愛いですね」
「それ・・・他の子に言ったりしないよな?」
「誰に言うっていうんです」
あなた以外に、と付け加えれば、彼女は嬉しそうにまた笑った。
彼女の笑顔を取り戻したのは自分であると。
今なら、少しだけ胸をはれる。
「委員長・・・」
「うん?」
「大好き、ですよ」
「うん・・・知ってる」
「あともう一つ」
「なに?」
ヘイハチは支えていた腕に力を入れて彼女と距離を縮める。
やわらかい髪に指を通して頭を引き寄せ、耳元に口を近づける。
今夜はうちに泊まっていってくださいね
さらりと告げて、置き土産のキスを頬に落とせば。
彼女は赤く染まった顔を勢いよくそっぽ向けてしまった。
そんな彼女が可愛くて可愛くて、ヘイハチは喉を鳴らして笑った。
あぁ、恋とはなんと苦しくて、そして美しいものよ。
おまけ
「あ、これはいけない。忘れていました」
「なにを?」
首をかしげながら彼女はヘイハチを見上げてくる。
その唇に、ヘイハチは当然のようにちょんと唇を重ねた。
すぐに顔を離せば、彼女は一瞬ほうけてから、ぐっと唇を引き結んでヘイハチを睨んだ。
「ちょっ、なに・・・いきなり」
「消毒です」
自分以外の男があなたに触れるなんて我慢なりませんから。
しれっとした顔で告げるヘイハチに、彼女は口を手で覆って横を向いた。
もしかしてヘイハチ、この一件で何か男としてのスイッチらしきものが入ってしまったのではないだろうか。
ある意味危険かもしれない。
そっと横目で彼を見れば、彼女の視線に気づいたヘイハチが「おや?」という顔をして、笑った。
「なんです?」
「いや・・・別に」
「そうですか。ではもう遅いですし、早く帰りましょう」
ヘイハチは立ち上がり、彼女の手を取ってぐいっと引っ張り上げた。
短く礼を告げて服についた土を払っていれば、正面からぎゅっと抱きしめられた。
珍しい、積極的なヘイハチに、彼女の顔の温度がまたあがる。
「・・・どしたの?」
「いえ。相変わらず細いなぁと思いまして」
「どうせガリガリだよ」
「そんなことはありませんが。ただ、少し心配ですねぇ」
「は?」
「いえ、ね」
彼女をぎゅぅっと抱きしめながら、ヘイハチは楽しそうに告げる。
「今夜はそれなりに覚悟していただきませんと」
「・・・・っ!?」
「明日の1限は諦めたほうがよろしいのでは?」
「ばっ!そ、そんな理由で休めるか!」
「いいじゃありませんか。ヒョーゴさんにノートを頼めば」
「・・・っ。は、林田!」
「はい?」
「鬼!!」
「はい、何とでもどうぞ」
鼻歌交じりに彼女の抱きしめるヘイハチは、それはそれは幸せそうな顔で笑っていたとか。
ヘイハチが本性を出したぁぁぁぁぁっ!!
そんなお話でした。はい。
長々とお付き合いいただきましてありがとうございました!
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