ドリーム小説
女中は時には耐え忍ぶことも仕事になる。
ああいう扱いは初めてではない。
その度に耐えねばならない。
つらくない訳がない。
誰かに触れられる度に募るのは。
あの人への想いに対する罪悪感。
それから。
あの人に心配されたいという期待感。
語 る !
一番見られたくない瞬間を、一番見られたくない人に見られてしまった。
数日前の出来事を思い出し、は重い溜め息を吐く。
夜の外廊下に一人。
手すりに肘をつき、空に浮かぶ三日月を見上げる。
あの日以来、カンベエのに対する態度がよそよそしくなった。
話しかけても「ん?」や「うむ」と言った頷きばかりで、きちんと話ができない。
それよりも気になったことは。
カンベエがあの日見たことを問いただして来ないということだった。
カンベエは気にならないのだろうか。
自分が他の男にあのような扱いを受けても何とも思わないのだろうか。
そう思うと、何だかひどく惨めな気持ちになった。
「独りよがりの・・・恋なのかもしれない」
そんなことをぽつりと呟く。
「どうかしたのかい?ちゃん」
不意に声をかけられ、は手すりから身を離した。
声のした方を向けば、三つ髷の青年がそこにいた。
「シチロージ様」
「こんなところにずっといたら、風邪を引いてしまいやすよ」
「御心配ありがとうございます。シチロージ様は、“こんなところ”に何の御用で?」
語尾を強調して微笑めば、シチロージも笑って返す。
「いえね。何か嫌な事がある度に“こんなところ”を訪れる女中さんのことを知っていやしてね。たまたま来てみたら、その女中さんがいたってわけでげすよ」
を見てお得意の笑みを浮かべるシチロージ。
はふと顔をほころばせて笑んだが、その笑みはすぐに悲しげな笑みへと変わっていった。
「シチロージ様は・・・私のこと、よく見ていて下さるのですね」
その笑みと言葉の伝えたいことがわかり、シチロージは苦笑する。
「そんなことあたしに言っちゃいけやせんよ。あたしがカンベエ様に何て言われるか」
「カンベエ様は・・・」
きっと何も言わない。
そう言いたかったけれど、その言葉はあまりにも卑屈すぎては言葉を止めて飲み込んだ。
「何でもありません。さて、と。そろそろ仕事に戻らなければ」
一つ大きな背伸びをして、はその顔にいつもの笑みを浮かばせた。
いつものの笑顔。
周りを明るくする、皆の好く笑顔。
一つ挨拶をして、は去っていった。
残されたシチロージはその後ろ姿を見納め、ひょいと手すりに腰を下ろした。
が何か思い悩んでいることは見て取れた。
そしてきっとそれが古女房たる自分の主にかかわっていることも。
可愛い妹分のような存在のの悲しい笑顔に、シチロージは溜め息を漏らす。
「さぁてね。何があったのやら」
が見ていた三日月を見上げる。
彼女の心のように、その形は満たされていなかった。
蛍屋の生活にもすっかり馴染みきったカンベエ一行。
彼らの夕餉は、相も変わらず賑やかだった。
「ご飯、おかわり!」
空っぽの茶碗を掲げて叫ぶヘイハチに、カツシロウは眉をひそめる。
「ヘイハチ殿。少しは遠慮したらいかがですか?」
「何をおっしゃる。旨い飯を遠慮して何の得があるというのです」
「ですが他の方の分が」
「なんだ。カツシロウ君もおかわりしたかったんですか?」
「そ、そういうわけでは!」
二人のやり取りに周囲は笑みを零す。
給仕をしていたも笑いながらヘイハチの椀を取った。
「ご飯ならたくさんありますから。ヘイハチ様もカツシロウ様も御存分に召し上がって下さい」
の言葉にヘイハチは大喜びで椀を受け取る。
柔らかな笑みを向けられ、カツシロウも僅かに頬を染めて椀を預けた。
それに続くようにゴロベエもリキチもとに椀を渡していく。
そんな中、静かに食を進めるカンベエには目を向けた。
「カンベエ様はいかがですか?」
崩れることのない笑みで問いかける。
だがカンベエは一度ちらりとに目を向けるだけだった。
「いや。結構だ」
「そうですか・・・」
カンベエの態度もまた崩れることはなかった。
の心が、その笑みとは裏腹に軋みを上げる。
こんな日が、いつまで続くのだろう。
崩れてしまいそうな笑顔を、必死に保つ。
夜も深まり。
蛍屋にも静けさが戻る。
カンベエは薄暗闇の縁側に胡坐をかき、高い月を見上げていた。
その胸中を巡るは、想い人である女のこと。
数日前に見てしまった、決して面白くはない出来事。
カンベエは顔を下げ、一つ溜め息を漏らす。
「何かお悩みで?カンベエ様」
聞こえてきた声に顔を上げれば、椀を二つ載せた盆を手にした古女房がいた。
「悩んでいるように見えるか」
「えぇ、そりゃぁもう、思い切り」
よいしょとカンベエの横に腰を下ろし、椀を一つ手渡す。
揺れる水は酒ではなく冷茶。
カンベエは椀を手にしたまま中の茶を見つめ、シチロージは軽く口を付けた。
「ちゃんと何があったんです?」
不意の問いかけに、カンベエは驚き混じりの顔を向ける。
カンベエの顔色を見て、シチロージは笑んだ。
カンベエもたまらず苦笑を浮かべる。
シチロージが纏う、緩やかな空気にも助けられた。
人に話して気が和らぐこともある。
カンベエは、静かに事の次第を語るのだった。
この数日を見てのの働きぶり。
の絶えない笑み。
言い寄る男の多いこと。
その中でも特にご執心の若い商人の男。
先日のそれとのやりとり。
不運にもその場を見ていたことを知られてしまったこと。
そして何より。
男にさしたる抵抗を見せなかったのこと。
「なるほど。それでここのところお二方の様子がおかしかったというわけでげすか」
話を聞き終え、シチロージはこりこりと鼻頭を掻いた。
カンベエは手元で揺らしていた茶に口を付ける。
「なぁ、シチロージ」
そう口火を切り、また少し押し黙る。
シチロージも黙ってカンベエの続きを待った。
「は・・・いつもあのようなのか?」
「あのよう・・と申されますと?」
カンベエの言葉の意図をわかりかね、シチロージは聞き返す。
ちらりとシチロージに目を向け、カンベエはまた茶に視線を落とした。
「かのようなことをされても、怒ることもせず、何もなかったかのように振舞っておるのか」
別の男に唇を奪われても、対した抵抗も見せなかった。
すぐに仕事に戻っていき、平然としていた。
泣き虫ともいえるが、あのような扱いを受けても変わらない笑みを浮かべていた。
カンベエの言葉に、シチロージの片眉が僅かに上がる。
微細ながらも不審が見て取れた。
「カンベエ様は、ちゃんがあんな扱いを甘んじて受け入れている、とお思いで?」
「いや、そうは思っておらん。一瞬だが、苦痛を垣間見せていたしな」
カンベエは蛍屋に留まる間は、いつもを見ていた。
会えない日の方が長い分、それを取り戻すように。
を見つめるカンベエの目はいつだって穏やかだった。
それはシチロージもわかっており、そのことに笑みを零す。
「ただ、あれの抑えられた感情はどこに行っているのかと思ってな。いつか壊れてしまうのではないかと心配になる」
「本人に聞いてみたらいいじゃありませんか」
「確かにそうなのだが・・・」
変に言いよどむ。
カンベエの珍しい姿に、シチロージは興味が湧く。
椀を揺らしたり、月を見上げたりと思案しているようだが、シチロージはあることに気付く。
「どう・・・接していいかわからぬのだ」
そう零すカンベエの手は椀に添えられたまま。
本当に深く悩んでいるとき、カンベエが顎に手をやらないことをシチロージは知っていた。
「不要に傷口を突付き、また泣かせてしまうのではないかと」
そう言って月を見上げたまま息を漏らす姿は、男が見ても頬を染めてしまう程艶やかだった。
カンベエが見上げる月の中には、が映っているのだろう。
そうまで想っているのに、いつもどこかですれ違う。
不器用な二人だと、シチロージは苦笑して頬を掻いた。
どこかで鈴虫が鳴いている。
縁側に座る二人の元へ、蛍が数匹ゆらゆらと飛んできた。
飲み干した椀を盆に置き、シチロージは飛ぶ蛍を指に載せた。
蛍の光がちかちかと点滅する。
「カンベエ様、あたしゃぁねぇ。いつもちゃんに救われてるんですよ」
不意にそんなことを話し始めた男を、カンベエは横目で見る。
語るシチロージの顔は、ひどく楽しげだった。
「まずあの笑顔。見てるだけで元気になりますぁ。それから・・・なんていうんですかね、あの子の纏う空気。和むと思いやせん?」
「うむ」
それはカンベエがよく知っていること。
枯れたはずのカンベエの心を癒したのは、その人。
他の者では駄目なのだと、カンベエ自身が一番わかっていた。
「あたしゃここで用心棒も兼ねておりやすが、本当に出向いたのは、酔って暴れる侍を取り押さえたときぐらいですぁ。後の馬鹿な商人の癇癪なんかは、ぜーんぶちゃんが接して丸く治めてくれるんですよ」
その言葉に、カンベエは意表をつかれた。
カンベエが知るは、よく笑い快活ではあるが、どこかはにかみ屋で泣き虫なところがある。
仲介役をこなせるようには思えなかった。
カンベエの知らないの姿を初めて知った。
「あの子の笑顔に、皆落ち着いて帰っていくんですぁ。どんなに心のきたねぇ奴等もね。あの子はいつだって笑ってる。・・・・・皆の前ではいつだって笑ってるんですよ」
深い意味を込めて放った言葉。
この人なら気付くはずという確信があった。
シチロージの方を向き直った焦琥珀の目は、想い人を気にかける色で染まっていた。
「シチロージ。あれは・・・は、泣いておるのだな」
待っていた通りのカンベエの答え。
を想う深さが滲み出ている。
伝わった嬉しさとは裏腹に、その答えにシチロージは悲しげに笑った。
「泣いてやすよ。夜に、一人で」
蛍屋の外廊下の手すりに寄りかかり。
仕事を全て終え、皆が寝静まった深夜に。
一人、涙を流す女をシチロージは知っていた。
その姿を思い出し、シチロージは胸が痛くなる。
「愛しい愛しい誰かさんの名前を呼びながらね」
「ん?・・・んぅ」
シチロージのカンベエを見る目が意地悪く細められるから、カンベエはどこか居心地悪げに唸った。
シチロージの手に留まっていた蛍が、ゆらゆらと飛び立っていく。
綺麗だが、どこか儚い光に二人は彼女の面影を重ねる。
「カンベエ様」
飛び立っていく蛍を見送りながら、シチロージは情緒のこもった声で呼んだ。
呼ばれて顔を向ければ、カンベエの目に泣き笑いのようなシチロージの顔が映る。
「あの子を、一人で泣かせないでやっておくんなし」
一人で抱え込んで。
一人で咽び泣いて。
縋ることをしないあの子に。
手を差し伸べられるのは、この人しかいない。
シチロージを見返すカンベエの目は、しかりと決意の固まったものになっていた。
刀を抜いたときに見せる、迷いのない目。
カンベエが緩やかに笑むから、シチロージも顔を綻ばせた。
「あぁ。しかと承知した」
見上げた月は、三日月より少し丸みを取り戻していた。
鈴虫がどこかで鳴いている。
つ ぶ や き
蛍屋の構造が・・・。
はユキノとシチロージに可愛がられているのです。
シチロージにとっては妹のような存在。
シチロージは愛のキューピッドであって欲しい。
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