ドリーム小説
それは何てことのない、朝のことだった。
侍一行の朝餉の用意をし、飯をよそうべく白米のお櫃を開けた瞬間だった。
「・・・・っ」
立ち上がる白い煙と米の甘い匂い。
いつもならいい匂いと思うそれに、はにわかに吐き気を覚えた。
口元を押さえて中腰でとまったままのに初めに気づいたのは、キュウゾウだった。
「おい」
キュウゾウの静かな声掛けに、カンベエはじめ皆もを見やる。
は口元を押さえ、不快そうに眉間に皺を寄せていた。
「・・・ごめん・・さない。私、ちょっと・・・っ」
それだけを告げて足早に座敷を去っていく。
カンベエ含め残された者たちは、の様子に不思議な顔をするのだった。
兆す!
水道の蛇口から大量の水を流し出す。
洗面所に着くなり、は流し場に軽く嘔吐した。
「ごほ・・・っ」
朝方食べたものを全て吐き出してしまった。
は口元を手ぬぐいでぬぐう。
口の中に酸が広がり、気持ちが悪い。
苦しみながらも、は考える。
なぜ突然嘔吐してしまったのかが不思議でならない。
「ちゃん」
「あ・・・女将さん」
「なんだか顔色が良くないわよ。大丈夫?」
心配で後を追ってきたユキノに声をかけられ、は無理矢理笑みを作った。
「はい、何とか・・・・。私、お食事中の皆さんに失礼なことを・・・」
「大丈夫よ、そっちは心配しないで。それより」
ユキノは心配そうな顔での背中を撫でる。
それだけでは少し気分がよくなる気がした。
「だんなも心配していたわよ。ちゃん、相変わらず働きすぎなんだから」
「そんなことないです」
「そんなことあるの。もう、あんまり無理しちゃだめよ?」
「・・・はい」
しゅんと頭を下げるに、ユキノは苦笑を浮かべる。
「ただでさえ、ちゃんのことを心配するお侍様が増えたっていうのに」
「え?」
ユキノの言葉には不思議そうな顔をする。
どういうことだろうと思っていれば、洗面所の戸が外から軽く叩かれた。
「女将。はおるか」
聞こえてきたのは、カンベエの落ち着いた声。
を心配して様子を見に来たらしい。
カンベエの呼びかけに、は慌てて返事した。
「大事無いのか、?」
「はい、私は。・・・ごめんなさい、お食事中に。すぐに参りますので」
ユキノが止めるのも聞かずに、は小走りに洗面所の扉を開けた。
がらりと開けて、最初に目に入ったのはカンベエの姿。
突然現れたに、少しだけ驚いたような顔をする。
カンベエを心配させないように、「もう大丈夫です」と笑顔を向けた。
カンベエは少し疑問に感じたが、「そうか」と穏やかに答えて。
それから、視線を横に向けた。
もカンベエの視線の先を追えば、そこには。
「キュウゾウ様・・?」
「・・・・・」
洗面所の壁に赤い衣の侍が寄りかかっていた。
の呼びかけに、キュウゾウは閉じていた目を開けて彼女を見やる。
「わしだけでよいと申したのに、わざわざついてきてな」
「・・・心配、ゆえに」
「キュウゾウ様」
先ほど座敷での不調に一番に気づいてくれたばかりか、わざわざ足まで運んでくれたらしい。
ゆっくりと近づいてくるキュウゾウに、は嬉しさに笑みを向けた。
「平気か」
「はい。ご心配おかけしました」
もう大丈夫だと告げても、キュウゾウは不審そうな顔での顔を覗き込む。
「白い」
「いつものことでございます」
「白すぎる」
「だ、大丈夫です」
「だが」
「キュウゾウ、近すぎるわ。から離れよ」
「・・・断る」
を想う二人の侍の珍妙なやり取りに、三人の背後でユキノが肩を揺らして笑っていたことは言うまでもない。
なんだかんだで皆から愛されるなのだと確信するのだった。
そんなことがあった後も、結局はいつも通りに働いていた。
周りに笑顔を振りまき、ぱたぱたと廊下を駆ける。
彼女の姿に皆も安心して、日々を過ごしていた。
だが実際は、の体は明らかに変調をきたしていた。
そのことを知っているのは自身のみ。
もともと少食であったのに、あれ以降ますます食が減ってきている。
ほとんど食べていないにもかかわらず、ときには吐いてしまうこともある。
それから気になることは食以外にもう一つ。
「・・・・・来ない」
どうして、と頭の中で疑問と不安がぐるぐる渦を巻く。
厠の扉に背を預けてため息をつく。
いつもならもう来てもいいはずのものが来ない。
一抹の不安がよぎる。
だがはふるふると首を横に振ってそれを否定した。
頭の中を切り替えて仕事をしなければ、とそればかりを考える。
そろそろお座敷の侍一行に夕餉を運ぶ時間だ。
は皆に心配されないよう、足運びをしっかりさせて部屋に向かった。
その夜、侍たちがいる部屋はいつになく賑わいでいた。
部屋に近づけば近づくほど明るい声が大きくなっていく。
「何かおありですか?」
「あぁ、ちゃん。いえね」
話の中心にはユキノがいた。
ユキノの横にはシチロージ、その横にはコマチとキララがいる。
周りの皆が、ユキノの膝の上に広がる文を覗き込んでいた。
何か楽しいことが書かれているのだろうかとも興味がわく。
「私の古い友人から文が届いてね。これが吉報でさ」
ユキノの顔には満面の笑みが浮かんでいる。
横にいるシチロージも穏やかな顔で頬杖ついていた。
ユキノはまるで自分のことのように嬉しそうに文の内容を読んだ。
「長いこと子に恵まれなかったんだけど、ようやくややに恵まれたって。嬉しくてあちこちに連絡してるみたいでさ」
「う〜む。相当慌てているようだな、この御仁」
「かなり慌てているわね。三つも同じ文が届いちまってるよ」
「きっとどこに送ってどこに送ってないか覚えてないです」
コマチの両手には、ユキノの膝の上にあるのと全く同じ文が一通ずつあった。
慌てすぎの旦那さんに、皆からどっと笑いが漏れる。
新たな命の誕生、ユキノの友人の懐妊に、部屋は喜びで満たされていた。
明るい雰囲気、あったかい雰囲気、穏やかな雰囲気。
幸せの黄色に包まれたその部屋の中で。
の笑顔だけが、灰色がかっていた。
つい先ほど脳裏をよぎった不安が、何十倍にもなっての心に襲い掛かる。
(まさか、まさか、まさか、・・・・・・)
そればかりが頭の中に鳴り響く。
不安に鼓動はどんどん速くなっていく。
息苦しささえ感じるほどに。
は、小さく震える手でそっと着物の胸元を掴んだ。
「それは・・・・おめでとぅございますね」
明るい雰囲気の中に溶け込んでいけない自分をは認識していた。
胸元を掴んでいた彼女の手が、そっと腹部に降りていったことに気づく者はいなかった。
つ ぶ や き
かなり初期に書いて、諸事情でお蔵入りになったものを改訂しました。
ちゃん、まさか・・・・!
○今回のタイトル
『兆す(きざす)』・・・物事が始まろうとする気配がある
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