ドリーム小説
するする、するする、と里芋の皮をむく。
慣れた手つきで、綺麗にむいていく。
五、六個程むいたところで、手が止まる。
止めるのではなく、止まる。
左手に小さな里芋が一つ。
右手に板長さんがいつも手入れを怠らないくすんだ銀色の包丁が一つ。
手が止まったまま、ぼぉっとする。
その繰り返し。
「ちゃん」
「・・・・・」
「ちゃん!」
「あ・・・はい。あ、ご、ごめんなさい!何ですかっ?」
声をかけられては慌てて前を向いた。
ユキノが腰に手を当てていぶかしんでいる。
「大丈夫?ちゃん」
「はい・・・ごめんなさい。手が止まってました」
「そうじゃなくて。ちゃん、包丁持ったままぼぉっとすること多いわよ、最近」
ユキノは、「なんだかひやりとするからやめて頂戴ね」と心配そうな顔をする。
は苦笑しながら別の里芋を手に取った。
「ごめんなさい。気をつけますね」
そう言っては笑顔で再び皮むきに戻るのを、ユキノは心配そうに見つめながら厨房を後にした。
私が、静かに壊れていく音がする。
暴 く !
最近、自分がおかしい。
は自分でそれを自覚していた。
仕事をしながら、誰かと話しながら、普通に笑えている。
それはいい。
だがそれ以外の時間を、どんな顔をして過ごしているのか自分でわからないのだ。
「なんだか・・・怖いなぁ」
自室の鏡に映った自分の顔を見つめた。
今は、苦笑している。
大丈夫、これは自覚ある、とはほっとする。
鏡に映った自分の首筋を見てみる。
首から鎖骨にかけて。
点々とついていた紅い痕は、もう消えている。
そっと自分の細い首筋に指を這わせてみても、何も感じない。
あの雨の日のことが今でも少し思い出されるが、それでも前ほどじゃない。
もう大丈夫かもしれない、とは少しだけ胸をなでおろす。
「うん。もうだいじょう」
強い自分でいよう、と。
自分に言い聞かせようとして鏡に映った自分を見て。
背筋が凍った。
鏡の中の自分は、笑っていた。
面白くも、楽しくもないのに、笑っていた。
笑顔を作った覚えはない。
それは、自覚がなかった。
日常の変化は、唐突に訪れた。
それまで、侍たちの給仕を休んでいたが、朝餉や夕餉の手伝いに戻ってきたのだ。
コマチやキララは手放しに喜んだ。
「さん、元気になってよかったです!」
「ありがとうございます、コマチ様。キララ様もいつもお見舞いに来て下さってありがとうございました」
そんな和やかな雰囲気を醸しながら、食事がとられた。
の態度も笑顔も、以前と変わらなかった。
「どうぞ。カンベエ様」
笑顔で、はカンベエに椀を渡した。
カンベエは様々な感情が入り混じった状態で、何を言っていいかわからず、無言でそれを受け取るしかなかった。
カンベエが何も言わぬことをが気にした様子もない。
どうなっているのだ、とカンベエばかりが心を惑わせる。
食事後、皆が各々に去っていき、部屋には座ったまま食器を片付けるとカンベエだけが残っていた。
笑顔で、何だか楽しげに仕事をする。
その姿に、カンベエは違和感を覚えた。
「」
本当に久しぶりに、その名を呼んだ。
ずっと呼びたくて仕方がなかった。
呼ぶと、は手を止めて「はい?」とカンベエに笑顔を向けてきた。
何だろう、この違和感は。
以前と変わらぬ笑みのはずなのに、どこか空恐ろしい。
「何でしょう、カンベエ様」
無邪気な声で問い返してくる、そこに棘はない。
カンベエは呼んだはいいが、なぜか何も言えなくなった。
「いや・・・何もない。すまんな」と返せば、は「いいえ」と笑って首を横に振った。
不意に、ぎしっと廊下が軋む音がして二人の目がそちらに向いた。
部屋の前に、キュウゾウが立ち尽くしていた。
三人の視線が交錯した瞬間、何とも言えぬ空気が部屋を満たした。
空気が重くなる、と思われた。
だがその予想は砕かれた。
「おはようございます、キュウゾウ様」
変わらない声色で、はキュウゾウに挨拶した。
これにはカンベエも、キュウゾウも驚きに目を見開く。
には、このぎしぎしとした空気がわからないのだろうか。
そんな鈍い女ではないであろうに。
「お食事ご用意してありますよ。どうぞ」
笑顔でキュウゾウを促し、櫃から白米をよそう。
キュウゾウは「・・すまぬ」と呟き、出された膳の前に正座して箸に手をつけた。
が後片付けをする音と、キュウゾウが食事をする音だけが聞こえる。
三人とも何も話すことはなく、時間だけが過ぎていった。
しばらくしてが「すみません。私、厨房に戻りますね」と言ってゆっくりと立ち上がった。
まだ滑らかに歩くことはできなかったが、足をひきずれば何とか歩けるまでには回復していた。
は壁に手をつきながら、部屋を去っていく。
「・・・・」
「・・・・」
二人だけ残されて、余計に空気が重くなった。
飯を食べ終わったキュウゾウは、かたんと箸を置くと降ろしていた刀を手に立ち上がった。
歩みながら刀を担ぎ、座すカンベエの横を通り過ぎて廊下に出る。
そのまま去るかと思われたが。
「島田」
カンベエの横顔に声をかければ、ゆっくりと首を巡らしてカンベエはキュウゾウを見上げてきた。
「・・・何用か」
「・・・・・話が、ある」
壁に手を添えて体を支え、は片足を引きずって厨房へと向かっていた。
本当に久しぶりにカンベエ、そしてキュウゾウと顔を合わせ、言葉を交わした。
もしかしたら、心が拒絶してまともな自分でいられないのではと不安もあったが。
「よかった・・・普通に話せた」
ぎこちなかったけれど、会話は成り立っていた。
カンベエに久しぶりに名前を呼んでもらえて、嬉しかった。
意固地に泣いて気まずい別れ方をしただけに、また言葉をかけてもらえないのではないかと不安だった。
キュウゾウとも普通に話せた。
よかった、とは胸を撫で下ろす。
もう少し落ち着いたら、カンベエときちんと話し合いたいとは思った。
「ぁ・・いたっ!」
考え事をしながら歩いていたせいで怪我をしている方の足を変な方向にひねってしまったようだ。
じんじんと鈍い痛みには眉根を寄せて、壁に手をついてその場で止まった。
「おや、ちゃん。大丈夫でげすか?」
「あ。シチロージ様」
後ろから声をかけられ、は振り向いて困ったように眉尻を下げた。
また「無理しちゃ駄目でしょ」と呆れて叱られると思った。
だが。
「ちゃん・・・?」
シチロージはの顔を見つめたまま不思議な顔をしている。
なんだろう、顔に何かついているのだろうか、とは首を傾げる。
「あの・・・シチロージ様?」
「ちゃん。何か良いことでもあったんですかい?」
「え?」
そう言われ、今度はが不思議そうに目を丸くする。
丸くした、つもりだった。
シチロージが「顔が笑ってますぜ、ちゃん」とおどけたように言うまでは。
「・・え・・・・?」
自分の顔が、笑っている?
そんな顔をした覚えはなかった。
ひねった足が痛くて眉根を寄せたはずだった。
シチロージにまた叱られると思って眉尻が落ちたはずだった。
笑った覚えなんてない。
自室の鏡で見た、自分の気味の悪い笑みが思い出される。
自分が怖い、そう思った。
蛍屋から出て少し歩いたところに、朱塗りの橋がある。
牛若丸と弁慶の邂逅を思わせる、その立派な橋の上を、カンベエとキュウゾウはゆっくりとした足取りで歩いていた。
キュウゾウが前を行き、少し離れてカンベエが後を追う。
二人の足音が、かん、こんと板に響き渡る。
橋の中腹で、キュウゾウが足を止めた。
距離を置いてカンベエも歩みを止める。
キュウゾウは何を話す気なのだろう、とカンベエは考えあぐねていた。
とすらまともに話をしていないのに、ここでキュウゾウの話を聞いて余計に思考が捻じ曲がる可能性もある。
三者の関係が悪化していく、そんな気がして仕方がない。
不意に前方に立つ紅いコートが揺れ、キュウゾウが首を後ろに巡らせた。
「キュウゾウ。話とは何だ」
「言わずとも察していよう?・・・あいつのことだ」
誰のことかなど、聞かずともわかる。
カンベエは僅かに目を細め、キュウゾウを見やる。
「あの日、何があったか。知りたくはないのか」
そのキュウゾウの言葉に、カンベエは面食らった。
それはカンベエが知りたくて仕方がなかったこと。
それでもに問うことはできず、キュウゾウに問えばとの約束を破り、彼女を傷つけることになる。
だから動けずにいた。
それを今更、まさかキュウゾウの口から聞けるとは。
「沈黙は肯定ととるぞ」
「・・・・何故わしに話す気に?」
カンベエが問えば、キュウゾウはカンベエに投げつけていた眼光をふいっと小川に移した。
カンベエが今も自分の横顔に視線を送っていることを承知で。
「あいつが、狂い始めている」
が、ゆっくりと壊れていっている。
キュウゾウの言葉に、カンベエは内心で大きく頷いた。
カンベエもの様子の変化には気付いていた。
のあの笑顔は、どこかおかしい。
普通ではない、言うなれば、狂っているといってもいい。
の中で整理のつかないあの雨の日の出来事が、の心を蝕んでいるのだろう。
「だから、お主に話す。あいつが狂うことなど俺は望んでいない」
「それはわしも同じ・・・皆そう思っておる」
カンベエが力強く同意すれば、キュウゾウは僅かに口元を緩めた。
視線をカンベエに戻す。
紅い目は、決してカンベエから視線をそらそうとしなかった。
「俺はあの晩・・・あいつを抱くつもりだった」
その声に、迷いや揺らぎはなかった。
カンベエもまた視線をそらすことはなく、キュウゾウの言葉を真正面から受け止めた。
そしてキュウゾウは、カンベエに全てを話した。
遠くでお昼を告げる半ドンが鳴るのが聞こえた。
その音が消えて、次に聞こえてきたのは小川のせせらぎだった。
蛍屋の裏口を出たところに、川が流れている。
そこで洗濯をしたり、ときに野菜を洗ったりしている。
は川辺に敷かれた石の中でも大きめの石を見つけ、その上に腰を下ろしていた。
厨房の仕事も終え、洗濯物をこむにはまだ早い。
怪我のせいですることがなく、は暇を与えられてここで休んでいた。
「はぁ・・・」
溜め息が漏れてしまう。
悩むことがいろいろあって、頭の中がおかしくなりそうだった。
考えないようにするには働くことが一番で、だからユキノに我侭を言ったのに。
休んでいるとどうしても考えてしまう。
カンベエのこと、キュウゾウのこと、それから自分のこと。
カンベエと話がしたい。
きちんと話を聞いてもらいたい。
でも、怖くて仕方がない。
自分でも知らなかった自分を、カンベエに知られるのが怖い。
は目を閉じて、周囲の音に耳を傾けた。
目の前に広がる小川のせせらぎが聞こえる。
水の音。
水は、あの日の雨を思い出させる。
『』
水が思い起こさせるのは、キュウゾウのを呼ぶ声だった。
遮断しようとしても、頭の中にあの日のことが流れ込んでくる。
「・・・ぅ・・っ」
キュウゾウと口付けた。
体に触れられた。
ショックだった。
自分の体は、カンベエだけのものだと信じていた。
事実そうだった。
そして、カンベエにしか感じないのだと信じきっていた。
そんなことありはしないのに。
そんな処女のような戯言、ただの夢でしかないと理性ではわかっていたのに。
それでも信じたままでいたかった。
だから、ショックだった。
『・・』
キュウゾウに口付けられ、肌に触れられ。
肌に張り付いた着物を割って足を撫でるキュウゾウの手に、感じている自分がいた。
カンベエ以外の男の人に触れられて、同じように身もだえ喘ぐ自分がいた。
こんな自分を、カンベエに知られたくなかった。
自分は穢れている、と思った。
キュウゾウのせいではない。
ただ、自分が許せなかった。
ゆっくりと目を開ける。
小川の水面が、きらきらと光り輝いている。
心は重く、深海に沈みそうなのに、目に映る光景はあまりにも綺麗。
はぁ、と一つ、溜め息をついた。
不意に、じゃり、っと。
背後で石を踏む音がして、は無意識に振り返る。
白装束が穏やかに風に揺れていた。
「・・・」
「・・カ、ンベエ様・・っ」
驚き、体を竦めてカンベエの名を呼んだ。
そんなの顔を見て、カンベエの眉間に皺が寄る。
なんだろう、私の顔に何かあるのだろうかとはいぶかしむ。
「どうか、なさいましたか・・・カンベエ様」
あくまで平静を保って尋ねる。
朝と同じように、は笑顔で問いかけた。
だがそれはカンベエの表情をより一層険しいものにした。
「なんだ・・・その顔は」
「・・え・・・?」
意味のわからない問いかけに、は首を傾げる。
カンベエが石を踏みしめて、との距離を縮めていく。
後ずさりしたかったが、足を怪我して石の上に腰掛けた状態ではどうにもできない。
近付くカンベエから、は視線を小川に移した。
じゃり、と石の音が止み、カンベエがの前に片膝をついてしゃがんだ。
「」
「・・・はい」
「顔を、こちらに向けてくれぬか?」
そう言われても、心が拒絶してカンベエの顔を見られない。
それでもは、ゆっくりと時間をかけて視線を戻した。
石に座すは、カンベエの顔を僅か上から見下ろした。
カンベエの顔が、悲しそうに歪んでいた。
「・・・何という顔をしているのだ、お主は」
「え・・あの・・」
戸惑うに、「今、自身がどのような顔をしているかわかるか?」とカンベエは問う。
今の自分。
カンベエを前にして、戸惑い、困惑の表情をしている。
自身はそう思っていたのに、カンベエはそれを否定する。
「なんだ・・・その痛々しい笑みは」
哀しげなカンベエの顔を見て、は鈍い衝撃を受けた。
笑っている、自分は今、笑っているらしい。
それも、カンベエも喜んでくれない、酷い笑い方で。
「え・・・そんな、私・・・」
戸惑い、何とか笑おうとはあがく。
だが、あがけばあがくほど、本当の笑い方を忘れていく自分がいた。
そんながあまりにも痛々しくて。
胸が締め付けられて、たまらなくなる。
「・・もう」
「カンベエ様、あの・・ごめんなさい、私」
「もうよいっ!」
声を荒げて立ち上がると、カンベエはを抱きすくめた。
久方ぶりに触れた、細い体。
抱きしめた瞬間、の体が強張るのがわかった。
拒絶されるかもしれない。
だがそれを覚悟で、カンベエはをもっと強く抱きしめた。
「カ、カンベエ様っ・・・あの、お放しをっ」
「・・・・もうよいのだ」
「え・・?あの・・・」
強く強く抱きしめた。
の体も、心も、全てを守ってやれるよう。
そして、戸惑うの耳に恐れていた言葉が響いた。
「話は全て・・・キュウゾウから聞いた」
「・・・・・・・・ぇ・・」
カンベエが全てを言い切った瞬間、の世界が無音になった。
目の前が、真っ暗闇になる。
カンベエに抱きすくめられた体から力が抜けていく。
戸惑いがちに中途に上げられていたの手が、だらりと力なく垂れた。
つ ぶ や き
綺麗過ぎて涙が出ます、さん。
傷つけてごめんよ・・・(涙)。
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