ドリーム小説
※『Summer Waltzes You』の翌日のお話。
※長谷津の名物を捏造しています。
※ちょいと糖度高め(当社比)ですが未遂です。
陽炎の先、笑顔の君が手を振る。
待ってくれ、と伸ばした手は届かなくて君はどんどん遠ざかる。
追いかけても、追いかけても、歪んでは消えていく。
灼熱の夏が、君を連れていく。
そんな夢を、もう何度も繰り返し見ている。
夏が君を連れていく
長谷津、4日目。
夏祭りの翌日。
その日の朝になって突然ユーリが「海で泳ぎたい!」と言い出し、一行は勝生家から歩いていける海岸へ遊びに行くことになった。
ただ全員が参加したわけではない。
だけは留守番することになった。
日本に来て4日、慣れない暑さになんとか耐えていた彼女の体力はついに底をつく寸前にまで追い込まれていた。
体力のない彼女にしてはかなり頑張った方だ。
今朝の朝食はあまり箸が進まず、少し頭が痛いという彼女に真利が頭痛薬を渡していた。
「ごめんなさい。私はちょっと休ませてもらうから。海にはみんなで行ってきて」
俺たちに気を使わせまいと彼女は無理に笑顔を作る。
心配だから俺も残ると言うと「大丈夫」と首を横に振られてしまった。
「気を使わないで。せっかくのオフなんだから、あなたも遊んできて」
笑顔を向けてはくれるものの、その顔色はけして良くはない。
そんなつらそうな様子の彼女を置いて遊びに行くなんて。
けれど俺が行かないと言ったらきっと彼女はもっと自分を責める。
「わかった、出かけてくる。が、俺は少し早めに帰ってくる」
それくらいの心配はさせてくれ。
強情な俺の決断に彼女はしかたなさそうに笑って観念する。
朝食を終えるとすぐに支度をし、男4人にマッカチンを連れて海岸へ出かけた。
水着なんて持ってきていないから俺とユーリは私服のハーフパンツをずぶ濡れにして海へ飛び込んだ。
「やばい、海パンじゃねぇからすっげー水吸う!くっそ重い」
わかっていたことだがあまりにも泳ぎづらい。
ユーリは腹を抱えて笑いながら水を蹴っている。
俺はあまり濡れたくないので足を浸ける程度にしていたが、ユーリに思い切り水をかけられてからは諦めて全身浸かることに。
灼熱の太陽の光が降り注ぐ。
全身の力を抜いて海面にぷかりと体を浮かべ、照りつける太陽の眩しさに目を閉じた。
瞼の裏。
真っ暗なそこに映るのはどうしたって彼女の姿だった。
今頃どうしているだろうか。
具合は悪化していないだろうか。
ひとりで寂しくしてはいないか。
思うのは彼女のことばかり。
たゆたう波が頬を撫でる。
少しくすぐったいその感触にふと昨夜の夏祭りで彼女がくれたキスを思い出す。
頬に指を添えてみるも触れてわかるような痕が残っているわけではない。
けれど体は確かに覚えている、そこに触れた彼女の熱を、唇の感触を。
会いたいと思った。
まだ海に来て1時間も経っていないのに、もう彼女のもとへ帰りたいと心が叫んでいる。
「すまない。先にあがらせてもらう」
岸に戻って、マッカチンと砂遊びをしていた勇利とコーチにそう言い荷物をまとめた。
あとから上がってきたユーリに「もう帰んのかよ」と少しつまらなそうな顔をされる。
悪いとは思ったが俺の決断は鈍らなかった。
「悪い。その、彼女のことが心配で」
素直に胸の内を白状する。
すると3人は俺を引き留めることなくあっさりと帰宅を勧めてくれた。
サンダルに足を突っ込み歩き始めたところでコーチに呼び止められた。
「後でみんなの分のアイスを買って帰るよ。オタベックはどんなのがいい?」
それはわざわざ引き留めてまで訊くようなことなのだろうか。
コーチの笑顔の裏が読めない。
「お任せします。何でも大丈夫です」
特にこだわりはない。
正直早く彼女のところへ戻りたいのもあって失礼ながらおざなりに返事をした。
「OK。じゃあ君の分は、イカスミかな」
どうしてそのチョイスなんだとツッコみたくもあるが時間が惜しい。
「長谷津名物イカスミアイス。見た目真っ黒だけど味はすごくさっぱりしていておいしいんだ」
アイスの講説が始まってしまった。
長い話になるのだろうか。
少しでも早く彼女のところへ戻りたいのだが。
逸る気持ちを抑えられない。
そんな俺の心情を彼がわかっていないはずがなかった。
「早く帰りたいって顔をしているね。わかった、引き留めて悪かったよ」
「いえ。あの、それじゃ俺はこれで」
「うん。イカスミアイス、楽しみにしていてね」
「はぁ」
「本当においしいんだよ。見た目に騙されて手を出さない人がいるけど。なぜその奥の味を知ろうとしないのか俺は不思議でならないよ」
コーチの笑みに深みが増す。
俺が伝えたいことわかった?
そんな顔をしている。
「……?……あっ」
ああ、なるほど。
一体何のことを言っているのかと思ったら。
ようやく俺は彼が言わんとしていることに気付く。
俺が察したことを感じ取った彼は満足そうに笑って「をよろしく」と手を振る。
俺はそれに小さく会釈し、きびすを返して足早に歩き始めた。
蝉の声が絶え間なく聞こえてくる。
こんなに暑いのにどうしてお前たちはそんなに元気なんだと少しうんざりさせられる。
勇利の家に戻るとは2階の空き部屋で寝ていると真利が教えてくれた。
俺とユーリが泊まらせてもらっている部屋だ。
1階の真利の部屋に客が来ていたため静かな2階で休むよう彼女が勧めたそうだ。
冷たい氷水の注がれたグラスを片手に軋む階段をのぼる。
風を通すためだろう、部屋の障子は開いていた。
「?」
控えめに声をかけたが返事はなかったので部屋を覗く。
彼女は畳の上に横向きに寝転がって眠っていた。
朝食の席では私服を着ていたはずだが今は浴衣を着ている。
暑さ対策だろうか、おそらく真利が着せてくれたのだろう。
しかし果たしてそれは効果があったのか。
窓は全開になっているが風はなく、吊り下げられた風鈴は何の音も立てていない。
枕元に置かれた扇風機もタイマーが切れて風を生み出すのをやめている。
途切れることなく鳴き続けている蝉の声が暑さを余計に増長させる。
いくら着替えたとはいえこれでは暑いだろう。
音を立てないように静かに足を踏み入れ、テーブルにグラスを置いて彼女の隣に腰をおろした。
悪いとは思ったが好奇心には勝てず寝顔を覗きこむ。
閉じられた瞳、長い睫毛、白い肌、こうして見ると本当にユーリとよく似ている。
すやすやと眠る寝顔はあどけない少女のようだ。
汗で額に前髪が張りついている。
拭いてやったら彼女は起きてしまうだろうか。
けれどこのまま汗をかき続けるのも体に毒だろう。
扇風機に手を伸ばしタイマーのつまみを捻る。
プロペラが回り弱めの風が彼女の髪をそよそよとなびかせ始める。
自分のカバンから綺麗なタオルを手繰り寄せ、そっと彼女の額に押しつけ汗を拭ってやった。
起こさないように慎重にしたつもりだが、どうやら彼女の眠りも浅かったようだ。
長い睫毛がぴくりと動き、瞼がゆっくりと重い腰をあげていった。
「……、オタベック?」
「すまない。起こしたか」
「うぅん……、いいの。半分ぐらい起きていたから」
寝起きの微睡んだ瞳が俺を見つけてふわりと微笑む。
体を起こそうとする彼女を手で制し、「まだ寝ていてかまわない」と再び頭を枕に沈めさせた。
横向きに寝転ぶ彼女の額に冷えたグラスの側面を押しつける。
予想できた冷たさのようで彼女はあまり驚くことはなかった。
「冷たい……気持ちいい」
日なたに座る猫みたいに目を細めて笑う。
「飲むか?」
「ん……もう少ししたら」
グラスをテーブルの上に置き、彼女の額を濡らす水滴を指で拭いとる。
ふと彼女にその手を取られ、ひさしの代わりにするように目元に覆い被せられた。
陽が眩しいのだろうか。
「カーテン。閉めるか?」
「うぅん……大丈夫。オタベックの手、冷たくて気持ちいいから」
このままでいさせて。
零れる吐息が心地よさそうで彼女の望むようにさせてやる。
扇風機の風に生き返った風鈴が涼しげな音色を奏で始める。
それだけで蝉の鳴き声が生み出す暑さがわずかに緩和される気がした。
「帰ってくるの、随分と早いんじゃなぁい?」
海は楽しめたのかと訊かれ、彼女の気を煩わせたくなくて「十分楽しんできた」と嘘をつく。
ユーリが一番海を楽しんでいたことを伝えると弟を想う彼女の口元に優しい笑みが刻まれた。
コーチが帰りにアイスを買ってきてくれると言っていたことも伝える。
俺の分はイカスミ味のものになるらしいと聞いた彼女の肩がおかしそうに揺れる。
目元を塞いでいた俺の手をわずかにずらし、「一口食べてみたいわ」と好奇心に満ちた瞳を俺に向けてくる。
朝に見たときよりもだいぶ顔色が良くなっている。
真利がくれた薬が効いたのだろう。
「水。飲まないか。すぐにぬるくなる」
氷はもうほとんど溶けてしまっている。
肘をついて気だるげに体を起こす彼女に結露で濡れたグラスを渡す。
それをゆっくりゆっくり時間をかけて飲む様を俺は静かに眺めていた。
嚥下するたびに小刻みに動く細い喉や、グラスの水滴が手首を伝って腕を流れ落ちていく様子。
浴衣から覗く日焼けしていない白い肌。
その肌を首筋から鎖骨の方へと流れ落ちていく汗の雫。
彼女から視線をそらせない。
暑さのせいだろうか、思考力が鈍る。
空になったグラスを彼女から受け取りテーブルに置くと小さくなった氷がカランと音を奏でた。
魔が差した。
そうとしか言えない。
理由なんてなかった。
気付いたときには濡れた彼女の唇にキスしていた。
重ねた瞬間感じたのは心地よい冷たさ。
気持ちいい。
ずっとこのままでいたいとすら思える。
触れるだけの軽いキスでとどめ名残惜しげに唇を離す。
「なぁに……?いきなり」
不意打ちなんてびっくりするじゃないと照れくさそうに彼女は笑む。
「」
「ん?」
俺を見上げる青い瞳。
感情がこみ上げてくる。
ただただ愛しい。
「君に触れたい」
溢れてくる素直な感情。
胸の中に押しとどめておくことができず言葉に出てしまう。
「抱いてもいいか」
剥き出しの感情を真っ直ぐにぶつけた。
彼女が困るのを承知の上で。
わかっていたことだが案の定目の前の彼女は顔を真っ赤にさせて戸惑っている。
「え……、今?」
「ああ」
「こ、……ここで?」
「ダメか?」
彼女から視線をそらさずにじり寄る。
俺が近づいた分だけ彼女は両手を後ろについて体を遠ざける。
簡単に押し倒されないようにと耐える姿に征服欲を掻きたてられる。
俺が本気を出せば彼女の細腕などどうにでもなるのだが、こうしてじりじりと詰め寄り少しずつ彼女を制圧していくのも悪くない。
いよいよ逃げ場のなくなった彼女の頬にキスを落とす。
首筋から鎖骨へ、流れ落ちた汗の跡を辿るように白い肌に唇を滑らせた。
肌蹴た浴衣の裾から手を差し入れ滑らかな脚に手を添える。
調子に乗ってこのまま……とうまくはいかなかった。
さすがに危機感を覚えた彼女の口から制止の声が飛び出した。
「待って……っ、オタベック」
「なんだ」
「下にみんなが……マーマや真利たちがいるわ」
「そうだな」
「そうだな、って……」
「俺は気にしない」
「ちょ……っ、待って、お願いオタベック、……こんなところじゃ」
「こんなところじゃなければいいのか?」
暑さにやられた頭が意地悪な問いかけをする。
必死に俺を止めようとする彼女が今は可愛く見えてしかたなかった。
彼女に困った顔をさせて愉悦に浸る馬鹿な自分がいる。
「本気、なの……?」
「まあわりと」
「……、待ってって言ってもダメ?」
「俺はかなり待ったと思うが」
最後に体を重ねたのは一体いつのことか。
もう随分と長いこと彼女に触れていない。
付き合い始めて8か月経つが、俺たちはまだ片手で事足りるほどの回数しか体を重ねていない。
遠い距離と時間が俺たちの間を阻んでいる。
足りないのだ。
彼女に触れる量が、圧倒的に。
触れたい。
彼女の熱を感じたい。
「嫌か」
ずるい質問だというのはわかっている。
優しい彼女はおそらく断らない。
強引な俺の願いを受け入れてくれるだろう。
優しい。
いつも俺を気遣い、俺のことを第一に考え、甘やかしてくれる。
そんな彼女に俺もまた甘えてばかりいる。
けれど。
君は本当は何を考えている?
君の本当の気持ちはどこにある?
目に見える君の態度のすべてが真実とは限らない、そう教えてくれた人がいる。
俺は君の本音を暴きたい。
そのためなら少し強引な手を使うことも辞さない。
だから、嫌ではないと首を横に振って俺を受け入れてくれる彼女の優しさを利用させてもらう。
「いいんだな」
「……、……」
「拒むなら今のうちだ。悪いが加減できそうにない」
「あ、の、」
「思い切り抱かせてもらう」
「……っ、や、やっぱり待っ」
待てない。
もう待ってなんてやれない。
彼女の体を畳の上に押し倒し、両足の間に膝を割り入れて足を閉じられないようにした。
顔の左右に細い手首を縫い付けて抑え込む。
口を塞げないようにするためだ。
声は殺させない。
その代わり助けを呼びたくなったら好きなだけ叫べばいい。
「ユーリたちが帰ってきても俺はやめない。嫌なら彼らに助けを求めればいい」
そんなことをしたら彼らをこの場に呼び寄せることになる。
彼女はそうしない、できないとわかっていてあえて言う。
意地悪が過ぎる。
自分はこんなに卑怯で底意地の悪い男だったのか。
初めて知った。
彼女を暴こうとして先に暴かれたのが自分の本性だなんて。
思わず皮肉な笑みが浮かぶ。
不安な顔で俺を見上げ何か言おうとする彼女の唇をキスで塞いだ。
深く口づけ、時間をかけて彼女の熱を上げていく。
彼女が病み上がりであることを俺はすっかり忘れてしまっている。
加減ができない。
灼熱の夏の暑さに理性はとっくに食われていた。
剥き出しの本能が彼女に襲いかかる。
とめられない。
ブレーキが馬鹿になっている。
浴衣を脱がせようと帯紐に手を掛け結び目を解いたところで俺の暴走を強制的に止めてくれるものが現れた。
Prrrrr……Prrrrr……
畳の上に投げ出されたスマホが着信音をあげながら震えている。
画面に浮かんでいるのはユーリの名前。
タイミングがよすぎる。
まるでこの状況をどこかで見ているかのようだ。
遠くへ行っていた理性が急速に戻ってくる。
何コールか鳴って着信は切れた。
少し落ち着きを取り戻した俺は彼女を見下ろし再び我に返ることとなる。
見下ろす先、彼女が俺から顔を背けて苦しそうな表情を浮かべている。
その瞳には涙が溜まっていた。
泣かせてしまった。
理性とともに罪悪感がこみ上げてきた。
「……」
「……」
「その……すまない」
調子に乗った。
無体を強いたことに今更ながら後悔の念が押し寄せる。
本当の君を知りたかっただけで、傷つけるつもりなんてなかった。
泣かせてしまった今になっては言い訳でしかないが。
嫌われてしまったかもしれない。
もう二度と触れさせてもらえないかもしれない。
抑えつけていた彼女の手首から手を放し、乱した浴衣の裾と襟元を気持ちばかり直す。
頭を冷やそう。
彼女から離れようと体を起こした。
けれどそこで彼女にシャツの裾を掴まれて動きを止められてしまった。
「……待って」
か細い声が俺を引き留める。
お願い。
離れていかないで。
「大丈夫……少し驚いただけだから」
涙が零れないように指で拭って必死に取り繕った笑顔で俺を気遣う。
「……」
「本当よ。私、嫌なわけじゃないから。だから、ね、そんな顔しないで」
手を伸ばし、俺の頬にそっと押し当てる。
その手の上に俺は自分の手を重ね、静かに目を閉じて眉を寄せた。
馬鹿なことをした。
いくら本当の気持ちを知りたいがためとはいえ大切な彼女を傷つけるなんて。
頬に押し当てられた彼女の手のひらにキスをする。
「すまない、……どうかしていた」
愚かしい自分に腹が立つ。
優しい顔で慰めてやりたいのに強面が張りついて取れそうにない。
不器用な俺を、けれど彼女はどこまでも優しく笑って許してくれる。
「気にしていないわ。本当にちょっとびっくりしただけ。あなたがなんだか珍しく強引だったから……」
「……すまない」
「謝らないで」
そんなオタベック・アルティンも嫌いじゃないわ。
彼女の笑顔に救われる。
どこまでも優しく綺麗な彼女を無理やり汚そうとしていた自分を心から恥じた。
「電話。ユーラチカから?」
「ああ。たぶんもう帰るという連絡だろう」
「そう」
「……」
「ね……オタベック」
「ん?」
「続き……したい?」
「……!ああ……いや」
彼女から切り出してもらえたことが嬉しくて一瞬イエスと言いそうになる。
だが今は頭を冷やした方がいいと舞い戻ってきた理性が総動員で叫んでいた。
今再開したらたぶん優しい彼女に甘えて病み上がりの体を抱きつぶしてしまう。
さっきは煽るようなことを言ったが、冷静になってみれば彼女の声を他の奴に聞かせるなんてありえない話だ。
熱を帯びた瞳も、声も、濡れた肢体も、すべて俺だけが知っていればいい。
俺だけに独占されていてほしいと思うのは傲慢が過ぎるだろうか。
「我慢しよう」
自分で押し倒した彼女の体を起こし、解いた帯を形ばかり結び直す。
乱れてしまった髪は俺にはどうにもできないので申し訳ないが彼女に任せることに。
解かれた長い髪に手を差し入れ指で軽く梳く。
シルクに触れているような心地だ。
世辞ではなく本気でそう思う。
「手荒なことをしてすまなかった。こんなことはもう二度としないと誓う」
膝を合わせて向かい合い、もう一度反省の意を伝えた。
彼女は眉を落として呆れたような困ったような顔で笑う。
もういいのに、と許してくれているのがその笑顔から伝わってくる。
彼女はほったらかしにしていた俺のスマホを引き寄せると「ユーラチカに連絡返してあげて」と手の中に握らせた。
そうしよう。いつまでも放っておくと彼を怒らせてしまう。
通話ボタンをタップし左耳に押し当てる。
数回コールが鳴ったのち、『もしもし、オタベックか?何やってたんだよ』と繋がるやいなや少し苛立った声が聞こえてきた。
適当な理由を取り繕って場を切り抜け用件を聞く。
今から帰るが昼飯はどうするという内容だった。
の体調が良いようなら外に出ようかということらしい。
俺としてはまだ本調子ではない彼女を外出させるのはどうかと迷うところだが。
本人に訊いてみよう。
スマホを一旦浮かせ彼女に声をかけようとしたが、それよりも早く俺の右側の耳は彼女に塞がれてしまった。
内緒話をするように立てられた手の中で掠れた小さな声が俺にだけ語りかける。
ただ一言。
用件だけを告げると彼女は俺に返事をする間を与えず逃げるように部屋を出ていってしまった。
去り際に流れる髪の間から見えた彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
「……」
彼女に告げられた言葉が頭の中をぐるぐると回って何も考えられなくなる。
返事のない俺にスマホからは『おい、オタベック聞いてんのか!行くのか行かねぇのか、どっちだよ!』と苛立つユーリの声が止まない。
すまない、ユーリ。
あと10秒ほど待ってくれ。
誰に見られているわけでもないが、赤く緩んだ顔を隠すために片手で顔の下半分を覆った。
ここにきて絶妙なタイミングで扇風機のタイマーが切れ、涼しげな音色を奏でていた風鈴が動きを止める。
少しおとなしくなったと思っていた蝉が一気に大音量で鳴き始め、部屋の温度と俺の体温を更に増長させた。
顔が熱い。
頭の中が沸騰している。
彼女から食らった予想外の仕返しに速まる鼓動を抑えられない。
すまない、ユーリ。
やはりもう10秒ほど待ってくれ。
熱にやられた頭が正常に戻るまでもうしばらくかかりそうだ。
『 明後日泊まる東京のホテル。私だけ一人部屋だから 』
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