ドリーム小説
『お主の女は綺麗過ぎる』
キュウゾウがカンベエに言った言葉が思い出される。
切れ味のよいすっぱりとした言い方が、あまりにもキュウゾウらしいと思った。
笑 む !
外を、弱まることを知らない激しい雨が、ざぁざぁと降っていた。
その音すら、耳に届かない。
の鼓膜を揺するのは、自分の声とキュウゾウの荒い息遣いだけ。
「・ん・・・っ」
キュウゾウの長い指が、の足を膝から腿へと撫で上げる。
反射的に膝を寄せ合い、捻った方の足で床を掻いてしまった。
ずきんと鈍くて熱い激痛が走り、理性が戻ってくる。
不意に腹部の圧迫感が薄らいだのを感じて、は慌てて視線を下に移した。
キュウゾウの手がの帯紐を解いたのを目にし、は体を強張らせた。
「キュウゾウ様っ・・や・・おやめ下さいっ!」
キュウゾウの手から帯紐を奪い、開かれそうになっていた着物の前を合わせた。
きつく着物を合わせ、はキュウゾウから顔を背ける。
キュウゾウはの頬にそっと手を添えた。
冷えた頬が濡れているのは、雨のせいではない。
キュウゾウの細い指が、の目元にたまる涙を拭い去る。
「何故拒む・・・」
「・・・ぅ・・っ」
後から後から零れ落ちる涙。
は嗚咽を漏らすまいと唇を引き結ぶ。
「」
名を呼び、濡れた長い髪を指で梳いてやれば。
の口が小さく動き、「・・・ごめん、なさい・・っ」とそれだけを弱弱しく呟いた。
「・・何を謝る」
「ごめんなさいっ・・・ごめん、なさい・・・っ」
キュウゾウの下で体を丸め、は憑かれたように謝罪する。
キュウゾウがそっと頬に手を寄せれば、それに気付いたが震える手でその手を制した。
「ごめんなさい・・・・キュウゾウ様」と、眉を歪め、涙に揺れる瞳がキュウゾウを見上げる。
「私は・・・カンベエ様を、お慕いしております・・っ」
不安と恐怖に揺れているのに、そう告げるの瞳には確かな意志が強く込められていた。
その目に、キュウゾウは動けなくなる。
「私、は・・・私は、あの方を裏切ることは、できません・・・。今キュウゾウ様にこの身を許したら・・・もう二度と、あの方に触れられなくなるっ」
「・・・何を・・馬鹿な」
「わかっております・・・私は、愚かです。それでも私には・・できません・・っ」
きっとカンベエはこんな汚れてしまった自分にも優しくしてくれるだろう。
優しくされればされるほど、笑いかけられればその分だけ、きっとこの不義を思い出す。
それ以上は言葉が紡げず、は手で目を覆い隠して涙を流した。
途絶えることなく嗚咽を漏らし、体を震わせるを前に。
それ以上、彼女を傷つけることはできなかった。
カンベエのことを思いキュウゾウを拒絶したのに、今でもは泣きながらキュウゾウに謝罪の言葉を言い続けている。
「・・・・」
「・・なさい。ごめんなさい・・私を、・・許さないで、下さい・・っ」
「もういい・・・・泣くな」
キュウゾウの静かな声が、雨の音にかき消されそうになる。
泣きじゃくるを抱き起こし、キュウゾウはその弱弱しい体を胸の中に引き寄せた。
震える体を強く抱きしめる。
自分が抱きしめても、の体から恐怖と不安が抜けていかないのがわかった。
こんなふうに傷つけるつもりなどなかったのに。
「・・・・・悪い」
「・・違ぅ・・んなさい・・ごめんなさい、キュウゾウ様・・っ」
強い雨は、一晩中続いた。
いいことなど一つもありはしない。
の容態がどんどん悪化していく。
熱にうなされ声が出なくなるまで、はずっとキュウゾウの胸の中で謝り続けた。
全て知られた。
全てを承知で、カンベエはを抱きしめた。
の体から力が抜けていく。
魂までするりと抜けていきそうな錯覚を覚えさせられる。
カンベエはの滑らかな髪に頬を押し付けた。
「カンベエ、様・・」
「」
「私・・・ごめんなさ」
「謝ることは許さぬよ、」
謝罪の言葉を断ち切られ、は口を開けたまま音を止めた。
カンベエの手が、優しくの背を撫でる。
「お主は何も悪くなどない。キュウゾウが」
「違ぅ・・違いますっ。キュウゾウ様は」
「わかっておるよ。キュウゾウも悪くなどない。そしてあやつも、お主は何も悪くないと言っておった」
にもキュウゾウにも、非などない。
誰も悪くなどないのだ。
それなのに、は過剰にも自分の罪科を恐れている。
カンベエが、ふっと息を吐いて笑ったのがわかった。
「お主は昔から変わらんな。綺麗過ぎて、たまに怖くなる」
「違い、ます・・・私は」
穢い。
穢れていて、そんな体でカンベエに触れるのが、触れてもらうのが怖くて仕方がない。
なのにそんなものを振り払って、カンベエはを抱きしめてくれる。
「」と、優しい声が耳をくすぐる。
「。お主は綺麗過ぎる。もっと、穢くなってもよいのだぞ。なに、案ずることはない」
「・・・わたし、は・・」
「お主がどんなに穢くなろうと」
を抱く腕の力が強まる。
「わしはお主を捨てたりせん」と、カンベエはの頭をそっと撫でた。
引き寄せた小さな体が、微かに震えだす。
「。わしに嫌われると思ったか」
「・・・・はい・」
「キュウゾウにもすまぬと思ったか」
「・・・は、い・・っ」
カンベエは頭を優しく叩きながら苦笑する。
「すまなかったな。」
「カンベエ様は・・何も悪くなど・・っ」
垂れていたの手がカンベエの装束の胸元を掴んだ。
小さく丸まってしまった体を、抱えるように抱きしめる。
あの日、あの雨の上がった日の朝。
自室で目を覚まし、震えながら泣いて謝罪していたをどうして抱きしめてやらなかったのかと。
今更ながらにカンベエは後悔した。
無理矢理でもいい、あのときを支えていてやれば、今こうして壊れることもなかったのに。
守ってやれなかった自分を、カンベエは責める。
「。もう我慢をするでない」
カンベエはから身を離し、俯くの顔をそっと指で持ち上げた。
は、泣いていない。
だが、先程のような狂った笑みも浮かんでいなかった。
カンベエは優しく笑み、の目元を親指で撫でさすった。
「好きなだけ泣け。わしが、そばに居てやる」
はその言葉にじっと耳を傾けていた。
見上げる先には暖かな焦琥珀色の目があり、自分を見下ろしている。
「お主は泣き虫でおれ。わしが守ってやる」
目の奥が熱くなった。
忘れていた感覚。
雨も降っていないのに、視界が滲んだ。
「・・・ぅっく・・ふ・ぅ・カンベ・・様っ」
「それでよい。全て流してしまえ」
恥も外聞もなく、はカンベエの目の前で泣いた。
ここ数日押し殺していた分、全てが溢れ出した。
カンベエは笑んでが泣き止むまで頭を撫でてやった。
*
「俺はあの晩・・・あいつを抱くつもりだった」
キュウゾウのその声に、迷いや揺らぎはなかった。
本気でを己にするつもりだったと言っている。
だがそれは叶わなかった願望。
「だがあいつが頑なに拒んだ。最後まで、お主への誓いを貫き通した」
その言葉は、カンベエの心中を安堵させた。
の言っていたことが真実であったことに、ほっと胸を撫で下ろす。
「侍の女に、ふさわしい」
そう言うキュウゾウの声には、明らかにへの一種の敬意が込められていた。
キュウゾウが人を褒めたことに驚きながらも、それが己の女であることにカンベエは不思議な想いになる。
不意に、キュウゾウの紅い目が笑った、気がした。
「お主の女は綺麗過ぎる」
「だが、そこが気に入っている」と、キュウゾウは薄く笑む。
その笑みに邪気はなかったが、その言葉には往々に棘が生えていた。
「初心だな。おおよそ、男はお主しか知らぬのだろう」
「お主・・・愚弄するのか、を」
「違う」
眼光を鋭くするカンベエを、キュウゾウはさらりといなす。
そんなことはどうでもよかった。
だから、キュウゾウは欲しかった。
カンベエから奪い取りたかった。
だが、あの雨の日、それはできぬと悟った。
「綺麗過ぎる、故に脆くて壊れやすい。・・・俺には扱えぬ」
ほんの少し心を揺さぶっただけでは狂い壊れそうになった。
それでも心が完全に折れぬのは、のカンベエへの想いの強さゆえ。
二人の間には、シチロージが言っていた通り、確かに絆があった。
そこに入る余地がないことを、キュウゾウは悟ったのだ。
キュウゾウの紅い目が、離れたカンベエをきつく見据える。
「大事なら守れ。島田カンベエ」
できぬのなら、今度こそ自分が奪う、と。
紅い目が言う。
が壊れても構わない、力ずくで奪う、と。
キュウゾウの眼光を受ける焦琥珀の目が、強さを増したのがわかった。
カンベエはすぅとひとつ深い息をつく。
「言われずとも・・・はわしの全てを賭して守る」
「・・・ふん」
キュウゾウは得意の鋭い笑みをカンベエに投げかける。
常人を押し潰せるだけの眼光を、カンベエは確かに受け止めた。
を想う二人の男の間にも、視えぬ糸が繋がっていた。
それから、まるで何事もなかったかのように日常が再び動き出した。
蛍屋に満ちていたぎすぎすした空気は消えた。
あの日降り注いだ雨に、三人は激流にのまれた。
だが雨は、三人が踏む大地を豊かにして、気化していった。
今三人の間には、あの雨が生んだ小川が流れている。
このいざこざ話はここでお終い。
蛍屋に、以前と同じ・・・いえ、以前よりももっと善い日常が戻ったのは言うまでもないこと。
ただ若干、にとって大変な日常となったのだが。
の足の怪我もほとんど治り、包帯で固定はしているが今ではもう普通に歩けるようになっていた。
「おはようございます、カンベエ様」
朝餉に座敷を訪れたカンベエに、あの眩しい笑顔で挨拶をするがそこにいた。
に、本来の笑顔が戻った。
それどころか、は以前より表情豊かになり、より一層その魅力を引き立てるようになっていた。
「おはようございます、キュウゾウ様。お早いですね」
最後に現れたキュウゾウに挨拶し、は座るキュウゾウの前に椀を差し出した。
「かたじけない」と受け取りながら、ふとキュウゾウはの顔を見つめた。
「キュウゾウ様?」
「目の下。隈ができている」
「え?・・・あ・」
指摘され、は口ごもる。
何か心当たりがあるらしい。
じっと見ていれば、の耳が薄っすらと赤くなっていた。
「あの・・お気になさらないで下さい」
そう言っては苦笑する。
キュウゾウはにばれぬよう、ちらりと視線をカンベエに送った。
目が合った瞬間、カンベエが一瞬だけ不敵に笑ったのがわかった。
キュウゾウの眉間に皺が寄る。
加虐心が沸き起こる。
押し黙るキュウゾウに、「あの・・キュウゾウ様?」とは声をかけた。
を見据える紅い目が、意地悪げに笑う。
「島田に寝かせてもらえなかったのか」
「え・・・・なっ!?キ、キュウゾウ様!?」
ぽつりともらしたキュウゾウの声は、皆にも届いていた。
ヘイハチやキクチヨは、「ははぁ。なるほど」「お盛んだぁな」と茶化す。
キララは仄かに頬を紅くし、カツシロウは真っ赤な顔で椀を落とした。
シチロージは隣に座るコマチの耳を塞ぎ、「何するです、モモタロー!」と騒ぐコマチをなだめる。
ユキノは大人の余裕で笑っていた。
「あらあら、ちゃん。つらいなら、今日はお休みする?」
「な、何言ってらっしゃるんですかユキノさんまで!キ、キュウゾウ様、何を・・っ!」
「誠であろう?」
「え・・・あの・・・いぇ・」
は口ごもり、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
の日常で変わったこと。
それは、キュウゾウにからかわれるようになったこと。
それも、嘘のつけないの正直さを逆手にとっての心理攻撃だった。
「島田」
不意にキュウゾウがカンベエに声をかけた。
皆の顔がキュウゾウとカンベエの間を行き来する。
も少しだけ顔を上げてそれをうかがった。
カンベエが渋い顔で「なんだ」と返事する。
「あまり無理はさせるな」
「何ゆえだ」
「この細い体には、負担がかかりすぎるであろう」
キュウゾウの目がちらりとを見てカンベエに戻る。
皆の目が一斉にに向いた。
カンベエもまた同様にを見る。
カンベエと目が合った瞬間、はぶわりと顔を赤くした。
「確かにな。肝に命じておこう」
「カ、カ、カンベエ様!!」
「もう少し飯を食わせろ」
「キ、キュウゾウ様も・・っ!」
は最早泣きそうなくらい顔を歪め、二人を咎めた。
だが二人の男の話は止まらない。
「あんな腰で子がなせるのか」
「ふむ。それはわしも心配していたことだ。どれ、。お主も席について飯を」
「も、もぉいやーっ!」
は叫ぶなり、両手を同時に振り上げて振り下ろした。
びゅんっと風を切る音がして。
がんっ!
ごんっ!
鈍い音が二つ、部屋に響き渡った。
「・・・・っ」
「・・・・。お主・・っ」
部屋に座す者たちが二人の男を見れば。
が振り下ろしたしゃもじが素晴らしく脳天に直撃したキュウゾウと。
が投げた茶碗が物の見事に頭に当たったカンベエがいた。
シチロージは顎をさすりながら感心したように笑う。
「ほぉ。ちゃん、お見事」
「ご、ご、ごめんなさいっ!!」
自分が無意識にしでかした行動に、は顔を真っ赤にして涙目でうろたえていたが。
その場にいられず、すっくと立ち上がって座敷を去っていった。
「いやぁ、強くなられましたね、さん」
「ほんとでげすねぇ」
まぐまぐと飯を食い始めるヘイハチとともに、シチロージも去っていったを見送る。
椀としゃもじで報復攻撃された侍二人も、じんじんと痛む箇所に手を置きながらの後姿に目をやった。
「誠、侍にふさわしい女だ」
「うむ。本当にな」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「キュウゾウ」
「なんだ」
「やらんぞ」
「承知している」
今はそんな、蛍屋の風景。
つ ぶ や き
ここまで読んでくださりありがとうございました。VS夢これにて完結です。
次書くとしたら・・・きっとキュウゾウはを苛める子兼親しい友人になっていると思います。
ぐだぐだと長い話を。本当にありがとうございました。
キュウゾウファンの方、ごめんなさいです・・・。
最後、情けない男二人になってしまいますたよ。
ちゃん更にパワーアップ。
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