ドリーム小説
しとしとと降っていたはずの雨が、いつの間にかざぁざぁと激しいものに変わっていた。
蛍屋の中庭の池を打ち付け波立たせる雨を見つめながら、カンベエはいまだ帰ってこぬ想い人を思い出し、溜め息をついた。
「ちゃん、帰ってきやせんね」
「・・・あぁ」
「何かあったんでしょうかね」
後ろから声をかけてきたシチロージの言葉に、カンベエは一つ唸りをあげて雨を見上げた。
だが、ばたばたと廊下の向こうからユキノが駆けてきたのを見つけて、二人はそちらに向き直った。
「だんなっ」
「いかがした、女将」
ユキノの慌てように、もしやとキュウゾウが帰ってきたのかと僅かに期待したが。
だがカンベエの当ては外れた。
ユキノが告げた言葉に、カンベエの危惧が更に膨れ上がる。
「大門が閉じてしまったんですよっ」
「・・・・二人は」
「戻ってません・・」
後ろで聞いていたシチロージも横にやってきて神妙な顔をする。
「閉じた・・って。ありゃぁ、明日の朝にならないと開きませんぜ?」
「・・むぅ」
「あぁ・・・どうしましょう、ちゃん・・」
「ユキノ。駄目だと思うが、大門管理局に連絡してみて」
「いや、待て。それでは蛍屋が責を負うことになろう」
シチロージの案に待ったをかけ、カンベエは神妙な顔つきで灰色の空を見上げた。
「・・・キュウゾウがついておる。大事には至らぬだろう」
そう己で告げてから。
だがその言葉に一番不安を感じているのがカンベエ自身であることを、自覚していた。
何事もなければいい。
無事に帰ってこい。
そんなカンベエの切願を破るように、雨は激しさを増していく。
虹雅渓の空で、また一つ稲光が走った。
竦 む !
こんなとき、己が虹雅渓の地理に長けていてよかったとキュウゾウは思った。
虹雅渓下層部には、雨宿りに適した横穴がいくつも開いていた。
その一つに、キュウゾウはを抱きかかえて入り込んだ。
薄暗闇に、聞こえてくる雨の音が少しだけ遠くなる。
堅く冷たい床にを降ろし、キュウゾウは膝をついての足を見やった。
捻った方の足に軽く手を触れれば
「いっ」
の口から小さな悲鳴が漏れ出た。
「腫れてきている。痛むか」
「・・・はい。少し」
そうは言っては苦笑するが、明らかにやせ我慢であることをキュウゾウはわかっていた。
足を左右見比べれば、明らかに片方が異常なほど膨れ上がっていた。
ちらりとの顔をうかがえば、吐く息がどことなく苦しげで短い。
「手ぬぐいか何か持っているか?」
「え?・・あ、はい」
不意に尋ねられ、は慌てて懐から白い手巾を取り出した。
キュウゾウはそれを受け取り広げると、「すまぬ。使わせてもらう」と告げ、長めの手巾を縦に細く裂いた。
何をするのかと思えば、裂いたそれをの怪我した足に巻きつけ始めた。
「い、たっ」
「少しだけ我慢しろ」
黙々と作業するキュウゾウを見やりながら、は奥歯を噛み締めて痛みに耐えた。
しばらくして、器用に布を巻き終えたキュウゾウに「どうだ?」と聞かれ、は少しだけ足を動かした。
まだ痛みはあるが、先程よりはましになっている。
「痛みが、軽くなりました・・」
ほぉ、とは感嘆の息を漏らす。
キュウゾウの意外な一面に、は小さな笑みを口元に浮かべて彼を見やった。
「ありがとうございます、キュウゾウ様」
「・・いや」
短く返し、キュウゾウは刀を外しての横に腰を落ち着けた。
水を吸った重い上着がべしゃりと床に広がる。
不快。
今思うのはそれだけだった。
横目で見やればも同じ気持ちでいるらしく、張り付いた胸もとの襟を手で引っ張っていた。
薄めの着物が水を吸っての体に張り付いている。
細い肩や腕、足の形がよくわかる。
目の毒だ、とキュウゾウは目をそらして穴の入り口に視線を向けた。
ざぁざぁという激しい雨音が中まで届いている。
「雨。止む気配ありませんね・・」
「あぁ」
短い会話はすぐに途絶える。
また、雨音だけが室内を満たす。
だが不意に、横から小さなくしゃみが聞こえてきて、キュウゾウは横目でを見た。
体温を奪われた白い手で自分の体を抱いて身を竦めていた。
「寒いか」
「あ・・・はい。少し」
でも、大丈夫だとは笑む。
それも強がりだ、とキュウゾウはわかっていた。
の肩が小さく震えている。
が二度目のくしゃみをした。
キュウゾウは数秒考えあぐね、やおらの肩に手を回した。
「え?」とが声を漏らしたときには、その体はキュウゾウの腕の中にすっぽりと収まっていた。
両足の間に収め、の小さな頭を己の胸に押し付ける。
自分の状況がわかるや、俄かには慌てだした。
「キュウゾウ様!」
「なんだ」
「あの・・お放し下さいっ」
「なぜ」
「なぜ・・って」
そう聞かれたら、上手く答えられない。
口ごもるの体を、キュウゾウは更に強く抱きしめた。
互いに濡れているとはいえ、キュウゾウの温かな体温が確かに感じられた。
心地いいと思ってしまった自分を、は胸のうちで叱咤する。
カンベエの姿が、の脳裏に浮かんだ。
「キュウゾウ様・・あのっ、お放しを」
何とか腕の中から抜け出そうと、はキュウゾウの胸を押す。
だが力で勝てるわけがない。
逃れようと身をよじるに、キュウゾウは小さく舌打ちした。
少しだけ身を離して、きつい目でを見下ろす。
「キュウゾウ様」
「こんなときまで島田に操を立てるな!己の身を心配しろ」
初めて見る、鋭くとがった赤い目には肩を竦めた。
キュウゾウの真剣な目から視線をそらせない。
「あ、の」
「風邪でもひかれたら、俺が島田に殺される」
ぶっきら棒にそう言って横を向いてしまったが、だがすぐに「まぁ簡単にやられはしないが」と唇を引き上げて笑う。
は呆気にとられて目を瞬かせた。
キュウゾウは、少し離れていたの身を再び引き寄せる。
「他意はない。お主は己の体の心配をしていろ」
素っ気ない言葉に、だがはキュウゾウの優しさを感じた。
小さな声で、「ありがとうございます・・」と告げれば、キュウゾウの腕に少しだけ力がこもった。
大人気なかった、とは反省し、今だけ力を抜いてキュウゾウに身を預けた。
実際、雨で体温を奪われて凍るように寒かった。
加えて足をやられ、痛みと寒さで気がどうにかなりそうだった。
キュウゾウの体温が心地よい。
は目を瞑って、雨音だけに耳を傾けた。
それからどれくらい経っただろう。
一刻以上は確かに経った。
いや、もしかしたらもっとかもしれない。
雨音が弱まることはなく、加えて雷が再び鳴り始めていた。
一瞬の閃光の後、数秒後に訪れる轟音。
石壁の室内に雷鳴は反響して不気味な音を立てる。
閃光が走るたびにの肩がびくりと震えていた。
もう何度雷が鳴っただろうか。
また目の端を閃光が走りぬけた。
雷鳴が来る、とキュウゾウはを抱く腕に力をこめ。
そして、びくりと震えない肩に、の異変に気付いた。
少しだけ体を離し、キュウゾウはちらりと目を下に向けた。
ぎくりと、嫌な予感が走り抜けた。
ぐったりとその身をキュウゾウに預けるが目に入った。
「おい!」
「・・・ぁ・」
「おい、大丈夫かっ」
「・・は、い・・」
そう言って吐くの息は異常に熱く、息遣いも荒かった。
目もどこかうつろげで、焦点があっていない。
キュウゾウはの額に手を置いた。
かなり高い。
雨に体温を奪われ、足の怪我で熱を持ち、完全にの容態は悪化していた。
「おい。しっかりしろ」
白い頬を軽く叩けば、は閉じていた目を薄っすらと開けた。
細い目でキュウゾウを見上げる。
その目に吸い込まれそうになるのを耐え、キュウゾウはの頬を二度叩いた。
「大事無いか?」
雨音に混じって、キュウゾウの声がの耳に届く。
『大事無いか?』
そう、あの人にも同じように言われたことがある。
何度もある。
いつもの身を案じてそう尋ねてくれた。
平気じゃないときも、そう言ってくれるだけで嬉しくなれた。
だから、大丈夫だと言えた。
「は、い・・・カンベエ様」
無意識に、その人の名を口にしていた。
自分でも気付けぬほど自然に。
自分を抱くキュウゾウの手に、違う力がこもったのがわかった。
それでようやく、は自分が誰の名を告げたか気付いた。
「・・ぁ・・」
「・・・・・」
僅かに正気を取り戻した目に映ったのは、神妙な表情を浮かべたキュウゾウの姿だった。
赤い目がを見下ろしていた。
いつもの余裕ぶった風でもなく。
さっきのような厳しく諭すような風でもなく。
キュウゾウにそんな目をさせた自分を、は酷く後悔した。
熱に浮かされて、何を口走ってしまったのか。
「ごめん、なさい・・・私・・」
謝って許されることではない。
それでもは熱で掠れる声で謝罪の言葉を告げた。
助けてくれた人の腕の中で、愛する者の名を呼んだ。
恩を仇で返したような、酷く居心地の悪い気が胸に渦巻く。
申し訳なさに、は自らキュウゾウとの距離を離した。
だが、ゆっくりと離れていくの身を勢いよくキュウゾウの手が引き戻した。
再びキュウゾウの胸に頬を寄せる形になり、は戸惑った。
「あ、の」
「・・・・」
「キュウゾウ様・・・」
「そんなに」
頭の上からキュウゾウの声が聞こえてきた。
頭に、肩に回された腕がきつくを抱きしめる。
「そんなに奴のことが好きか」
キュウゾウの口調はいつもと変わらなかった。
ただ、確認をとるようにに問いかけた。
温かかったキュウゾウの胸の中が、今は、痛い。
「はい」と一言答えてしまえば、それでいいのだとは頭の中でわかっていた。
答える代わりに一つ頷くだけでもかまわない。
それなのに。
どうして、答えられない?
さっきの己の失態を申し訳ないと思っているせいか。
でもそれではただのキュウゾウ様への同情ではないか。
自分を助けてくれた彼をこれ以上傷つけたくないという、自分の勝手な我侭だ。
はっきり伝えなければいけないのに。
自分はカンベエ様を好いていると。
「答えぬのか」
赤い目がじっとを見据える。
言葉が出ない。
首を振ることもできない。
ただ、も揺れる瞳でキュウゾウを見上げることしかできなかった。
激しさを増す雨音が耳にうるさい。
体温を奪われた体は凍るように冷たい。
腫れた足首が燃えるように熱くて痛い。
息が苦しい。
また閃光が走った。
だがそれももう怖くない。
怖いのは他にある。
自分を見つめる赤い目が怖い。
迷い戸惑う自分の心が怖い。
あの人の名を呼びたかった。
いつも自分を救ってくれるあの人の名が呼びたかった。
でも今あの人の名を呼ぶことは、許されない気がした。
「」
あの人の代わりに、キュウゾウがの名を呼ぶ。
赤い目から、視線をそらせない。
キュウゾウの顔がゆっくりとに近付いてくる。
何をされるかわかるのに、それを跳ね除けることができない自分がいた。
「」
キュウゾウの吐く熱い息が顔にかかる。
動けない。
「今だけ・・・・許せ」
短い言葉が耳に届いて、閃光のように唇が重ねられた。
茶屋で仕掛けられた悪戯のような口付けじゃない。
女を感じさせるための、男の口付けだった。
キュウゾウの手がの手を取り、自分の首に回させた。
されるがままに、はキュウゾウの首に手を絡める。
その手を振りほどかなかった。
振りほどけなかった。
「・・ん・・」
唇を重ね合わせたまま、冷たい床に押し倒された。
体の力は、全て吸い取られていた。
その口付けを、拒まなかった。
拒めなかった。
閉じた瞼の奥に、あの人の笑った顔が浮かんで。
目の奥がじんと熱くなった。
雨の音が耳について、離れない。
つ ぶ や き
久しぶりの更新で。
やってしまった感が否めない・・・。
うぅぅぅ・・・私が痛いです(涙)!!
戻る!
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