ドリーム小説
雨が
濁りも、穢れも、裏切りも
全てを連れて流れ去ってくれればいいのに
一晩続いた雨は
彼女の胸にしこりだけを残して
上がっていった
開 く !
太陽がまだ上がりきらぬ早朝。
空が僅かに白み始めた頃。
重く閉じていた里の大門が、口を開ける。
ぎぃぎぃと悲鳴を上げながらゆっくり、ゆっくりと開いていく門。
朝の早い時間帯で、門の周辺には人がまばらにしかいない。
街から里へと仕入れ物を籠にいれて運ぶ者たちがほとんどだ。
そんな中に、カンベエ、ユキノ、シチロージの三人の姿があった。
帰ってこなかったとキュウゾウをカンベエとシチロージの二人が探しにいくべく、ユキノがその見送りに付き添ってきた。
カンベエとシチロージが大門の境目に足を踏み入れたときだった。
その探索は不要となる声が上がった。
「島田!」
虹雅渓の街から里へと下ってくる長くて急な石段。
その石段を目にも止まらぬ速さで駆け下りる―――ほとんど飛び降りてくる、紅い衣の侍があった。
キュウゾウだ。
そして彼の両腕に抱えられたの姿も見えた。
「!キュウゾウ!」
カンベエが声を上げて叫べば、キュウゾウは石段の最後十段ほどを足を踏み切って飛び降りたところだった。
を抱えてなお、華麗に着地する姿が三人の目に映る。
二人とも無事だった。
そのことにカンベエは安堵する。
だが、その眉間に不意に皺が刻まれた。
キュウゾウに抱きかかえられたままのの様子に、違和感を覚えた。
カンベエの中に渦巻いていた不安が俄かに募る。
キュウゾウは石段を飛び降りてきたのと同じ速さで、を抱きかかえたまま大門まで駆けてきた。
「無事だったか!一体何が」
「ちょっ・・ちゃん!?」
カンベエが全て言い切る前に、そこにユキノの叫びがかぶさった。
カンベエもシチロージも一斉にキュウゾウの腕の中のに目を向ける。
二人の男の目が、俄かに見開かれた。
「・・っ」
キュウゾウの腕の中で、は目を閉じてぐったりとしていた。
片足には布が巻かれているが、そこは異常なほど膨れ腫れている。
キュウゾウの胸にもたれたの顔には生気がなく、だが呼吸は荒く、酷く苦しそうだ。
カンベエの呼び声にも目を開けないところを見ると、気を失う寸前のようだ。
「おい、ちゃん!これは・・一体何があったんですかい、キュウゾウ殿」
シチロージは険しい顔でキュウゾウに詰め寄り、キュウゾウの腕からを奪い抱きかかえた。
触れた瞬間感じた氷のように冷たいの肌に、シチロージはぞっとした。
「ユキノ、湯を沸かせ!あと医師を呼ぶんだ!」
「あ、あいっ」
シチロージに言われ、ユキノは慌てながら蛍屋へと戻っていった。
ユキノの後姿を目の端で見やっていたキュウゾウは、一つ瞬き、カンベエに視線を向けた。
キュウゾウを真正面から見据える焦琥珀色の目は険しく、だがそこには不安も織り交じっているのがわかった。
「カンベエ様」とシチロージに声かけられ、カンベエはを腕に受け取る。
恐らくは雨に打たれたのであろう、冷たい体。
小さく震える体。
細くて脆い体で、よく一晩耐えた。
耐えられたのは、恐らく目の前にいる紅い侍がいたから。
「キュウゾウ」とカンベエが呼べば、キュウゾウは眉根を寄せて目をきつく閉じた。
「すまぬ。・・・俺がついていながら」
「いや。よくぞ無事に戻った」
非難されると思っていたのに。
カンベエが告げたのは、キュウゾウの全く予想外の労わりの言葉だった。
キュウゾウの赤い目が驚きに見開かれる。
「礼を言うぞ。キュウゾウ」
「・・・・」
何も言わぬキュウゾウに一度目配せすると、カンベエはを抱きかかえ蛍屋へと走り戻っていった。
その背中を、キュウゾウは黙って見ていた。
その肩にシチロージがぽんっと手を置き、「さ。キュウゾウ殿も浴場へ」と促した。
一歩、また一歩。
足を進めながら、キュウゾウはもうずっと遠くに行ってしまった男の背中を目で追った。
そして、その腕の中にいる女のことを。
昨夜のことを、思い返すのだった。
蛍屋にすぐに医師が呼ばれ、は意識のないまま治療を受けた。
右足は重度の捻挫。
だが応急処置がよかったおかげで、治りは通常より早いだろうと言われた。
雨に打たれ、濡れたままでいたせいで風邪をひき、それが悪化したのだと医師は言った。
それともう一つ。
「何か、うなされとるね。これはこのお嬢ちゃんのこっちの問題かね」
そう言って、年老いた医師はとんとんと自分の胸を叩いたのだった。
七日分の薬やら軟膏やらを置いて、医師はユキノに見送られて蛍屋を後にしていった。
は自室に寝かされ、そばにカンベエがつくことになった。
皆が部屋を後にし、眠ると二人にされ。
カンベエはここでようやく、一つ重い息を吐いた。
カンベエの嫌な予感が当たってしまった。
のこんな姿を、前にも見たことがある。
が過労で倒れたときだ。
あのときも心配で仕方がなかった。
「あまり、年寄りを心配させるな」
苦い笑みを浮かべてそう告げ、カンベエはの顔にかかっていた髪を払ってやった。
それから、顔の横に出ていた小さな手に、カンベエは自分の手をそっと重ねた。
細い指、細い手首。
頼りない白い手を、カンベエはそっと握り締める。
「・・・」
またあのときのように目を覚ましてくれないか。
今度はずっとそばにいよう。
体温の戻り始めたの手を、指で愛しげに撫でる。
その切な願いが通じたのだろうか。
「・・・ぅ・・」
の口から小さな呻き声が漏れ出て、ずっと閉じたままでいた目が薄っすらと開かれた。
「・・・、わしがわかるか?」
「・・・・ぁ・」
目を細めたまま、長い睫を揺らしては何度か瞬いた。
次第に光に慣れた目が、目の前の人物の姿をはっきりさせていく。
目に眩しい白い装束。
緩く波打つ焦琥珀の髪。
自分を心配そうに見下ろす瞳も同じ色で。
そして、布団から出た手に重ねられた大きな手の感触。
手が感じている温度が、体中に伝わってくる。
この暖かさを知っている。
「」
自分を呼ぶ低い声。
私を呼ぶ、この優しい声を知っている。
いつでも優しい、その声を知っている。
「大事無いか?」
そう言って、カンベエはを見つめて笑った。
自分の小さな手を握る手に、僅かに力がこもる。
優しい温度。
嗚呼。
嗚呼、胸が痛い。
カンベエを見つめたまま、音を立てず静かに、の目から涙が流れ落ちた。
自分を心配してそばにいてくれたことが嬉しくて。
私を不安にさせまいと手を握っていてくれたことが嬉しくて。
何もかもが嬉しくて。
カンベエの全てが愛しいのに。
なのに、私が流す涙は、あまりにも穢い。
「・・どうかしたのか?」
「・・カンベエ、様・・」
カンベエを呼ぶの声は、掠れて震えていた。
何かあったのかと問おうとしてカンベエは口を開いたときだった。
は空いていた手を布団から出し、を包んでいたカンベエの手を、そっと外した。
カンベエに包まれていた手を緩く拳作り、もう片方の手でそれを包み込んだ。
の不可思議な動作に、カンベエは訳がわからずにいた。
わかったのは、自分の手が拒絶されたことだけ。
常と違うの様子に、カンベエは不安になりながらも、外された手をの頬に向かってそっと伸ばした。
だがしかし。
伸ばし、頬に触れそうになったところで、はカンベエの手を制し、顔を背けた。
いまだかつてないの拒絶に、カンベエは俄かに不安になる。
の顔を見下ろせば、一瞬だけ、揺れる瞳と目が合った。
血色を取り戻した小さな唇が動く。
「お願いです・・どうか」
「・・何を」
「優しく・・・しないで下さい」
そう言ってはカンベエから視線を外す。
の眉根がきつく寄り、瞳から涙が零れ落ちた。
大粒の涙に頬をぬらし、は肩を丸めて体を震わせた。
が何故そのようなことを言うのか、カンベエには全くわからなかった。
触れることを拒絶され、頭を撫でて落ち着かせてやることもできない。
抱きしめて、癒してやることもできない。
歯がゆい。
自分はこんなにもに触れることを望んでいるのに。
カンベエは払われた手を緩く握り、それを胡坐をかいた膝の上に乗せた。
「・・」
「・・・・・」
「キュウゾウと、何かあったのか?」
「・・・っ」
カンベエの問いに、の肩が僅かに揺れた。
嗚咽が一瞬だけ、本の一瞬だけ引きつった気がした。
「・・・何か、あったのだな」ともう一度確認するように問われ、は何の反応も返さず沈黙を保った。
それは、どうしても肯定を意味してしまう。
そしてそれは突然に、部屋の空気が一瞬で変わったのがわかった。
横に座していたカンベエが勢いよく立ち上がったのが衣の擦れ合う音でわかった。
足早に部屋を去ろうとするカンベエに、にも彼がどこへ行くつもりなのか知れた。
ざぁと血の気が引く。
「カンベエ様っ」
は石のように硬い体に鞭打って、肘を立てて上半身を無理矢理起こした。
「カンベエ様、お待ち下さいっ」
の呼び声に、カンベエは障子に手をかけたまま振り向いた。
目が合った瞬間、の背をぞわりと畏怖の蟲が走っていった。
カンベエは、怒っている。
何に対してかはわからないが、その表情からも、纏う空気からもそれはわかった。
「カンベエ様・・・」
「・・・・・」
「キュウゾウ様のところに・・行かれるおつもりですか」
掠れる声でそう問えば、カンベエは僅かに眼光を緩めた。
「わかっているのなら皆まで問うな」とその目が言っている。
は眉根を寄せ、ぐっと肘に力を入れて体を起こした。
「・・寝ていろ」
「どうか・・・どうかお待ち下さい、カンベエ様」
「何ゆえだ」
「・・・お願いです」
そう言っては体を起こしたが、くらりと襲った目眩に手を畳について体を支えた。
の様子に、出て行こうとしていたカンベエはきびすを返しての前に膝立てて腰を下ろした。
「無理をするでない。まだ寝て・・」
心配げに声をかけたカンベエの言葉が中途で切れた。
どうしたのだろうとはゆっくりと顔を上げた。
カンベエは神妙な顔つきで、を―――その首元を見ていた。
近付かなければ気付かなかった。
白い夜着の、着崩れた襟元にカンベエの視線が刺さる。
の細い首の脇から浮き出た細い鎖骨の周辺にかけて、紅い鬱血痕が複数散らばっていた。
そんなところに、カンベエが痕をつけた記憶はない。
あるはずがない。
は、着物で隠れぬところに痕を残されるのを酷く嫌っていたから。
だから、カンベエがそんなところに痕を残したことはない。
カンベエはすっと手を伸ばし、の首へと近づけた。
だが、寸でのところでまたの手によって制された。
「カンベエ様・・おやめを」
「キュウゾウに何をされた?」
「え・・?」と短い声を発し、不安げな顔でカンベエを見上げた。
見慣れたカンベエの瞳の色に、怒りと悲しみが織り交じっていた。
「この首の痕はなんだ」
そのカンベエの言葉を頭が理解した瞬間、は胃の腑に氷を落とされたような、心の臓を鷲掴みにされたような気がした。
手が震えて襟を正すこともできない。
の脳裏に、記憶の切れ端が浮かんで消えていく。
キュウゾウに口付けられた記憶。
冷たい床に組み敷かれた記憶。
大きな手に似合わぬ細い指がの肌を這う感触。
熱でおぼろげな意識の中で首に走った小さな痛み。
カンベエに気付かれた。
言い知れぬ恐怖に体が竦み、また一筋、涙が零れた。
懺悔などできようはずがないのに。
カンベエが再び立ち上がるのを見て、は慌てた。
カンベエはキュウゾウの元へ行く気だ。
何も言わぬ自分の代わりに、キュウゾウに問いただしに行くつもりだ。
に手を出したキュウゾウを追求する。
「カンベエ様・・!」と、掠れる声で再度呼び止めた。
「おやめ下さい・・・どうか」
「己の女に手を出されて黙って見過ごせと申すか・・っ」
カンベエの怒りの声を真正面から受け、はびくりと肩を竦ませた。
カンベエは静かに怒る人だと思っていたから。
だから、初めてと言ってもいいその姿には戸惑うしかなかった。
「わしは・・そんなできた人間ではない」
「・・・・ぁ・」
「お主が言えぬのなら、キュウゾウに直に話をつけに」
「ちが・・違いますっ」
震える声ではカンベエを引き止めた。
違う、とは小さく首を横に振る。
「・・何が違うと」
「違うのです・・・・私は・・キュウゾウ様には何もされておりませんっ」
「・・・何を」
「カンベエ様の考えていらっしゃるようなことは・・何もありません」
だから、キュウゾウのところへ行かないで欲しい、とは懇願する。
そして震える両手で、は顔を覆った。
「キュウゾウ様は悪くありません。私が・・・私が悪いのです・・っ」
くぐもった声が、そう告げる。
カンベエは最早何もわからず、ただの途切れ途切れの謝罪の声を聞いているしかなかった。
「ごめんなさい・・・ごめん、なさい・・っ」と、静かな室内にの泣き声が木霊する。
その震える小さな体を、静かに見つめることしかできなかった。
「・・・」
触れれば拒まれる。
抱きしめて、全て吐かせてやりたいのに。
だが今そうすれば、の全てが壊れる気がして。
カンベエは静かにきつく、目を閉じた。
現世(うつしょ)に、刀で斬れぬものの、何と多いことか。
つ ぶ や き
カンベエさんもやっぱり怒ります。
しかし・・・・痛い。書いていて痛いです(悶絶)。
早く平和な蛍屋に戻って欲しい・・ですよ。
あの。混乱、もしくは誤解されていらっしゃる方が多数おられると思うので補足説明。
さんは、キュウゾウにやられちゃってません。否定、否定。
わかりにくくてすみません!!
また本編で謎解きされますが、食べられてません。
(9ファンの方、期待させてごめんなさい:笑)
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