ドリーム小説
誰もいない一人の部屋で、は赤い目元をこすりながら、すんっと一つ鼻を鳴らした。
その音すら静かな室内に虚しく響く。
キュウゾウのもとへ行かぬと約束してくれて、カンベエは無言で部屋を去っていった。
一度もを振り返ることなく。
布団の中で身体を横にし、掛け布団を頭までかぶって。
カンベエの荒げられた声を、怒りに満ちた顔を思い出す。
「・・カンベエ、様」
思わず、じわりと涙がにじんだ。
あんなに泣いたのに、どうして涙は涸れないのだろう。
泣けば泣くほど、胸の中が重くなっていく。
この苦しみは、どうすれば消し去ることができるのだろう。
いつもはどうしていたっけ。
そして目を瞑れば。
思い出すのだ。
―――。
苦しいときは、いつもカンベエが後ろから抱きしめてくれていたことを。
甘く掠れた低い声で、耳元で名前を呼んでくれるのだ。
あの声が、好き。
カンベエの声を、抱きしめられる感触を思い出せば、また目の奥が熱くなっていく。
「もぅ・・・いや、だよ」
浮かんでくる涙を必死に止め、は手の甲で目元をきつくこすった。
泣いたってどうにもならないのに。
カンベエが許してくれるわけでもないのに。
でもどうすればいいのか、わからない。
偽 る !
三人の間に亀裂が走ってしまったあの日から、三日が経った。
状況に変化なし。
カンベエ、、キュウゾウが各々接触した様子はない。
いつも通りの風景のはずなのに、蛍屋には何とも言えぬ居心地の悪い空気が漂っていた。
「なんだか肌がぴしぴし言うんですがねぇ・・・」
「ヘイさんもですかい。実はあたしもでして・・・」
淀んだ空気を感じ取り、ヘイハチとシチロージは顔を見合わせて苦笑いする。
そして、中庭をはさんだ向こう側の縁側で座禅を組み、目を瞑っているカンベエに視線を投げた。
三日前から、カンベエがあぁしている姿がたびたび見られた。
カンベエの身体から滲み出る何とも言えぬ鬼気に、誰も声をかけられないでいた。
「一体何があったのやら。シチさん、何か聞いていませんか?」
ヘイハチは、両脇に抱えていた薪を「よっ、と」と抱え直す。
「いえ何も。・・・どうやら、今回ばかりはあたしも口出しできそうにありやせんね」
後ろ頭をかきながら、シチロージは己が主を見やる。
カンベエのこともそうだが、シチロージはのことも心配でならなかった。
今朝方、ユキノに頼まれての部屋に朝餉を届けに行ったが。
もまた、目元を真っ赤にして沈痛そうな表情を浮かべていた。
泣きすぎで憔悴しきっており、シチロージが笑いかけてもはいつもの百分の一にも満たぬ笑顔を無理矢理返すぐらいだった。
「痛々しくて・・・見てられやせんよ」
微動だにせず座禅を組んだまま瞑想するカンベエに、シチロージは重い溜め息を吐いた。
五の日が経過。
状況に変化なし。
絶対安静を言いつけられているは自室から動くことをユキノに禁止されていた。
何もすることがなく、ただ一人で部屋にこもるだけ。
せわしない蛍屋の音を聞くだけの日々。
時折ユキノやシチロージ、ヘイハチやコマチが声をかけにきてくれたが、の憔悴しきった姿に皆がに気を遣って早くに部屋を出ていくのだった。
そのたびには皆に申し訳なく、だが鬱蒼とする自分の心に逆らえず、皆の厚意に甘えていた。
はからずも救われたのは、カンベエもキュウゾウもの前に現れなかったこと。
今、どちらの顔を見ることもつらかった。
泣いてすがってしまいそうで。
自分の弱さを甘えるための手段に使ってしまいそうで、そんな自分の卑劣さが恐ろしくてならなかった。
一人で考える時間が欲しかった。
自分のことを、カンベエのことを、キュウゾウのことを考える時間が欲しかった。
七の日が経過。
状況にわずかな変化あり。
昼間の蛍屋の廊下で、カンベエとキュウゾウが鉢合わせた。
二人の間に、ちょうど剣の間合いと同じだけの距離を置いて、双方ともに立ち止まった。
それをたまたま廊下の角から出てきたシチロージが見つけ、まさか斬り合いをするつもりではないだろうなと内心慌てた。
だが、シチロージのそれは杞憂に終わる。
「・・・・・」
カンベエの方が止めていた足を進め、無言でキュウゾウの横を通り過ぎていった。
二人がすれ違った瞬間、ガラスが悲鳴を上げるような鋭い剣気がぶつかり合う音がした気がした。
キュウゾウは立ち止まったままで、進むカンベエとの距離は開いていく。
よかった、何もなかった、とシチロージは影からほっと胸をなでおろした。
そのときだった。
「待て」
互いに背を向けたまま、キュウゾウがカンベエを呼び止めた。
カンベエの足が止まる。
そのまま時が過ぎること数秒。
何も言おうとしないカンベエに、キュウゾウは背を向けたまま声かけた。
「何故、何も聞かない」
それほど大きな声ではなかったが、それは確かにカンベエの耳に届いていた。
何故、何も聞かない。
と自分のことを。
あの日あったことを、問いただそうとしないのか。
カンベエほどの手練が、の変化に、彼女の身体にキュウゾウがつけた印に気付かぬわけがない。
知っていて黙認するのだとしたら、どれほどの仏心を持ち合わせた男なのか。
この七日間、何も問いただそうとしなかったカンベエに、キュウゾウは猜疑心すら浮かんでいた。
カンベエは本当にを好いているのかと。
他の男に手を出されても平気でいられるような、あの女への想いはその程度なのか。
「あれが」
逡巡するキュウゾウの背に、カンベエの静かな声が投げかけられた。
「が、お主に何も問うなと言うのでな」
だからそうしているまで、とカンベエは答える。
キュウゾウはの言葉も、カンベエの言葉もよく理解できなかった。
なぜ、そんなことをする。
「女一人の我侭に従うのか」
「惚れた女の願いだ。それもよい。何より、それでを泣かせずに済むのならな」
泣かせたくなどないのだ。
いつも泣かせてばかりだから、いつもそばに居てやれるわけではないから。
が泣かずに済む方法が一つでもあるのなら、甘んじてそれに従おう。
わずかに戸惑うキュウゾウの背に、「キュウゾウ」とカンベエは声をかけた。
初めに声をかけてきたのはキュウゾウなのだから、この程度ならとの約束を破ることにはならぬだろう。
キュウゾウに問いたださねば平気だとそう思い、カンベエは続けた。
「お主たちの間に何があったのか、わしは知らぬ。どちらに非があるのかもわからぬ。だが」
「待て。・・・なんだ、『どちらに非がある』とは・・」
キュウゾウは俄かに訳がわからなかった。
どちらに非がある?
そんなもの、キュウゾウがにしたことを考えれば、迷わず答えが出るはず。
キュウゾウの本の僅かな焦りを感じ取りながら、「あれは」カンベエは淡々と続けた。
「は、お主は何も悪くない。・・・自分が悪いのだと申しておった」
その言葉にキュウゾウは目を見開き、後ろを振り返った。
白装束は、キュウゾウに背を向けたまま風に揺れていた。
その男の背中は、こんな状況ですら威風堂々としていた。
のことを微塵も見捨ててなどいない、強い心で信じきっている。
なぜか、キュウゾウは唐突に理解した。
は、島田カンベエのあの背に守られてきたのだろう。
揺らぎのない腕に包まれていたから、安心して笑えていたのだろう。
あの日、茶屋で甘味を食べながら幸せそうに笑っていたが思い出される。
あの時以来、キュウゾウはの笑顔を見ていない。
遠くに立つカンベエの背に細く鋭い視線を投げ、一つ目を閉じる。
そのままくるりとキュウゾウはきびすを返した。
九の日が経過。
状況に変化あり。
が仕事に復帰してきた。
「まだ駄目よ」と止めるユキノに、は珍しいくらい自分を主張して「手伝わせて下さい!」と請うた。
他の従業員にも
「女将さん、本人がやりたいって言ってんだからやらせてやんなよ」
「私らもちゃんが居てくれた方が嬉しいしさぁ」
と言われてしまい、最後にはユキノが折れて、は復帰を許されたのだった。
とは言ってもまだまだ歩ける状態ではなく、やれるのはもっぱら足を動かさない仕事ばかりだった。
厨房の端に腰掛けて、下ごしらえの皮むきをしたり。
女中部屋で、新米女中の着付けの手伝いをしたり。
縁側に座って、蛍屋の従業員分の大量の洗濯物をたたんだり。
やれることは限られていたが、だがは一生懸命手を動かした。
は、始終笑っていた。
以前と変わらぬ、周りを穏やかにさせてくれる笑みを振りまいていた。
それが偽りの笑顔であることは、推して知れた。
時折、壁に手をついて片足を引きずって移動しようとしているも見られた。
そのたびにシチロージがその姿を見つけて。
「おやおやお姫様。無茶はいけませんぜ」
「え?・・ひゃっ」
後ろから現れては、ひょいっとを抱き上げて彼女の足となった。
「シ、シチロージ様っ。あの!」
「はいはい、行き先は厨房でげすね。しっかり掴まってておくんなさいよ」
そう言われては反射的にシチロージの服の胸元を掴んだ。
素直なに、シチロージはにっと笑いかけた。
「足を悪化させたくなければ大人しく皆に甘えていた方がいい」
「・・・はい」
シチロージの歩く揺れに身を委ね、は観念して薄く笑んだ。
「ありがとうございます。シチロージ様」と笑顔を向けられ、シチロージは少しだけ片眉を下げて笑った。
彼女は笑っている。
楽しそうに笑っている。
だがその面の下では、あの日の雨のように、泣いているのかもしれない。
彼女に本当の笑みを取り戻させる方法を知っているのは、あの二人の侍でしかない。
今のの姿を見てどちらかが動かなければ、三人はずっとこのままだ。
妹のようなには、心の底から笑っていて欲しい。
そんなことを思いながら、自分を見上げて笑うにシチロージも笑みを返すのだった。
二日前の廊下での出来事が、思い出される。
そのままキュウゾウはカンベエを振り返ることなく足を進めた。
そして、廊下の曲がり角に差し掛かったときだった。
人の気配、見知った者の気配を感じて、キュウゾウは再び足を止めた。
「出歯亀か。古女房」
姿の見えぬ相手にぽつりと声をかければ。
「おっと。流石はキュウゾウ殿。正体までお見通しで」
簡単に言い当てられ、シチロージは軽い足取りで廊下の影から姿を現した。
シチロージは視線をキュウゾウを追い越して廊下の向こうにやった。
カンベエの姿はもうない。
再びキュウゾウに視線を戻せば、細い紅目とがちんっとぶつかった。
その鋭さに、矢を放たれたような錯覚を覚える。
「たまたま通りかかっただけでげすよ。いや、でも不快にさせたんなら謝りやしょう」
「別に構わぬ」
キュウゾウが短く返せば、シチロージはおどけたように「そいつはよかった」と笑う。
キュウゾウは、そんなシチロージを真正面から見据えた。
カンベエの副官たる男。
カンベエとは全く異なる表面を見せているが、だがその裏面は奴に良く似ていると思った。
シチロージもを心配しているはずだ。
今の状況をどうにかしたいと思っているはずだ。
それでも何もしようとしないのは、カンベエがとの約束を守ろうとしているからだろう。
「お主も、何も聞かんのだな」
視線の応酬で今の雰囲気を共有しているであろう古女房に、ぽつりと問いかけた。
「えぇ、まぁ」とおどけたような笑い顔で、シチロージは「痴情のもつれに首を突っ込みたくありやせんから」と嘘のような本当のようなことを言い放った。
「あのお二方のふかぁい絆は、よく存じていますからねぇ。あたしが心配することはないかと」
そう言ってシチロージはぺしりと自分の額を叩いた。
それは単なるはったりだ。
シチロージはの憔悴した姿を見て知っている。
周りの者にはわからずとも、長年仕えたカンベエが今悩み苦しんでいるのもわかっていた。
今のシチロージの発言は、キュウゾウへの単なる挑発にすぎない。
さて、怒らせたかなとシチロージは内心ひやりとしながら、キュウゾウに笑みを向けた。
能面のように揺らぐことのない顔で、キュウゾウはシチロージを見据えていた。
だが不意に。
ふっ、と。
キュウゾウが小さく鼻で笑った。
「知っている」
「は?」
予期せぬキュウゾウの返答に、シチロージは笑顔のまま思わず固まった。
その横を、キュウゾウが静かに通り過ぎていく。
呼び止めることなどできず、シチロージは「・・え・・?」とキュウゾウを振り返った。
風に揺れる紅い衣が、遠くの廊下の角を曲がったところで、シチロージは笑みを崩して神妙な顔つきをした。
「知っている・・って」
キュウゾウの言葉に逆に自分が混乱してしまった。
シチロージは後ろ首をさすりながら、近いうちに何かあるかもしれぬ、と蟲の知らせを感じるのだった。
十三の日が経過。
状況に大きく変化あり。
が、静かに壊れた。
キュウゾウが、静かに動いた。
つ ぶ や き
シチさんにまでお姫様抱っこされて。いいなぁ、さん。
なんか、逆ハーみたいになってる。
すみません、だらだらだらだらと続きます。
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