ドリーム小説
スピカ 春宵夜
満月が春の夜に浮かぶ。
満月を守るようにその周囲に数多の星々が散らばる。
その中に青白く光る一等星が一つ。
きっとあれがスピカだと思いながら人狼は森の中を駆け抜けた。
先月の満月の晩はまだ冬の空気が残り走るたびに寒さに毛が逆立っていた。
だが今はもう春が永い眠りから目を覚まし、体を暖かな風が包む。
それでもそれが人狼の体を襲う苦しみを紛らわせてくれるわけではない。
気を張り詰めなければ飛んでしまいそうな理性を保ち、リーマスは森の中を彷徨っていた。
途中苦痛に耐えられなくなると自傷行為をするため身体のあちこちに付く鮮血が目に入る。
(何ヲ・・・何ヲシテイルンダロウ、僕ハ)
自問自答しても最早人としての思考力などほとんどないリーマスは牙の生えた口から唸り
声を上げるのみである。
空に高々と掲げられた黄金の月を睨み、それを射落とすように一つ大きく吼える。
自分の遠吠えが耳元で鳴って頭がジンジンする。
森の奥へ奥へと響いていく咆哮が徐々に薄らいでいく。
リーマスが自分で叫んだ声が完全に静寂に呑まれて消えていったときだった。
リーマスの咆哮を呼び戻すかのようにまた別の咆哮がはるか遠くであがった。
まるでリーマスに共鳴するように、まるでリーマスに自分のことを示すように。
リーマスの動きが止まる。
(聞イタコトノアル声・・・・・ズット前ニ聞イタ声ダ)
その声が何か知っている。
それは人狼の声でも野生の獣の声でもない。
気高く生きる幻獣の、自分を誇示するかのような自信に満ちた声。
遠くであがった咆哮が森の中で反響して徐々に消えていく。
その声が完全に消えた瞬間、リーマスの前に白い何かが浮かび上がってきた。
月の光を浴びてキラキラと光輝く銀の体毛。
(。君ダロ?)
リーマスの無言の問いかけに雪豹は長くしなやかな尻尾を振って答える。
真っ青な雪豹の瞳がじっとリーマスを捉えて離さない。
リーマスもその視線をそらさない。
両者はしばらくその状態のまま見つめあった。
だが不意に雪豹は軽い足取りでリーマスに近づくとリーマスの体毛に付いた血を訝しげに
見つめ、そして彼の体の傷を舌で舐め始めた。
小さな傷も大きな傷も丁寧に舐めていく。
するとすぐにリーマスには見慣れた光景が広がる。
傷口は青白く発光したと思った瞬間にはズキズキと痛んでいた傷は全て治っていた。
リーマスがこうして助けられたのはこれで3度目。
何だか奇跡に遭いすぎだと可笑しく思う。
そして今度こそお礼が言いたいと思った。
(アリガトウ。マタ助ケテモラッチャッタネ)
小さく吼えるとリーマスは癒えた体で軽快に近づき、雪豹の鼻っ面をペロリと舐めた。
雪豹は驚いたように目を丸くしている。
だが嬉しそうに目を細めると自分もリーマスの鼻を舐め返し、顔をリーマスの首に摺り寄
せた。
まるで毛色の違う2つの獣はそれ以上動くことなく静かにその場に寄り添った。
知らぬ間に夜は明けていた。
遠くの空が薄紫に輝いている。
もうじき日が昇る。
雪豹は変わらず狼のそばにいた。
ここにいたらリーマスの体が元に戻り、彼女に正体がばれてしまうのも時間の問題である。
彼女に知られないようにとリーマスは音を立てず、ゆっくりと起き上がった。
彼女から数歩離れて振り返る。
雪豹はまだそこに横たわっていた。
ひどく未練が残る。
本当はずっとそばにいたい。
それでも自分の正体を明かさず、彼女を危険に晒さず、ひっそりと彼女を想うことがリー
マスにできる精一杯のことだった。
東の空に向き直り、頭をもたげてゆっくりと歩を進めたときだった。
「リーマス」
鈴がなるような声。
自分を呼ぶ優しげな声。
リーマスはゆっくりと振り返る。
僅かに顔を見せた太陽の光を顔に受けては柔らかな笑顔で彼の名を呼んだ。
リーマスの時が止まる。
その場から離れなければならないことも忘れていた。
また少し、また少しと昇り始めた太陽の光を体に浴びてリーマスの狼の体が少しずつ変化
していく。
リーマスの体が完全に人型に戻ると同時に彼の止まったままの時計が動き出した。
「・・・」
名前を呼ぶと、少女は出会ったときから変わらない薄い氷のような笑みを浮かべた。
完全に元の姿に戻ったリーマスは日の光に反射して輝くの髪に目を細めた。
雪豹から元に戻っても変わらぬ美しさを保つ銀の髪。
それが風に揺れてふわりと波打つ。
「。君は・・・」
上手く言葉が続けられなくて思わずそこで声を押しとどめてしまう。
だがはそんなことは気にもせずふわりと微笑む。
そして髪を揺らしながらゆっくりと頷いた。
「知っていたわ。初めて森であなたに会ったときから」
リーマスが続けられない言葉をが継ぐ。
そのことにリーマスは目を丸くして言葉を失う。
「初めて傷を舐めたときにわかったの。これは純粋な獣の血ではないと。それに・・・・
リーマス、あなたの匂いがしたの」
最初から彼女は知っていた。
その事実にリーマスは驚愕する。
思うように言葉が出ない。
リーマスは何も言えないままでいた。
だがしばらくして何かに観念したかのように天を仰ぐと、フッと力を抜いて息を吐いた。
「僕が・・・人狼だと知っていたのかい?」
抜けていくように紡ぎ出された言葉に、は静かに首を縦に振る。
は思い出すように目を細める。
「2回目にあなたに会ったのも満月の夜だった。それで気付いたの」
リーマスの心の内を汲み取ってか、は酷薄そうに眉を寄せて微笑む。
リーマスは改めての聡明さを悟った。
2人の間を穏やかな春宵風が流れる。
の髪が風になびき、彼女の顔を隠す。
視界を遮る髪を耳にかけると、そこには自分を真っ直ぐ見つめるリーマスがいた。
その眼は今までに見たことがないくらい悲しみを帯びていた。
暖かな色の瞳が沈黙を強要する。
「怖いだろう?」
だがそれもまた突然に破られた。
躊躇いの感じられないリーマスの言葉。
まるで最初から用意されていたかのように滑らかに紡ぎ出される。
「本当は、怖かったんじゃないかい?学校で僕と話をするのが」
リーマスの表情に変化は見られない。
むきになって激昂しているわけでも開き直って自分を叱咤しているわけでもない。
「平和な日常に潜む危険極まりない獣が。そんなものが近くにいることが」
あくまで穏やかに言葉を紡ぐリーマスは、が知るいつもの彼だった。
全てを晒すように後から後から言葉が紡がれる。
「いつ本性が現れて襲い掛かられるかもしれない。いつ咬まれて感染させられるかもしれ
ない。本当は・・・僕に触れるのだってありったけの勇気を振り絞って」
「リーマス」
静かなリーマスの声を止めたのは、更に静かな少女の声だった。
決して焦って止めようとしているわけでもなく、弁解しようとしているわけでもない。
の薄氷のような笑みは変わらずそこにあった。
「リーマス」
彼女の唇から紡がれる名前。
彼女に呼ばれるために付けられたように美しく響く名前。
彼女に呼ばれることを切に願う少年がそこにいた。
が一歩リーマスに近づいた。
「確かにあなたは人狼であるかもしれない」
リーマスはそこに留まった。
はまた一歩近づく。
「そのことを私が知ってしまって、あなたを深く傷つけてしまったかもしれない」
を見つめるリーマスの瞳が微かに揺らいだ。
は視線をそらそうとしない。
「でも私は・・・私は無力でちっぽけな人間で。あなたのおかげで勇気や自信を
得ることができた、小さな存在で」
ありったけの想いを込めて言葉にする。
「あなたの苦しみを理解できるほど立派でもなくて、理解できると思えるほど高慢でもな
くて」
出会ってから今までのことを全て声に乗せて伝えたい。
「私なんかに、あなたの傷を全て癒してあげることはできないかもしれない」
の両手がリーマスの両手を優しく包み込む。
そこにはの治癒力でも治しきれない小さな傷が幾つも付いていた。
少女の知らないリーマスの過去がそこに浮き出ていた。
「私は、普通の、小さな人間です」
ゆっくりと紡がれるの言葉に、リーマスの胸の奥がきしりと音を立てた。
静かな波に押し流されるような感覚におちいる。
自分は普通ではないとリーマスの頭の中で誰かが言う。
振り払いたい小さな両の手を、だがリーマスはじっと見つめた。
「リーマス。あなたと同じ、普通の人間です」
不意に耳に入った言葉。
何の抵抗もなく入ってきた言葉。
聞き違いだとリーマスが顔を上げる。
だがそこには薄く微笑む彼女が居た。
「私はあなたに救われた、小さな存在です。あなたに守られてばかりの無力な存在です」
不意にリーマスは両手に心地よい温度を感じた。
確かにそこに彼女が居るという、何にも替えられない存在がそこにあった。
「それでも」
リーマスの両手を包む小さな手に力が篭る。
決して眼をそらすことのできない薄青の瞳が揺らぐ。
「それでも私は、あなたが好きです。あなたがなにものでも構わない。あなたの・・・・
リーマスのそばにいたい。それが」
太陽の光がの瞳に当たった瞬間、それはゆっくりと流れ落ちた。
束縛から逃れるようにゆっくりと白い頬を伝い落ちた。
「それが、私の幸せです」
の笑みを飾っていた薄い氷がゆっくりと溶け出した。
彼女が纏っていた薄い氷のヴェールが音を立てて割れていく。
それに気付けた者は、今この世界でたった一人。
それは自分だと思った。
思いたかった。
その瞬間、リーマスは悟った。
自分が自分であること。
自分はそこにいること。
彼女が自分をそこにいると思わせてくれたこと。
彼女が癒してくれた傷は、身体の傷だけではなかった。
気付くとリーマスは割れた破片から守るようにそっとを抱きしめていた。
“リーマス”
掠れた声が首の下から聞こえてくる。
頬を寄せた髪が柔らかく心地よい。
「一度、ちゃんとこうして抱きしめたかったんだ」
時間をかけて想いをはきだすようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
抱きしめていた腕の拘束を解くと、リーマスは両手での頬を包み込んだ。
冷たい頬を愛しげに指でなぞる。
視界が涙で曇って良く見えていないが可愛くて、彼女が瞬きしている間にスッと
唇を奪った。
「ぁ・・の」
「一度、こうして僕からキスしたかった」
突然唇に落ちてきた柔らかな感触にの頬が薄く染まる。
わけがわからず慌てるにリーマスは思わず噴出してしまう。
そして楽しげに笑いながら少女を強く抱きしめた。
がそこにいた。
リーマスのすぐそばにいた。
遠い空にはスピカがあった。
でも今は太陽の光の白さががそれを隠していた。
太陽は輝いていた。
でもを隠すことはできなかった。
「好きだ。僕もが好きだよ」
あまりに自然な、耳元でそっと囁かれた言葉。
の頭がそれを理解するのにしばし時間を要した。
やっと理解できてリーマスの顔を見上げると、そこにはいつも通りの笑顔でを見
つめる彼がいた。
「遅くなってごめん。不安にさせてごめん。の幸せは、僕が守るから」
その言葉に止まっていたの涙腺がまた緩み出す。
初めてが地下室で泣いた時のことを思い出して、リーマスは感慨深げに微笑んだ。
思えばリーマスは結構な数のの涙を見てきた。
図書室で寝言を言いながらひっそりと泣いていたときも。
地下室で全てを曝け出す様に泣いたときも。
あのときはまだ触れて涙を拭ってやることはできなかった。
思う存分泣かせてあげて、それを見守ってあげることしかできなかった。
「もう泣かせたりしないから」
もう一度優しく抱きしめ、そっと腕を解放した。
薄い青の瞳に浮かぶ雫が太陽の光に反射して輝く。
それをそっと指で払うとリーマスは目尻に唇を寄せた。
「君のそばにいる。だからも僕のそばにいて」
僕の幸せは彼女の幸せ。
私の幸せは彼の幸せ。
太陽の光を受けて光と影を作り出すホグワーツ城を前に、リーマスは空を仰いだ。
空には銀色の満月の代わりに黄金の陽が輝く。
暖かな風を受けてリーマスはグッと背伸びをした。
「もう春だね」
呑気にそんなことを言いながらリーマスは思う。
2人が出会ったのはまだ寒い冬だった。
友人の恋物語に決着が付いて、それからすぐの出来事だった。
あれからわずか3ヶ月しか経っていない。
「そうね」
知らぬ間に一つの季節が過ぎ去っていた。
冬。
音のない、静かな季節。
それは確かに音のない静かな物語だった。
春。
ゆっくりと芽が吹く音がする。
冬が終わり、春が始まることは誰でも知っているのに。
「ねぇ、リーマス」
「ん?」
誰が季節を変えているのかは誰にもわからない。
「スピカが春の夜の星だってこと、覚えている?」
「もちろん。乙女座の一等星、でしょ?」
もし心に氷を宿した誰かが微笑む度に、それが溶けて春を呼んでいたのだとしたら。
「「今度こそ一緒に見に行こうか?」」
仰ぐ空は高く遠く真っ白で、太陽だけが光を放っている。
そんな昼の空。
夜に輝くのを恋焦がれて、青白い一等星が昼も空から輝きを放っている。
昼の星に見守られながら、2人の影はゆっくりと重なり合った。
静かな静かな物語。
語り部は空の星。
そんな春の日の物語。
END
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終わった。終わった。終わった。終わった。終わった。
おーわーったー!!!
長らくお待たせいたしました、スピカ完結!!
いろいろお話したいことがありますがそれは後日の総合後書きで!
それでは皆様一時アディオス!
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